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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

冬の石狩川河岸を遡る 25

2018-01-08 23:28:12 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

麻布橋 ⇒ 愛別橋   トレッキング月日 ‘18/01/05 

 今回のトレッキング最終日は、疲労が重なっていたこともあり大苦戦だった。しかし、三日間とも無風のコンディションだったことは幸運だった。冬期間の戸外での活動の場合、風が無いのが何よりである。

           
          ※ 「麻布橋」上から石狩川の下流を写しました。

 トレッキング三日目、今回の最終日となるこの日は疲れのためかなかなか眠ることができず、半ばトレッキングを断念するつもりでいた。朝5時に目覚めたとき、「どうしようか?」しばらくベッド上で思案したのだが、ライブレポでも触れたように「ここまで来て…」の思いが頭をもたげ、決行を決意したのだった。

 決意をしたら、前日と同じ朝6時45分発の名寄行きに飛び乗り、比布町の「基線6号」停留所までバスで移動した。さすがに旭川からも遠ざかった。交通量の少ない早朝だったにもかかわらず45分くらいかかったようだ。バス停から30分かけて前日のゴール地点である「麻布橋」のたもとをスタートしたのは8時00分だった。
 天候は、これまで同様に曇ってはいるものの、風が無いのが幸いした。そういう意味ではこの三日間は幸運だった。
 ただ、夜間に雪が降ったようで、前日までの雪の上にさらに10センチ程度積もったようで、スノーシューが深く沈むのが気になった。

          
          ※ 「麻布橋」のたもとからスタートして、振り返って見た「麻布橋」です。

 この日は、当初「麻布橋」からは右岸に戻る計画だったのだが、マップ上で検討したところ左岸の方が障害が少なそうだったので、前日からの延長で左岸をトレッキングすることにした。
 この選択は正解だったようだ。というのも、どうやら左岸には河岸沿いにサイクリングロードが設置されているようだった。サイクリングロードはきわめて川沿いを走っており、「絶えず石狩川の川面を視界に入れながら歩く」という私のコンセプトに合致しているためにスムーズに歩を進めることができた。ただ、ロードは時には河岸から離れることもあったので、その時にはロードを離れて歩くこともあった。

          

          ※ この2枚の写真のように、河岸にはサイクリングロードが整備されているようでした。

          

 この日の第一目標ポイントである「比布大橋」は、スタート地点の「麻布橋」から5キロくらい離れていたため、雪原を淡々と歩く前半となった。
 このあたりはまだまだスタートしたばかり。体力にも少しは余裕があったようだ。私は人っ子一人いない雪原を独り行くスノーシュートレッキングの醍醐味を楽しんでいた。他人にはバカバカしいとも思えるこの行為に、私はある種の陶酔感を抱いているのかもしれない。

          
          ※ この辺りはまだまだ余裕をもって歩いていたところですね。
 
 石狩川には特別変わった様子もない。ところどころで石狩川の写真を撮りながら進んだ。
 10時24分、「比布大橋」に近づいたところで「伊香牛29丁目排水樋門」というところを通過した。
 そしてそれから間もなく、10時45分、スタートから2時間45分を要して第一目標ポイントである「比布大橋」に到達した。「比布大橋」の手前で、軽食を口にした。

          
          ※ 「伊香牛29丁目排水樋門」です。「排水」と付けられている点がこれまでの樋門と違うところです。

          
          ※ 「比布大橋」です。私はこの後、この橋を渡って右岸に移りました。

 「比布大橋」からは当初予定したように右岸を行くことにした。しかし、これが私に大変な困難を強いることになった。
 「比布大橋」を渡るときだった、国道上に姿を見せたとき、ちょうど地元の警察が乗った軽車両が通った。私の姿を見て「おーっ!」というような表情で通過していった。幸い不審者とは思われなかったようだ。

          
          ※ 右岸に移ったことによって石狩川を右手に見て進むことになります。

 「比布大橋」からの右岸は、それまでの左岸とは様相を異にして放置された(?)整備されていない河岸だった。前半ですでに相当に体力を消耗していた私は、徐々に辛くなり始めていた。
 「比布大橋」から2キロに満たない距離のところに「愛別川」が流入していた。そこに架かっている橋が「金富橋」だった。そこに到達したのは、ちょうど12時00分だった。2キロに満たないのに1時間15分もかかっていた。急なペースダウンである。
 「金富橋」からゴールの「愛別橋」まではまだ4キロくらいある。帰りのバス時間が14時30分である。果たして4キロを2時間程度で歩けるのか?疲労が体全体を覆い始めていたために不安になってきた。

          
          ※ 石狩川の支流「愛別川」に架かる「金富橋」という何とも豊かな名前の橋です。

          
          ※ 「金富橋」から愛別川が石狩川に合流するところ写したものです。

 焦り始めた私の前に、河岸の様子がこれまでとは全く違った様相を呈し始めた。河岸がまったく整備されておらず、前年の雨竜町や妹背牛町を歩いたときのような灌木が立ちはだかるワイルドな河岸の様子なりはじめたのだ。とても真っすぐには進めない。木々の間を縫うように歩かねばならなかった。
 疲れて焦る私の目に、石狩川にまたがる施設が見えた。「おゝ、愛別大橋が早くも視界に入った!」と思ったが、そうではなかった。近づいてみると、マップではまったく確認できなかった頭首工の施設だった。その施設は工事中で傍に寄れず、施設名を確認できなかったのだが、帰宅して調べたところ「愛別頭首工」のようである。

                    
          ※ 辛いトレッキングを続けているとき、こうした光景に出会うと一瞬心が和まされます。

          
          ※ 「愛別頭首工」です。工事中のため、近くには寄れませんでした。

 私にとって厳しく辛いトレッキングが続いた。
 「金富橋」から1時間後の13時00分、旭川紋別自動車道が渡る「愛別大橋」に到達した。
 この頃になると、私は疲労困憊のために数十歩進むと一息入れねば前へ進むことができなくなっていた。険しい河岸の状況と蓄積した疲労、そんな中での時間との闘い…。

          
          ※ 旭川紋別自動車道が走る「愛別大橋」です。

          
          ※ 雪上トレッキングだからこそ撮れる愛別大橋を下から見たところです。

 私が右岸を選択したのは、以前に車で国道39号線を何度も走っていたのだが、その際に河岸に愛別町の運動公園(野球場やサッカー場)が見えたので、きっと右岸の方は整備されているに違いないと思ったのだが、それは思い違いだったようだ。

          
          ※ 写真のようなところがどんどん現れて私の前進を阻みました。

          
          ※ 名称不明の樋門ですが、進むところは樋門の下をくぐらねばなりませんでした。

 河岸の険しい状況はずーっと変わらなかったが、最後の最後になって運動公園が現れた。そこを越え、「愛別橋」のたもとにヘロヘロになって達したのは14時20分。バスの通過時間まで10分しかない際どさだった。

          
          ※ 疲労困憊の状態でようやくスノーシューを脱ぐことができました。

 これまでも何度か疲労困憊でゴールしたことがあったが、久しぶりに辛さを体験した。しかし、この辛さも時間が経つと心地よさに変ってしまうから困ったものである。

 次はあるのか? 次はいつなのか? 今のところは未定である。