田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北の歴史が動いた瞬間 2

2012-10-21 22:38:08 | 札幌学 & ほっかいどう学
 榎本武揚は慶応4年8月19日付で勝安房(勝海舟)、山岡鉄太郎(山岡鉄舟)、関口良輔に宛てて書状を送っている。この書状は榎本武揚が旧幕軍の不満分子を率いて蝦夷に脱出することを公に宣言した最初の文書ではないか、と講師でありノンフィクション作家である合田一道氏は指摘する。 

 札幌学院大学コミュニティカレッジ「北の歴史が動いた瞬間」は講師の合田氏の都合で前回から一週空いて10月18日(木)に第2講が行われた。第2講のテーマは「榎本武揚と箱館戦争」だった。

          
          ※ 合田氏が収集した資料を提示する合田一道氏です。

 冒頭に合田氏は榎本釜次郎(武揚)が勝安房、山岡鉄太郎、関口良輔に宛てた書状のコピーを提示した。(その書状をネット上で見つけたのでちょっと長くなるが転写します)

寸楮拝啓、秋冷之節各位益御壮健御鞅掌被為在候事欣抑之至ニ候、陳は我輩一同今度此地を大去致候、情実別紙之通ニ候間、御転覧之上可相成は、鎮将府え御届可被下候、尤 
帝門并軍防局えは、夫々手づるを以差出候得共、達不達も難計候間、更ニ貴所様方を相煩候義ニ御座候、我輩此一挙、素より好敷ニあらす、却て以此永く為 皇国一和之基を開キ度為ニ御座候、目今之形勢言葉を以てするより事ヲ以てするに不如と決心致候より此挙ニ及候義ニて、他意更ニ無之候、 
帝門并軍防局えは、夫々手づるを以差出候得共、達不達も難計候間、更ニ貴所様方を相煩候義ニ御座候、我輩此一挙、素より好敷ニあらす、却て以此永く為 皇国一和之基を開キ度為ニ御座候、目今之形勢言葉を以てするより事ヲ以てするに不如と決心致候より此挙ニ及候義ニて、他意更ニ無之候、
天如シ不棄我トキは、目出度再ひ拝晤も出来可申、否則命也、我果熟懇、乍憚小拙 相議之諸有司え御序之節宜敷生前之一語御致声此祈而已、

八月十九日 榎本釜次郎 拝 

勝安房様 
山岡鉄太郎様 
関口艮輔様 
各位 

(大意) 
短信。拝啓。秋冷の節となり、各位ますますご壮健にご多忙中のこと、喜ばしい限りです。さて、私たち(旧幕府海軍)一同は今度、この地(品川)を「大去(退去)」(脱走の意か)いたした情実(趣意)は別紙の通りです。ご転覧のうえ、できるならば鎮将府へお届けください。もっとも帝門(宮中)と軍防局へは、それぞれ手づるをもって(書面を)差し出しましたが、届いたのか、届かなかったのかもはかりがたいので、さらに貴所様方を煩します。 
私はこの一挙をもとより好ましい行動とは考えていません。むしろ、末永く皇国のために一和の基を開きたいがためです。目今の形勢は、言葉をもってするは、「事」(行動)をもってするに如かずと決心しましたので、この挙に及びました。他意はさらさらありません。 
天が私を見棄てなかった時は、めでたく再び拝顔もできるでしょう。そうでなければ天命ということでしょう。私が熟懇(熟慮)した結果です。 
恐縮ですが、私が議論に預かった諸有司(旧幕府高官)へお序での節に宜しく生前の一語をご伝言くださるよう祈念します。 


 合田氏によると、けっして勝算があっての行動でないことは榎本自身も書状の中で語っているが、賊軍となった旧幕府軍の幕臣たちの思いを汲み取った上での義の行動だったということだ。
 結果は諸氏ご存じのとおり新政府軍の前に屈することになるのだが、榎本自身は後の北海道開拓長官となる黒田清隆の奔走により、助命され、さらには明治政府に取り立てられ政府高官となって活躍したことはご存じのとおりである。

 講座では明治政府高官になってからの榎本武揚関係の資料も提示され、榎本の後年の活躍についても説明を受けたが、本講座の趣旨は「北の歴史が動いた瞬間」である。つまり箱館戦争は榎本が三氏に送った書状がその発端だったと合田氏は指摘した。

