田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

夜回り先生講演会

2015-04-21 19:39:18 | 講演・講義・フォーラム等
 話し手(講師)が自分をあたかも劇場の中の登場人物に仕立て、そのストーリーのヒーローでもあるかのように語る姿に私は嫌悪感さえ抱いてしまった。夜回り先生として世の中に知られた水谷修氏の講演に好感をもてなかったのは私一人だろうか? 

               

 私が講演会や講座に足繁く通っているのは、講師を務められる方が、その道において研鑽を積まれた結果として出てくる言葉に、その人ならではのものの見方・考え方が表出されると思っている。その言葉を拝聴することで、自らのものの見方・考え方に修正加除をしていきたいという思いがあるからである。
 だから私は講師の方の話し方や態度について言及することはほとんどなかったと思う。(一度だけある方を非難した憶えがあるが…)

 4月18日(土)午後、かでるホールにおいて読売新聞主催の談論風発の集い「ネット時代だから活字を!」というシンポジウム(?)に参加する機会を得た。
 シンポは夜回り先生こと水谷修氏の講演が60分間、書評サイトHONZ代表の成毛眞氏が30分間の講演をした後、その二人に女優で作家の中江有里氏を加えたパネルディスカッションが60分間という構成だった。
 この構成をみると、明らかに水谷氏がメインゲストであることが分かる。

 その水谷氏がトップバッターで講演した。
 全国通々浦々で講演すること実に4,100回に及ぶという。流れるように自らの体験を披露する水谷氏の話に最初は聴き入っていた。ところが聴き進むうちに、だんだんと違和感を覚え始めた。
 氏の話を聞いていると、水谷氏はまるで自身をスーパーマンでもあるかのように語るのだ。一筋縄ではいかない問題少年と対したとき、そこには多くの失敗や、臍を噛まされたことが多々あったのではないだろうか?ところが氏の話からそんなことは全く聞かれなかった。

               

 さらに氏は話の中で、自分は作家であり、研究者であると自分の今を呼称するのだ。
 たしかに多くの著作をものにしたかもしれない。確かに複数の私立大学で客員教授や非常勤講師を務めたかもしれない。しかし、他者が氏を作家だ、あるいは研究者だと言うのなら分かるが、氏の肩書にさえなっていない呼称を自ら名乗るところに胡散臭さを感じてしまうのだ。
 氏には「実るほど首(こうべ)を垂れる稲穂かな」という言葉を贈りたい。

 そう感じ始めてから、私の耳に彼の言葉は届かなかった…。
 しかし、人を非難する文章というのはエネルギーを要する作業だとつくづく思った。できればこうした文章は書きたくない。しかし、今回は私の中でどうしても書いておかねば、という欲求が勝ってしまった…。

 ※ 成毛氏、中江氏とのパネルディスカッションの様子は後日レポートすることにする。



《ウォーキング覚書》    4月 11日 ~ 4月20日までの記録

 月  日   歩いた歩数             特記事項
 4月11日   8,280 + 3,000 = 11,280      ファクトリー(自転車)
   12日 17,221 + 3,000 = 20,221      ファクトリー(自転車)
   13日  12,143  
   14日 8,949                「かでる」までの往復だけ
   15日 0                 雨風強く完全休養日
   16日 11,511
   17日  18,938                 某事務局まで10キロウォーク
   18日 10,028  
   19日 9,270 + 6,000 = 15,250      農試公園(自転車)
   20日 2,413                 小雨のため休養

