暑い!暑い!ともかく暑い! レンタサイクルを漕いだせいもあるだろう…。汗まみれになって石垣市内を駆け巡った。
空港から石垣市内に入り、ホテルのチェックインには早かったが、荷物を預けるためにホテルに着くと、なんとそこに無料のレンタサイクルがあった!
「これはラッキー!」と思ったのだが、そこにはやはり制約がある。連続使用3時間以上はまかりならぬということだった。
それでも効率良く市内を回るには自転車が最適と判断し、自転車を駆って市内巡りに出かけた。
昼食に「八重山そば」を食した後、最初に「具志堅用高記念館」に向かった。地図上では市の中心からかなり離れているように思われたのだが、およそ10分超で着いた。
館内は具志堅選手の現役時代に獲得したトロフィーや賞状、その他各種の写真が所狭しと展示されていた。その他にグッズ販売のコーナーがあったが、これで入館料400円はどうかな?
ただ、館内では具志堅選手世界タイトルマッチのビデオが上映されていた。私が入った時はちょうど具志堅選手が挑戦者で7回KOでタイトル奪取に成功したところを1回~7回まで余すところなく見ることができたので文句は言えないか?
※ 具志堅用高記念館のエントランスです。具志堅選手のシンボルマーク「カンムリワシ」が出迎えてくれました。
つづいて、「まちなか散歩ツアー」を主催する「まちなか交流館 ゆんたく家」を訪れたのだが、肝心の職員が不在で、ツアーそのものが実施されるのかどうか不明という残念な結果だった。
時間にまだ余裕があったので、これも中心部からやや離れているが、ロッテオリオンズがキャンプを張っている「中央運動公園」の野球場に向かった。けっこうな坂道で、汗をかきながらのサイクリングだった。
球場ではちょうど紅白戦が行われていた。土曜日ということもあってだろうか?たくさんのファンが詰めかけていたが、私は2~3枚写真を撮っただけで直ぐに球場を後にした。
練習試合ではなく、キャンプらしい練習風景を見れるのであれば、もう少しゆっくり見てもいいかな、と思ったけれど、試合形式じゃいつも見た風景という感じで興味が失せてしまった。
※ 沖縄特有の民家(裕福な?)ですが、こうした建物は市内では少なくなっているようです。
球場からの帰路、もう一度「まちなか交流館 ゆんたく家」に寄ってみたが、やはり職員は不在だった。
レンタサイクルのリミット3時間が近づいてきたので、ひとまずホテルに帰り、このブログを作成しているというわけである。
この後、チェックインをした後、もう一度街に出て早く夕食を済ませ、ベッドに直行し、パタンキューで、明日の備えようと思っている。
10時10分、無事に新石垣空港に着きました。
さすがに石垣島まで南に下ると暖かいです。気温は19度とか…。そういえば、プロ野球のロッテが現在石垣市でキャンプを張っていますね。チャンスがあったら覗いてみようかな?
ところで、関空で「千歳は降雪のため着陸できず折り返す可能性がある」とアナウンスされていましたが、そちらの気候はどうなんでしょうね?
これからホテルに荷物を預け、石垣市内を巡ります。
ちょっと心配である。今、午前2時である。昨夜来、まったく眠れないのだ。多少不眠症気味の私だが、これは少し極端すぎる。本日の予定にも影響が出そうで心配である。
※ 17日に予定している西表島から水牛車に乗って由布島へ向かう様子です。
いったいどうしたというのだろう?