 合田氏の講座の魅力は、必ず古文書資料を複写して用意してくれ、それを噛み砕いて説明してくれるとともに、その中に合田氏が取材したエピソードが豊富に紹介されることである。歴史上の出来事が具体的にイメージすることができるので合田氏の講座はいつも興味津々である。

北海道低山紀行 30 八剣山(中央口)

2012-10-20 23:01:49 | 北海道低山紀行 & Other
 林間のトレッキングあり、岩場あり、両側が切り立った稜線歩きあり、そして山頂の見事なパノラマと、小さな山(498m)ながら八剣山は登山の楽しみをコンパクトに満たしてくれる山である。友人たちを案内し、初めてリーダー的な役割を演じながらの登山だった。 

 10月16日(火)オヤジの会の10月例会として友人たちを案内して八剣山に登った。
 9日(火)尻別岳、14日(日)野牛山、そして16日(火)の八剣山と小さな山ながらこの8日間で三つの山を登ったことになった。私にしては珍事である。

          
          ※ さあ、いよいよ登山開始です。中央登山口です。

 10時45分、やや風は強いが好天の中、八剣山果樹園のある中央口から5人で登山を開始した。(私は以前に南口からの経験はあったが、中央口は初めてである)
 初めは緩やかな林間トレッキングである。南口のようにいきなりの岩場登りよりは優しいイントロである。参加者の中に膝に不安を抱くH氏がいたので、無理せずゆっくりと上ることを心がけた。

          
          ※ 最初はご覧のような登山路の林間トレッキングです。

 南口からの合流点(分岐点と称している)を過ぎ、しばらく行くと大きな岩石がゴロゴロと転がっている岩場に入る。岩場と格闘すること約10分、八剣山の肩部(という表現が適切なのか?)に出た。この時登山口から35分かかっていた。

          
          ※ けっこう大きな石がゴロゴロと転がっている岩場でした。

 ここからは岩稜の裾や陰の細い登山道を行く。行く手の右側は深く谷が落ち込んでいる。途中慎重を期さねばならない急坂も2度、3度と現れた。
 そこを越えると、今度は本当の尾根に出た。あのステゴザウルスのような岩稜の背の部分を往くのだ。急に見晴らしは良くなったが、風もきつくなってきた。

          
          ※ ところどころこうしてわずかに紅葉している木も見かけました。

          
          ※ まるで岩を積み上げたようにそそり立つ尾根部です。

 10時40分、第一のピークに達した。風が強いためか、登頂後そこまで下がって休んでいる人もいた。
 一息ついて行動を開始すると間もなく山頂だった。その時、時計は10時45分を指していた。平均的には約50分を要するところを私たちは1時間を要して到達した。

          
          ※ 風に身を縮めながら山頂に佇む友人たちです。

 山頂は風が強く、帽子などが飛ばされそうなくらいだったが、見晴らしは素晴らしかった。残念なことに紅葉はまだ始まったばかりといった感じで全体として周りの山々は緑色だった。

          
          ※ 山頂から札幌市街方面を眺めたところです。正面の山は藻岩山です。
 
 一応リーダー役を演じた私は今年初めてガスストーブを持参して、友人たちにコーヒーをふるまったのだが、これが思いのほか好評だった。風のために身体が冷えていたこともあったからだろうか?

 山頂に30分滞在して12時15分に下山を開始した。
 膝に不安のあったH氏は下山が相当に辛そうだったが、なんとか無事に下山することができた。下山が完了したのは13時05分、下山に要した時間は50分だった。

          
          ※ 山を下りてジンギスカンに舌鼓を打ちました。

 その後は、八剣山果樹園が提供する「八剣山登山&ジンギスカン&温泉プラン」(1,500円)を利用して、ジンギスカンでお腹いっぱいの昼食を摂り、小金湯温泉の「まつの湯」で登山の疲れを癒し、15時30分過ぎに解散した。
 山では見られなかった紅葉が「まつの湯」の露天風呂からは一部が鮮やかに紅葉した光景が見られたのは幸運だった?それとも皮肉??

