歌手・俳優・タレント・作詞家などマルチに活躍する武田鉄矢氏は心臓手術の体験をしていたという。その執刀医が北海道に赴任したということで、二人の対談が札幌で実現し、その対談を聴くことができた。
※ ご存知マルチに活躍する武田鉄矢氏です。
10月28日(日)午後、STVホールにおいて、STVと北海道循環器病院の共催による「健康いきいきゼミナール ~心臓病を語る~」が開催され参加した。
セミナーは二部構成になっていたが、その内容は…、
◇第1部 【基調講演】
「あきらめない!心臓病治療最前線」 北海道循環器病院 津久井理事長
◇第2部 【スペシャルトークショー】
「心臓病を語る!」 武田鉄矢氏、津久井理事長、山崎所長と司会の4人のトークショー
※ 津久井宏行北海道循環器病院理事長です。
第1部の基調講演は北海道循環器美容院の津久井宏行理事長がされたが、登壇した瞬間ずいぶん“若い理事長”という感じを持った。履歴から類推すると35歳前後ではないかと思われる。
年齢は若いがそのキャリアが凄い!新潟大医学部を卒業後、東京女子医大病院、聖路加病院などを経て、アメリカ・ピッツバーグ大に留学、帰国後再び東京女子医大病院に勤務し、心臓移植、弁膜症手術など実に2,000例に及ぶ心臓手術を手掛けられた心臓病の第一線で活躍されている医師らしいのだ。その方が縁あって、北海道循環器病院の理事長に赴任されたということのようだ。
津久井理事長からは特に最近増加傾向にある「弁膜症」治療の最前線の治療状況についてのお話があったが、ここでは武田鉄矢氏の心臓手術体験についてのレポとするため割愛したい。
※ 山崎健二先端医療研究所々長です。
第2部は、武田鉄矢氏、津久井理事長、山崎健二先端医療研究所々長、そして司会のSTVアナウンサーが登壇してのスペシャルトークショーだった。
山崎氏はピッツバーグ大医学部、東京女子医大病院で津久井氏の先輩にあたる方で、津久井氏同様多くの心臓手術を手掛けられ、この度ご縁があって北海道循環器病院の先端医療研究所々長に就任されたようだ。
このトークショーになぜ武田鉄矢氏が同席されたかというと、武田は大動脈弁狭窄症という弁膜症を患っていたという。武田氏の場合は、1000人に1人いるとされる先天性で通常3枚ある大動脈弁が2枚しかない先天性二尖弁という疾患を抱えていたそうだ。
そこで武田氏は2011年、武田氏61歳のときに東京女子医大病院で手術をすることになったのだが、その際の執刀医が山崎健二医師(現先端医療研究所長)だったそうだ。津久井理事長もその時はバックアップメンバーとしてサポートスタッフの一員を務めていたという関係で、今回武田氏の来札に繋がったということだ。
北海道は優秀な心臓外科医を二人も同時期に在住するという心強い状況にあるということである。
武田氏のお話は山崎医師との出会いから始まった。武田氏は山崎医師の医療者としての人格の素晴らしさを強調された。山崎氏もまた、武田氏の患者としての在り方の素晴らしさを語られた。二人は出会いの素晴らしさを語られたが、もしも自分が患者という立場になった際の心構えのようなものを教えられた思いだった。
東京女子医大チームの医療技術の素晴らしさは開腹手術であったにもかかわらず、2週間後には退院許可が出るほど回復したという。(もっとも武田氏の場合は、その直後に風邪を引いたために結局は4週間かかったそうだが…)
結局、現在はすっかり回復されているが、武田氏の場合は機械弁を埋め込んだことから、ワーフアリンという血液が凝固しない薬を服用することが義務付けられているほか、2ヵ月に一度の診察が必要なこと以外は通常の仕事、生活が送られているという。
武田氏はトークショーの中で、武田氏らしい語録をいくつか発せられた。その語録とは…。
◇病気の時は、立派な病人になりましよう。
◇縦に見るススキの穂も、時には横に見るのも良い。
◇病気には、病気の元気がある。
そして、◇病気には物語がある、という。
武田氏は手術後2週間後の11月15日に退院できると聞いて狂喜乱舞(少しオーバーかな?)したそうだ。それは彼が敬愛して止まない坂本龍馬が生まれた日であり、暗殺で亡くなった日という記念すべき日だったからだそうだ。
ところが武田氏は風邪をひいてその日に退院できず、2週間後11月27日に退院したそうだが、その日は奇しくも武田氏の結婚記念日だったという。
転んでもただでは起きない(言い方はあまり良くない?)、そこに物語を見出す武田氏流の生き方のコツのようなものを見た思いだった。