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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

石狩川河岸遡行トレッキング 4

2018-10-11 21:20:30 | 石狩川河岸遡行トレッキング(夏バージョン)

豊幌 ⇒ 月形町  トレッキング期日 ‘18/10/8

 

 約半月ぶりの石狩川河岸遡行トレッキングである。コース攻略に苦慮したが、1泊2日の日程で攻めることにした。天候とスケジュールを睨みながらようやく決定した石狩川河岸遡行の第4日目である。私は勇躍コースに挑んだのだが…。

 

 朝6時、JR札幌駅発の電車でこの日のスタート地点である「お茶の水排水機場」の近くの豊幌駅に向かった。

 6時38分、予定ピッタリに豊幌駅に着いた。さすが時間に正確なJRである。

          

          ※ いかにも可愛い佇まいの「豊幌駅」です。

 ちょっとメルヘンチックな豊幌駅舎を後に、さっそくこの日のスタート地点の「お茶の水排水機場」に向かった。

 駅から少しだけ国道を歩くのだが、そこで不思議な看板が目に入った。その看板には「江別市まで約40000Km」と大書してあった。その看板を制作・設置したのは「JA道央青年部 江別ブロック」とあった。

          

          ※ この看板に私は興味を掻き立てました

 さて、あなたは「江別市まで約40000Km」をどう読み解きますか?

 疑問に思った私は即JA道央に問い合わせた。すると意外な答えが!

 答えは本日のブログの文末で明らかにしましょう。(ちょっと遊んでみました)

 

 豊幌駅から約30分かけて、前回のゴール地点(本日のスタート地点)の「お茶の水排水機場」に着いた。この排水機場は石狩川の直線化工事によって遺された旧石狩川に繋がっている。ということは、旧石狩川の水を石狩川に排水するための装置なのではと私の推測したのだが…。

           

          ※ ちょっと傾いて写してしまった「お茶の水排水機場」の建物です。          

 その旧石狩川はちょうど馬蹄形のような形で残っているのだが、その旧石狩川と石狩川に挟まれた形で農地ができている。その農地を「巴農場」というそうだが、米作に適した農地のようでブランド米を生産しているとのことである。

           

          ※ 石狩川の直線化工事によって生まれた旧石狩川です。

          

          ※ 旧石狩川の水を利用し、肥沃な土地でブランド米を作る巴農場の稲穂の様子です。

           

           ※ 巴農場のHPから拝借した写真ですが、馬蹄形に囲まれた旧石狩川の中側が巴農場です。  

 堤防は延々とアスファルト舗装された道が続いていた。面白い現象に出合った。路上に小さなカタツムリがたくさん出ていた。前日に降った雨がまだアスファルトを濡らしていたので、それに誘われて出てきたのかもしれない。不思議に思うのは、カタツムリの姿が見えるのはアスファルト上だけなのである。バラスや土の道ではまったく見当たらないのだ。あるいはアスファルトにカタツムリが必要としている何かの成分が含まれているのだろうか?

          

          ※ 写真のように堤防上は前日の雨(この日の雨)で濡れていました。

          

          ※ そこに登場した無数のカタツムリ。何という種類でしょうか?(写真の腕が悪い!)

          

          ※ 堤防上にはこんなものも現れましたが、動かなかったところをみると絶命しているようでした。

          

          ※ こちらは珍しい種で、それほど数は見かけませんでした。 

 歩き始めて2時間くらい経った頃だったろうか?恐れていた雨が降り出した。強い雨ではなかったが、ザックにカバーをかけ、傘を差しながらのトレッキングとなった。

 景色はまったく単調である。堤防内(川側)は雑草が生い茂り、その先の川べりは灌木が繁茂していて石狩川の流れはまったく望めない。堤防の外は稲を刈り終わったところと、刈り取り前の田んぼが延々と続いている。

 

 スタートして3時間後、石狩川に注ぐ幾春別川に架かる橋に到達した。幾春別川は小さな流れである。冬期間だったらあるいは川が凍っていて渡ることができるかもしれない。しかし、夏はそうはいかない。一つ一つ石狩川に流れ込む川を橋が架かっているところまで迂回しなければならないところが夏の大変さである。

                        

          ※ 幾春別の流れはご覧のとおり細い流れです。冬なら凍って渡れるかも?