          
          ※ 露天風呂から見た紅葉です。中央の赤い葉が見事です。
           風呂にカメラを持参したのかって? いやいや風呂から上がって外から撮ったものです。

 参加した友人たちはほとんどが「学生時代以来の登山だった」と語った。そうした彼らには札幌の自然の良さの一つを感じ取ってもらえたかもしれない…。

 
【八剣山 登山データー(中央口)】
標 高  498m (標高差288m)
駐車場  八剣山果樹園に大きな駐車場がある。
行 程  中央登山口→(35分)→八剣山肩部→(25分)→八剣山山頂→(50分)→中央登山口
時 間  登山(約1時間) 下山(約50分)※休憩時間を含む
天 候  晴天、やや強い風
登山日  ‘12/10/16

自転車専用レーンを走ってみました

2012-10-19 16:31:06 | 札幌(圏)探訪
 やっぱり走りやすいなぁ~。 車も避けて通ってくれているぞ! 青色の走行車線が新鮮だなぁ~。でももう少し長い距離で試してみたいなぁ~。 

 10月1日から都心の北1条通りで自転車専用レーンを設けての走行実験が始まったと聞いて、某日近くまで行く用件があったので専用レーンを走ってみた。

          
          ※ ご覧のように自転車レーンは青くペインティングされ爽快に走ることができた。

 実験の正式名は「北1条通 自転車走行空間 社会実験」という名称で、「札幌都心部自転車対策連絡協議会」というところが主催・主管しているようだ。
 実験期間は10月1日~31日まで、区間は北1条通りの西4丁目から西7丁目までの間約400mである。

          
          ※ 西7丁目の左側自転車レーンが「これから始まります」という導入表示です。

 私は西7丁目から東に向かって走ってみた。
 青い塗装が新鮮である。またその塗装が道路の小さな凹凸を消してくれていて滑らかな走行ができるのが嬉しい。
 そしてよく観察していると、青く塗られた車線は車が通行していないので安心して自転車を走らせることができた。

          
          ※ 地下駐車場の出入り口はご覧のように狭くなってしまいます。

 ただ、北1条通りの地下駐車場の入口の部分は車の走行車線のところにはみ出せねばなかったり、荷物の搬出入のためトラックが駐車していたりした場合はスムースな走行が難しかった。

          
          ※ 貨物の搬出入のためにトラックが駐車し、走行帯は狭くなります。

 そして実験区間が片道3車線のところだけということで、西4丁目から西7丁目までと短かったのが少し残念な点だった。
 私が走行してみたのは、昼間と薄暮の時間帯だったが、走行レーンを走っている人が少なかったのが意外だった。薄暮の時間帯のときなどは、関係者が路上で走行レーンを走るように呼びかけているにもかかわらず歩道を走っている自転車を見かけたのも残念なことだった。

          
          ※ 西4丁目のところです。走行レーンが終わりますという表示です。

 果たしてこの実験からどのような結論が導き出されるのだろうか?
 今回の実験帯が片道3車線の中の1車線を自転車走行レーンとして実験したように、少なくとも3車線がある道路でなければ今回のような自転車走行レーンを設けることは無理なように思われる。
 かといって、都心部における道路拡幅などということは現実的ではない。
 現況では自転車利用者はますます増加すると予測されている。
 果たしてどのような解決策が導き出されるのだろうか?

ミュージックレボリューション 北海道ファイナル

2012-10-18 23:45:25 | ステージ & エンターテイメント
 現代の若者の音楽傾向はどのようなものなのか? 若者のライブの殿堂(?)Zepp Sapporoとはどのようなところなのか? 好奇心の塊のオヤジたちは臆せず若者の牙城に潜入した…。 

 10月13日(土)、「中国・樺太残留邦人への理解を深めるシンポジウム」に参加したその足でZepp Sapporoの「ミュージックレボリューション 北海道ファイナル」へ向かったのだから、その落差は激しい。
 ミュージックレボリューションとは、23歳以下のアマチュアミュージシャンのコンテストである。ヤマハの主催ということだから、その昔ヤマハが主催し数々のミュージシャンを輩出した「ポプコン」の現代版かな?とオジサンは思ったのだが…。第6回ということだが、予選を勝ち抜いた21組が参加しグランプリを目ざして競われた。

          
          ※ エントランスではドリンク類の販売が行われていた。

 会場は初めて足を踏み入れるZepp Sapporo(中央区南9西4)である。ここでのライブは若者向けのものが多く、私などが足を向けることはかなりの勇気を要することと思っていたが、「どんな会場なのか?」という興味関心はあった。
 そんな中で、アマチュアミュージシャンのコンテストで、しかも無料ということで「これはチャンス!」とばかりに友人二人を誘い思い切って足を運んだのだ。

