田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道低山紀行 28 尻別岳 後編

2012-10-11 23:29:47 | 北海道低山紀行 & Other
 いくらシルバー登山とはいえ1,000mを超える山である。ピークを目ざす最後の上りはそれなりにきつかった…。しかし、そこを越えた山頂には極上のパノラマが広がっていた。 

 第一のピークの773m地点を過ぎると下りに入った。一気に723mまで高度を50m下げるけっこうな下りである。その地点を登山用語でコル(コル)というそうだが、そのコルに着いたのが10時55分だった。

          
          ※ コル(鞍部)に向かって歩を進める私たちのパーティです。

          
          ※ 後ろを振り返るとルスツスキー場の上部が見えました。
 
 コルを過ぎると、今度は一転厳しい上りに入る。まずは私の嫌いな階段が待っていた。人工的に階段を作って直登するのは体力的にもとてもきつく私は好きでない。しかし、この尻別岳は尾根コースで他に逃げ道がないだけに階段も仕方ないことか…。
 階段が終わっても厳しい上りが続く。雨などで表面が濡れていたら相当に上りにくそうな斜面が続いた。
 11時05分、「残り1,000m」の表示を通過した。最初はあまりのスローペースに戸惑っていた私だったが、ここにきてリーダーの配慮がよく分かった。

          
       ※ コルを過ぎ、上りにかかるところです。前方に見えるのが尻別岳山頂です。

          
          ※ この辺りになると、隣の羊蹄山が見え始めてきました。

          
          ※ 「あと1,000m」の標識です。この標識が励みになります。

          
          ※ きつい上りが始まりました。
 
 何度かの休憩を取りながら、なんとか山頂に通ずる肩の部分に取り付いた。そこからはまた比較的緩やかな上りとなる。少し余裕が出来て後ろを振り返ると、私たちが上ってきたルートが大展望と共にくっきりと見える。

          
          ※ 振り返ると見事な稜線が…。あの頂点を上ってきたのです。

 「これからはもうきつい上りはありません。あと少しで山頂です」というリーダーの声に励まされて先を急いだ。12時00分ジャストに「残り500m」の地点を通過し、周りが笹薮だけになってきたなあ、と思っていたところ12時20分、視界が開けたと思ったら山頂の標識が迎えてくれた。

          
          ※ 「あと500m」の標識が私たちを励ましてくれます。

          
          ※ もう山頂は直ぐそこです!!

          
          ※ 苦闘2時間30分、ようやく山頂到達です!

 山頂はきれいに刈り取られていて、周りは腰くらいまでの笹に囲まれていたが、360度全開のパノラマが広がっていた。直近にそびえる羊蹄山をはじめ、遠くの有珠山や洞爺湖、目を転じれば無意根山、余市岳、樽前山、恵庭岳などなど、見渡すかぎり山々々が連なっていた。
 好天だったこと、無風だったこと、好条件が重なり私たちは絶景を満喫した。

          
          ※ 名峰羊蹄山を背にしておにぎりを頬張りました。

  
  ※ 頂上からのパノラマです。正面にツンと突き出山が昆布岳だそうです。

  
  ※ こちらは羊蹄山に連なるニセコの山々です。

 しかし、超スローモーな登山のためか山頂の滞在時間は昼食時間を入れて45分しか取れなかった。私たちは13時05分に下山を開始した。
 下山はいくら膝に負担がかかるとはいっても、その辛さは登山の比ではない。淡々と山を下った。それでも疲労が重なっていたからだろうか?私のすぐ後ろの女性は2度も滑って転んでしまったが大事には至らなった。
 私はこの登山でもポールを有効活用し、特に下山においてはポールが有効な滑り止めになっていたようだ。
 登山時には何度も休憩を取ったのだが、下山では一度の休憩だけで下りきった。
 登山口に到着したのは15時少し前だった。

 帰りは心地よい疲れの中バスに揺られて2時間、真駒内まで送られて、家に辿り着いたのは18時少し前だった…。

【尻別岳 登山データー】
標 高  1107.4m (標高差457m)
駐車場  留寿都登山口に広い駐車場がある。(30台くらい駐車可能?)
行 程  登山口→(35分)→773mピーク→(30分)→723mコル→(1時間25分)→尻別岳山頂→(45分)→723mコル→(30分)→773mピーク→(35分)→登山口
時 間  登山(約2時間30分) 下山(約1時間50分)※休憩時間を含む
天 候  快晴、無風
登山日  ‘12/10/09

