関係されていない方にとっては、どのようなセミナーなのか想像もつかないのではないだろうか? 参加した私もいま一つ理解できないまま参加していたセミナーだった。
私が「道民カレッジ」というシステムの中で学んでいることは拙ブログでも時折り触れている。そのシステムとは、大学や民間団体、関係機関などが道民カレッジと連携して、それぞれが実施している講演や講座、あるいは実習などについて「道民カレッジ連携講座」と銘打てば、1時間当たり1単位として認定される仕組みである。
その単位が100単位になると「学士」、200単位になると「修士」、300単位になると「博士」といった称号が北海道生涯学習協会から授与される。そうした称号を授与された方を対象としたセミナーである。
セミナーは昨日(10日)、今日(11日)と二日間にわたって開催された。
内容としては、一日目が講演と演習、二日目が実践発表と交流会という内容だった。
講演は「称号取得者に求められること」と題して、生涯学習社会に詳しい北翔大の谷川教授が務められた。「求められること」という言葉の裏には、称号取得者はカレッジ受講生の模範的な存在でなければならないと、取得者に対して自覚を求めたのだと受け止めた。

※ 講演をされた谷川北翔大教授です。
演習については、私自身の都合で受講することができなかったが、個々のスキルアップを図る内容だったようだ。
実践発表は、カレッジ受講者(称号取得者)自らが学習グループを組織したり、自ら講座を起ち上げ講師となったりして活躍されている方々の発表だった。
そのうちの一つは、私も参加する「めだかの学校」の代表が発表した。
北海道生涯学習協会によると「めだかの学校」は、自ら組織・運営し、自ら学ぶと共に、その輪を広げようとしていると持ち上げられた。私はまだ一会員として参加するだけだが、私もまた「めだかの学校」の姿勢には共鳴している一人である。

※ 実践発表者の一人、「北の歴史塾」を主宰する森山祐吾氏です。
交流会は「セミナーに期待すること」と題して行われた。私の目から見て、この交流会がセミナーの最たる目的だったようにも思えた。
というのは、2001年から始まった「道民カレッジ」は今や軌道に乗って(?)、称号取得者だけでも全道で368名に達するという。そうした方々の中には200~300単位はおろか、1,000、2000単位と取得されている方も多数いて、最高取得者は9,000単位を超えているという。私にとっては目も眩むような数字である。(ちなみに私は今日現在で670単位である)
道民カレッジを運営する生涯学習協会としては、そうした取得者に対して学び続ける意欲を維持してもらうためにも新たな方策を模索しているとのことだった。そして、その試案も提示された。(ex. 道民カレッジ講師、准教授、教授などの制度の創設)
私が道民カレッジで学ぶ主たる理由は、拙ブログでも何度か触れているが、私自身の「雑学」の領域を増やすことにある。その際、単位が集まると称号が授与されるというのは確かに一種の励みになっていたことは否定できない。
自らの学びにおいて、私はそれ以上のことを求める気持ちなど全くなかった。
ところが今回参加してみて、数千もの単位を取得されている方々は、さらなる何らかの称号なり、資格なりを求める方が多いことが分かった。
これは難しい問題である。というのも、道民カレッジは個々人の生涯学習を支援する仕組みであって、何かの資格や技術の取得を目ざす仕組みではない。だから、私自身「学士」とか「博士」とかいう称号を授与されたとしても、それは社会的には何の意味もないものと理解している。
しかし、長い間学んできた人たちの間には、その学びの成果を何らかの形でも社会的に認めてほしいという願いが生れて来たのでは、と想像する。そういう思いが芽生えてくることもある意味理解できるが…。
ただ、私の素朴な感想としては、「そこまで求めるものかなぁ~」というのが偽らざる思である。う~ん、難しい…。
私が「道民カレッジ」というシステムの中で学んでいることは拙ブログでも時折り触れている。そのシステムとは、大学や民間団体、関係機関などが道民カレッジと連携して、それぞれが実施している講演や講座、あるいは実習などについて「道民カレッジ連携講座」と銘打てば、1時間当たり1単位として認定される仕組みである。
その単位が100単位になると「学士」、200単位になると「修士」、300単位になると「博士」といった称号が北海道生涯学習協会から授与される。そうした称号を授与された方を対象としたセミナーである。
セミナーは昨日(10日)、今日(11日)と二日間にわたって開催された。
内容としては、一日目が講演と演習、二日目が実践発表と交流会という内容だった。
講演は「称号取得者に求められること」と題して、生涯学習社会に詳しい北翔大の谷川教授が務められた。「求められること」という言葉の裏には、称号取得者はカレッジ受講生の模範的な存在でなければならないと、取得者に対して自覚を求めたのだと受け止めた。

※ 講演をされた谷川北翔大教授です。
演習については、私自身の都合で受講することができなかったが、個々のスキルアップを図る内容だったようだ。
実践発表は、カレッジ受講者(称号取得者)自らが学習グループを組織したり、自ら講座を起ち上げ講師となったりして活躍されている方々の発表だった。
そのうちの一つは、私も参加する「めだかの学校」の代表が発表した。
北海道生涯学習協会によると「めだかの学校」は、自ら組織・運営し、自ら学ぶと共に、その輪を広げようとしていると持ち上げられた。私はまだ一会員として参加するだけだが、私もまた「めだかの学校」の姿勢には共鳴している一人である。

※ 実践発表者の一人、「北の歴史塾」を主宰する森山祐吾氏です。
交流会は「セミナーに期待すること」と題して行われた。私の目から見て、この交流会がセミナーの最たる目的だったようにも思えた。
というのは、2001年から始まった「道民カレッジ」は今や軌道に乗って(?)、称号取得者だけでも全道で368名に達するという。そうした方々の中には200~300単位はおろか、1,000、2000単位と取得されている方も多数いて、最高取得者は9,000単位を超えているという。私にとっては目も眩むような数字である。(ちなみに私は今日現在で670単位である)
道民カレッジを運営する生涯学習協会としては、そうした取得者に対して学び続ける意欲を維持してもらうためにも新たな方策を模索しているとのことだった。そして、その試案も提示された。(ex. 道民カレッジ講師、准教授、教授などの制度の創設)
私が道民カレッジで学ぶ主たる理由は、拙ブログでも何度か触れているが、私自身の「雑学」の領域を増やすことにある。その際、単位が集まると称号が授与されるというのは確かに一種の励みになっていたことは否定できない。
自らの学びにおいて、私はそれ以上のことを求める気持ちなど全くなかった。
ところが今回参加してみて、数千もの単位を取得されている方々は、さらなる何らかの称号なり、資格なりを求める方が多いことが分かった。
これは難しい問題である。というのも、道民カレッジは個々人の生涯学習を支援する仕組みであって、何かの資格や技術の取得を目ざす仕組みではない。だから、私自身「学士」とか「博士」とかいう称号を授与されたとしても、それは社会的には何の意味もないものと理解している。
しかし、長い間学んできた人たちの間には、その学びの成果を何らかの形でも社会的に認めてほしいという願いが生れて来たのでは、と想像する。そういう思いが芽生えてくることもある意味理解できるが…。
ただ、私の素朴な感想としては、「そこまで求めるものかなぁ~」というのが偽らざる思である。う~ん、難しい…。