昨夜、9時にベッドに入り、文庫本を読みながらウトウト状態に入ったのだが、直ぐに目が覚めてしまった。
それからもうダメだった。
午前4時には起きなければならないというプレッシャーが眠気をすっかり削いでしまったようだ。
もし、4時近くになって深い眠りに入ってしまってはと思い、思いきって起きてしまった。そこで時間を持て余したので、予定外の投稿を考えた。
昨日のことで書き残したことがあった。
大阪に着いて、最初の買い物が手袋だった。
寒いのだ。気温は5度前後で、海風が冷たく、手袋なしではとても耐えられない寒さだった。
今回、私は軽装を心がけ、上着はライトダウンを羽織ってきたのだが、ここ大阪ではそれがちょうど良いくらいだった。意外な寒さだった。
さて、本日は7時20分に関空を発って、10時10分新石垣空港着の予定である。
今日は石垣市内を巡る予定にしている。
といっても、特に予定はない。石垣市は一度訪れていて、主なところは巡っている。前回行くことができなかったボクシングの「具志堅用高記念館」だけはレンタサイクルを駆って訪れてみようと思っている。(チョッチュ行ってこようかなぁ)
そして、またまたウォーキングである
歩いて発見!「まちなか散歩ツアー」というのが催されているとの情報を得たので、ガイド付きの街歩きツアーに参加できたらと思っている。
そしてできれば、天候も良さそうなので、沖縄特有のコバルトブルーの海でも眺めに行ってこようかな?と考えている。
いずれにしても、今日一日は睡眠不足との闘いになりそうだ…。
夜は「八重山民謡」を、と思っていたが今日は自粛しよう。
泉佐野市は古さと新しさが同居した街だった。狭い小路に古い民家が点在していたかと思うと、関空を望む臨海地区は立体的に道路が交差し、近代的な建物が屹立しているといった新旧が混在した街だった。
関空の向かい側の泉佐野市にいる。
LCCの悲しさで関空から新石垣空港までの直行便は朝早くにしかなく、千歳から一気に石垣島までとはいかないだ。
そこで関空に近い泉佐野市のホテルで一泊し、明朝早くに石垣島を目ざすことになった。
泉佐野市で何をしようか?と考えていろいろ調べた結果、観光協会が設定しているウォーキングコースを歩いてみることが、泉佐野市の街を少しでも理解することに繋がるのではないか、と考えたのだ。
泉佐野市には三つのウォーキングコースが設定されていたが、私は市街地を巡る「りんくうエリアコース」を選定した。
※ 泉佐野市の旧市街の小路の様子です。
コースは泉佐野市の旧市街と、隣町である田尻町の旧市街を結び、その間を関空を望む「りんくう公園」を往くという全長7.5Kmのコースだった。
詳しくは帰宅して落ち着いてからレポートしようと思うが、第一の印象としてはリード文に書いたとおりである。
歩いた歩数としては、その他の移動に要した歩数も含め、20,028歩にもなってしまった。
※ りんくう公園の一角です。遠くに関空が望めます。
さて、明日はいよいよ石垣島であるが、朝が早い!(ホテル発のリムジンバスが午前5時である。早く寝て、明日に備えよう。
厳寒の季節になると、温かな南の島を思い出す。このところ私にとって恒例となりつつある南の島へ明日から6泊7日の日程で出かけることにした。私にとっては一昨年春のニュージーランドの旅も含めると、今回で6回目となる厳寒の季節の南の島への旅である。
スキーが趣味だった私にとって、冬は待ち焦がれた季節だったのに、退職しスキーを離れてしまうと、寒さがことのほか避けたいものに変わってしまった。
以来、南の島が恋しくなってしまった。
私の旅の記録を振り返ってみると…
◇2008年3月11日~15日 沖縄本島
◇2009年2月21日~28日 八重山諸島(石垣島・与那国島・波照間島・竹富島)
◇2010年3月 4日~ 8日 屋久島・種子島
◇2013年1月23日~2月4日 ニュージーランド島
◇2014年2月23日~3月4日 奄美群島(奄美大島・徳之島・沖永良部島・世論島)
と、2011年(木曽路)と2012年(アメリカ西部とカナダ)は他のところへ旅したが、それ以外は毎年のように南の島に向かっていた。
今回は2009年の八重山諸島巡りで訪れることのできなかった西表島・小浜島・黒島などを巡ってこようと計画している。
ただ、今回の旅がこれまでと旅と大きく異なっていることが一つある。
それは、旅する前のワクワクドキドキ感が失せてしまっていることだ。