   ※ +と表示した部分は自転車で走った分を距離に換算したものである。10分=1,000歩に換算した。

◇10日間の総歩数  110,733 歩  ◇10日間の一日平均歩数  11,073 歩

 この10日間はかなり凹凸が激しい期間だった。
 一万歩に満たない日が完全休養日を含めて3日もあったので、あるいは平均でも一万歩を切るのではと心配したが、なんとか一万歩は確保することができた。
 細かく振り返ってみると、15日は天候の問題もあったが、疲労が抜けきらないと感じて完全休養日とした。それだけではなく、14日も、20日も一万歩に届いていないということで、私の気持ちが切れるのではないかとちょっと心配な兆候である。
 日によって凹凸が激しいのは私のウォークの特徴の一つでもある。私の場合は私自身が小さなイベントを設けることでモチベーションを保っているところがある。(ex. 12日の田中陽希さんの講演に併せての長距離ウォーク etc.)これからも私自身の中に小さなイベントを繰り込みながらウォークを継続していければと思っている。
 私に一日一万歩を意識付けしてくれた千歳市在住の「なまけ鳥見人」さんは、几帳面に一万歩を少し上回る程度に毎日実践されている。私にはとても真似できないのだが、鳥見人さんの存在が私を刺激し、モチベーションを維持させる原動力になっていることだけは間違いない。

札幌ぶらり散歩 66 街で見かけたアラカルト

2015-04-20 17:37:35 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 街といっても繁華街ではない。都心からちょっと離れた住宅街で見かけた気になる光景三つ…。しかし、その三件に共通点はない。だから苦し紛れにアラカルトと名付けた。

◇えっ?沖縄の家?
 くだんの建物を見て「沖縄の家?」と感じるのは、もしかしたら私だけかもしれない。
 4月9日、中央区の南方面をウォークしているときだった。南15条西5丁目付近を歩いているとき、壁が薄汚れているような建物に出会った。
 「あれっ?沖縄で見た建物の外壁に似ているなぁ…」と私には映った。というのも沖縄の街でよく見かけたのが、コンクリート壁がちょっと薄汚れているように感じられる建物だった。それはきっと、私たちが想像する以上に激しい台風の風雨に晒されるために、どうしても壁が痛むのでは、と私は考え納得していたのだ。
 それと同じようにちょっと壁が薄汚れたような感じの建物を札幌の街で見かけたのだ。

          
          ※ 壁全体が汚れている感じは沖縄で見た建物によく似ていました。そして小さな階段に注目ください。

 さらにその建物で「面白い!」と思ったのは、2階部分に入口ドアがあり、そこに階段が設えてあるのだが、階段を降りた先は車の駐車スペースの屋根で、そこからの降り口がどうしても見つからなかったのだ。はたしてあの2階部分のドアから人の出入りはあるのだろうか??
 
          
          
          ※ 階段の下は駐車場。いったいどこから降りるのだろう?

 建物を回り込んでみると、厨房機器のリサイクル店だった。

          


◇むちゃくちゃ目立つ家
 上記と同じ日(9日)に南16条西7丁目に至ったときだった。周りの住宅とは明らかに異質の一画が現れた! なんと!家の周りが原色をふんだんに使った装飾品に溢れているのだ! これは目立ち過ぎである。
 近寄って良く見てみると、木製でさまざまなキャラクターを自作し、ペンキを塗ったもののようである。パンダあり、ピノキオあり、ひょっとこあり、とありとあらゆるキャラクターが並んでいる。
 おそらく主人の趣味が高じた結果であろう。当初は室内に飾っていたものを、どうしても外部に披露したい欲求に駆られた結果、現在のようになったのではあるまいか?(あるいは単に置くところがなくなった?)
 それにしても、これだけ目立ち過ぎる家が近くにある周辺の方々の反応はいかがなものか? いや、おそらく近所の人たちも初めは訝ったものの、今はそれなりに受け入れているのかも知れない?

          
          ※ これでは目立ちたくない!といくら言われても目立ちますよねぇ~。

          
          ※ 傍に寄ってみると、もうちょっとしたギャラリーといった趣きです。

          
          ※ さらに傍に寄ってみると、明らかに木製の手作りの作品であることが分かりました。

          
          ※ 家の違う方角を見てもやはりご主人の作品が満載でした。
    

◇こんなところに跨線橋が!?
 4月11日、サッポロファクトリーの周辺をウォークしたときだった。
 JR函館線の札幌駅から苗穂駅に向かう北3条東11丁目付近に差しかかったとき、線路を跨いで跨線橋を渡る人たちが見えた。
 苗穂駅の両側には地下道が通っていて、そちらは良く知っていたが、跨線橋があることは知らなかった。
 函館線を跨ぐ跨線橋としては平和駅のところに架かる長い跨線橋が有名である。また、白石駅のところにも跨線橋が架かっている。
 しかし、私が見た跨線橋は苗穂駅のところではなく、苗穂駅から200mほど札幌駅側に寄ったところに設置されていた。名称は「苗穂跨線橋」というそうである。
 地図を見ると、苗穂駅のところでは駅向かいにJRの苗穂工場の線路が広がっているために、広がりの少ない手前のところに跨線橋を設置したのかな?と思われる。