北海道低山紀行 28 尻別岳 前編

2012-10-10 22:21:42 | 北海道低山紀行 & Other
 定山渓自然の村が主催するシルバー登山に参加し、「尻別岳」(1,107.4m)に挑戦した。久しぶりの登山とあって張り切って参加した。紅葉の季節にはまだ早かったが、楽しい一日だった。 

          
          ※ バスで移動したため尻別岳の全容を写すことができなかった。そこでウェブ上で探したところ、格好の写真は冬の姿しか見つからなかったので、それを掲載することにした。

 10月9日(火)朝7時30分、真駒内駅集合ということで自宅を6時30分過ぎに出て、地下鉄を乗り継ぎ集合場所に着いたときは5分前で、私が着いたことで参加者21名が揃ったことになった。

          
          ※ 「尻別岳登山道入口」の表示版です。

 早速バスで登山口のある留寿都村に向かった。
 約2時間かけて留寿都村からかなり標高を上げた地点の登山口に降り立った。スタッフによると登山口の標高が650mとのことで、登山をする標高差は457mということになる。
 登山の準備をし、ストレッチで体を伸ばした後、9時50分登山を開始した。

          
          ※ 全員でストレッチ体操をして登山に備えました。

 天候は晴れ、そして無風と最高の登山日和である。
 最初は森の中を往くトレッキング気分である。森の木の葉はまだ青々としていたが、その中で赤色が目立つ葉があった。ツタウルシの葉である。ツタウルシはどこの森でも一番早く紅葉するらしい。

          
          ※ 写真のようにツタウルシだけがいち早く紅葉していました。

 少しずつ登り始めたなと思ったとき、スキーのリフトの終点が見えてきた。ルスツスキー場の最も高いところにあるリフトだという。そういえば、私たちは最初にスルツスキー場のある橇負山を登っていたのだ。ここが696m地点である。

          
          ※ 上っているとは言ってもまだまだ平坦な道です。

          
          ※ ちょっと上がったところにルスツスキー場のリフトの終点が見えました。

 
 登山のペースはかなりのスローペースである。もう少しペースを上げてもと思ったが、さすがシルバー登山!!
 コースはやがて森を抜け、見晴らしがよくなってきた。左手は木が生い茂っているが、右手は視界が開けてきた。尾根コースに入ったのだ。
 右手眼下にはルスツスキー場のホテルや遊園地が広がっていた。

          
     ※ ご覧のようにルスツスキー場のホテル群や背後にはルスツスキー場の西山が見えます。

 徐々に高度を増すのだが、スローペースのためか疲れはあまり感じない。それでも背中は全体が汗にまみれてきた。10時05分、「ここで平坦地は終わり、これから本格的な上りになります」という地点で休憩を入れた。

          
          ※ 少しずつ斜度が増してきました。

 そしてここから第一のピークを目ざす本格的な上りが始まった。
 けっこう斜度は増すのだが、立ち止まって後ろを振り返ると遠く洞爺湖の方まで望むことができ、しかも尾根コースのために風が頬を撫でてくれるため気分爽快である。
 そうしているうちに10時25分「残り2,000m地点」に到達した。第一のピーク 773m地点を少し通り過ぎてしまったところだったようだ。

          
  ※ 「残り2,000m」の表示です。参加者からは「これが遊歩道かい?」という突込みが入っていました。

 ここからコースは一度下り、そして尻別岳では最も困難な最後の上りが待っている様子は明日レポートすることにします。

八剣山果樹園

2012-10-09 20:05:28 | 札幌(圏)探訪
 10月8日(祝)好天に恵まれた絶好の行楽日和! 私は八剣山登山の下見のために八剣山果樹園のところにあるという中央登山口を訪れた。すると予想もしていなかったことだが、八剣山果樹園の周辺はちょっとしたレジャーランドとなっていた。 

 9月27日の本ブログの投稿でオヤジ集団の10月例会の幹事として「カーリング体験」を構想したが、それが叶わなかった旨のことをレポートした。
 そこで次案として「八剣山登山」を企画し、来る16日(火)に実施することにしている。
 その登山の下見のために昨日8日に八剣山中央登山口がある八剣山果樹園を訪れた。

