富良野メセナ協会の代表を務める篠田信子さんが2020年の東京オリンピック・パラリンピック文化教育委員に選出され、これまで数度の会合に出席してきたという。篠田さんの活動、そして会合の様子を聴いた。
札幌大学の公開講座「オリンピック・パラリンピックから考える~文化・生きる力・マネジメント~」の第2講が11月18日(水)にあり出席した。
テーマは「文化が果たす役割」と題して富良野メセナ協会代表の篠田信子さんの話を聴いた。

※ 講義をする篠田信子さんです。
まず「メセナ」という耳慣れない言葉についての説明があった。それによると「企業や個人が芸術文化を支援する」ことを指す言葉だという。つまり、富良野メセナ協会は企業や個人の篤志を財源として、主として学校に対して上質な文化・芸術を届ける活動を続けているとのことである。
同時に、篠田さんは脚本家・倉本聰さんが所有していた喫茶店「北時計」が閉鎖され、富良野市に寄贈された建物を活用して「喫茶・ギャラリーあかなら」の代表を務め、そこでも数々の個展やコンサートを催しているともいう。

※ ログハウスで出来た「喫茶・ギャラリーあかなら」の外観です。
さらにはそれ以前に、富良野市に演劇専用工場(劇場)が建てられたときに、その運営を担う「富良野演劇工房」設立に参加し、中心的役割を担い、1990年全国で最も早くNPO法人の認証を得て、運営が軌道に乗ったのを機に、運営の第一線からは退いたそうだ。

※ 富良野演劇工場の外観です。
そうした活躍ぶりが何らかの経過を辿り中央にも聞こえた結果、今回の「東京五輪文化教育委員」に選出されたようである。
文化教育委員とは?いろいろと検索した結果、五輪組織委員会はメディアからの問い合わせに次のように答えている。「文化・教育の分野で、専門的な識見に基づく助言を得るために設置されるものです。委員の選任は関係団体の協力を得ながら、伝統芸能から芸術、メディア文化、また教育は小中学校、特別支援学校、大学など幅広い分野から深い見識、豊かな経験に富んだ方々にお願いしました」
選出された21名の委員の名簿を篠田さんはスライドに写しだしてくれたが、メモができなかったのでネット上で検索してみたが叶わなかった。ただ、ネット上では歌舞伎俳優の市川海老蔵や「EXILE」のHIROが入っていることが話題となっていた。その他ではデザイナーのコシノジュンコさん、狂言師の野村萬斎さんなどが名を連ね、委員長は東京藝大の宮田学長が務めるとのことだった。
その他の方々もほとんどは全国的に名が通っていたり、全国組織の長が名前を連ねたりする中、地方から選出されたのは篠田さん一人のようであった。
このメンバーを見るだけで、篠田さんも薄々気づかれているようだが、私は組織委員会のアリバイ作りのような気がしてきた。つまり、組織委員会の作ったシナリオを追認するだけの組織ではないかと…。
だから、これまで数度開かれたという委員会に出席された篠田さんから、委員会の討議の具体的な様子はほとんど聞かれなかった。
ということで、私の関心は東京五輪文化教育委員のことより、富良野市への転入人である篠田信子さんが生き生きと活躍する姿の方により関心を抱いた。
講演後、私は「素晴らしい活躍をされる篠田さんのバックボーンは何ですか?」と問うた。すると「何もない」という。学生時代や独身時代に特に文化活動に取り組んだ経験もないという。夫の転勤に伴い富良野に転入したときには4人の子どもの子育て真っ最中だったそうだ。その子育てが一段落ついたときにPTA役員を引き受けたのが始まりだった、という。
ただ彼女の中では「富良野の自然は素晴らしい!」という強い思いから富良野に関わりだしたという。さには、どちらかというとのめり込むタイプだという自己分析をしてみせた。

※ 篠田信子さんの笑顔をネット上から探しました。
篠田さんの話を聴いていて、私は以前に聴いた話との共通点を思い出していた。
帯広発の雑誌「スロウ」の編集長・萬年とみ子の話のことである。萬年氏もずーっと東京暮らしだったのが夫の転勤に伴い帯広にやって来て、十勝の自然に魅せられ今や北海道を代表する自然讃歌の雑誌を出しながら地域づくりに関わっている。
こうした方々の話を聴くと、どうやら地域の魅力を発見し、それを地域の財産として地域づくりに生かしていく人材は、他からの転入人にあるのではないかと思えてしまう。
もちろん地域に生れ、地域に住み続けている人たちが自らの地域づくり懸命に取り組んでいる人がたくさんいることも知っている。
そうした方々は、転入してきた方々の視点や考え方を柔軟に取り入れていく姿勢が求められているような気がしてならない。
今講座の趣旨とは、違ったところに私の関心が移ってしまった講座だった。
札幌大学の公開講座「オリンピック・パラリンピックから考える~文化・生きる力・マネジメント~」の第2講が11月18日(水)にあり出席した。
テーマは「文化が果たす役割」と題して富良野メセナ協会代表の篠田信子さんの話を聴いた。

