札幌学院大学コミュニティカレッジ「北の歴史が動いた瞬間」は講師の合田氏の都合で前回から一週空いて10月18日(木)に第2講が行われた。第2講のテーマは「榎本武揚と箱館戦争」だった。
※ 合田氏が収集した資料を提示する合田一道氏です。
冒頭に合田氏は榎本釜次郎(武揚)が勝安房、山岡鉄太郎、関口良輔に宛てた書状のコピーを提示した。(その書状をネット上で見つけたのでちょっと長くなるが転写します)
寸楮拝啓、秋冷之節各位益御壮健御鞅掌被為在候事欣抑之至ニ候、陳は我輩一同今度此地を大去致候、情実別紙之通ニ候間、御転覧之上可相成は、鎮将府え御届可被下候、尤
帝門并軍防局えは、夫々手づるを以差出候得共、達不達も難計候間、更ニ貴所様方を相煩候義ニ御座候、我輩此一挙、素より好敷ニあらす、却て以此永く為 皇国一和之基を開キ度為ニ御座候、目今之形勢言葉を以てするより事ヲ以てするに不如と決心致候より此挙ニ及候義ニて、他意更ニ無之候、
帝門并軍防局えは、夫々手づるを以差出候得共、達不達も難計候間、更ニ貴所様方を相煩候義ニ御座候、我輩此一挙、素より好敷ニあらす、却て以此永く為 皇国一和之基を開キ度為ニ御座候、目今之形勢言葉を以てするより事ヲ以てするに不如と決心致候より此挙ニ及候義ニて、他意更ニ無之候、
天如シ不棄我トキは、目出度再ひ拝晤も出来可申、否則命也、我果熟懇、乍憚小拙 相議之諸有司え御序之節宜敷生前之一語御致声此祈而已、
八月十九日 榎本釜次郎 拝
勝安房様
山岡鉄太郎様
関口艮輔様
各位
(大意)
短信。拝啓。秋冷の節となり、各位ますますご壮健にご多忙中のこと、喜ばしい限りです。さて、私たち(旧幕府海軍)一同は今度、この地(品川)を「大去(退去)」(脱走の意か)いたした情実(趣意)は別紙の通りです。ご転覧のうえ、できるならば鎮将府へお届けください。もっとも帝門(宮中)と軍防局へは、それぞれ手づるをもって(書面を)差し出しましたが、届いたのか、届かなかったのかもはかりがたいので、さらに貴所様方を煩します。
私はこの一挙をもとより好ましい行動とは考えていません。むしろ、末永く皇国のために一和の基を開きたいがためです。目今の形勢は、言葉をもってするは、「事」(行動)をもってするに如かずと決心しましたので、この挙に及びました。他意はさらさらありません。
天が私を見棄てなかった時は、めでたく再び拝顔もできるでしょう。そうでなければ天命ということでしょう。私が熟懇(熟慮)した結果です。
恐縮ですが、私が議論に預かった諸有司(旧幕府高官)へお序での節に宜しく生前の一語をご伝言くださるよう祈念します。
合田氏によると、けっして勝算があっての行動でないことは榎本自身も書状の中で語っているが、賊軍となった旧幕府軍の幕臣たちの思いを汲み取った上での義の行動だったということだ。
結果は諸氏ご存じのとおり新政府軍の前に屈することになるのだが、榎本自身は後の北海道開拓長官となる黒田清隆の奔走により、助命され、さらには明治政府に取り立てられ政府高官となって活躍したことはご存じのとおりである。
講座では明治政府高官になってからの榎本武揚関係の資料も提示され、榎本の後年の活躍についても説明を受けたが、本講座の趣旨は「北の歴史が動いた瞬間」である。つまり箱館戦争は榎本が三氏に送った書状がその発端だったと合田氏は指摘した。
合田氏の講座の魅力は、必ず古文書資料を複写して用意してくれ、それを噛み砕いて説明してくれるとともに、その中に合田氏が取材したエピソードが豊富に紹介されることである。歴史上の出来事が具体的にイメージすることができるので合田氏の講座はいつも興味津々である。