心の準備もこれまでと比べると、まるで整っていない。
これまでは、それぞれに旅のテーマのようなものを定め、それに対する準備もある程度したのだが、今回はそうしたことがまるでない。
これまでのような旅のスタイルはそろそろ終わりなのかなぁ、という感じがしている。
だから、今回は南の島へ行き、ぼーっとしてこようかな?と思っている。(とは言いながら、たくさんの島を巡ろうとしているのだが…)
そして、唯一の楽しみは西表島のマングローブの林の中でカヌーを体験することを楽しみに行ってこようと思っている。
南の島から旅の様子を綴ります。
昨日、一昨日と1940年代の懐かしい洋画を立て続けに3本観る機会があった。「哀愁」、「第三の男」、「アンナ・カレーニナ」の3本である。いずれもが白黒映画だったが、特別の違和感もなく楽しく映画に見入った。
一昨日(2月8日)は、札幌コンベンションセンターの「懐かしのシネマ上映会」が、昨日(2月9日)はかでる2・7で行われた「めだかの学校」の「懐かしの映画鑑賞会」があり、前2者は一昨日に、後者は昨日鑑賞したものだった。
「哀愁」(1940年)はヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーの美男美女による戦争が引き起こした哀しい恋愛ストーリーである。
ヴィヴィアン・リーの美しさと演技の巧さが際立つ作品のように私には映った。
「第三の男」(1949年)はサスペンス物の特徴でもあるのだが、人物の相関図を理解するのに時間がかかってしまったが、非常にスリルのあるストーリー展開だった。私には主役の二人よりも、映画の後半に登場してきた真の悪役オーソン・ウェルズの存在感が一際光っていたように思われた。
「アンナ・カレーニナ」(1948年)は、ロシアの文豪トルストイの原作で、一説によると30回も映画化されている作品だという。その中から今回見たのは、ヴィヴィアン・リーが主演したものである。ストーリーは不倫に悩み、行き場の失った主人公が最後は列車に身投げするという悲劇的な結末なのだが、リーは私生活においても当時躁うつ病に悩まされていたそうで、そうした先入観で観ていると映画の中の表情にもなんとなくそうしたものが映しこまれていたように思えてしまった。
と、三つの作品を鑑賞する機会を得たが、いずれもが制作されてから60年以上の時間を経ながら今なお鑑賞に耐えられるということは、それぞれの映画が持っている力なのだと思う。私たちが今でも楽しめていることはそのことを証明する何よりの証拠なのではないだろうか…。
《ウォーキング覚書》
2/6~2/10の5日間も真面目に取り組んだ5日間だった。それでもこの間には「石狩川を遡る」といったようなイベントがなかったので、前回の5日間よりは歩数は少なかった。
◇2/6 20,250歩 ◇2/7 20,337歩 ◇2/8 13,021歩 ◇2/9 14,375歩 ◇2/10 11,600歩
◇5日間合計 79,583歩 ◇1/26~1/31の一日平均 15,917歩
2/5の日に「石狩川を遡る」で3万歩以上歩いていたのだが、翌日2/6も2万歩オーバーとなった。これは2/2もそうだったが、私の所属する団体の事務局への所要があった帰りに我が家まで徒歩で帰ったことによる。また、2/7の日も2万歩オーバーであるが、これは北28条に住む知人を訪ねる際に往復歩いたことによるものだ。
※ 8Kスーパーハイビジョン パブリックビューイングをアピールするNHK札幌放送局のエントランスです。
今話題の(話題になっているかな?)8Kスーパーハイビジョンのパブリックビューイングが雪まつりに合わせてNHK札幌放送局で開催されていて、今日の午後それを体験することができた。
8Kスーパーハイビジョンとは、現在放送されているハイビジョンの16倍にあたる3,300万画素の超高精細映像だという。加えて今回は22.2chのマルチチャンネルの三次元音響で臨場感たっぷりの映像を楽しめるという触れ込みだった。
※ SHVの超高精細度を比較する図です。
パブリックビューイングはNHK札幌放送局の第1スタジオを会場としていたが、会場内の椅子席は150席程度だろうか?私は開場前に並んで待ったこともあって前から2列目という好位置で楽しむことができた。(その位置はスクリーンから5mという近さだった)
スクリーンの大きさは目測で3m × 5mといったところか?