          
          ※ ご存知怪獣ステゴザウルスの背中を思わせるような岩稜が特徴の八剣山です。

 三連休の最終日、しかも秋日和とあって駐車場には100台以上の車が駐車していた。
 「えーっ!そんなに八剣山に登山しているのー?」と思ったのだが、それは見込み違いだった。
 八剣山果樹園の周辺はちょっとしたレジャーランドとなっていたのだ。

 まず果樹園であるから、フルーツ狩りや収穫体験ができるようになっているらしい。イチゴ、サクランボ、プラムを自らの手でもぎ取ったり、ジャガイモやトウキビの収穫体験ができるらしい。しかし、昨日はいずれもその時期を終えていた。
 それなのに車がたくさん駐車していたのは、果樹園の建物の屋内や屋外に大きなバーベキュー施設ができていた。さらには周囲には二つの池があり、そこが釣り堀になっていてたくさんの人が釣りを楽しんでいた。
 また、ちょっと上方(丘の上)では乗馬体験ができるところがあったり、自然の中でモノづくり体験ができるプログラムも用意されているということだ。
 そしてちゃっかり「八剣山登山」も八剣山果樹園の営業プログラムに組み込まれているのである。それは…。

          
          ※ 八剣山の麓ではこのような乗馬体験もすることができます。

 「八剣山登山&ジンギスカン&温泉プラン」(1,500円)という形で、八剣山登山者も呼び込もうという商魂たくましい戦略である。
 幹事の私はその商魂に乗ることにした。16日には八剣山登山をした後、八剣山果樹園のバーベキューコーナーで昼食を摂り、その後小金湯温泉の「まつの湯」で温泉に浸かってこようと企画した。

 肝心の下見であるが、私は以前に南口から八剣山には登っていたが、中央口からは初めてである。中央口から15分ほど登ると南口からのコースと合流する。登山口からしばらく登ってみたが、南口よりは入りが緩やかなのでオヤジ集団が登るには適していると判断した。

 10月16日…。
 晴れてくれるかなぁ~?
 紅葉はどれくらい進んでいるかなぁ~?

ロシア領事館でロシア文化を学ぶ

2012-10-08 21:10:13 | 講演・講義・フォーラム等
 ロシア領事館などめったに近づくことができない。その領事館の中でロシア音楽を聴いたり、ロシア料理を味わったりすることができるという。好奇心旺盛な私は嬉々として参加し、ひと時ロシア文化に浸った。 

 10月6日(土)、ロシア領事館を会場に東海大学が公開講座の一つとして「ロシア領事館でロシア文化を学ぶ」と題する講座を開催したので参加することにした。
 札幌に詳しいはずの私もロシア領事館を見たことはなかった。記載された中央区南14条西12丁目に赴いたが初め領事館を見つけられずに戸惑ったが、領事館を警備している警官にその位置を確かめ、無事入館することができた。

               
               ※ 在札幌ロシア総領事館の立派な建物です。

 ロシア領事館は5階建ての独立した立派なビルで、屋上にはロシア国旗がたなびいていた。館内は入って直ぐのところがレセプションルームのようになっていて、講座はそこで行われた。
 講座の構成は、①ロシア総領事の挨拶、②ロシア民謡ミニコンサート、③ロシア料理の軽食を味わう、の三部構成になっていた。

 V.I.SAPLIN(サプリン)総領事は在札幌ロシア総領事として2度目の赴任だという、50代の紳士だった。
 札幌領事館は1970年に現在地に建設されたということだから40数年経過しているにもかかわらず古さを感じさせないのは補修がしっかりとなされているからだろう。
 スタッフは外交官5名が在職しているということだったが、他のスタッフについての紹介はなかった。
 総領事の話で現在のロシアの課題は「近代化」に尽きるということだった。ソ連邦が崩壊し、ロシアが誕生したが体制変化が急激だったためにさまざまな仕組みが混乱しているということだ。
 その中でも極東シベリアの開発が課題の一つとなっていると話された。

