鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

土曜日は読書特集

2023-05-20 14:46:11 | 思いつくまま

     

今5月20日の午後2時50分になろうかというところです。毎日の3時間ごとの天気を見ると、もしかして今日は最高気温は20度を超えない?かもしれません。正午の気温は17.7度となっています。外はくもりでパッとしません。

            

 

今日明日と仙台はスズメ踊りでにぎわいます。特に明日ですね、スズメ一色となります。そうです、仙台青葉まつりが今日と明日の二日間開催されます。風があれば、西風が吹けば我が家にもスズメ踊りの元気な太鼓の音が聞こえてくるのですが、風速1メートル(正午)では無理かな。

               

 

スズメ踊りを踊る方としては今日のような涼しいくらいの日の方がいいでしょうね。年寄りにはスズメを模したスズメ踊りは厳しいでしょうね。足腰に負担がかかります。日頃から何年も前から鍛えている人なら年・歳をとっても心配はいらないでしょうけど。

       

江戸時代から続く伝統ある行事ですからしっかりと若い人たちに引き継がれ、小学校や中学校でもますます運動会や体育の授業に取り入れていってもらえればいいのでしょうが。 私は明日スズメでにぎわう街へ行ってみようかなと思っています。

       

毎週土曜日はいつもとは異なる新聞紙面構成となっていて、読書特集に結構な枚数が割かれるのですが、きょうの本の紹介の中での解説に納得というか、なるほどなとおもってしまったところを紹介させていただきます。

重松 清さんの「はるか、ブレーメン」の紹介というか解説がすばらしいと感じました。評者は稲泉 連というノンフィクション作家です。人生における”悔い”とか”思い出”とは何なのか考えさせられました。

 

(引用開始)「後悔のない人生など存在しない。思い通りの人生を歩める人もいない。ただ、いくつもの悔いが残る人生とは、果たして本当に不幸なことだと言い切れるのだろうか。『大切な思い出は、正しい思い出とは限らない』と葛城(小説に出てくる謎めいた男)が語る場面があった。人は誰もが間違える。しかし、間違いをすべて切り捨ててしまえば、大切なことは残らない、と葛城は言う。」(引用終わり)

       

結果として、その人の悔いとか間違いこそが、その人の人生をある意味豊かにしてくれるのでしょうか。そんなことを思いました。なんか励まされる言葉ですね、後期高齢者にとっても。

            

私の座右の銘の一つ ””過ぎて悔やむな人生は、空しく生きるな今日の日を”” これにも通じるかな。 きのう書いた”80代90代の楽しさ”にも通じるかも。 振り返れば時折虚しさに襲われるからなあ~。団塊の代のみなさんはそういうことはないですか?

 

そうそう、空しいといえば広島で開催中の G7 です。会議の内容や成果ではありません。それ以前の問題です。またしても、卑屈な、いや卑屈を卑屈とさえ思わない日本を見せつけられてしまったからです。

そうです、われらが宗主国の大統領閣下の訪日がまたしても成田空港や羽田空港ではなく、今回は横田空港でもなく、岩国の空軍基地だったことです。アメリカの大統領様を乗せたエアフォースワンが岩国基地に着陸する様子を長々と流していました。

これを何とも思わないなんて、それでいいのでしょうか。そういう神経こそが正しいのでしょうか、正しいのでしょうねと皮肉りたくもなります。敗戦後78年が経つというのに、形式的には独立しているかのようではあっても実質的に服従している様子を見せつけられて政治家たちは悔しくないのでしょうか。

アメリカから押し付けられた憲法だから自主憲法制定なんて昔から言っている政党の政治家たちはなんとも感じないのでしょうか。そうであればもう救いようがありません、その奴隷根性は。何という卑屈さでしょうか。恥を恥と思わないのでしょうか。

 

もうどうしようもありません。どうしようもないと呆れてしまうのはもう一つあります。日本維新の会の梅村みずほ参議院議員の発言です。でも、日本維新の会と聞けば、さもありなんと納得です。まさにそういうニンゲンの集まりが維新の会なのですから。「江草乗の言いたい放題」で問題にしている維新の会そのものです。ということで長くなりますが読んでみてほしいと思います。

5月17日の「梅村議員の人権感覚について」の引用です。

【国会議員という地位にあるものは、とりわけ「人権」というものについて、正しく理解しておく必要があると思うのである。政治権力、あるいは法律の不備、政府の不作為によってその人権を侵害された人に対して、慎重に事実を受け止めた上で、決して自己の臆測で人を傷つけるような発言をしてはならない。それがオレの見解である。

