社会に提起されるさまざまなデリケートな問題に対して、私が唯一旗色をこのブログ上で明らかにした問題である。 (そのことに触れた投稿はこちら⇒) 石狩市民カレッジにおいて、福島原発事故の現場を取材する北海道新聞の記者から聴いた。
積極的に石狩市民カレッジに参加している。会場である石狩市の花川北コミュニティーセンターは自宅から車で40分ほどかかるが、けっこう楽しんで通学(?)している。
今回の講座は、第1講が5月15日(木)、第2講が5月29日(木)の両日にわたって行われた「記者が語る原子力取材の現場」を受講した。
講師は北海道新聞記者で、「原子力 負の遺産」という連載記事で「日本ジャーナリスト会議賞」を受賞した記者の一人、関口裕士氏による講義だった。
第1講のテーマは「原子力 負の遺産」~核のごみをめぐって~、第2講のテーマは「フクシマはいま」~福島第1原発を取材して~というものだった。
※ 抑制的に語る講師の関口記者です。
講師の関口氏は冒頭に二つの理由をあげ、自分は“脱原発”が日本の取るべき道だと思っている、と自らの立場を明確にして講義に入った。
その二つの理由とは…、
(1)事故があったときの被害が大きすぎる。
(2)核のごみが未来に大きな負担を残す。
という二つの理由だった。
しかし、関口氏はけっして自分の考えをアジテートするために講師を引き受けたわけではない。講義は非常に抑制的に、見たままを淡々と語る姿勢に徹していた。
第1講では、幌延町の放射性廃棄物処分場誘致の動きなどを追いながら、未だに仮処分場問題も解決していない現状などをレポートした。
第2講では、福島第1原発の敷地内に増え続ける汚染水をためるタンク群や未だに自宅に帰ることができず避難し続ける人たちなどをレポートした。
国民の意見が2分するような問題について、こうしたブログなどの場で態度を表明することについては慎重でなければならないと考えている。しかし、ことこの問題については関口記者が理由として挙げているように、問題が未解決のまま先に進むことについて、人としてどうしても納得できないという思いが私の中から消えないのだ。
今回の講座を受講して、思いはなおさらの感を強くした。
※ 申し訳ありませんが、ブログ上で論争することを望んでおりません。この問題についてのコメントはご遠慮させていただきます。
積極的に石狩市民カレッジに参加している。会場である石狩市の花川北コミュニティーセンターは自宅から車で40分ほどかかるが、けっこう楽しんで通学(?)している。
今回の講座は、第1講が5月15日(木)、第2講が5月29日(木)の両日にわたって行われた「記者が語る原子力取材の現場」を受講した。
講師は北海道新聞記者で、「原子力 負の遺産」という連載記事で「日本ジャーナリスト会議賞」を受賞した記者の一人、関口裕士氏による講義だった。
第1講のテーマは「原子力 負の遺産」~核のごみをめぐって~、第2講のテーマは「フクシマはいま」~福島第1原発を取材して~というものだった。
※ 抑制的に語る講師の関口記者です。
講師の関口氏は冒頭に二つの理由をあげ、自分は“脱原発”が日本の取るべき道だと思っている、と自らの立場を明確にして講義に入った。
その二つの理由とは…、
(1)事故があったときの被害が大きすぎる。
(2)核のごみが未来に大きな負担を残す。
という二つの理由だった。
しかし、関口氏はけっして自分の考えをアジテートするために講師を引き受けたわけではない。講義は非常に抑制的に、見たままを淡々と語る姿勢に徹していた。
第1講では、幌延町の放射性廃棄物処分場誘致の動きなどを追いながら、未だに仮処分場問題も解決していない現状などをレポートした。
第2講では、福島第1原発の敷地内に増え続ける汚染水をためるタンク群や未だに自宅に帰ることができず避難し続ける人たちなどをレポートした。
国民の意見が2分するような問題について、こうしたブログなどの場で態度を表明することについては慎重でなければならないと考えている。しかし、ことこの問題については関口記者が理由として挙げているように、問題が未解決のまま先に進むことについて、人としてどうしても納得できないという思いが私の中から消えないのだ。
今回の講座を受講して、思いはなおさらの感を強くした。
※ 申し訳ありませんが、ブログ上で論争することを望んでおりません。この問題についてのコメントはご遠慮させていただきます。