美原大橋 ~ 川下集落 トレッキング月日 ’15/02/05
空は晴天、風はなし、この日寒気が入り込んで頬は冷たかったが、右手に石狩川を眺めながら快適なスノーシューイングを楽しんだ。石狩川には薄く氷が張りつめ、静かに雄大に横たわっていた…。
2月5日(木)、朝4時30分に起床し、桑園発6時12分発のJRで江別に向かった。
6時45分、江別駅に降り立った私は寒気が頬を刺す中、シリーズ4でスノーシューを終えた〔美原大橋〕のたもとに向かった。
※ 間もなく日の出を迎えようとしている江別駅です。
朝陽が昇るのを眺めながら、「いい歳をして、なぁ~んでこんなバカげたことをしているんだろう?」と思わないわけではなかった。しかし、乗りかかった舟である。行けるところまで行ってみよう!そんな思いが私を突き動かしている。
また、人がどう思おうとも、残り少ない我が人生を、自分の思うように生きていこう、という一種の開き直りのような気持ちがあるのは事実だ。
さらには、こうしてブログで発信することで僅か数百人ではあるが(いやたいへんの数の数百人だ)私のバカげたことを見守っていてくれているということが、私を突き動かすモチベーションにもなっている。
※ 駅を発って間もなく、住宅街の向こうに朝陽が昇ってきました。
江別駅から歩くこと45分、〔美原大橋〕のたもと着いた。ところがここで躓いた。私はどこかに歩道があるはずだ、と思いながら歩き回った。〔美原大橋〕は複雑に交叉した立体的な橋である。30分あちこちと探したが、歩道を見つけることができなく、シリーズ4で帰ってきたときと同じように、車道の横に大きく積み上げられた雪の上を、スノーシューを付けて渡ることにした。(私は見つけることができなかったのだが、渡り終えたときに歩道が確かに存在することを確認できた)
※ 道路は岩見沢に向かう国道12号線です。向こうに見える陸橋のはるか左手に〔美原大橋〕が架かっています。
※ 歩道を見つけられなかった私は、道路の端に積み上げられた雪の上を進みました。
〔美原大橋〕から見た石狩川の川面からは水温と気温の逆転現象によって発生する川霧が立ち昇っていた。この日の朝は相当に冷え込んだようだ。(この日、石狩川に近い岩見沢の最低気温はマイナス15度を記録したという)
※ 〔美原大橋〕の上から見た石狩川です。川面から霧が立ち上っているのを確認できるでしょうか?
結局、今回のスタート地点の〔美原大橋〕のたもとの石狩川右岸からスタートしたのは午前8時30分だった。(江別駅を発ってからすでに1時間15分が経過していた)
スタート地点は広い雪原が広がっていた。
橋のたもとから、石狩川の川面に向かって進んだ。
ここ数日、降雪はなく強風が吹き荒れたのか、雪面は固く締まっていた。前回のようにスノーシューを踏み込んでも沈まず、快適なスノーシューイングが予想された。
雪面には強風が吹いた後に出来る風紋のような模様が一面に付けられていた。
堅く締まった雪に気を良くした私は、宮沢賢治の「雪渡り」の中に出てくる「堅雪(かたゆき)かんこ、凍み雪(しみゆき)しんこ」の一説を思い出し、思わず口にしていた。
※ スノーシューの跡が前回の時とは違って浅いのがお分かりいただけると思います。
※ 強風によって雪面にできた風紋(?)です。
石狩川の川岸に至り、石狩川を眺めると全体に薄く氷が張っていて、川全体はまだ眠っているように静かだった。
※ 水面が薄っすらと凍った石狩川です、渡ってきた〔美原大橋〕が見えます。
前回のように雪原が続くのかと思っていたが、そうは甘くなかった。スタートしてそれほど立たないうちに川沿いには灌木が立ち込めるようになった。だからといって、川沿いら離れてしまったら、今回のスノーシューイングの趣旨から外れてしまう。私は灌木を縫うようにして進んだ。
遠くに、樋門(水門)のようなものが見えてきた。それは石狩川に流れ込む用水路があることを示している。小さな用水路であれば雪に覆われているので、そこをそのまま通過することができる。