 入管に収容されたまま適切な医療措置を受けることもなく、入院もさせてもらえずに殺されたスリランカ人のウィシュマさんに対して、「支援者が入れ知恵をして期待を抱かせた」等と発言し、彼女の死の原因を「ハンストの可能性もある」と臆測して、それを国会の場で発言し、さらに「信念を持って発言したから撤回しない」と語るその価値観はどこから来るのか。ここからはオレの臆測になってしまうのだが、彼女が「維新の会」という「ウソとデマでまとめあげた反社組織」のメンバーであることと深く関係すると思うのである。

 維新議員にとって大事なものとして「維新スピリッツ」という価値観がある。「先輩議員(党内で序列上位)には絶対服従、橋下徹は神」であるとか「選挙時のウソはOK(BY馬場代表)」とかである。彼女は過去にこの維新スピリッツに影響されたような発言をしている。例えば梅村議員は「共同親権推進」の立場で活動する一人なのだが、「虚偽DV」という主張をしておられた。女性が夫からDVを受けたという申告の中にはかなりの虚偽DVが混じっているというのが彼女の主張である。つまり、「女性が嘘をついていることが多い」という立場なのである。彼女はどのような根拠でこのようなことを主張するのであろうか。離婚にいたるようなケースで女性がDVや虐待を受けたと主張し、男性がそれを否定する場合、嘘をついているのは圧倒的に加害者側の男性であるというのがオレの感覚である。

ここからは一般論なんだが、「自分がよく嘘をつく人は、他人も同じように嘘をつくものだと考える」と言えば、みなさんはすぐに納得するだろう。梅村みずほ議員がウィシュマさんについて「詐病」に言及したのは、自分が自己を有利にするためにウソをつくように、もしかしたらウィシュマさんも支援者の入れ知恵で詐病を行ったのかも知れない。食べられないのではなくハンストだったという考えに梅村議員は至ったのである。

 「人は自分を有利にするために嘘をつくものだ」という彼女の価値観は、以前に彼女の政策秘書であったあの成松圭太が起こした事件でも端的に現れている。飲酒して車を運転し故意に人をはね、そのはねた相手をさらにどつきまわすという行為を警察が「殺人未遂」と判断するのは普通のことだ。結局被害者が告発を取り下げたことで不起訴処分になるのだが、普通なら自分の秘書が迷惑をかけたということで被害者にお詫びするところなのに、彼女は「たいしたことではないものを被害者が大げさな事件にした」という捉え方だったと記憶する。つまり「被害者が嘘をついている」という捉え方である。そこが首尾一貫しているとオレは思ったのである。

 政治家という権謀術数の世界で、正義や正直を貫けば勝てないのかも知れない。山本太郎さんのれいわ新選組の支持が広がらないのはそういうことであるとオレは思っている。選挙の度に「大阪は私学完全無償化達成」などのウソやデマを大量にばらまいて勢力を拡大してきた維新の会を見れば、政治の世界なんてウソでもこれだけ有権者を騙せるチョロいもんであることがよくわかる。大阪では知事選で吉村に投票する馬鹿を244万人も作り出せたのである。維新の幹部連中が「ウソの効用」に酔いしれるのも納得である。

 だからといってその自分たちの価値観を国会の場で、しかも亡くなった人に対してぶつけてしまってよいものだろうか。少なくとも国会議員という立場にあれば発言には慎重さが求められると思うのだ。まだ当選1期目のペーペーである梅村みずほ議員がその発言をすべて自分で考えたものではなく。党幹部の指示で動いてるのならそれは維新の会の党としての統一見解なのだろう。公明党や立憲民主党からは梅村議員への批判が起きたが、維新の会の内部からは梅村発言を問題視する見解はない。党としての発言だったとオレは受け止めている。

 自分たちの党がウソやデマで固めたうんこレベルだからといって、他党も同じだと考えるのは情けないことである。自分たちだけがうんこであることを自覚し。せめて人間、いやまともな政党になれるように努力することが政治家として大切なことではないのか。

 なお、この記事は客観的事実をもとにオレが自分の感想を加えた正当な批判であり、この記事を「維新の会に対する誹謗中傷」だとして、彼らが得意技のスラップ訴訟を仕掛けてくるときは、オレも弁護士を立てて堂々と戦うつもりでいる。松井一郎が水道橋博士を訴えた件ではなんと水道橋博士が敗訴したらしい。大阪では裁判所までも維新に忖度して腐敗してるのである。最高裁までとことん戦わないとどうしようもないのだろうか。】

 

 


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