          
          ※ 壁にはZepp Sapporoのライブスケジュールが掲示されていた。

 Zepp Sapporoは無駄を省いた純粋のライブ会場といった趣だった。ステージはライトが効果的に交錯する造りになっていて、音響関係も充実しているようだった。固定席ではなくパイプ椅子が並べられ、いつでもスタンディングライブができる造りになっているところが大きな特徴なのかもしれない。壁に掲示してあった定員は椅子席で613名、スタンディングにすると実に1,800名も収容できるというから見た目以上に広い会場のようだ。(しかもこれは1階席だけで一部2階席もあるようなので、収容力はさらにアップするようである)

          
          ※ コンテストの様子です。ほとんどの組がこのような光景でした。          

 コントテストの方だが、午後5時に始まり21組全てが終了した時には8時半を回っていた。音楽傾向は予想していたとおり、多くは私たち世代には喧騒としか聞こえてこないハード系のロックミュージックだった。ただ、中にはソフト系もあり、ギター一本の弾き語りもあった。
 聴いていると喧騒と思える音楽の中にも演奏の巧拙、歌の巧拙を感ずることができた。
 会場では聴衆による人気投票も行われていた。一人が気に入った2組に投票する仕組みである。私が投票したのは、いずれもソロでの参加者だった。
 一人はキーボードでの一人語りの樋口しおんさん。そしてもう一人はMISIAのコピーをテープの伴奏で歌った岸本彩夏さんに投票した。
 二人とも非常に歌がしっかりしていたという印象だった。

          
          ※ 中にはこのような一人語りの出場者もいました。

 オヤジたちには時間が遅かったこともあり、私たちは結果を聞かずに会場を後にした。
 そしてネット上で結果を確かめてみたところ、グランプリには私が投票した一人の樋口しおんさんが選出されていた。私の耳もまんざらではないようだ。

          

 ただ、私の目と耳では将来性という点では岸本彩夏さんの方が上かな?という思いがある。彼女は楽器を用いていなかったという弱さがあった。そのあたりがコンテストのコンセプトに合致していなかったという可能性が考えられる。
 彼女ののびやかな歌声には将来性を感じさせたし、ビジュアル的にも将来性を感じた。彼女自身も「メジャーデビューを目ざしている」と目標がしっかりしている。将来の岸本彩夏に注目!とここで予言しておこう。

 現代の若者の音楽傾向、そして若者の音楽の殿堂を肌で感ずることができたことはオヤジにとってはある種大きな意味があったと思っている…。

映画 81 北のカナリアたち

2012-10-17 21:47:10 | 映画観賞・感想

 暗い、暗い…、オープニングから暗かった。冬の北の空は重い鉛色が広がり、冬の北の海は濃い藍色が波打つ…。そしてストリーがまた重く暗い…。そうした中、北の島の分校に響く子どもたちの清らかな歌声が画面に清々しい風を送る…。 

       

 人生とはなんと不条理なことか…。
 島の分校に通う信人に父母はなく祖父に育てられているが、貧しく吃音のためいつもいじめられていた。そんな中に赴任したはる先生(吉永小百合)は信人の歌の才能を見抜き、信人を中心とした分校の子どもたち6人の合唱は島の人々の心を優しく包み、子どもたちも合唱の楽しさに気付き明るく生活していた。
 ところがある事情によってはる先生は島を去らねばならなくなった。せっかく明るさを取り戻した信人だったが、また元の生活に戻ってしまった。

          

 長じて20年後、信人(森山未来)は幾多の変遷をして関東のとある街で鳶職として職を得ていた。(というよりも学歴もない信人には鳶職に職を得るのが精一杯だった)
 ところが信人は理不尽な鳶職の親方のやり方に怒りを抑えかね、反撃に出たところ事故のような不運に見舞われ親方を殺めてしまい、殺人犯として追われる身となってしまう。

 幼い日を過ごした島に逃げ帰ったが、間もなく見つかり逮捕されるのだが、その前に島の分校の6人が集まり、20年間歌を忘れていたカナリアたちが再び懐かしの歌を歌った。
 久しぶりに子どもの日に還った信人だったが、待っているのが塀の中とはなんともむごすぎる…。
 生まれたときから負の連鎖に絡め取られたよう信人の人生…。
 その不条理さに涙腺の弱くなったオヤジは涙せずにはいられなかった。