                        
               ※ 挨拶する総領事のサプリンは長身の紳士でした。

 ロシア民謡のミニコンサートは、ロシア民謡を研究し、コンサート活動を行っている札幌在住の中川速男氏のコンサートだった。計7曲の民謡が披露されたが、有名な「トロイカ」の曲以外は耳慣れない曲ばかりだった。聴いている私には民謡というよりは、クラシックを聴いているような気分だった。

          
          ※ 演奏するロシア民謡歌手の中川速男氏です。

 そして最後は軽いロシア料理を味わう、というものだった。
 メニューは、①ピロシキ、②シューバ(ニシン料理)、③ペリメニ(水餃子)、④黒パン、⑤デザートワインという内容だった。
 「ピロシキ」はロシアの代表的な惣菜パンであるが、以前レストランで食したのと違い冷たかったために期待した美味しさとは言い難かった。
 「シューバ」、「ペリメニ」は初めての味だったが、どちらもロシアの感じさせてくれる美味しい味だった。
 「黒パン」は40数年前に極東からモスクワを旅した時に、そのまずさに閉口したが、今はさすがに食べやすい味になっていた。

          
          ※ ロシア料理の軽食はこのようにビュッフェ形式で行われました。
           赤く見えるのがシューバ、大皿に盛られた黄色がピロシキ、黒色が黒パンです。           


 こうして2時間余り、在札幌ロシア総領事館に滞在させてもらったが、総領事をはじめ領事館員の方々はとてもフレンドリーで親切だった。私には滞在地との親交を深めようとする外交官の任務の一つをしっかり果たしているように見えた。

北の歴史が動いた瞬間 1

2012-10-07 21:05:42 | 札幌学 & ほっかいどう学
 北海道がまだ蝦夷地と呼ばれていたころ、土着の民族であるアイヌと蝦夷地を侵略する和人との間で大きな抗争が3度あったとされる。その3度の抗争の最後にあたる「国後・目梨の戦い」について詳しく聴いた。 

 ノンフィクション作家として活躍する合田一道氏の講座が札幌学院大学のコミュニティカレッジで開催されると聞いて受講することにした。(3回シリーズで開催)
 その第一回講座が10月4日(木)夜、札幌学院大学社会連携センターで行われた。
 テーマは「国後目梨の戦い」だった。

 アイヌと和人の抗争史として有名なのは、1457(長禄元)年の「コシャマインの蜂起」、1669(寛文9)の「シャクシャインの蜂起」などがあるが、そうした大きな抗争の最後の戦いとなったのが1789(寛政元)年に勃発した「国後・目梨の戦い」だった。

 当時アイヌは和人との交易を盛んに行っていたが、和人のあくどいやり方に不満を抱いた国後・目梨のアイヌが蜂起したものである。
 この戦いで和人71人が殺害されたと記録されているが、アイヌの首長のとりなしにより蜂起したアイヌたちは矛を収め投降した。しかし、当時の松前藩はとりなしをした首長たちの命を保護する一方、蜂起の中心となったアイヌたちを処刑した。
 そしてこの戦いを境にしてアイヌ民族にとっては長く和人に隷属する暗黒の時代に入っていったのだった。

          
          ※ 「夷酋列像」の絵を背に講義する合田一道氏です。

 ここで講師の合田氏は極彩色に彩られた十数枚の絵を提示した。蠣崎波響(かきざき はきょう)作の「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」である。蠣崎波響作の「夷酋列像」については、以前に道民カレッジの放送大学講座で取り上げられていたことからよく知っていた絵だった。
 アイヌたちに蝦夷錦やロシアの軍服をまとわせた絵は、細密な表現と色鮮やかな色彩でリアリティのある絵として評判が全国に広がり、大名や公家たちがこぞって閲覧したと放送は伝えていた。
 それもそのはず、蠣崎波響は10代のころに江戸に出て10年もの間絵を勉強したということだから本格的な絵師だったのである。

               
               ※ アッケシ酋長 イトコイの図です。

 そんな蠣崎波響は絵師としてだけではなく、松前藩の家老として「国後・目梨の戦い」の討伐隊の指揮官の一人として現地に赴いているのである。
 そして「夷酋列像」に描かれているアイヌは、「国後・目梨の戦い」で蜂起したアイヌたちをとりなし、命を保護されたアイヌの首長たちということが分かった。