しかし、傍に寄ってみると意外に大きな樋門で、水路の幅も広かった。
私は堤防近くにある樋門のところまで戻り、水路を回避した。この時スタートしてからまだ30分が経過しただけだった。この樋門には〔美原三十六線樋門〕という名称が付けられていた。
※ 〔美原三十六線樋門〕の前の水路は凍っていましたが、薄そうなので回避しました。
※ 〔美原三十六線樋門〕から石狩川の方を見たところです。
灌木の間を縫うように進んだ。どこの間を通るのがスムーズなのかを進みながら判断し、左右にジグザクと進む。それはまるで、登山の時にどこに足をかけて登るのかを一瞬のうちに判断しながら登るのととても似ているような気がした。
※ 本日のコースは写真のような灌木地帯がずーっと続いていました。
川面に目をやると、相変わらず一面に薄く氷が張り、鏡のように見える。
灌木地帯に入ると、やはり野生生物が多く棲息しているようだ。あちこちに足跡がたくさん見えるようになった。
※ 石狩川は相変わらず薄く氷が張っています。しかし、今にも解けそうな様子です。
※ 灌木地帯に入り、にわかに生物たちの足跡が目立つようになりました。
この日はやはりかなり気温が低かったようだ。
前回はスタートして直ぐに、アウターとインナーの間に着用していた羽毛のベストを脱いだのに、この日は一日中着用したままでも汗一つかくことがなかった。
灌木地帯と格闘すること1時間半、石狩川を跨ぐように送電線が走っていた。
私はこの日、このシリーズを始めてから初めて国土地理院発行の5万分の1の地図を携行していた。それで確認すると、まだまだこの日の行程の1/3程度進んだところだった。
※ 灌木地帯の中に忽然と赤と白に塗り分けられた鉄塔が現れました。
※ 電線は石狩川を跨いで伸びていました。
(続きは後編に)
住宅街を歩いているときだった。非常に懐かしい物件が目に入った。
屋外用の「灯油タンク」である。球状をした、まるで地球儀のような灯油タンクは今から40年以上前くらいではどの家庭でも設置していたタンクだったのではないだろうか?
私も家庭をもった当初の頃、使用していたものである。
今や札幌の街中を巡っても、全てが方形のものである。
非常に大切に使用されていたものと窺える。
おそらく3~400リットルは入ると思われるが、屋外用の「灯油タンク」が開発され当初は、耐久性に最も優れた形として球形が採用されたのだろうが、その後用材の開発が進み、場所をとらない現在のような形になったと考えられる。
懐かしい、懐かしい物件に出会った思いである。
同じく住宅地区を歩いているとき、住宅の横に箱型の物があり、そこに「カラスまいったー Ⅱ」と書いたシール状のものが貼ってある箱が目に留まった。それが意味することを理解できずにやり過ごした。
ところが、同じ物が何度も登場するのだ。3度目だったろうか?「これは何か意味がありそうだ」と気付き、近寄ってみると、どうやら地区のゴミ収集所だということが分かった。
ちょっと内部を見させてもらうと、ゴミを囲うフェンスと、それを覆うネットが、小さな箱の中にコンパクトに収められていて、どこかの業者が開発したものを、町内会が採用した結果、近隣でたくさん見ることができたようだ。
知っていた方には何も珍しい物件ではないが、知らなかった私には「なかなかのすぐれもの」と思わせた物件だった。それにしても「カラスまいったー Ⅱ」はクスッと笑わせてくれるネーミングである。
最後は表通りで営業をしている「蕎麦屋さん」である。
十割そばを謳い、徹底的に「自然」をウリにしている蕎麦屋さんのようで、建物もユニークである。
私が最初に「あれっ?」と思ったのは、屋根へ通じる鉄製の梯子である。普通の梯子とはその形状が異なっているのである。いかにも「他とは違うぞ」とアピールしているように見受けた。
また、店の二階部分のところに取り付けられている鉄製のものは何を意味するのか分からなかった。これも店をアピールするためのアイテムの一つなのかもしれない。
なかなかユニークなお蕎麦屋さんの、蕎麦の方の味もユニークなのだろうか?
