鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あゆ「左耳聞こえぬ」

2008-01-08 22:12:53 | 思いつくまま

 タイトルは、今日の朝日新聞社会面の浜崎あゆみに関する記事の見出しです。

 

 突発性内耳障害のため左耳が完全に聞こえなくなったということで、ニュースでも取り上げられていました。

 2000年・平成12年に突発性内耳障害を患い、コンサートツアーを延期していたそうです。

 

 あゆのファンとしてはとっても残念ですが、音楽活動は今後も続けるということですので、暖かく見守っていこうと思っています。

 

 写真はピンぼけとなっていますが、「ROCKIN’ ON JAPAN」の表紙です。発行は、2001年のAPRIL(4月)で、VOL.201、正確には平成13年4月19日発行となっています。

 

 この本は、たまたま本屋の店頭?にあり、いい年をしたFANですから、思わず目が行ってしまい、手に取り買ってしまったという代物です。まあ、これを読めば、浜崎あゆみの今までのことが全て分かるような見出しだったので、つい買ってしまったものです。360Pくらいあって、540円という安さも魅力的でした。

 

 インタビュアーは鹿野 淳という人で、よく勉強した上でインタビューしているなと思いました。

 そもそもこの取材は、「浜崎あゆみサイドの逆オファーから始まって実現したものである。」とのこと。子どものことから、両親のこと、小学生時代から中学、高校(堀越学園)のこと、上京してからのこと、エイベックスとの出会いから歌手としてのデビュー、作詞のこと等、ここまでしゃべってもいいものかと思うくらいあっけらかんにしゃべっています。

 

 そのなかに、耳の病気のことも軽く触れているところがありました。

 

 ”都合のいい自分と壊したい自分というのが、物凄いモラトリアムになっていて、そういう状況を抜け出したきっかけ”を話しているところです。

 『 うんとね、全国ツアーをやった時に、めちゃめちゃ引いてたんですよ、自分が。2曲目ぐらいでもう引っ込みたいぐらい。すごい失礼なんですけどね。でもなんか、なんでだろうって、すごい楽しみにしてて、ほんとよく頑張ったよっていうぐらいみんなで準備してきて、やっとっていう初日に、なんか違うなあと思って。全っ然つまんなくて、それは一幕をやっている間、ずっとわからなかったんですよね。で、一幕終わって、耳の事故でちょっと休んだんですけど、二幕の頭を。そこで休養できたんで。病院にいたりした時に、ちょっと冷静になれる時間、あくせくしなくていい時間があって、そん時に思ったのは、昔は凄く、”みんな、わたしを見て!わたしはここにいるの!”って思ってて、なんとしてでも振り向かせてやるっていうのがあってやってきて、でもライヴっていうのはやったことなかったから、わかんなかったんだけど、初めてライヴ会場に行った時に、”ねえ見て、あゆ、ここにいるんだよ!”って言わなくてももう見てたわけよ、こう、2万個ぐらいの目が 』 『 それが”ハッ!”てなんか、怖かった。あっ違う!と思った 』

 

 インタビューした鹿野 淳が書いています。「彼女の唄が何だかとても暗くて寂しいエネルギーを発している・・・!そう、浜崎あゆみが音楽で発しているのはとてつもなく大きな『負の力』だ。そしてその負の力を必要としている時代がここにあるということだ。・・・。浜崎あゆみは音楽に対するある種のコンプレックスを抱えながらも、その状態に寂しさを感じなかったからこそアイコンとして駆け上がれた。何故か?それは今までの彼女が抱え続けてきた寂しさが、音楽的コンプレックスなど吹き飛ぶようなへヴィーなものだったからだ。・・・。孤独であることを認識し、肯定する。それこそが彼女の求心力の源泉なのだ。」と。

 

 まったく納得できる文章です。私がなぜだろうと感じてきたきたことを端的に表現しています。

 不幸にも左耳は聞こえなくなってしまいましたが、そうであれば逆に今後どのように活動していくのか、どんな音楽活動を展開していくのか、とっても興味がありますし、今後とも個人的に応援していきたい(迷惑かもしれませんが)と考えています。

コメント (1)
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