          

          

          

          
 
 東京あたりでは「開かずの踏切」とか言われて、線路を跨いでの交通が大変なようであるが、札幌では少なくとも札幌駅の近くでは、地下道がけっこう整備されているし、跨線橋も数多くあるようで、東京あたりのような不便さを付近住民はあまり感じていないのではないだろうか?果たして??

 となかなか個性的な建物などを発見する喜びもある「札幌ぶらり散歩」である。
 

札幌グルメ紀行 10 和食 みやま

2015-04-19 16:30:37 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 それほど気張ったわけではない。リーズナブルな価格設定でありながら、和の繊細さ、和の美味しさを楽しむことができた。京王プラザホテル22F 和食「みやま」はお勧めできる一店である。 

             
             ※ 私たちが食した「ひさご御膳」であるが、さすがにプロが撮ったものは違う。後の写真と比べて。

 私にとってこのグルメ紀行だけは妻が主導して食べ歩き、レポートするコーナーとなっている。
 彼女が友人たちと食した結果、「美味しい」、「お得」と感じたところを私に紹介してくれているのだ。これまでの10回の中で、私が主導したのは№1の「Nouvelle Pousse(ヌーベル プース)」と、№7の「地球防衛軍」くらいで、後は全て妻の選択である。

          
          ※ 京王プラザホテル22Fの和食「みやま」のエントランスです。

 ということで今回も京王プラザホテルに案内された。中華か、和食か、迷ったのだが、私の希望を取り入れてくれ、22Fにある和食「みやま」を訪れることにした。
 和の店らしく、スタッフは和装し優雅に迎え入れてくれた。予約していなかったこともあり案内されたのは窓際ではなかったが、落ち着いた雰囲気だった。
 この日は平日、客は婦人層が多く、中に年配のご夫婦がいらして記念写真を撮っている方もいらっしゃったので、あるいは誕生祝いとしてランチを楽しんでいたのかもしれない。

          
          ※ 「みやま」の店内の様子です。落ち着いた雰囲気がうかがえると思います。

 私たちはこの店のランチの一押し(?)である平日限定メニューの「ひさご御膳」(1,600円 税込)をオーダーした。

 「ひさご御膳」の内容は次のとおりである。
   【造 里】焼き霜作り サラダ仕立て 茄子酢味噌
   【和え物】桜海老と水菜の和え物
   【口取り】小袖玉子 小串焼 昆布巻 高野豆腐土佐まぶし 海老黄身煮 野菜春巻 酢取り茗荷 絹さや
   【煮 物】鶏肉味噌煮 米茄子含め煮 大根 桜人参 桜麩 青味 水茄子
   【食 事】ゆきぴりか大豆の混ぜご飯
   【止 椀】
   【香の物】
   【甘 味】トマト蜂蜜漬け 擂り胡麻 セルフィーユ

といった具合である。ここまで詳しく紹介できたのは、店のHPに載っていたからであるが、ここまで素材や調理法を表現すると、素材の多さや調理の多彩さに驚くが、一般家庭の食事もそれなりに表現できそうにも思われる。
       
 さて、出てきた「ひさご御膳」を見て、ちょっと驚いた。それは料理がひょうたん型のお重となって出てきたからである。
 写真の写りがイマイチだが、一見面白いと思いながらも、一方では「あれっ?これではちょっと軽い印象になるのでは?」とも思われたのだが、果たして?