※ 講義をする篠田信子さんです。
まず「メセナ」という耳慣れない言葉についての説明があった。それによると「企業や個人が芸術文化を支援する」ことを指す言葉だという。つまり、富良野メセナ協会は企業や個人の篤志を財源として、主として学校に対して上質な文化・芸術を届ける活動を続けているとのことである。
同時に、篠田さんは脚本家・倉本聰さんが所有していた喫茶店「北時計」が閉鎖され、富良野市に寄贈された建物を活用して「喫茶・ギャラリーあかなら」の代表を務め、そこでも数々の個展やコンサートを催しているともいう。

※ ログハウスで出来た「喫茶・ギャラリーあかなら」の外観です。
さらにはそれ以前に、富良野市に演劇専用工場(劇場)が建てられたときに、その運営を担う「富良野演劇工房」設立に参加し、中心的役割を担い、1990年全国で最も早くNPO法人の認証を得て、運営が軌道に乗ったのを機に、運営の第一線からは退いたそうだ。

※ 富良野演劇工場の外観です。
そうした活躍ぶりが何らかの経過を辿り中央にも聞こえた結果、今回の「東京五輪文化教育委員」に選出されたようである。
文化教育委員とは?いろいろと検索した結果、五輪組織委員会はメディアからの問い合わせに次のように答えている。「文化・教育の分野で、専門的な識見に基づく助言を得るために設置されるものです。委員の選任は関係団体の協力を得ながら、伝統芸能から芸術、メディア文化、また教育は小中学校、特別支援学校、大学など幅広い分野から深い見識、豊かな経験に富んだ方々にお願いしました」
選出された21名の委員の名簿を篠田さんはスライドに写しだしてくれたが、メモができなかったのでネット上で検索してみたが叶わなかった。ただ、ネット上では歌舞伎俳優の市川海老蔵や「EXILE」のHIROが入っていることが話題となっていた。その他ではデザイナーのコシノジュンコさん、狂言師の野村萬斎さんなどが名を連ね、委員長は東京藝大の宮田学長が務めるとのことだった。
その他の方々もほとんどは全国的に名が通っていたり、全国組織の長が名前を連ねたりする中、地方から選出されたのは篠田さん一人のようであった。
このメンバーを見るだけで、篠田さんも薄々気づかれているようだが、私は組織委員会のアリバイ作りのような気がしてきた。つまり、組織委員会の作ったシナリオを追認するだけの組織ではないかと…。
だから、これまで数度開かれたという委員会に出席された篠田さんから、委員会の討議の具体的な様子はほとんど聞かれなかった。
ということで、私の関心は東京五輪文化教育委員のことより、富良野市への転入人である篠田信子さんが生き生きと活躍する姿の方により関心を抱いた。
講演後、私は「素晴らしい活躍をされる篠田さんのバックボーンは何ですか?」と問うた。すると「何もない」という。学生時代や独身時代に特に文化活動に取り組んだ経験もないという。夫の転勤に伴い富良野に転入したときには4人の子どもの子育て真っ最中だったそうだ。その子育てが一段落ついたときにPTA役員を引き受けたのが始まりだった、という。
ただ彼女の中では「富良野の自然は素晴らしい!」という強い思いから富良野に関わりだしたという。さには、どちらかというとのめり込むタイプだという自己分析をしてみせた。

※ 篠田信子さんの笑顔をネット上から探しました。
篠田さんの話を聴いていて、私は以前に聴いた話との共通点を思い出していた。
帯広発の雑誌「スロウ」の編集長・萬年とみ子の話のことである。萬年氏もずーっと東京暮らしだったのが夫の転勤に伴い帯広にやって来て、十勝の自然に魅せられ今や北海道を代表する自然讃歌の雑誌を出しながら地域づくりに関わっている。
こうした方々の話を聴くと、どうやら地域の魅力を発見し、それを地域の財産として地域づくりに生かしていく人材は、他からの転入人にあるのではないかと思えてしまう。
もちろん地域に生れ、地域に住み続けている人たちが自らの地域づくり懸命に取り組んでいる人がたくさんいることも知っている。
そうした方々は、転入してきた方々の視点や考え方を柔軟に取り入れていく姿勢が求められているような気がしてならない。
今講座の趣旨とは、違ったところに私の関心が移ってしまった講座だった。