話し手(講師)が自分をあたかも劇場の中の登場人物に仕立て、そのストーリーのヒーローでもあるかのように語る姿に私は嫌悪感さえ抱いてしまった。夜回り先生として世の中に知られた水谷修氏の講演に好感をもてなかったのは私一人だろうか?
私が講演会や講座に足繁く通っているのは、講師を務められる方が、その道において研鑽を積まれた結果として出てくる言葉に、その人ならではのものの見方・考え方が表出されると思っている。その言葉を拝聴することで、自らのものの見方・考え方に修正加除をしていきたいという思いがあるからである。
だから私は講師の方の話し方や態度について言及することはほとんどなかったと思う。(一度だけある方を非難した憶えがあるが…)
4月18日(土)午後、かでるホールにおいて読売新聞主催の談論風発の集い「ネット時代だから活字を!」というシンポジウム(?)に参加する機会を得た。
シンポは夜回り先生こと水谷修氏の講演が60分間、書評サイトHONZ代表の成毛眞氏が30分間の講演をした後、その二人に女優で作家の中江有里氏を加えたパネルディスカッションが60分間という構成だった。
この構成をみると、明らかに水谷氏がメインゲストであることが分かる。
その水谷氏がトップバッターで講演した。
全国通々浦々で講演すること実に4,100回に及ぶという。流れるように自らの体験を披露する水谷氏の話に最初は聴き入っていた。ところが聴き進むうちに、だんだんと違和感を覚え始めた。
氏の話を聞いていると、水谷氏はまるで自身をスーパーマンでもあるかのように語るのだ。一筋縄ではいかない問題少年と対したとき、そこには多くの失敗や、臍を噛まされたことが多々あったのではないだろうか?ところが氏の話からそんなことは全く聞かれなかった。
さらに氏は話の中で、自分は作家であり、研究者であると自分の今を呼称するのだ。
たしかに多くの著作をものにしたかもしれない。確かに複数の私立大学で客員教授や非常勤講師を務めたかもしれない。しかし、他者が氏を作家だ、あるいは研究者だと言うのなら分かるが、氏の肩書にさえなっていない呼称を自ら名乗るところに胡散臭さを感じてしまうのだ。
氏には「実るほど首(こうべ)を垂れる稲穂かな」という言葉を贈りたい。
そう感じ始めてから、私の耳に彼の言葉は届かなかった…。
しかし、人を非難する文章というのはエネルギーを要する作業だとつくづく思った。できればこうした文章は書きたくない。しかし、今回は私の中でどうしても書いておかねば、という欲求が勝ってしまった…。
※ 成毛氏、中江氏とのパネルディスカッションの様子は後日レポートすることにする。
《ウォーキング覚書》 4月 11日 ~ 4月20日までの記録
月 日 歩いた歩数 特記事項
4月11日 8,280 + 3,000 = 11,280 ファクトリー(自転車)
12日 17,221 + 3,000 = 20,221 ファクトリー(自転車)
13日 12,143
14日 8,949 「かでる」までの往復だけ
15日 0 雨風強く完全休養日
16日 11,511
17日 18,938 某事務局まで10キロウォーク
18日 10,028
19日 9,270 + 6,000 = 15,250 農試公園(自転車)
20日 2,413 小雨のため休養
※ +と表示した部分は自転車で走った分を距離に換算したものである。10分=1,000歩に換算した。
◇10日間の総歩数 110,733 歩 ◇10日間の一日平均歩数 11,073 歩
この10日間はかなり凹凸が激しい期間だった。
一万歩に満たない日が完全休養日を含めて3日もあったので、あるいは平均でも一万歩を切るのではと心配したが、なんとか一万歩は確保することができた。
細かく振り返ってみると、15日は天候の問題もあったが、疲労が抜けきらないと感じて完全休養日とした。それだけではなく、14日も、20日も一万歩に届いていないということで、私の気持ちが切れるのではないかとちょっと心配な兆候である。
日によって凹凸が激しいのは私のウォークの特徴の一つでもある。私の場合は私自身が小さなイベントを設けることでモチベーションを保っているところがある。(ex. 12日の田中陽希さんの講演に併せての長距離ウォーク etc.)これからも私自身の中に小さなイベントを繰り込みながらウォークを継続していければと思っている。
私に一日一万歩を意識付けしてくれた千歳市在住の「なまけ鳥見人」さんは、几帳面に一万歩を少し上回る程度に毎日実践されている。私にはとても真似できないのだが、鳥見人さんの存在が私を刺激し、モチベーションを維持させる原動力になっていることだけは間違いない。