焼尻島は私にとって予想外に興味深く感じた島だった。久しぶりの島探訪ということもあって、新鮮な思いで島を眺めたことも一つの原因と考えられるが、島そのものの魅力もなかなかだった…。
最初の写真は羽幌港から焼尻港まで乗ったフェリー「おろろん2」号である。
けっこう大きなフェリーだと思っていたのだが、大した波とは思っていなかったのにフェリーはけっこう揺れた。
帰宅して調べてみると、「おろろん2」は、総トン数480t、速度15ノット、定員100~300人(このアバウトさは何?)と出ていた。
私が春に乗った奄美群島を往くフェリーは、総トン数8,083tというから、その規模は全く違い、船の揺れも気にすることがなかった。しかし、今回はもう少し長い時間乗っていたら、あるいは船酔い症状が出るのではと心配するほど船が揺れたが、事なきを得た。
続いて、焼尻港のフェリーターミナルの様子である。小さな島のひなびた感じが良く出ている。
フェリーターミナルの横には、羽幌地域のさまざまなところで見られるオロロン鳥の大きな像の歓迎塔が出迎えてくれた。
焼尻島上陸後、ただちに近くにあったレンタサイクル店で自転車を駆り、島内巡りをスタートさせた。私は店主のアドバイスに従い、島を左回り(反時計回り)に回ることにした。
最初のストップポイントは「工兵街道記念碑」である。
この碑は第二次大戦中、焼尻島に駐屯していた工兵隊が崖を切り崩して島内を巡る道道255号線を造成したことから工兵街道とも呼ばれ、その功績をたたえて建てられた記念碑だということだ。
碑が建っているところは高台のところのために、そこから望む海岸線が美しかった。
高台になっていたところから道路を下ったところに「火力発電所」があった。後で分かったことだが、ここの発電所で作った電力で焼尻島、天売島の二つの島の電力を賄っているとのことだった。(焼尻島から天売島へは海底ケーブルで送電している)
さらにその先へ行くと、立派な建物の「焼尻小・中学校」が建っていた。海辺に造られたグランドが物珍しかった。
島を巡るうちに、実は焼尻小・中学校には中学生の女の子が一人だけの在籍ということが分かった。生徒一人に対して、学校職員は5~6人いるとのことだ。まるで「お姫さま状態」である。私はお姫さまにぜひ会いたいと思い、島を一周した後に学校を訪れたのだが、物音一つしないような雰囲気に気おされてしまい目的は果たせなかった。残念だが、ある意味当然のことである。一観光客が教育現場に気軽に足を踏み入れて良いはずがない。
私はもしかしたら校舎の外に出ている関係者と話しが出来ないかなぁ、との期待で訪れたのだったが…。
※ 手前が中学校、体育館を挟んで向こう側が小学校、この大きな校舎に生徒が一人だそうです。
島の北部を走っていると、民家の前を板壁で覆っているところが目に付いた。
写真の家は特に完璧で、家の入り口部分しか空いていなかった。
もう少し行くと、柱組だけの家も見えた。その家の横で老婦が庭仕事をしていたので声をかけた。「ここは冬になると、家の周りを覆うのですか?」と問うと、「そうだ」という。
さらに話をうかがうと、冬期間に海から吹き寄せる風は相当に強く吹くらしい。
そんな老婦の家からさらに走っていると、壁そのものにドアや窓までついた完璧(?)な板壁が現れた。屋上屋を重ねるという言葉があるが、まさにその言葉を体現するような板壁だった。
※ こちらは冬が近づいたら、柱に板を打ち付けて囲いをするそうです。
※ こちらは板壁にドア、窓まで付けた完璧バージョンです。
島の北辺の最後は、ドラマ「幸福の黄色いハンカチ」のロケ現場と言われる黄色いハンカチがはためく粗末な住宅のセットが遺されているところだった。「幸福の黄色いハンカチ」のロケ現場というと、夕張市が有名だが夕張市は映画版であって、こちらはテレビ番組のドラマとしてリメイクされたときの現場だそうだ。
ここから道路も細くなり、急激な坂が待っていた…。(以下は明日レポートすることにします)