          
          ※ 「ひさご御膳」はご覧のようなひょうたん型のお重で出てきました。

          
          ※ そのお重を開くとこの通りです。一枚目の写真を参照ください。

 食しての感想であるが、どの料理をとっても味は濃くなく、薄くなく、日本人の舌にぴったりという感じで、どの料理も美味しくいただくことができた。
 特に口取りの多彩さ、鶏肉味噌煮の柔らかさが印象的だった。
 日常のランチの2~3倍の価格ではあるが、時にはこうしたランチもいいと思う。

          
          ※ デザートの「トマト蜂蜜漬け 擂り胡麻 セルフィーユ」です。
 
【和食 みやま データー】
北海道札幌市中央区北五条西7-2-1 京王プラザホテル札幌 22F
電  話  011-271-3277
営業時間  朝  食/ 7:30~10:00
        ラ ン チ/11:00~15:00
        ディナー/17:00~21:30    
定休日   無休
駐車場   有(京王プラザホテル札幌)
座 席   104席(ホール64席)
入店日   ‘15/04/16

今年最初のサクラが!!

2015-04-18 17:44:09 | 環境 & 自然 & 観察会
 おそらく札幌市内でも最も早く開花した一つではないかと思われる桜を目撃した!樹名には「チシマザクラ」と書かれていた。チシマザクラは他の桜より開花が遅いのでは?と思っていたのだが、私の認識は違っていたようだ…。 

 今日(18日)、かでる2・7であった講演会の帰り、一万歩ウォークを完遂するため遠回りをして帰宅することにした。
 一緒に受講したS氏も同行してくれた。
 遠回りは北大構内を通って、さらに桑園駅を回るコースである。

 北大構内の「演習林実験苗畑」を通っていたときだった。管理棟のところに植わっている一本の桜の木がピンク色に色付いているのが目に入った。
 近づいてみると、開花しているではないか!!
 目分量で5分咲きといったところだろうか?
 幹のところ樹名板があって、そこには「バラ科 チシマザクラ」と書かれていた。

          

          

                 

 いよいよ、札幌にもサクラの季節到来である!!
 そこからの帰り、札幌気象台内に植わっている桜の標本木(ソメイヨシノ)の様子を見に行った。
 さすがに標本木はまだ蕾の状態で、開花にはまだ数日を要するな?と思われた。
 それでも陽気が続くと、ぱーっと開花が早まるかもしれない!?
 サクラの季節はもうそこまで来ている!!

          
          ※ 札幌気象台内のソメイヨシノ(標本木)はまだ蕾だった。

思わず誰かに話したくなる人体の話

2015-04-18 17:19:45 | 講演・講義・フォーラム等
 思わせぶりたっぷりタイトルであるが、実は講師である札幌医大教授の當瀬規嗣(とうせ のりつぐ)氏が著書を出版する際に、出版社から提案された書名だそうである。今回、氏は老齢化に伴う身体に関するあれこれを、思わせぶりたっぷり(?)に語ってくれた。 

 北海道生涯学習協会が主催する「かでる講座」が今年度も始まった。
 12月まで10回開催する第1回講座が4月14日(火)午後、タイトルのような演題で、札幌医大の當瀬規嗣教授が務められた。

          
          ※ ユーモアを交えて楽しく講義された當瀬教授

 當瀬氏は北海道新聞の医学コラムを今日まで9年間続けられているという方で、とても引き出しの多い方のようである。そんなたくさんの引き出しの中から、受講者に合わせて老齢化に伴う身体の変化や、健康維持の方法について、多岐にわたりユーモアたっぷりに語ってくれた。

 主として語ってくれたのは、高齢者への運動の勧めと、栄養摂取についてであった。
 運動の勧めについてはこれまでもいろいろな講師から伺う機会があり、その大切さを実感しているところであり、私も日々わずかではあるが実践しているつもりである。
 新しい言葉をまた一つ習った。それは「サルコペニア」という単語であるが、日本語に置き換えると「筋萎縮」というらしいが、加齢によって次第に筋肉量が減少する症状をいうそうだ。そのサルコペニアの進行を抑えるためにも負荷をかけた運動が大切だと、當瀬氏は強調された。