          

 珍しく試写会の入場券が舞い込んだ。10月15日、道新ホールで行われた道新試写会で吉永小百合主演の「北のカナリアたち」を観た。
 その吉永小百合だが、吉永小百合は吉永小百合だった。
 誠実な淑女のイメージそのままの役どころだったが、そのイメージを壊すような場面もこの映画の中にはあるのは一つの見どころか? 彼女は60歳と40歳の役を演ずるのだが、そこに違和感はなくいつまでも若く美しい吉永小百合であった。

          

 吉永小百合の映画はヒットしないなどというおかしなジンクスが巷間伝えられることがあるが、本作はどうだろうか?
 子どもたちの清々しい歌声。演技達者が揃った脇役陣。北国の小島の厳しくも雄大な自然。そして主演の吉永小百合のしっとりとした演技…。
 魅力はいっぱいである。はたしてジンクスを打ち破れるのか? はたまたジンクスは続くのか?
 願わくばたくさんの人たちが映画館に足を運んでもらい、人生の不条理に涙し、子どもたちの清々しい声に心ときめいてほしいと思うのだが…。
 11月3日よりロードショー上映が始まる。


中国・樺太残留邦人の理解を深めるシンポジウム

2012-10-16 22:36:31 | 講演・講義・フォーラム等
 そこにはさまざまな事情があった…。そしてさまざまなケースがあった…。中国で、樺太で、敗戦により筆舌に尽くしがたい困難に遭遇しつつ生きてきた人たち…。無事帰還できたとしてもそこにはまたまた困難が待っていた。そして、まだ還れぬ人たちがいる…。 

 昨日レポートした舞台公演「吉林食堂~おはぎの美味しい中華料理店~」に続いて、中国・樺太残留体験者と関係者によって「中国及び樺太からの帰国者の現在・過去・未来」と題するパネルディスカッションが行われた。

          

 登壇者は、中国残留邦人のいわゆる残留1世の植松キクエさん、國井榮治さん、残留孤児3世の佐藤千恵子さん、樺太残留孤児2世の伊藤春美さん、そして残留邦人問題取り組むNPO法人日本サハリン同胞交流協会会長の小川岟一さんの5人が登壇し、残留邦人問題にも詳しいジャーナリストの大谷昭宏氏がコーディネーターとしてパネルを進行した。

 帰国に有利と言われて国籍を次々と変えねばならなかった人。「小日本人」という蔑称で呼ばれながら耐えた人。幼児は捨てられる運命にあったとき祖母が懸命に護ってくれたことで今がある人。さまざまな事情、さまざまなケースで辛酸を舐めた人たち…。

 国の帰国事業により残留生活を終え帰国できたとしても、そこにはまたさまざまな困難が待ち構えていたという。言葉や文化の違いに悩み、就労の困難さに直面しているという。
 その象徴が國井さんだったように私には映った。國井さんは5歳のときに満州に渡り、昭和51年36歳のときに帰国したという。帰国してすでに35年も経っているというのに、國井さんの話す日本語はいまだたどたどしい感じだった。人生の成長期に日本で生活できなかったという後遺症なのだろうか。

          
          ※ コーディネーターを務めた大谷昭宏氏です。

 登壇者たちは訴える。
 政府の引揚者への支援サポート体制のさらなる充実を!
 中国で生まれ、育った子どもたちが自立できるよう支援を!
 入学問題、就職問題では困難が多い。支援体制の充実を!

 最後の一人が訴えた。
 違いのある人がいることを分かってほしい! 多様性を認めてほしい! と…。

 こうした話を聞くと、戦後はまだまだ終わっていないという思いを深くした。

演劇 吉林食堂~おはぎの美味しい中華料理店~

2012-10-15 22:05:56 | ステージ & エンターテイメント
 日本古来のスイーツが中華料理店の名物に?? 思ってもいなかった形で演劇を観賞することができた。中国残留孤児が日本に帰国して苦労するという重いテーマなのだが、コメディータッチに仕上げられた劇は、観る者を泣き笑いさせるという佳作だった。 

               

