同じ美術品を見ても、美術館の学芸員と博物館の学芸員では、見えているものが違うという。美術館は美術的価値に着目するが、博物館は美術作品の中の人の歩みに着目するという。説得力あるお話だった。
※ 近代美術館の導入路は左右にあるため、この角度から見る近代美術館は私には珍しい角度です。
10月11日(金)午前、北海道立近代美術館で「近代美術館プレミアム講座」が始まった。(5回シリーズである)“プレミアム”と冠を付けたのは、近代美術館ではすでに講座を開催していて、受講者の中から「さらにレベルの高い講座を!」との要望を受けて開催することになった経緯からだと説明があった。美術に関してはまったく疎い私であるが、興味あるテーマが並んでいたことと、会場が我が家から近いこともあって受講を決めた。
第1回目は、「モノは同じでも見えているものは違います ~もしも博物館学芸員が美術品を扱ったら~」と題して、小樽市総合博物館の石川直章館長が講師を務めた。
※ 石川氏のHPから借用したものです。
石川氏ははじめ美術館と博物館は同じ「博物館法」に定義される施設であるという説明から、美術館と博物館の類似性と異なる点について論及したが、その点については省略したい。
私が石川氏のお話に興味を抱いたのは、「形態は機能に従う」、「用の美」という言葉だった。
この言葉は、博物館が収集する土器や石器、民具などに作者はけっして美を求めていたわけではないが、使われることを考えて作られ。それが使われることによって輝きが増し、美へと昇華していったものが多い、という意味から生まれた言葉と解した。
続いてこの日のテーマでもある美術館でも、博物館でも扱う美術資料について両者の見方の違いについてのお話となった。
両者が共に扱う美術資料としてアイヌの風俗画があるが、美術館は美術的な価値云々でその画を判断するが、博物館はその画の中に描かれているアイヌの生活の様子など、そこから歴史を読み解く資料としての価値に重みを置くということである。
また、錦絵についても同様のことが言えるとした。
※ この画は講座で紹介されたアイヌの風俗画ではないが、博物館では画に書かれた文章にも
当然関心の目を向けるという。
お話を聴いていて「なるほど」と得心することが多かった。
しかし、美術館にとっても、博物館にとっても価値ある美術資料がそれほど多いとは思われないのだが、実際はどうなのだろうか?