          
          ※ 現在でもフルマラソンを完走されるという若々しい當瀬氏です。

 興味深かったのは栄養摂取についてだった。高齢者は食事の量が少なくなりがちだという。特にタンパク質の摂取量が不足気味だそうだ。たんぱく質をはじめ、さまざまな栄養素が不足するため一気に老け込み、サルコペニアが進行するそうだ。
今のところ私は健啖家とまでは言わないが、それなりに食べられているが、今後年齢を重ねるにつれて注意したい点である。
 
 面白かったのは「健康食品」についてだった。TV・CMなどでよく耳にするコラーゲンであるが、當瀬氏はヒトが養分を取り入れるメカニズムを説明した後、コラーゲンを経口摂取することは医学的にはまったく意味を持たないことと断言した。
 ヒアルロン酸も、コンドロイチンも、グルコサミンも同様であるという。
 健康食品は薬ではない。だから「何々に効く」とは薬事法上は絶対に言えないので、TV・CMは実に巧妙にできているという。
 私はこうしたものにはもともと関心はない方だが、當瀬氏のお話を聞いてなおさらに近づくまいと思った。
 
 バランスの良い食事に心がけ、適度な運動を継続的に実施することが、年齢に関係なく健康的生活に必要だ、というある種当然(?)のような結論ではあるが、加齢に伴ってますます気を付けねばならないことを実感した講座だった。

映画 131 蟹工船

2015-04-17 16:57:48 | 映画観賞・感想

 ご存じの方が多いと思われるが、日本のプロレタリア文学の代表作とされる小林多喜二原作の「蟹工船」の映画である。最近(2009年)リニューアル化されて話題になったようだが、私が観賞したのは1953年制作の俳優:山村聰の脚本・監督の作品の方である。

                

 私が足繁く通っている「めだかの学校」は、今年度は昭和期、それも北海道に関わりある映画を鑑賞することを主とした学習を進めるそうだ。
 その4月分、第1回目としてとして去る4月13日(月)午後、1953(昭和28)年制作の「蟹工船」を鑑賞した。

 原作の「蟹工船」は小林多喜二によって1929(昭和4)年に発表された作品である。
 北海道との関わりという点では、蟹工船の母港が函館港ということだろう。
 当時の日本は軍国主義の世の中で、人権などは顧みられず、下層階級は搾取されるだけの悲惨な状況だったが、蟹工船の内情はその象徴でもあったようだ。そのことを作品として発表し告発した(?)多喜二は、そのことが原因となって治安維持法違反(?)で投獄され、獄死するという悲惨な状況も生まれたことは良く知られたところである。

 映画の方であるが、1953年の制作というせいであろうか、白黒画面の粗さは我慢できるとしても、トーキーの状況が最悪だった。浜言葉、古い言葉遣いのせいもあるが、聞き取れない部分が多かった。だからセリフの機微がまったく伝わってこなかった。
 映画のおおよその流れは理解できたとしても、映画の流れの中でそれぞれが交わす会話が分からないほどストレスを感じるものはない。その点は非常に残念だった。

 映画は悲惨な蟹工船内の労働現場をこれでもか、これでもかと活写した後、現場監督のあまりにも極悪非道な扱いに労働者たちが立ち上がった。しかし、親会社の意向を受けた現場監督が要請した海軍の兵隊たちの銃弾によって次々と倒れてしまうという悲惨な結末で映画は終わる。

 映画の出来としては、当時の悲惨な状況のみが強調されすぎた感があり、ストーリーとしての出来が良かったとは私には思われなかった。ネット上で75歳になる映画ファンが綴っていた感想が私の印象と重なるので紹介しておくことにする。

  時代的軍国調思想が出ていてよかった
  話が淡々と進み、深い感情的情愛がなかった!
  もっと人情味のあるストーリーにできなかったか?