               
               ※ アッケシバラサン酋長 イニンカリの図です。

 そうなると、以前は単に美術作品として見た「夷酋列像」が、絵師としての才能の素晴らしさに感嘆した蠣崎波響が、また違って見えてきた。
 美術作品もそうした背景を知ることで、違ったものに見えてくるということを教えてもらった思いである。

               
               ※ クナシリ総酋長 ツキノエの図です。

 一方、主題に関することだが1789年に鎮圧された「国後・目梨の戦い」以降、1997(平成9)年に通称「アイヌ文化振興法(アイヌ新法)」が成立するまで、アイヌ民族にとって長い暗黒の時代がこの国で続いたことを私たちは忘れてはいけないと思う。

日高路の旅 小さな町の創意工夫

2012-10-06 23:20:18 | 道内の旅

 日高路を旅していて思いもいていなかったことに意識が向いてしまった。それは過疎に悩み、財政難に悩む小さな町が「考えているなぁ~」、「工夫しているなぁ~」と思えることに出会ったのだ。 

 私たちの旅は札幌を出て、むかわ町の道の駅「むかわ四季の館」を最初の休憩ポイントに選んだ。むかわの道の駅の目玉は、道の駅に併設されている(併設というが実際には道の駅の中庭に設置された)ノーベル賞を受賞した鵡川町出身の鈴木北大名誉教授を讃える「鈴木章 記念ギャラリー」があることだ。

          
          ※ 「鈴木章 記念ギャラリー」はむかわ道の駅の中庭に新設されていた。

 私は7月の下見の時に記念ギャラリーは見ていたので、その他の施設を見て歩いた。
 するとこの「むかわ四季の館」が実に多彩な機能を有していることに気付いたのだ。
 その機能とは、
 まず①道の駅としての機能である。トイレや休憩所、②物産館、③コーヒーショップ、④食事処など、こうした施設は道の駅の機能としては一般的かもしれない。

 ところが「むかわ四季の館」はこれだけではなかった。
 一つは⑤温泉である。「むかわ温泉四季の湯」という施設がある。そして⑥「たんぽぽホール」というホール施設、⑦25mの温水プール、スポーツジム機能が入った「スポーツプラザ」、⑧集会室を備えて公民館的機能を有する「はつらつセンター」、⑨「ディサービスゆうあい」、⑩建物の2階には「まなびランド図書室」という図書館、さらには⑪宿泊可能なホテル機能も有しているという。
 
 私はこの事実を知ったとき驚いてしまった。「これはもはや旅するドライバーたちが憩う場、というよりは地域住民が集う場であり、憩う場ではないのか」と…。
 むかわ町の文化的施設がこの道の駅に集中してしまった感がある。

          
     ※ むかわ道の駅「むかわ四季の館」の写真はこんなつまらない一枚しかなかった…。

 驚いた後から、私の中には別の思いが頭をもたげてきた。
 町の為政者たちは、道の駅建設の際の助成金制度を上手に活用し、町の懸案事項を一気に解決しようとしたのではないかと…。
 田舎に住んでいてもできるかぎりの文化的生活を地域住民に提供したい、と為政者が考えたとき、そこに道の駅建設のための助成金制度があったのでは、と私は想像するのだ。

 おそらく道の駅「むかわ四季の館」は多くの地域住民の方々が集い、憩う場としてその機能を発揮していることと思われる。はたしてそのランニングコストがどうなっているかは知る術もないが…。

 「むかわ四季の館」の外に出たとき、その外壁に「この建物は国土交通省の助成で建設された」という旨の表示が張り付けられていた。

          
     ※ 新冠のサラブレット銀座の遠景です。広々とした牧場に設けれた柵が印象的でした。


秋の日高路へ 小トリップ

2012-10-05 22:45:23 | 道内の旅

 秋色に彩られた日高路にはまだ少し早かったが、レ・コード館、判官館森林公園、サラブレッド銀座、優駿記念館、コスモスロード、アイヌ関係の博物館・資料館と見どころてんこ盛りの上に、心地良い温泉を加えた典型的な中高年が好む小旅行を満喫した。

          
          ※ 義経伝説が伝えられる判官館岬から新冠市街を眺めたところです。

 
 トリップ…、トラベルより短い期間の旅行を指す。それに「小」を加えたのだからますます短い小さな旅を指す。このような旅を「小トリップ(ことりっぷ)」とどこかで称していたのを記憶している。