私が見た回はBブグラムだったので、次のような内容の40分だった。
◇This is SHV(スーパーハイビジョン)
◇ソチ五輪2014(浅田真央FS)
◇絶景体感!宇宙
◇第65回NHK紅白歌合戦
◇日本遺産 冬
◇「花燃ゆ」大河ドラマの舞台裏
最初のプログラムで、現在のハイビジョンとの違いを映像の違いで具体的に提示した。それによると、現在のハイビジョンの場合、詳細に拡大して見てみるとまだまだ粗いところが目立つが、SHVになるとそれはどこまでもクッキリといった感じだった。首を上に上げなければ画面全体が見えないくらい近い位置から見ても画面のきめ細かさは変わらなかった。
音響も臨場感たっぷりだった。
たくさんのプログラムの中でも、ソチ五輪の浅田真央の演技と、紅白歌合戦の映像が特に印象的だった。
大画面の中で、ショートの失敗を振り払い懸命に演技する浅田真央の真剣な表情をカメラは余すところなく捉えていた。ジャンプが成功する度に会場内に沸き起こる歓声と拍手が臨場感たっぷりに伝わってきた。
SHVの効果が最も表れていたのは紅白歌合戦の映像のように思った。
歌い手の表情が手に取るように判る上、音響の素晴らしさもあって歌声がとてもきれいに聞こえてきた。まるで会場にいるようでありながら、時にはアップで、時にはカメラを引いてと、会場にいる以上に歌合戦の華やかさを実感できたように思われた。
現在、私たちはハイビジョン放送を楽しみながら、特に不満もないほどハイビジョンの技術は素晴らしいと思っているが、将来SHVが実用化された暁にはやはりSHVに惹かれてしまうのだろうなぁ、と実感したパブリックビューイングだった。
なお、NHKによるとSHVの本放送の開始を2018年を目ざしているということだから、そんなに遠い未来の話ではない。
※ コンサートの写真撮影はもちろんNGです。開演前のステージの様子です。
一週間も経ってしまった。2月1日(日)、中央区民センターにおいて中央区主催のコンサートが開催された。
冠に「PMFプレゼンツ」とあるが、2013年夏のPMFアカデミー修了生の鈴木知美さんのチェロ演奏に、池田茜さんがピアノ伴奏する形でのコンサートだった。
中央区主催であるから、もちろん無料のコンサートである。このところ私が参加するコンサートの類はほとんどが無料のものである。札幌の場合、丹念に探していくとこうした類いのコンサートが数多く存在し、札幌に住んでいることのアドバンテージを感じる部分である。
※ この写真は不鮮明ですが、鈴木友美さんはなかなかの美形の方でした。
コンサートは、エルガーの「愛の挨拶」から始まった。ヴァイオリンの曲としても有名であるが、チェロにもとても合った一曲である。当日演奏された曲を紹介すると…、
◇「愛の挨拶」 (エルガー)
◇「12の変奏曲 作品66」 (ベートーヴェン)
◇「幻想小曲集 作品73」 (シューマン)
◇「ヴォカリーズ」 (ラフマニノフ)
◇「ルーマニア民族舞曲~チェロ、ピアノ編~」 (バルトーク)
《 休 憩 》
◇「モーメントミュージカル」 (シューベルト)
◇タンゴメドレー「アディオスノニーノ ~ リベルタンゴ」 (ピアソラ)
◇日本の曲メドレー「荒城の月 ~ 浜辺の歌 ~ この道 ~ 赤とんぼ」
◇「序奏と華麗なるポロネーズ」 (ショパン)
《アンコール曲》
◇「愛の讃歌」 (マルグリット・モノー)
※ 池田茜さんが右側の山神壮平さんとのピアノディオコンサートの際のポスター写真のようです。
曲の後ろに記した作曲家を見てみると、有名な作曲家の曲を網羅した感のある選曲である。
クラシックファンなら垂涎の曲が並んだのかもしれないが、疎い私にとっては猫の小判的な曲もあった。私の耳にはチェロに合っていたと思えた曲は「ヴォカリーズ」と最後の「序奏と華麗なるポロネーズ」の2曲だった。チェロの場合、ヴァイオリンと比べて低音域のため、時にはピアノの音に消されてしまうところが出てくるのは、しかたのない宿命か?