 10月13日(土)午後、かでるホールにおいて「中国・樺太残留邦人への理解を深めるシンポジウム」というテーマのシンポジウムが開催され参加した。
 応募したときにはテーマに関わる寸劇が上演されるのかな?と思っていたのだが、実際にはなんと2時間に及ぶ本格的な演劇が上演されたのだ。

 ストーリーは1988年の福岡の中華料理店を舞台にしたものである。「中国残留孤児帰国事業」で帰国した主人公・健明(ケンミン)は周囲の援助を受けて中華料理店を開いた。そこには健明と息子・新一、娘・純子の三人で暮らしている。そんな彼らを佐賀に暮らす
健明の母のマサはいつも励ましていた。しかしマサは大きな悲しみを抱えていた。それは敗戦の時に生き延びることに必死になったあまり健明の妹・さと子を置き去りにしてしまったという辛い過去があった。そのさと子が…。

 コメディータッチに仕上げられた劇と冒頭に称したが、私の方にどこか構えたところがあったからだろうか、どうも心の底から笑えるという感じにはならなかったことが残念だった。
 劇団名が「劇団道化」ということからも、コメディーを主として演じている劇団のように思われるのだが、出来としてはイマイチだったのかも??
 それでも適度にアドリブが入ったり、脚本にないはずの演題の原作者である大谷昭宏氏を舞台に登場させたり、というところはさすがプロの劇団と思わされたりもした。

               
         ※ 写真は左から主人公・健明、妹・さと子、生母・マサの三人です。

 さて「おはぎ」だが、実は健明の妹・さと子は蜂楽堂というおはぎの美味しい和菓子店に勤めていた。そこで健明はさと子を助ける意味もあって大量のおはぎを買い込み、中華料理店でおはぎの食べ放題バイキングというキャンペーンを開始したのだ。「ギョーザもおはぎも美味しいよ!! 吉林食堂が贈る素敵な“あん”との出逢い」などという洒落の効いたチラシも配布して…。

 敗戦のために母子が離れ離れにならなければならなかった。帰国しても言葉の壁、就職の壁に悩まされた残留孤児。いつまでも続く負の連鎖…。
 舞台は福岡だったが、このような問題はおそらく札幌にも存在する問題なのではないか、と思わされた「吉林食堂~おはぎの美味しい中華料理店~」だった。

北海道低山紀行 29 野牛山

2012-10-14 23:37:09 | 北海道低山紀行 & Other
  紅葉を期待していたが今年の紅葉はかなり遅れているようだ。山はまだまだ緑一色だった。それでもボランティアガイドのリーダーがさまざまな木の実などを紹介してくれた。

 小さな山(539.2m)とあなどっていたが、山は山。直線的に高度を上げていく登山路はけっして易しい登山ではなかった。時間は短かったが、それなりに登山気分を味わえた野牛山(やぎゅうざん)登山だった。

 今日(14日)札幌市青少年山の家が主催する「自然観察ハイキング 野牛山登山」に参加した。
 青少年山の家がある滝野の森に入って山の家へのエントランス道路を走っているとき路肩の木が紅葉しているのが目に入った。「これは山の方ではもっと紅葉が進んでいるに違いない」と期待が膨らんだ。

          
          ※ 山の家へのエントランス道路はこんなに色づいていたのに…。

 参加者は30名。ここでも女性の姿が目立つ。
 開会行事を終えて、10時10分青少年の家を出発した。今回の野牛山登山コースは青少年の家特有のコースで一般の人たちは登ることができない。一般の方が上る場合は山の反対側からしか登られないらしい。(私は今年の春にスノーシューで登ったのも反対側から上ったものだった)

          
          ※ 青少年山の家の前庭の楓は見事に紅葉していました。

          
          ※ 開会式の様子です。参加者のほとんどは中高年の方たちでした。

 コースは初め滝野の森の平坦なトレッキングから始まった。
 リーダーは時々立ち止まり、秋の特徴的な植物を紹介してくれた。その一部を写真と共に紹介します。

 ◇長く垂れ下がった実はヤマノハンノキの雄株だそうです。

          

 ◇赤い実がマムシグサです。その実を食べる口中に激痛が走るそうだ。

          

          
          ※ マムシグサの茎の模様がマムシの肌に似ていることから命名されたそうです。

 ◇赤いサヤの中に入っているのがヤマシャクヤクの実です。

          

 ◇白い実を付けたのがフッキソウです。実は甘いということですが、味見を最初は他の人に譲ったところ、再び姿を現すことはありませんでした。(時期尚早のようでした)

