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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

なぜ歩く? 石狩川河岸遡行のわけ

2018-10-10 16:41:26 | 石狩川河岸遡行トレッキング(夏バージョン)

 私の身体は今、筋肉痛で悲鳴を上げている。たかが二日間、60キロ程度のトレッキングでこの体たらくである。私の身体は運動不足の完全な老人の身体と化しているようだ。なのに、なぜ歩くのか?このことを考えてみることにした。

           

 今朝の北海道新聞の朝刊は、71歳の札幌の男性が北海道内一周3015キロを150日間で歩き通したことを伝えている。同年代の男性が素晴らしいこと成し遂げたと思う。対して私はわずか2日間のトレッキングで筋肉痛に悲鳴を上げている。

 何たる違いなんだ!と思うと同時に自分の老化を自覚しないわけにはいかない。

 それなのに…。

 

 この二日間のトレッキング中に、私の中では一つのワードが頭の中を駆け巡っていた。そのワードとは“現役感”という言葉である。

 自分の老化をどこかで自覚しながらも、「自分はまだ現役なんだ」と思いたい気持ちが私を支配しているような気がするのだ。

 現役だから自分に何かを課して、それを目標として自分をそこに追い込んでみたいという気持ちがいまだにあることを自分としてはある意味で嬉しくも思っている。

           

 そしてある種の“達成感”である。辛いと思っていた二日間のトレッキングも何日か経つと、それは甘美な思い出に変わることを私は知っている。

 根室ランチウェイ(3日間)も、熊野古道(4日間)も、富士山O to SUMMIT(3日間)も、実施しているときは辛かったが、それらも今は「自分はやり遂げることができた!」という満足感に浸っている自分がいる。

 

 「現役感」を追い求めて自分を追い込み、そこで得られる「達成感」に浸ることで、ちょっと大げさに言うと「自分は生きている!」ということを感じられるのがこうした行為なのだと自覚している。

           

 さらにこうした行為を後押ししてくれているのが“ブログの存在である。私が行っているバカバカしい行為も「どこかで、誰かが見てくれている」という思いが私を後押ししてくれていると思うと、それが大きなモチベーションとなっていることは間違いない。

           

 私は現在、「冬の石狩川河岸遡行」は上川町まで達した。目的地の大雪ダムまでは残り4日といったところか? 今回取り組んでいる「夏の石狩川河岸遡行」は昨日の奈井江町で今シーズンはひとまず終了という感じであるが、来シーズンは集中して大雪ダムまで到達できればと思っている。

 目標(あくまで自分に課した目標であるが)がそこにあれば、人間はとても意欲的になれるようである。颯爽と歩を進める姿からは縁遠い自分だが、自分なりの歩幅で、自分なりのスピードで目標を目ざしたいと思っている。