 幾春別川に架かる橋を渡り終えると、さらにまた橋があった。この橋は「大沼」というやはり石狩川が遺した沼だろうか?その沼の真ん中に橋が架かっていた。

          

          ※ この「大沼」は景観の良い沼でした。

 その橋に続いて石狩川に架かる「岩見沢大橋」が見えるが、その橋は渡らずに私は石狩川左岸の堤防へ出たと思ったのだが、そこには直ぐに旧美唄川が石狩川に注ぎこんでいたため、私は旧美唄川の堤防を歩くことになった。この辺りになると、堤防はアスファルト舗装ではなく、ただの土の道路に変わっていた。

           

          ※ 岩見沢市と新篠津村を結ぶ「岩見沢大橋」です。

 岩見沢大橋から遡ること約4キロ、旧美唄川に架かる「開基橋」に到達した。この頃になると太陽も顔を出し、良い天気になっていた。

          

          ※ この「開基橋」の袂でようやく休憩を取ることができました。

 この時、10時45分、スタートしてから18.6キロ進んでいた。ここまで休みどころがなかったのだが、橋の袂にコンクリートブロックのところがあったのでそこで休憩を取ることにした。

 

 開基橋を過ぎるとようやく石狩川の堤防に向かうことができた。堤防に向かう途中に大きな石碑が目に入った。近づくと「北村小学校跡地 記念碑」と書かれていた。

          

          ※ 石狩川にすぐ傍にあった北村小学校は何時の時代なのでしょうか?調べても分かりませんでした。

 久しぶりに石狩川の堤防に出たが、堤防はジャリが敷き詰められていて私には歩きにくい道だった。その上、足底筋に痛みが出てきて、歩幅が狭くなり、歩くスピードもがくんと落ちた。

           

          ※ バラスが敷き詰められた堤防の道路は最も歩きにくい道路でした。この頃になると空は真っ青ですね。

 堤防上は相変わらず退屈だった。そのような中、堤防の内側に牧草地のようなところが広がっていた。私から見ると堤防の内側には広大な土地が広がっている。ここを有効に利用しても良いのでは、と歩きながら思っていたのだが、やはりところによっては牧草地として利用しているようだ。

          

          ※ 堤防内に造成されていた牧草畑です。

 また、堤防の外側では水田ばかりでなく、減反政策のためだろうか、ところどころに青々とした畑(元水田?)が見えた。秋蒔き小麦が芽を出し始めたところのように見えた。

           

          ※ こちらは遠く向こうには黄金色の稲が見えますが、手前は青々とした秋蒔き小麦(?)でしょうか?

 そうしているうちに堤防の外側に大きな流れ(?)が見えた。やはり石狩川が遺したと思われる「雁里沼」である。単調な景色の中で、水を見るとやはり心が癒される。ちょうど良い休みどころもあったので、そこを昼食ポイントとした。

 足底筋の痛みを少しでも和らげるため、私は靴を脱ぎ、靴下を脱いでリラックスに努めながら妻が作ってくれたおにぎりを頬張った。

           

          ※ 石狩川の川面は見えないものの、旧石狩川の水が心を癒してくれます。

 大休憩を取り、少しは息を吹き返した私は「月形大橋」目ざして最後のトレッキングを開始した。リスタートして間もなく、石狩川を遮るように大きな施設が目に入った。「石狩川頭首工」である。マップを見ると、対岸の月形町などの田畑に潅水する施設のようである。また、手前の左岸側には「北村揚水場」という施設もあった。

          

          ※ 石狩川頭首工です。ここで水を堰き止め、対岸の月形町などの田畑を潤しているようです。

 けっこう苦戦しながらも14時30分、この日の目的地の「月形大橋」に到達した。

          

          ※ この日の目的地だった「月形大橋」です。

          

          ※ 月形大橋から眺めた石狩川の流れです。

 ここからさらに約3キロ先の「月形温泉ホテル」に宿をとった。

           

          ※ 私のお宿となった「月形温泉ホテル」てす。(翌朝撮った写真です)

 この日の全歩数 50,140歩、距離34.5Kmとスマホのデータは示した。

 

 

 ※ ところで先のクイズの答えです。(JA道央青年部の方が答えてくれました)

 「江別市まで約40000Km」という看板は、江別市と岩見沢市の境界の豊幌集落のところに立っていたのですが、その方向が江別市の方を向いているのではなく、岩見沢市の方を向いているのも気になったところでした。

 その意味するところは、江別市を出てゆくドライバーたちに対するアピールだということでした。40000Kmとは、地球一周分のおよその距離とのことで、「地球一周したらまた江別へお越しください」という若者らしい遊び心に満ちた看板だということです。

 それにしてもちょっと目を惹く看板でした。