それでも確かな技量を備えた二人の演奏は、ひと時を十分に楽しませてくれた。
最後にちょっとオヤジ的な感想を…。
お二人は共に演奏会用のドレスを纏って登場したのだが、それは胸から上のところの肌が露出するドレスだった。
チェロの場合、椅子に腰かけて正面を向いて演奏する。ヴァイオリンなどと違い、チェロは大きな楽器のため、演奏するにもそれなりの力がいるようだ。右手の弓を弾くときに胸や腕の筋肉が収縮するところに目がいってしまった。まったくオヤジ的な見方で、困ったものである…。
美原大橋 ~ 川下集落 トレッキング月日 ’15/02/05
灌木地帯を往くこの日のスノーシューイングは後半も快調だった。深雪でなかったことで、ペースも速まったようだ。予定していた時間より早く川下集落に到着した。それからが大変だった…。
今回の「石狩川河岸を遡る」シリーズに取り組む際に、私がまず調べるのは交通の便である。
コースを往復するツーウェイの場合だと、コースのあるところまで乗用車などを使えるのだが、この取り組みはワンウェイである。そのため、我が家からスタート地点までと、その日のゴール地点から我が家までの公共交通機関を使用しなければならない。
今回の場合、江別駅から美原大橋までの約1時間の徒歩は許容範囲である。問題は帰りにあった。美原大橋から次の主な集落というと新篠津村になる。その間の距離はざっと12~3㎞である。この距離を一日で歩くのは、これまでの経験から言って、時間的にも、体力的にも無理である。さあ、どうしよう?
石狩川の河岸を眺めると、一カ所だけ石狩川に道路が接近しているところがあった。グーグルマップによると、その近くに「川下会館」という表記があった。「これは、もしかしてバスが通っているのではないか?」と思い、ネットでいろいろと調べてみたが、村内をバスは走っているらしいが、その近くを通るかどうかは外の者には分からない。ダメもとで役場に伺うと、どうやら近くを通るらしいことが判明した。
バス時刻を調べると、新篠津村へ向かう便が14時51分、江別へ向かう便が16時33分とあった。このどちらかの便に乗ることができれば、無事に帰宅できそうなことが分かった。私はこのどちらかの便に間に合うように行動することが求められた。
ということで後半です。
送電線の鉄塔を過ぎても、相変わらずの灌木地帯を往くスノーシューイングが続いた。
石狩川を見てみると、昼近くになり気温が上がったこともあってか、一部に氷が解けて水面が現れているところが見えるようになってきた。
※ この日のコースは終始写真のような灌木地帯を往くスノーシューイングでした。
※ 薄く張っていた氷の一部が解けはじめているところが見えるようになりました。
灌木を縫いながら淡々と進む中、突然スキーの跡が飛び込んできた。どうやら2~3日前のもののようだが、同じようなことを楽しんでいる人がいるらしいことを知って嬉しくなった。いや、もしかするとキツネやウサギを追いかけている人だろうか?
※ 写真のようなスキーのシュプールを見て、嬉しくなる私でした。
面白いことを発見した。スキーの跡を見ていると、そのシュプールの跡に動物の足跡が残っていた。動物たちも雪の上はけっして得意ではないようだ。少しでも堅い雪の上がやはり移動しやすいらしい。
しばらく続いたスキーの跡が消えたと思っていたら、今度はスノーシューの跡があった。
こちらの方はあまり長くは続いてはいなかったが…。
※ スキーのシュプールの跡をよく見てください。動物の足跡が残っています。
※ 写真ははっきりしませんが、数日前に歩いたスノーシューの跡です。
灌木の中でこの日唯一の動く動物を見ることができた。100m先くらいだったろうか。茶色の毛を纏っていたのでキタキツネだろうか?直ぐに私の視界から消えてしまった。その見えたところに辿り着いたところ、今立ち去った後のように足跡が残っていた。
※ 足跡をよ~く見てください。雪の飛沫が飛び散り、立ち去った直後であることが分かります。
石狩川の方はますます薄い氷が解け、水面が広がってきた。その中に、氷の面と水面が一直線に区切られているところがあった。どうしてそのようなったのかは想像もつかないが面白い現象だ。
※ これはどういう現象なのでしょう?氷の面と水の面がくっきりと分かれています。
※ 昼近くになり、砕けた氷が流れているところも目に入るようになりました。
川向に樋門(水門)が見えた。昔蛇行していた石狩川をショートカットして遺された旧石狩川から流れ出る水を調節するための樋門のようである。石狩川に合流する出口のところも確認できた。
※ 川向に見えるのが、旧石狩川から流入する流れを調節する樋門だと思われます。
灌木地帯の中に、木の皮が激しく剥かれているところが何ヵ所もあった。食べ物の少ないこの時期、木の皮の内側に潜む昆虫や幼虫を必死に探している証しだろうか?