札幌ぶらり散歩 65 蔵のある風景(4)

2015-04-16 17:32:31 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 その後も札幌の街を巡っていると「蔵のある風景」に出合うことが多い。「蔵」といってもいろいろあるが、私がここで取り上げるのは、あくまで札幌軟石やレンガなど石造りの蔵であることをお断りしておきます。 

◇住宅街にひっそりあった石蔵 
 4月11日、サッポロファクトリーの北方面をウォークした。
 住宅街とはいっても、純粋の住宅街ということではなく、小さな工場や倉庫、そして住宅などが入り組んだ感じの一画だった。
 北4条東4丁目に差しかかったところ、住宅の横に明らかに札幌軟石を使用したと分かる蔵が目に入った。かなり大きな蔵である。背後には新築のマンションが建設中だった。
 表側に回ってみると、大きな戸が付いていた。重機など大きな機械が出入りするのだろうか?商品などの荷物を保管する倉庫というよりは、車や重機など大きなものを収容する倉庫として使用されているように思われた。

          
          ※ 比較的大きな札幌軟石を使用した蔵でした。後方はマンション建設現場です。

          
          ※ 反対側へ回ると蔵には大きな戸が付いていました。

          
          ※ 壁の上部は補強のためでしょうか?モルタルが塗られていました。


◇改装され見間違えた石蔵 
 この石蔵を発見したときは、その蔵の前に至っても石蔵とは気付かなかった。
 上記と同じ4月11日のことだった。北3条東7丁目に至ったとき、最初は何も気付かずに通り過ぎて、その建物の裏側に回ったときだった。その建物が札幌軟石を使用した石蔵であることに気付かされたのだ。
 最初に見た方角からは、石蔵の外壁のところに白く塗られた建物が増設されていた。おそらく後から使用する際に倉庫に併設して建て増したものと思われる。
 私が石蔵を見ているとき、たまたま石蔵の小さな入口から荷物を搬出する会社の人に出会ったので、「もともとはどのような目的で使われていたのですか?」と聞いたが、その方は「まったく知らない」という返答だった…。
 何代にも渡って使い継がれてきたのだろう。

          
          ※ 初めに見た蔵です。これでは石蔵だとは思えません。

          
          ※ 裏へ回ると、札幌軟石の壁が大きく見えました。

          
          ※ 横に付いた小さな戸から荷物を出し入れしていました。


◇トモエ醤油の石蔵  
 翌日の4月12日、今度は苗穂地区をウォークした。この日は約10キロ超のウォークをしたにも関わらず、あまり特徴的な光景に出合えなかった。
 そんな中、苗穂町2丁目に差しかかったときだった。界隈の一画は「トモエ醤油」の醸造元で知られる(株)福山醸造の敷地が広がっている。
 醤油の製造過程には熟成・醗酵の過程があるためか、敷地内には倉庫が目立った。
 そんな中、ある一画まで来るとレンガ造りの蔵が並んでいるのが見えた。その様は隙間なく石蔵が林立しているようであった。
 敷地内にはもちろん入れないため、金網製のフェンス越しの観察・撮影だったが、レンガの壁を良く見ると、補修や改装されている跡が見えた。時代によって石蔵の使用方法に変遷があったのかもしれない。

          
          ※ 茶褐色の色が鮮やかなレンガの蔵です。

          
          ※ 狭い隙間から見ると、何棟ものレンガの石蔵が並んでるのが見えました。

          
          ※ 壁に近づいて良く見ると、補修されたり、改装された跡が見えました。


 札幌軟石の石蔵は、平岸地区あたりに昔のリンゴ倉庫に使用されたものがまだ残っているとも聞く。今年中にそちらへも遠征して、レポートできたらと思っている。

上野砂由紀トークショー

2015-04-15 15:37:15 | 講演・講義・フォーラム等
 ガーデンデザイナーとして注目を浴びる上野砂由紀さんの言葉には印象的なフレーズがいくつかあった。本年開催される「北海道ガーデンショー2015」の本会場となる「大雪森のガーデン」をデザインした奥義を聴いた。 

          

 4月11日(土)午後、サッポロファクトリーアトリウムにおいて、「北海道ガーデンショー2015」のカウントダウンイベントとして、ガーデンデザイナーの上野砂由紀さんのトークショーがあり、聴く機会を得た。

 今では庭もない棲家に住む私には叶わぬ夢となってしまったが、私はけっこう庭づくりというか、花壇を造成することには興味がある。 現職時代は転勤する先々で花壇づくりに勤しんだものである。そうしたこともあり、上野さんの講演は私なりに興味を抱きながら聴き入った。