          


 路傍に懐かしい山ブドウの実が黒く熟しているのが見えた。傍によって写真を撮った後、一房取って食してみると甘酸っぱさが口中に広がった。他の参加者にもおすそ分けしたところ、皆さんが「懐かしい!」と言って喜んでくれた。

          

 11時ちょうどに登山口に着いた。ここからが本格的な登山だった。
 まったく斜度を緩めることなくぐんぐん上っていく。前夜の雨で滑りやすくなっているところを慎重に上っていく。直ぐに汗が噴き出てきた。
 コース上には何カ所もロープが張ってあり、ロープを頼って上らなければならないところもあった。
 リーダーに体力があるせいだろうか、先日の尻別岳登山の時よりペースがずっと速い。途中一度休憩したとき、女性の参加者から「まだまだですかぁ~」と悲鳴が上がっていた。
 しかし、本格的な登山の時間はわずか35分。予定した時間より早く私たちは野牛山山頂に立った。

          

          
          ※ それなりに厳しい上りが続きました。

          
          ※ ロープを頼って上らねばならないところもありました。

          

 山頂は立ち木に囲まれていたが、一部が開けていてそこから遠く札幌市内も望むことができた。

          
          ※ 手前の滝野の森の向こうに札幌市街が遠望できます。

          
     ※ 前方に見る山は藻岩山です。手前にはモアイ像のレプリカが並ぶ真駒内霊園が見えます。

 あっ! 読み返してみてリード文に対応する一節が欠けていたようです。
 確かにエントランスや青少年の家の木の一部が紅葉していましたが、それはカエデやナナカマドなど一部の植樹(?)された樹木だったようです。野牛山にはそれらいち早く紅葉する樹木は無かったことが、緑一色に見えた原因ではないかと素人なりの推測をしてみました。

 
【野牛山 登山データー(青少年山の家コース】
標 高  539.2m (標高差239m)
駐車場  青少年山の家の駐車場がある。
行 程  青少年山の家→(15分)→登山口入口ゲート→(35分)→野牛山登山口→(35分)→野牛山々頂→(25分)→野牛山登山口→(35分)→青少年山の家
時 間  登山(約1時間25分) 下山(約1時間)※休憩時間を含む
天 候  曇り、微風
登山日  ‘12/10/14

ご苦労さま! 上田札幌市長

2012-10-13 23:13:18 | その他

 私は格別に上田市長支持派でもなければ、民主党支持派でもない。典型的な無党派層の一人といって過言でない。しかし今日、上田札幌市長の話を聞いて、市長という任務はほんとうに大変だなぁ、改めて痛感した。 

 今日(13日)午前、中央保健センターで「ふらっとホーム2012 in 中央区」という住民との対話集会が開催されると知って傍聴者の一員として参加した。
 上田市長によると、こうした住民との対話集会は上田市長が市長となった9年前から市内10区において毎年開催しているという。したがって、昨年までに総計80回、今年に入ってからは今回で3回目の開催ということだった。

          
          ※ 意見を述べる人たちは市長を囲むようにロの字型に座り、我々傍聴者はその後ろに座った。

 この対話集会は参加した誰でもが発言できるのではなく、あらかじめ発言することを希望した人の中から数人が選ばれ(今日の場合は8名の方だった)、その人たちが市政に対する要望や意見を述べ、それに上田市長が直接回答するという方式だった。(札幌市のような大都会ではこうした方式でないと収拾がつかなくなってしまうだろう)

 今日のテーマは要望や意見を述べる人たちの関心あるテーマをもとに4つのテーマに絞っての対話となった。その4つとは、
 ①地域における保健、福祉、医療について
 ②公共交通について
 ③子育て、教育問題について
 ④その他
であった。

 それぞれのテーマについてたくさんの要望や意見が出された。
 それらの中には納得のいく意見も数多くあったが、中には独りよがりと思える意見、明らかに勉強不足と思われる意見も含まれていた。
 例えば市電の延伸についてはすでに既存の路線のループ化は決定事項であるのに、延伸を要望したり、導入が決まっている低床車両の導入を訴えたりと、明らかに勉強不足ではという意見が述べられた。
 また、その他のところで「札幌には庶民の中に根付いた文化がない」と主張する人がいた。このことは行政に対して要望することではなく、市民たちが自ら創り上げていくものが庶民の中に根付いた文化ではないのか。その人はその主張をしながら諸外国の街角の光景を滔々と描写し、それがあたかも札幌に相応しい庶民に根付いてほしい文化のような錯覚をしている。はたしてそうした光景が現出することを多くの市民が望んでいるだろうか?これも明らかに独りよがりの意見と言いたくなる。