※ 灌木地帯では、こうして動物たちが木の皮を剥がしたところを何度も見ました。
好調に歩を進めていたときだった。突然、目の前を横切る川が目に飛び込んできた!「えっ!地図上にはない川があったのか!?」と思い愕然とした。川の幅から見て、これは堤防まで戻らねばならない。昨年、石狩川に注ぐ篠津川のために2~3㎞も回り道をしなければならなかった苦い出来事を思い出していた。
ところが!そこから少し進むと、それは川の中にできた島のために石狩川の一部が分かれて流れていることが判明した。事なきを得て、ホッとした私だった。
※ いや~、この流れを見たときはドキッとしました。
※ 写真で分かるでしょうか?向こう側は川の中にできた島だと判明しました。ホッ。
ときどきGPS機能を使い、現在地を確認しながら進んでいたが、この時点でどうやら目的地の川下集落が近いらしいことが判明した。しかし、時計を見ると時刻はまだ12時20分だった。「えーっ、もうゴールなの?」というのが正直な感想だった。
まだまだと思っていたが、もしゴールだとするとバス時刻まで2時間半もある。途中でおやつ的に軽食を摂っていたので空腹状態ではなかったが、時間調整の意味も兼ねて、灌木の中で昼食タイムとすることにした。
今回は木の枝を椅子替わりにして、またまた熱湯持参で今回はカップ蕎麦と、食後のカフェラテを楽しんだ。雪の上では熱いものが何よりである。
※ 今回の野外レストランはちょっと絵的にはつまらないものですね。
を
昼食を終え、集落の方向へ歩みを進め、灌木地帯を抜けると、予想どおり数件の家が目に入り、傍をアスファルト道路が走っていた。
13時、道路の側でスノーシューを脱いだ。
※ 川下集落の農業用倉庫が見えるところでスノーシューを脱ぎました。
近くの住民に尋ねると、バス停は直ぐ近くにあった。しかし、バス時刻まではまだ2時間弱もあり、それからが難行苦行だったが、これもまたこうした取り組みでは宿命である。
※ 雪の中から僅かに顔を出している「第4研修施設前」停留所です。
定時より4分遅れの2時55分、新篠津村が運営するコミュニティバス(マイクロバス 280円)がやってきた。お客は誰もいず、私一人だけだった。バスは月形高校行だったが、私は新篠津村から岩見沢行のバスの乗り換え(360円)、岩見沢からJRに乗り(740円)、15時39分桑園駅に降り立った。
この日の全歩行数は33,757歩、うちスノーシューでの歩数は17,425歩ということで、スノーシューでの行動は約10㎞といったところだろうか。
総計で少なくとも18㎞以上行動したのだから疲れがないといったら嘘になるが、嬉しいことに昨年のような疲労困憊という状態ではまったくない。
これはノッてしまったかも?
《ウォーキング覚書》
2/1~2/5の5日間もずいぶん歩数を稼いだ5日間だった。その要因は「冬の石狩川を遡る」の取り組みが入っていたことによるのだが…。
◇2/1 10,095歩 ◇2/2 20,943歩 ◇2/3 10,451歩 ◇2/4 8,467歩 ◇2/5 33,757歩
◇5日間合計 83,713歩 ◇2/1~2/5の一日平均 16,743歩
2/5だけでなく、2/2の2万歩強も目立つ。これは私が属する団体の事務局が福住の八絋学園の近くにあるのだが、そこまで歩いてみたのだがさすがに遠かった。この2万歩は片道の歩数である。帰りはさすがに地下鉄を利用した。2/4は翌日のスノーシューでかなり歩かねばならないことがあったので、この日は札幌駅近くであったイベントに参加するため往復しただけで無理をしなかったので一万歩に満たなかった。