一度食してみる必要がありそうだ…。
札幌の街を言い表す際に、良く使われる常套句が「年間積雪量が6メートルにもなる190万都市は世界に例を見ない」という表現をされることが多い。
現在も積雪総量が6メートルを超えるのだろうか?それはともかく、今年の積雪はかなり多い方ではあるまいか?
そんな札幌の街(特に住宅街)を巡っていると、時々玄関前がまったく除雪されていない住宅に出会うことがある。おそらく様々な理由によって不在となっているのだろうが、うず高く積もった雪山の陰に住んでいる人たちの苦悩が見え隠れする思いがする…。
これらの家は、ご家族が入院され、看護に付き添いのために不在となったのだろうか?
あるいは高齢となられて、除雪が困難なためマンションなどに移られた方なのだろうか?
それとも…。
一番目の写真の家などは除雪用具も見えるところをみると、慌ただしく退去された感じがしてならない。
一方、最後の写真は比較的通りの賑やかなところにあったレストランが閉店したことによって除雪がされていなかった例である。
これもまた、違った意味で寂しい光景である。
私がこれまで巡った札幌の街は中央区を中心とした比較的都心に近い利便地だった。だからもし住宅が不在となっても、直ぐに売却が可能なために、建て替えなどによって、今回のような不在の住宅はそれほど目立たなかったのでは、と考える。
これが郊外などではどうなのだろうか?ニュースなどが伝える情報からは、あるいは不在の住宅が増えつつあるとも予想するのだが…。
「札幌ぶらり散歩」に関する投稿の頻度が一時に比べかなり落ちている。
ウォーキングの方は順調に一日平均一万歩を軽くクリアしているのだが、自宅から往復しての一万歩圏内はほとんど歩いてしまった感が強いのだ。したがって、新たな発見も少なくなってきたため、投稿の頻度が落ち気味ということなのだ。しばらくは我慢の時が続く…。
そんな中、最近歩いていて気になることがある。
ツル性植物の意外な繁殖ぶりが目立つのだ。
この「札幌ぶらり散歩」シリーズの№13でレポートしたころは「珍しい!」と思っていたのだが、その後街中を巡るうちにけっこう目にするようになり、それほど珍しい光景に映らないほどあちこちに散見されるようになった。
今は冬枯れしていて写真的にはつまらないかもしれないが、その中の何件かをレポートしてみたい。
以上の三つは比較的建築年数が古くなった家の壁にツル性の植物がはびこっている。確かに、私が目にした多くのものも比較的古い家がツル性の植物に覆われている場合が多い。除いても、除いてもはびこってくるために諦めてしまった例だろうか?
三枚目の家は壁全体が覆われつつある。
しかし、古い家ばかりではないようだ。
この二つの例は、比較的新しい建物である。そこでもツル性植物は旺盛な生命力で壁を覆おうとしている。写真の下の建物は札幌医科大学の建物の一つである。
さて、建物よりもっと激しい浸蝕に遭っているのは、札幌競馬場の周りをぐるっと囲む塀である。塀にできている隙間(スリット)を利用して、もうすっかり根付いてしまっているような状況である。近撮した太い蔓を見ていただきたい。
蔦などのツル性植物で家の壁が緑に覆われているのを目にすると、ある種の趣もあり好ましくも見えるが、今回紹介したものは意図的に栽培されたものとは言い難く、おそらく自然発生的に家々の壁に侵入してきたものと考えられる。
初期のうちであれば、除くことも可能かと思われるが、成長してしまった場合はどうするのだろうか?
特に、札幌競馬場の場合はすでに手遅れの感もするのだが、はたしてどうなのだろうか?
