鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

いやあ、よかった!

2021-08-22 20:47:18 | 思いつくまま

いやあ、よかった!横浜市長選挙、ガースーの送り出した小此木成何某の当選はなくなった!!よかった、よかった。山中竹春氏の当確が出たようです。

と言っても、これがいわゆる一般的な当然の結果ですね。妥当なところです。当たり前です。横浜市民の健全さが発揮されました。日和った林も落選のようで、いい気味です。

 

 きょうはカヌー協会の例会?が行われたようです。毎年1回はやっているような気がします。

  

書こうとは思ってもすぐに忘れてしまっているのが現実です。それで何回書く時期を逸してしまったことか。きょうは22日の日曜日ですが、20日はやはり日本人としては忘れてはいけない日ですよね。

  

9日に日ソ不可侵条約を破棄してソ連が満州に侵攻してきたこと、およびそれ以降の悲惨な状況等は語り継がれていますが、ポツダム宣言受諾を無視し、無条件降伏を表明したのにその後20日に旧樺太にも侵攻してきました。その当時の樺太は南半分は日本領でした。

   

旧樺太にあった真岡郵便局の10代から20代の若い電話交換手の女性9人がソ連兵による凌辱から身を護るために自決した日です。数年前にテレビドラマになったことがありました。涙なしには見られませんでした。

  

そして、きょう22日はこれも絶対に忘れてはいけない日ですが、対馬丸が不法にもアメリカの潜水艦の魚雷攻撃により撃沈された日です。1944年の8月22日。対馬丸は沖縄からの学童の疎開船でした。

  

対馬丸については学童疎開船であることをアメリカに事前に通知していたのですよね。その旨分かるようにしていたはずなのに、連絡の不徹底のためか、面白半分のためかいわば丸裸の状態で魚雷攻撃を受けました。

  

犠牲者の全体数は不明だそうですが、対馬丸記念館によると学童784人を含む1484人が海の藻屑と化しています。慰霊祭は18日に行われています。戦争は女子供が犠牲になるとはよく言われていますが、それにしてもあまりに理不尽です。すべては戦争が悪いのだと言ってしまえばそうなりますが、それで納得できるものではありません。

  

 

実は、20日金曜日の午前中にようやく広瀬川に入りました。竿を出しました。釣果は少しも誇れるものではないので、写真だけにしておきますが、それ以上に川に入って竿を出していたのに気分的にはすぐれませんでした。それはなぜか?

  

それは、私が入った後から二人の投網師が入ってきたことです。ひとりならまだしも、ふたりです。投網の場合は徒党を組んでの投網はしないようにと禁止されていると思っているのですが違いますか。そして竿釣り師には近寄らないことも。

 

       (写真は2枚とも同じ鮎です。20日)

平瀬に投網師が3人も4人も入ってきて、一斉に投網を打ったらどうなりますか?もう悲惨です、我々竿釣り師には。20日に入ってきた二人連れは一人は初心者かな、もしかして。やり方を教えられながらやっていました。

  

でも、その割には投げられた投網は結構きれいに広がっていたような気がします。あの重い投網をきれいに広げて投げるというのはかなり技術もいるようには感じます。

  

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、私は川の中央付近にいたのですが、二人連れは最初は下流域の左岸寄りにはいり、次に上流域の左岸寄り、それから上流域の右岸よりといろいろと動いていました。

  

            (20日)

 

気温は大したことはなったのですが、蒸し暑かったですね。曇り空圧倒的だったようですし。というわけできょう正午の観天望気です。

  

 

天気:曇り:雲量:隙間無、気温:25.0度、湿度:92%、風速:3m/s、不快指数:76 となっています。

 

今朝は下流域に朝もやが見られました。この前は上流域でした。

 

 繰り返しになりますが、ガースーの推す小此木が当選しなくてよかったです。本当に、よかった。山中氏がこれからどんな手腕を発揮してくれるか、楽しみです。


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