 何度かこのブログでも触れているが、私は某団体の厚生部に所属する。その厚生部がプロデュースする観楓会が10月2~3日の一泊二日日程で、日高路を旅してきた。
 プロデュースと表現したが、文字どおり旅行会社などを通さず、経費節減の狙いもあって全てを私たちが企画・実施する旅である。

 それにしても少し忙しい旅だった。やはり素人が企画する悲しさか、あれもこれもと詰め込み過ぎた感がしないでもない。
 特に二風谷ではアイヌ文化博物館、沙流川歴史館、萱野茂資料館、それに沙流川ダム公園と一挙に四つの施設を1時間弱で廻るのだから大変だった。もう少しゆっくり、じっくりと見てみたい思いが参加者にはあったのではないかと思われる。

          
          ※ 新冠町が誇る「レ・コード館」の全景です。

 そんな中、新冠町が誇る「レ・コード館」について少し詳しく紹介してみたい。
 レ・コード館のパンフレットには「⒛世紀に花開いたレコード文化。誰もが気軽に音楽が楽しめるようなったのはまさに蓄音機の誕生とレコードのおかけでした。温かみのある音は今なお聴く人々の心を魅了します。当ミュージアムではレコードの歴史的エピソードやレコード全盛期の物語を紹介しています。どうぞゆっくり音楽文化との出会いをお楽しみください」とある。

          
          ※ 年代物の蓄音器が陳列され、音も楽しめます。

 「新冠町が誇る」と表現したが、それは音楽文化の時代がアナログレコードからCDへと移行しようとしていた平成元年頃、いち早くレコードコレクションを始めようと全国の愛好家に呼びかけ全国にもあまり例のない特異な資料館を建設し、ファンからは熱烈な支持を受けていることにあると思われる。
 2010年現在、全国から集まったレコードの数は78万枚余りというから、目の付け所が良かったのだろう。それらを貯蔵・展示するとともに、視聴もできるようにした施設がレ・コード館である。

          
          ※ 特注で製作された巨大なオールホーン・スピーカーの裏側です。

 併せて、蓄音機など音の再生装置の歴史も展示され、「蓄音機コンサート」では年代物の蓄音機でSPレコードを実際に聴かせてくれた。鉄針と竹針を比較して聴かせてくれるのも興味深かった。
 また、レ・コード館のために特注されたというオールホーン・スピーカーは全長3.4m、開口部1.7mの巨大なもので、そのスピーカーの音をレ・コードホールで視聴することができた。曲はリクエストできるとのことだったが、私たちはスタッフに選定を任せクラッシックや歌謡曲など硬軟併せて5曲を楽しんだ。

          
          ※ こちらがオールホーン・スピーカーの表側の開口部です。

 日高というと、私たち札幌人にとっては心理的にしどうしても遠い感じがする地である。
 しかし、今回旅してみてけっこうな見どころを備えた魅力的な地域だと再発見した思いだ。そんな中、それぞれの地域もその振興に努力しているように思えた。明日はその辺りにスポットを当ててみたい。


木村秋則氏 無農薬栽培を熱く語る!

2012-10-04 22:00:56 | 講演・講義・フォーラム等
 あの親しみ易そうな笑顔でステージに登場すると会場は一気に和んだ。しかし、語る内容は熱く!熱く! 実践に裏打ちされた氏の無農薬・無肥料栽培はあの保守的と云われる(?)JAまでをも動かし始めているという…。

 
 木村氏については当時無謀とも云われたリンゴ栽培を無農薬・無肥料での栽培に挑戦し続け、ようやく栽培に目途が立ち始めたころからマスコミに何度も登場したことで興味深く眺めていたお一人だった。
 9月30日(日)「かでる2・7」で開催された日本綜合医学会北海道大会に星澤幸子さんに続いて登壇した木村氏は「奇跡のリンゴが教えてくれたことは? 百姓が地球を救う 一歩前に踏み出そう」と題して熱く語った。