今は冬枯れの季節。夏の葉が生い茂っているところをもう一度見てみたいと思う。
何十年ぶりだろうか? 私の記憶では、小学生時代以来のような気がするが…。札の読み方にも危うさがあったが、あの頃の楽しさが蘇り、子ども心に帰って真剣に札と向き合った。
またまた「めだかの学校」である。
「めだかの学校」の企画ものとして、競技形式で北海道版の「小倉百人一首」の会が企画され、参加した。
1月26日(月)午後、「めだかの学校」のホームグランドである「かでる2・7」の会議室で行われた。
実はこの企画は昨年に続いて行われたもので、昨年は畳の上で行ったところ、参加した高齢者の方々から「座っての百人一首は辛い」との声を受け、「めだかの学校」方式としてテーブルの上で実施することを試してみるということだった。
参加者は運営する関係者を入れて24~5名だったろうか? 参加者は私と同年代、あるいは少し上の年代の方々が多かったようだ。
試合方法にも「めだかの学校」方式が取り入れられた。普通は3人一組行うのだが、「めだかの学校」方式では、4人一組でチームを作り、4チームが編成された。
この方式では、チームの札50枚を、突きが5枚、中堅がそれぞれ10枚、守りが25枚を受け持ち試合が行われた。
※ 懐かしい木札が並べられました。この札は私の相手となる守り役の札です。
手前に並んでいる5枚だけが、突き役である私の札です。
私の子ども時代といえば、田舎では冬になるとカルタ(百人一首)くらいしか子どもの遊びはなく、毎日のように隣近所を回ってカルタ遊びに興じたものである。
私はけっして早い取り手ではなかったが、そこそこには札を取ることができる子どもだったと記憶している。
まずは、チームを編成するための予備戦が行われた後、4チームが編成された。
そこそこの私はチームリーダーから突き役か守り役をするよう命じられたので、守り役を希望して、一回戦に挑んだ。
守り役は自分に与えられた25枚の札をできるだけ相手(突き役)から攻め込まれないように死守するのが役目である。相手の突き役は女性の方だったが、私ほど昔に体験されていなかったようで、私がほとんどの札を取ることができたし、リーダーの方が素晴らしい取り手だったこともあり、楽勝することができた。
※ このように全員が立った状態で対戦しました。手前の空いている席が私の席です。
決勝戦はリーダーから突き役を命じられたが、この試合も相手の方があまり得意な方ではなったようで、相手の札をかなり取ることができ、チームも見事二連勝し、優勝ということになった。
北海道で広まった下の句を詠んで、木札を取り合う百人一首は、北海道の気候風土にマッチした豪快さが呼び物の一つとも云われている。ただし、今回はテーブルの上での戦い、そして高齢者の遊び、ということで割合静かな戦いとなった。
参加者からテーブルの上での試合形式は好評だった。私も立った状態で戦いの方が体への負担は小さく、高齢者には適した方法だと感じた。
※ こちらはもう一組の対戦の様子です。試合は終盤を迎えているようです。
それでも、一札詠むごとに札に集中するためには、大変な体力を要することを改めて認識させられた。一試合終えると「ふーっ」と疲れを覚えていた。
翌日には下半身が強張っているのを感じた。札が詠み上げられるときに、上半身を沈めて集中することを繰り返すために、思いのほか下半身が疲労していたのだと思われる。
ほんと~に、久しぶりの百人一首だったが、昔友だち同士で競り合ったことが蘇り、楽しいひと時を過ごさせていただいた。
自分たちの楽しみは置いておいて、運営に専念された「めだかの学校」のスタッフに感謝である。
《ウォーキング覚書》
1/26~1/31の6日間は歩数が激しく上下した6日間だった。また、少しは体力がついたかな?と思えた6日間でもあった。
◇1/26 10,693歩 ◇1/27 7,726歩 ◇1/28 17,491歩 ◇1/29 24,047歩 ◇1/30 13,347歩 ◇1/31 10,893歩
◇6日間合計 84,197歩 ◇1/26~1/31の一日平均 14,033歩
1/27は一万歩に満たなかったが、これは前日の百人一首が原因である。下半身に疲れが残りもウォーキングに出かけようとする意欲が湧かなかった。妻から買い物を頼まれ、それをこなすのが精一杯だった。翌日は17,000歩強は、前日のていたらくを取り戻そうと少し遠くまで出かけた結果である。1/29の24,000歩余は、「冬の石狩川を遡る」シリーズⅣによって歩いた歩数である。この日、歩き切ることができたのは、あるいは少しばかり体力が付いてきた証かもしれない?
〔1月の記録〕
◇1月の31日間の総計 399,884歩 ◇1月一ヶ月の一日平均歩数 12,899歩
冬にも関わらず、この数字は我ながらかなりの歩数だと自信をもって良い数字かもしれない。2月も頑張ろう~っと。