朝日新聞全国版の社会面の下の記事、見出しを見て我が目を疑いました。 なんで? なんでこんなことが? 何が、誰がここまで追い詰めたのか?
『ダム反対の漁協組合長 自殺』
『山形・最上 先頭に立ち 県と交渉』
山形県の清流、松原鮎で有名な、点根な湯が豊富な小国川です。その鮎を、清流を守り続けてきたのが小国川漁協です。
「小国川漁協の沼沢勝善組合長(77)が自殺していたことがわかった。関係者によると、10日未明、舟形町の自宅敷地内の小屋で首をつっているのが見つかった。家族に宛てた書き置きがあったという。」
「沼沢組合長は昨年末から疲れた様子で、周囲に『組合長をやめたい』などと相談していたという。」
地元の河北新報のWebでは、記事は見当たりませんでした。
山形新聞のWebでは二つの記事が見つかりました。 ひとつは、2014年02月11日 07:20 の記事で、見出しは 『小国川漁協の沼沢組合長が急死 舟形の自宅で倒れる、心境つづるメモ発見』 もうひとつは 2014年02月12日 07:22 の記事で、見出しは 『最上小国川ダム、15年度完成は不可能 県が見通し示す』
見出しの「急死」 「倒れる」、記事本文では、「自宅で、ぐったりとしていると」 「家族が自宅内で見つけた」 「事件性は低いと」 という表現が使われています。
山形新聞と朝日新聞の記事の書き方、どうしてこうも異なるのでしょうか。 普通なら朝日新聞のような記事になるでしょう。 山形新聞の記事は あまりにわざとらしい書き方ではないですか。 何か遠慮の度合いが強すぎて、不自然です。 首をつって死んだということを、何が何でも書きたくなかったのかと穿った見方をしてしまいます。 みなさんはどう感じますか。
抗議なのか、疲れ切ってしまったからか、首つり自殺の原因は 「書き置き」「メモ」を見なくては分かりませんが、その内容についてはどちらも触れてはいません。 山形新聞の書き方は、読者に ”抗議の自殺” と思われないように配慮(本当は誰に?もちろん山形県にでしょう)しているようにどうしても思ってしまいます。
これって大袈裟と言われそうですが、一種の世論操作でしょう。 山形新聞・山形放送・山形交通は系列会社、山形県内では最大のマスコミで、その影響力は小さくありません。最上小国川に建設する穴あきダム、その建設に極力支障が生じないように、かつ反対運動が大きく力強くならないように、そういうことに注意しての記事の書き方ではなかった、そう思いますし、そう思ってしまうことがとっても悲しいことです。
きょうもきのうほどではなかったですが、寒いけれどもいい天気でした。
沼沢勝善さんの死を無駄にしないように、改めて小国川の穴あきダムの建設に反対の意思を表明し、小国川漁協を支援して行こうではないですか!!
合掌