          
          ※ かでるホールの壇上で聴衆に熱く語りかける木村氏です。

 木村氏は云う。今、農業は第三の革命の時代を迎えていると…。
 第一の革命が、「肥料・農薬・除草剤」の出現が農業を大きく変えた。
 続いて、第二の革命である「遺伝子操作種」の出現により収量の大幅増を可能にした。
 そして今、第一、第二の革命の反動として「自然栽培」の時代を迎えたという。

 自然栽培は、地球環境保全に対応し、永続可能な栽培方法であると木村氏は主張します。
 幾多の苦労の上に自然栽培法を確立した木村氏だが、その方法を惜しげもなく披露し、「自然栽培は難しくない」と二の足を踏む農業者に訴えます。自然栽培で留意する点は、①原種はどこか? ②湿度を好むか、好まないか。 ③畑を持つ力を利用する。(作物が好む環境を与える) ④常識を少し忘れる! という4点だという。

 木村氏は有機肥料と云われる「堆肥」も使わず無肥料を徹底する。何故かというと家畜たちは合成飼料で育てられているため堆肥にも影響が出ているという。
 木村氏が工夫していることの一つに豆類の根に寄生する根粒菌を活用することだという。根粒菌の活用でリンゴの木の土中の根張りが良くなることを発見したそうだ。

 そして今、木村氏が取り組む無農薬・無肥料の栽培方法は全国に同調者を増やしているという。中には農協(JA)全体で取り組みだしているところも現れてきたと嬉しそうに話してくれた。

          
          ※ 栽培するリンゴ園ではじけるような笑顔を見る木村氏です。

 農業のことを詳しく知らない筆者が生意気なことを言うのは避けたいが、無農薬・無肥料での栽培が地球環境を汚染しないということは素人でも容易に想像がつく。さらにはそうして生産された農産物が私たちの身体に優しいということも理解できる。
 問題の一つは労力に対する収量(農家収入)の多寡を気にする生産者の考え方がある。さらにはやがて迎える食糧危機に対してどう対応できるかという問題も考えられる。

 食糧危機という大きな問題はさておいて、少し近視眼的にこの問題を考えるとき、木村氏たちのような無農薬・無肥料に取り組む生産者を後押しするのは、直接農産物を口にする私たち消費者がそうした農産物を積極的に支持することが、彼らの収入増にも結び付き、その輪が広がっていくことに繋がるのではないだろうか。

星澤幸子さん 食へのこだわりを説く

2012-10-03 22:50:02 | 講演・講義・フォーラム等
 テレビの料理番組でお馴染みの星澤幸子さんの軽妙なトークに会場が笑いに誘われる。星澤幸子さんの食へのこだわりに会場が納得する。長い間北海道の料理番組を牽引してきた星澤さんの硬軟織り交ぜた話術に彼女の凄さを見た思いだった。 

 まず“掴み”である。
 和服姿で登場するという意外性で会場の視線を釘付けにした。
 そんな一見しとやかな外見を打ち消すように、あの親しみ易い語りが始まり、会場は星澤さんの一挙手一投足に注目することとなった。

          
          ※ 和服姿での登場である。聴衆の視線を釘付けにするに十分だった。

 9月30日(日)午後、日本綜合医学会(この会は医師の集まりではなく、玄米酵素を頒布する会社が設立したのではと思われる)というところが主催したものであるが、ゲストスピーカーが星澤幸子氏と無農薬リンゴ栽培で脚光を浴びた木村秋則氏だということで入場券が1,500円ということであったが聴いてみることにした。(木村氏の講演内容については明日レポートします)

 星澤さんは「これでいいの?あなたの食生活 さぁレッツ クッキング!」と題しての講演だった。
 星澤さんはステージに電気釜や食材を持ち込んで、その場で炊き込みご飯を仕込みながら講演に入った。
 講演の趣旨は「日本人は日本食に回帰しよう!」というものだった。
 最近、日本食が健康食であることは各方面で云われていることであるが、そのことを料理専門家の立場からさらに分かり易く説いてくれたものだった。

 
 星澤さんは云う。
 日本人はご飯・みそ汁・魚・漬け物の食事を2,000年続けてきたが、この4~50年の間に食の欧米化が進み、肉は9培、乳製品は20培、米は半分以下と食生活が変わってしまったと…。
 その結果、日本人の体質が変化し、成人病(生活習慣病)や癌の多発を引き起こしていると…。(癌は、疒に食品を山のように食べた結果だと星澤さんは云った)