          
          ※ 要望や意見に一つ一つ丁寧に答える上田札幌市長です。

 こうした要望や意見に対しても、市長は一つ一つ丁寧に回答していくのだ。全て意見を受け入れたうえで市長としての考えを述べていくのだ。
 これはなかなか大変なことである。
 民主主義の政治とは市民(国民)の要望や意見の最大公約数を実現していくことだとされる。その要望、意見を聴取する場として「ふらっとホーム」は有効な一つの手段なのかもしれないが、好き勝手(?)に言う地域住民の言葉に耳を傾け、その一つ一つに丁寧に回答するという作業は大変なことである。

 市長の側からすると大変なことだが、上田氏が市長就任以来このような場を継続していることに対しては敬意を表したいと思う。ただ、聞いている側からすると、要望や意見だけを聞くだけではなく、このような場が市民の側から提案するような場になるようになっていってほしいと思うのだが…。


ミニ大通クリーンアップ作戦

2012-10-12 22:31:45 | ボランティア
 道路の清掃が好きなオッチャンである。近美前の歩道だけでは飽き足らず(?)とうとうミニ大通にまで手を出してしまった…。 

 桑園地区の街づくりを語り合う「桑園交流ネットワーク」に参加しているうちに、その下部組織的な「桑園フラワープロジェクト」なるグループのリーダーを担うことになってしまった。(このことについては以前にも触れた)

 そのプロジェクトの活動について、ミニ大通に面するマンションに住まわれている花好きの婦人の方たちと語り合う中で、「ミニ大通に目立つ雑草を何とかしたいねぇ」という話になった。
 このチャンスを逃すまい、と私は考えた。
 そこで婦人たちが住む町内会の会長さんに相談した。会長さんは以前から社会活動に関心のあった方だったので即座に賛成してくれた。
 “善は急げ!”(?)である。会長さんに相談した日が9月28日だったのだが、その場で「10月10日にともかく一回でもやってみましょう!」ということになった。

 「桑園○○町内会」と私たち「桑園フラワープロジェクト」が呼びかけ人となって「ミニ大通クリーンアップ作戦」のチラシを作成し、ミニ大通に面したマンション各戸へポスティングをした。

 10月10日(火)午前10時集合とお知らせしたが、どれだけ集まってくれるかはまったく未知数のまま当日を迎えた。平日だからあまり期待はできなかった。
 10時近くになると、近くのマンションから手に手に除草のための道具を手にした人たちが集まってくれた。平日だったから、その姿は高齢者と婦人たちだったが、関係者を除き8名もの方が参加してくれた。それに町内会長、プロジェクト関係者、桑園まちづくりセンター所長、区役所の担当者と総勢15名でのクリーンアップ作戦が実施された。

          
          ※ 敷石の間に繁茂する雑草と格闘する参加者の皆さんです。

 長い間コンクリートのすき間や敷石の間にはびこった雑草は簡単には抜けずに皆さん苦労されているようだった。私も前日の登山の疲れもあり、腰が痛くて仕方がなかったが懸命にドライバーで敷石の間にはびこる雑草と格闘した。

 雑草と格闘すること1時間強、高齢者にこれ以上の作業をお願いするわけにはいかない。成果はほんの小さなものだったが、目的は「まずは一度やってみよう!」ということだったから、その目的は十分果たすことができたと考えている。

 作戦終了後、皆さんから感想を伺った。
 「こうした呼びかけをしてくれたことに感謝したい」、「会話ができて楽しかった」、「このような機会をこれからも作ってほしい」などなど、前向きな言葉をたくさんいただいた。

          
          ※ ビフォアー

                    ↓

          
          ※ アフター

 私は以前から、例え公的な公園や緑道であってもその恩恵に浴している人たちは公的な管理に任せるだけではなく、できるだけそこの維持管理に関わるべきだ考えている。
 今回はその一歩を踏み出せた思いである。
 今回の一歩を機に、来春からその輪を少しずつでも広げていくことができたらと考えている。