 上野さんは今回の「大雪森のガーデン」をデザインするにあたり、そのポイントとして三つのことを意識されたそうだ。それは、…
(1)北海道の魅力もデザインする。
(2)開花期でデザインする。
(3)植物は役者、庭は舞台だということ。

          

 それぞれが非常に説得力のあるもので、納得しながら聴いた私だったが、特に(2)の「開花期でデザインする」というポイントが私には新鮮に聴こえた。
 上野さんが言う開花期とは、宿根草の開花期のことである。
宿根草は一年草と違い毎年花を咲かせるが、開花の時期が短いのが特徴である(一年草は花の咲いている時期は長いが、一年かぎりの花である)。したがって、一年の中でも花の時期によって花壇の様相が違ってくる。
 そこでそれぞれの花(宿根草)の開花の時期を知ったうえで花壇をデザインすると、時期によって花壇の表情がガラッと変容して見えるということだ。

 また、彼女の話から、花は必ずしも南国の植物ではない、ということも教わった。花によっては高温のために花の色付きが良くない種もあるという。ところが、寒暖の差が大きい北海道だからこそ鮮やかな発色をする種もあるという。
 上野さんは言う「北国だからこそ花の色が美しい」と…。

          

 上野砂由紀さんは見たところとても40歳を超えているとは思われないくらいキュートな笑顔を振りまき、ガーデンデザイナーとして充実した仕事をされていること窺わせてくれる話を伺った楽しい一時間だった。


札幌ぶらり散歩 64 空を見上げて歩いたら…(2)

2015-04-14 21:20:49 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 ビルの屋上といえば、宣伝の看板が大きく掲げられていたり、電波塔が立っていたり、他は無味乾燥な場合がほとんどである。ところが中には工夫して屋上空間を利用している場合がある。空を見上げて歩いたら、面白い光景に出会った。 

◇NTTドコモ南館の屋上には何が載っているのか? 
 NTTドコモ社は大通西14丁目から北1条西14丁目にかけて大きなビルを三棟も建てている。その名も本館、南館、西館という具合だ。その中でも一段と高く聳えているのが南館である。(地上16階、高さ70m超ということだ)
 その南館の屋上が特徴的な形なのだ。一見鐘楼のようにも見えるのだが、鐘の音は聞いたことがない。
 以前はその特徴的な形の部分がライトアップされ、周りを彩っていたが、省エネ時代という時代の風を受けてか、今はそういうこともなく、夜は暗闇に包まれている。
 いったい何なんだろうか?

               

          

          


◇ビルの壁にサンタが!? 
 某日、繁華街の南3条西4丁目付近を歩いているときだった。ビルの屋上ならぬ、私の頭上に大きなぬいぐるみのようなものが現れた。良く見てみると、どうやらサンタが壁にしがみついているように見えた。どうやらカラオケ店「まねきねこ」の販促のためのデコレーションのようである。
 少し離れたところから見ると、サンタ一人ではなく、ビルのさらに高いところに二人の小人がいて、サンタが壁をよじ登るのを助けているよう構図となっていた。
 それにして大胆なディスプレイである。最近、かに料理店の看板が落下して女性にけがを負わせる事件が札幌で起こったが、写真のサンタさんはしっかり安全が確保されているから、いまもまだ展示されているのだろう。

          

               

          



◇ススキノのビル街に屋上庭園? 
 ビルが乱立するススキノの南6条西3丁目に差しかかったときだった。「何か珍しいものは」と見上げる私の目に入ってきたのは、「第一ススキノビル」と書かれた7階建てのビルの最上階のところに木や植物が繁っているのが見えた。それはビルの屋上というよりは、ビルの最上階のベランダ部分を広げて庭園風にしているように遠くからは見えた。
 私の想像では、ビルのオーナーが最上階に住居を構え、その際にベランダを庭園風に設えたのではないだろうか、と想像してみたのだが…。
 東京辺りではけっこう目にする光景だが、雪国北海道ではけっこう珍しい光景ではないだろうか?

               

          

 ということで、札幌の空にもけっこうレポートできる物件が散見される。

田中陽希の人気を読み違えた?!

