「終点駅」はやがて「始発駅」になる。誰の人生のなかにも終点と起点があり、終わりだと思っていた場所が始まりの場所になる──。釧路駅はそのようなシュチエーションにぴったりな駅なのかもしれない…。
このところの拙ブログは、講演・講座の受講レポが大半を占め、立ち寄って下さる方々も食傷気味だったのではないだろうか?そこでお口直しの意味も込めて、久々に映画をレポートすることにした。
今日(13日)の午後、ユナイテッドシネマに出向き直木賞作家の桜木紫乃原作の「始終点駅 ステーション」を観た。何故この映画だったかというと、実は昨夜の北大講座「記憶を巡る観光論」(この講座のレポは後日に)中で、原作通りの地で撮影した映画として封切られたばかりのこの映画が紹介されたからだった。
映画は原作の力と、主演の佐藤浩一の演技力の確かさもあって予想以上に見応えのある作品として仕上がったように思われる。
旭川地方裁判所の判事の完治(佐藤浩一)の前に、学生時代に恋人だった冴子(尾上真知子)が被告として現れる。彼女との愛を貫けなかったことへの悔悟の念と、家庭を壊したくないという狭間に揺れながらも、完治は冴子との愛を選択する。しかし…。
※ 映画のワンシーンです。佐藤の背が曲がって見えるのは初老の弁護士を演ずる役作り?
釧路駅はけっして始発駅でもなければ、終着駅でもない。線路は根室まで伸びているのだ。しかし、作者(桜木紫乃)の中では日本の最果ての地という思いがあるのだろう。
その釧路の地で裁判官を辞し、独り身の国選弁護士として務める完治にとってそこは人生の終着駅という思いだったのだろう。
ところがその地でのある出会いが、彼にもう一度生きていこうという思いを抱かせたのだった。それは彼にとっての始発駅になるのでは、との思いを観客に抱かせながらエンディングとなる。
原作の釧路でのロケが多用された映画だったが、はっきり釧路と分かるのは釧路駅、裁判所への坂道、和商市場、そして幣舞橋あたりである。完治と冴子が再出発のために立ったホームは明らかに釧路駅ではない。私には釧路市郊外の遠矢駅か別保駅ではないかと思えたのだが…。
※ ロケ現場を訪れた原作者の桜木紫乃氏です。(
左から二人目)
この映画における主たる出演者は、主演の佐藤浩一、昔の恋人役の尾上真知子、そして佐藤の弁護を受ける新進の本田翼である。
私には前述したように佐藤の熟達した演技力が印象に残ったが、映画の前半にしか登場しなかった尾上真知子の確かな演技も印象的だった。対する本田翼は後半の展開において重要な役回りではあったが、まだこれからの人という感じだった。
ポスターを見て、11月7日(土)が全国封切日だと知って少し驚いた。「最近、あまりいい映画ないねぇ」と嘆いているあなた、この映画はお勧めですよ!