田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

メディア・リテラシーを学ぶ

2015-11-12 23:30:06 | 講演・講義・フォーラム等
 テレビ番組を分析的に見る・観る・視る…(あれっ?どこかで聞いたフレーズかも?)。テレビ番組に隠された意図、それを読み解くことの大切さに気付かされた講座だった…。

           

 久しぶりである。記録を見ると実に3年ぶりに「札幌市民カレッジ」に顔を出した。それというのも、講座のテーマに興味を抱いたからだった。
 11月5日、12日の両日にわたって「テレビ番組を分析してみよう!~情報を受け取るレッスン~」という講座が開講された。会場の札幌市生涯学習センター(通称:ちえりあ)は少し遠いのだが、テーマに興味があったので受講することにした。
 講師は、札幌学院大学社会情報学部の大國充彦教授だった。

               

 まず用語の問題であるが、リテラシー(literacy)とは「与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力」のことを指すが、大國教授はメディア・リテラシーについて「メディアからの情報を『批判的に検討』する」ことと規定して話を進めた。
 それはメディアからの情報にはある意図をもって伝えられる場合があるからだとした。(特にNHKの番組にはその傾向があるようだ)  

 講座は前半に、メディア・リテラシーの必要性について概論的に論じられたが、メディアがある意図をもって情報を提供しているとしたら、メディアの受け手としてはその意図を読み解くことはある意味当然のことといえるだろう。
 そして1回目の後半ではNHKが放送し、一世を風靡した「プロジェクトX~挑戦者たち~」の第48回放送分の「液晶 執念の対決~瀬戸際のリーダー・大勝負」というシャープの技術者たちを取り上げた2001年4月17日放送分の番組を視聴した。 
 大國教授によると、視聴した番組はシリーズの脂がのっている時期の作品で、メッセージがかなり明確に形で現れていると考えられるため取り上げたという。

                    

 視聴後、大國氏は批判的に検討するレッスンとして我々受講者に、番組で描かれた対称軸を書き出すことを求めた(ex. 「日本」vs「アメリカ」、「上司」vs「部下」など) 。さらには、「プロジェクトX」という作品の意図は何かを問うた。受講者は各々に考えをまとめ、それを大國氏に提出して第一日目を終えた。

 私はいつくかの対称軸を見出すことはできたが、二日目に教授から提示されたような全てを見つけることはできず、自分の甘さに気付かされた。
 作品の意図については、「批判的に」ということも意識の中にあったので、私は「日本は当時高度経済成長期が終焉を迎え、日本全体が自信を失いかけていた時、日本の技術者たちは世界に伍して素晴らしい実績を積み重ねてきたという事実を再確認し、日本に元気を取り戻そうとした意図があったのではないか」的な趣旨のことを書いて提出した。

 11月12日(木)二日目、大國氏は我々に与えた課題の謎解きをしたが、対称軸については割愛することとして、作品の意図について「当時の社会状況は、日本という『国民国家』システムに対する自信を喪失していた時期だった」とした。そして、「日本が右肩上がりで、国民すべてが昨日よりも今日の方が豊かになったと実感できた歴史上唯一の時期、高度成長期を『公共の記憶』としようとした」と結論付けた。

 大國氏は言う。「メディアは、時に人々を支配するシステムとして機能している」と…。
 この点については、早くから多くの識者が指摘してきたところである。しかし、田口トモロオの独特のナレーションと中島みゆきの印象的なオープニングとエンディングのテーマ曲が今も記憶に残る「プロジェクトX」のようなドキュメンタリータッチの番組にもそうした意図が隠されていたとはこの講座を受講して初めて気付かされた。

 この講座を受講したからといって、私にメディア・リテラシーが身に付いたとは少しも思わない。ただ、今後は私が好んで視聴するドキュメンタリー番組にもそうした意図が含まれていることをどこかで意識しながら視聴することの大切さを教えられた思いだ。

 講師の大國教授の言を的確にレポートできたとはとても言えないが、期待どおり私の好奇心を刺激してくれた講座だった。