2015-04-13 23:37:38 | 講演・講義・フォーラム等
 全行程7,800キロを人力で移動し、208日間で日本百名山を完全踏破した男、田中陽希さんは語る。「使命感に苛まれて、体調不良に陥ったりもしたが、それを救ってくれたのはたくさんの人たちの笑顔」だと…。
 
          

 昨日12日、待望の田中陽希さんのトークショーがサッポロファクトリーで午後2時からあった。
 午前11時から椅子に座ることのできる整理券配布があったので、私は午前10時に自転車で家を出て、10時15分にファクトリーに着いた。
 ところが!! なあ~んと、整理券配布場所には長蛇の列が出来ているではないか!そして配布枚数の定員をすでにオーバーしていたのだ。があ~~ん。

 実は一昨日、同じファクトリーであった園芸家の上野砂由紀さんのトークショーも聴いたのだが、その際は開始30分前(午後1時半)でも整理券を入手できた。田中さんの場合はそうはいかないと思い、10時に自宅を出たのだが、それではまったく遅かったということだ。田中人気を読み違えたようだ。彼が成し遂げたことはもちろん素晴らしいことだが、それを伝えたNHK・TVの威力が彼の人気を押し上げたものと思う。
 すっかり意気消沈した私は、しかたなくファクトリーの近くの苗穂地区のウォーキングに出かけたのだった…。

 そしてトークショーが始まる30分前に椅子の背後に立ち、彼の登場を待った。登場を待つとは言っても、実は前日に彼が会場においてグッズ販売をしていて、そこで対面を果たし、若干の会話を交わしてはいたのだが…。

          
          ※ トークショー前日にグッズ販売をするところを写真に撮らせてもらいました。

 彼は爽やかに登場し、テレビで見る彼同様に飾り気のない表情・言葉で彼の成し遂げた「日本百名山ひと筆書き」を語った。
 彼は冒頭、今回の挑戦について「前人未到のことに挑戦したかった」と述べた。それはやはり冒険者魂というか、冒険家の性であり、そうした思いがあったからこそNHKも取材価値ありと判断して、今回のような反響を呼ぶことに繋がったのだと思う。

 さらにそうした前人未到の困難なことに挑戦した理由について彼は「一人の人間として成長したかった」と述べた。その過程を彼は次のように表した。〔変化〕⇒〔成長〕⇒〔可能性〕⇒〔達成〕と…。
 彼の中にある達成感はきっと、自らが確実に成長したという思いに満ちているからだと思われる。

          
 今回の挑戦について彼は「最初は旅だった」と言った。彼の言う旅とは、いわば「自分自身が楽しむ」ものだったようだ。
 それが途中からはそうはいかなくなったという。TV放映で注目されるにしたがって、徐々に自分のやっていることに使命感を抱き始め、強いプレッシャーに苛まれるようになったという。それは体調不良という形でも表れたようだ。
 そうしたピンチを乗り越えることができたのは、行く先々で受けるたくさんの人の〔笑顔〕と激励だったという。確かに画面を通しても出会う人たちと交わす笑顔での会話が印象的である。
 時として勘違いをしてしまう人間もいるが、彼は誰とでも分け隔てなく話し、いつも笑顔で接していた。前日の私との会話もまさにそうだった。

          

 彼は再び発つと言う。
 日本には、百名山だけではなく、二百名山、三百名山とあるそうだ。彼はこの5月末から百名山のときと同様、完全人力で二百名山完全踏破を目ざすという。(二百名山とは、その中にすでに踏破した百名山を含むため、実際には残る百名山ということになる)
 前回は北上する形だったが、今回は宗谷岬から南下して鹿児島県・佐多岬を目ざすという。彼の冒険は今回もNHKが追うようである。
 再びテレビ画面を注目したい。そして彼がさらに成長する姿を見たいと思う。
 ガンバレ!ようき!

 それにしても1時間半の立ちん坊は辛かった。トークショーの前に約17,000歩、10キロ超のウォークを行っていた私にはかなり辛い1時間半だったが、田中陽希さんに対する興味・関心がかろうじて私を耐えさせたのだった…。