 しかも現代の日本の食の多くは外国からの食材の調達によって賄われていると云う。その結果、輸入時などに多量の農薬や食品添加物が含まれたものを口にする結果になっていると忠告した。

 星澤さんは「身土不二(しんど ふじ)」という仏教用語を紹介してくれた。その意味するところは「人間の身体と土地は切り離せない関係にあるということ。その土地でその季節にとれたものを食べるのが健康に良いという考え方」だそうである。
 今盛んに云われるようになった「地産地消」と相通ずる言葉である。

 日本色の特徴である「発酵食品、食物繊維、全体食」を重視し、体温を1℃上げることで免疫力が30%上昇するとして講演を締めた。
 最後に炊き上がった炊き込みご飯とみそ汁(簡単調理法のみそ汁)、それに保存性のある添え物を添えた日本食を完成させ、大きな拍手を浴びながら退場した。

          
          ※ ご覧のようにステージに電気釜などの調理器具と食材を用意して…

 食と健康の問題は今までも云われ続けてきたことである。そのことを頭では理解していても、それを実践できていないところが私を含め多くの人の間にあったのではないだろうか。
 私たちの“命”が“食”に支えられていることをもっと真剣に考えなければならないと痛感した星澤さんのお話だった。

熊さん被害を防ぐ道は?

2012-10-02 06:06:52 | 札幌学 & ほっかいどう学
 札幌市の住宅地でもヒグマの出没報道が頻繁である。いったいヒグマの被害を防ぐ道はあるのか? 道総研セミナー「ヒグマ出没の背景と対策を考える」を聴講した。

 熊さん騒動にすっかり登山熱を冷やされてしまった私としては是非とも聴いてみたいテーマだった。
 9月29日(土)午後、アスティ45で北海道立総合研究機構(略称:道総合研)が開催する市民向けセミナーに参加した。
 スピーカーは道総研でヒグマの生態などについても研究テーマにしている4人の研究者とNPOでヒグマの除去や被害防止に関わっている方、計5名の方がさまざまな分野からヒグマ対策について講じた。

          
       ※ この種のセミナーでは珍しく写真はNGだった。セミナー開始前に撮った一枚です。        

 スピーカーが話をした内容をここで全て紹介することはできないが、聴講した結論としてはヒグマの研究はまだ道半ばであり、決定的な対策はないと感じた。

 お話の中で私が新鮮に感じたことを中心に紹介していくことにする。
 まず、ヒグマの分布地域だが、北半球の中緯度以北に広く分布しているということだ。昔はヨーロッパや北アメリカなど温帯域にも分布していたが早くから農業・畜産業が進んだことで絶滅したということだ。「絶滅」ということは、住民によって徹底的に駆除されたということではないだろうか?野生生物の保護が叫ばれる現代ではあり得ぬ対策であろう。
 
 次に、ヒグマ被害の実態は人身被害は年間2~3件ということで意外に少ないことが分かった。また、家畜の被害も過去に比べ劇的に減っている。問題になっているのは農業被害が近年右肩上がりに増大しているということだ。

 したがって道総研の研究者の問題意識も、人的被害云々より、農業被害をいかに食い止めるかにより意識が向けられていたようだ。
 というのも、ヒグマには学習能力があり一度農作物の味を覚えたヒグマは繰り返し農地に侵入するようだ。そうして対策を施さないでいると被害は増える一方になってしまうという。
 そして、その対策としては①電気柵の設置、②緩衝帯の整備、③ハザードマップの利用、④誘因物の適正管理、⑤ドングリ類の結実調査を挙げた。
 簡単に言うと、ヒグマを農地に近づけさせない対策を徹底させるということになる。

 私はセミナーを聴くことによって、少しでも登山を安心してできるヒントを得られるかもしれない思い参加したが、それは甘かった。
 登山、山菜採り、きのこ採りなどはヒグマのテリトリーに我々が入っていくのだから、それはあくまで自己責任で対策を施すしかないということになる。
 う~ん。さあ~て…、どうすべきか? 研究者たちからは「人の道楽などに構ってなんかいられない」と言われたような気がした…。

 ※ 今日はこれから一泊二日の小トリップです。珍しく朝の投稿となりました。