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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

天売・焼尻 小トリップを振り返って 焼尻島中編

2014-06-30 18:14:22 | 道内の旅

 焼尻島に抱いていた私の思いを良い意味で裏切ってくれたのが、島を一周した後に訪れた旧小納家をそのまま資料館として公開している「焼尻郷土館」だった。広壮なうえ、贅を尽くした造りの建物が明治年間に焼尻に実現していたということに率直な驚きをおぼえた。 

 「幸福の黄色いハンカチ」のロケ現場から、道路は急激な上りに差しかかる。とても自転車に乗って上れるような坂ではない。延々と自転車を押しながら坂道を上った。
 島の外周を巡る、ということで私は平坦な道を予想していたが、予想は見事に覆された。焼尻島も天売島も溶岩と火山角礫岩からできている島だそうで、平坦どころではなく、ゴツゴツとした火山性の溶岩が固まってできた島らしく、自転車族を悩ませるアップダウンのきつい道路だった。
 晴天の中、汗をかきながら上り続けたのだが、路肩にはエゾスカシユリの群落があったり、遠くには天売島が望めたりしたことが一瞬疲れを忘れさせてくれた。

          

          
          ※ 対岸に見えるのが天売島です。写真で見るより近くに見えました。

 ようやく上り詰めたところは「鷹の巣園地」というところだった。休憩舎で休みを取ったものの、特に変わったところもなく、ただ開けた大地という感じだったので写真は一枚も撮らなかった。
 ここからは上った分だけの快適な下り坂が待っていた。遠くに海水浴にも人気があるという「白浜海岸」を眺めながら、風を感じての快適なサイクリングだった。

          

 島の東南端近くに「マクドナルド上陸記念の地」を表すトーテムポールが立っていた。
 マクドナルドとは、日本に憧れた米国青年ラナル・マクドナルドは1848年に密航して日本上陸を果たすのだが、その上陸の地が焼尻島だったという。密入国者として捕えられたマクドナルドは、宗谷、松前、長崎と転送・収監されるが、長崎で収監されていた半年間に日本人に英語を教えたという。その教え子が、ペリーが黒船で来航し開国を迫った時に通訳の役割を果たしたと伝えられているから、こうした北の小さな島でも日本の歴史の一頁に関わっていることが興味深かった。

          
          ※ 何故トーテムポールなのか、その理由ははっきりしません。

          

 その上陸記念の地から坂を上ったところに「めん羊牧場」の牧舎があった。焼尻のめん羊はサホーク種という肉用の羊で最高の肉質と称している。ところが一頭の羊も見当たらなかった。見ることが出来たのはなぜかポニーの親子だけだった。
 私は午後から広大な牧場地帯もサイクリングしたのだが、そこでも全く見ることが出来なかった。焼尻では私が訪れる直前(6月21~22日)に「サホークまつり in 焼尻」というお祭が行われていたが、まさかそのために全て羊たちを肉用として供給したわけでもあるまいに…。代わりに(?)私は昼食でサホークの焼き肉を味わったのだった。

          
          ※ ポニーの後ろ写っている方は自転車で全国一周中の愛媛の男性でした。

 「めん羊牧場」を過ぎ、島の東側の海岸沿いをフェリーターミナルのある島の中心に戻ってきた。そこにあったのが旧小納(こな)家の店舗兼住宅をそのまま保存した「焼尻郷土館」である。入館料が320円とあった。大した金額ではないが、この種の観覧施設では度々裏切られたことがある。私は入口にいた係の中年女性に「320円の価値のある施設ですか?」と軽口をたたいた。彼女は「見る人にとっては十分価値のある施設です」と優等生的な答えを返してくれた。

          
          
 この施設が私の思いをおおいに裏切ってくれた。想像していたよりはるかに素晴らしい施設だった。
 小納家とは、明治年間に焼尻島で手広く呉服や雑貨などを商っていたが、それだけではなく鰊漁の網元、さらには郵便局、電信局まで扱うなど、いわば焼尻のコングロマリット(?)として君臨したようである。
 そのため店舗兼住宅もさまざまな機能を有した広壮なものとなったようだ。店舗はもとより、座敷1・2・3、居間、奥の間、洋間、仏間、おばあさんの部屋、台所、こめびつ部屋、郵便局、局員休憩舎、さらには漁具を収納する土蔵、収蔵庫などが1階に配され、2階には客用の宿泊室が3室、電信室、局員休憩室などが配されているという具合だった。

          
          ※ 小納家にあったお祭の神輿です。小さいけれど華やな印象です。


 小納家の生活がいかに贅を尽くしたものであったか、ということを物語るものとして私は三つのことに注目した。
 一つは、トイレ(便所)である。係の女性が「トイレをぜひ見てください」という。その言葉に従ってトイレを覗くと、なんと便器が「九谷焼」だったのである。小納家は石川出身だったということもあり、陶器類はもちろんのこと、便器(小便器、大便器)まで九谷焼を揃えたという。
 二つ目は、あの時代(明治後期)にアイスクリーム製造器を所有していたというのも驚きだった。
 そして三つ目は、部屋の壁にゴルフセットが展示されていた。そこには主人が小樽へ出かけた際にプレーするために購入したと記されていた。

          
          ※ 九谷焼で設えられた便器です。

          
          ※ なんとこの時代に北海道でゴルフをしていた人がいたんですね!

 一事が万事という感じで、それは明治期の離島の屋敷、生活とは思われない豪華さであった。私は郷土館を辞するとき、係の女性に「十分に価値のある施設でした」とお礼を述べて館を後にした。
 もし、焼尻に行く機会があったときには、ぜひとも訪れることをお勧めする施設です。

 その後、フェリーターミナルまで戻って、そこに開店していた「島っ子食堂」で焼き肉サフォーク(1,000円)の昼食を摂った。ふだん焼き肉をそれほど得意としていないため、焼尻のサフォーク肉がどれほど旨いのかは判断できなかったが,軟らかい肉だったことだけは間違いなかった。(さらに焼尻編は続きます)