鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

猛暑が続きます。

2012-08-17 22:04:00 | お知らせ

 きのうきょうと猛暑が続きます。 きのうの夜岩手県の釣り友に電話して、急遽きょう盛岡近くの北上川に釣りに行って来ました。 釣れました。 いやあ、嬉しかったです。 帰りは古川あたりから重体ならぬ渋滞で、これで高速道路か?!のろのろ運転、時には停止したり、高速料金を免除すべきです。 できなければ減額するとか。 高速を降りてからもちょうど退社時刻ということもあり、西道路は大変な混雑。 帰宅は6時30分。川を早く出たのに・・・。夕食の後は、鮎をさばきました。 大きいのは3枚におろし、フライにして食べます。 大きくないのは腹開きにして一夜干しにしました。 疲れた体にムチ打って出刃包丁を握っていたので、すっかり疲れてしまいました。よって詳しい報告はあす以降にさせていただきます。

 

 ということで広瀬川です。 水量はますます減水、可哀そうなくらいです。 (北上川は減水しているからこそ、竿を出せるのですが。)

 最初は15日のものです。

                  

 分流のカモの親子です。 なぜか下水が流れてくるところにいるのです。

 

 次はクルミです。

   

 哀れな分流の取水口下流です。

           

 トンネル下の急瀬に釣り人がいました。

 

 次は16日の写真です。  仲の瀬橋下流です。 釣り人が二人いました。

 ともにガラガケです。

                 

 地下鉄の橋はいつ合体するのでしょうか??

 

 澱橋から上流を見ました。 ひどい渇水です。

          

 みなさん、暑さに負けずに残り少ない夏を乗り切りましょう!!

 

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お盆もきょうまで

2012-08-16 21:19:16 | 寒河江川

 暑かったです。猛暑、酷暑以上かも。でも、私には大したことはありません。(なんて強がり言って) 仙台は33.9度で、今夏最高の気温とか。夏本番、暑い日が続きます。

 暑いと言えば、きょうの楽天は熱かった。 釜田投手、やりました、初めての完投・完封です。巨人戦で完投し、日本ハム戦で完封しました。 やりますね、この若手投手!これで第二の田中誕生と言っていいでしょう。 美馬とか、釜田とか、若手投手の成長に期待しましょう。 楽天の勝率はどうでもいいです。(すみません)

 きょう近くのお寺で「ぼんと祭」がありました。 冬の「どんと祭」に対する夏のぼんと祭ということなのでしょうか。 今夏最高の暑さの中の、日中の火祭り、送り火です。 さぞかし暑かったことでしょう。

 おととい14日、二人で寒河江川に行ってきました。 釣行です。 

 しかし、2時間ちょっとで、二人ともたったの1匹の釣果です。 しかもオトリよりも小さい鮎です。

 

 釣り人はいるのです。場所によっては本当にポツポツ掛かってはいるのです。1匹掛かればその後は何とかつながっていくのですが、その1匹がなかなか来ないのです。

 

 おまけに、前日夜の降雨により、時間の経過とともに濁りがひどくなり、おまけに増水してきました。 ゴミが大きいのから小さいのまで流れてきます。 川底も見えなくなりました。 そうなると、川の中央にいると怖さを感じてしまいます。

 2時間15分で上がりました。ほかの釣り人はもっと早く納竿していました。

 近くの最上川に行ってみることにしました。 ”ゆ~チェリー”に行って温泉に入り、ついでにすぐそばの最上川の様子を見てきました。

 平塩橋の下流です。

 

 やはり、当然最上川も増水し濁っています。 川中央の岩盤も見えません。 楽しみはもう少し先のようです。

 

 入浴後、下の写真の足湯の腰掛に座って昼食としました。 

 

 そして、帰途につきました。 途中月山が綺麗に見えました。

 

 11日は岩手山が、14日は月山が見えました。 月山にはまだ雪があります。夏でもすべて溶けてしまうことはありません。 2000ちょっとの高さなんですが。 冬は雪が多すぎてスキーはできず、夏になって初めてスキーができます。

 

 東北地方のきれいな山が見られただけでも良しとしましょう。

 そのうちきっと私にも釣れる時が来るでしょうから・・・。


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敗戦(終戦)記念日は野坂昭如と、

2012-08-15 21:24:26 | お知らせ

 アジア太平洋戦争で戦った相手国にとっては、8月15日は戦勝記念日です。それとの対比でいえば日本は戦敗、敗戦記念日となるはずです。戦勝国、相手国は終戦記念日なんて言いません。降伏した国が「終戦記念日」というのは、やはりそこにまやかし、胡散臭いものを感じます。敗戦を認めたくないという気持ちが指導者層にはあったということでしょうし、一般国民にとってもこれでがんじがらめの不自由な生活から、空襲で死ぬかもしれないという不安や重苦しさからから解放されたという安心感もあったことでしょう。 でも、敗戦を終戦と言い換えたことが後々まで、今に至っても韓国や中国から戦争中のことから戦争前のことまで、謝罪が不十分だといわれる原因となったのではないかとどうしても思ってしまいます。

 

 今朝の朝日新聞の一面の記事  「戻らぬ遺骨113万人  海外・沖縄・硫黄島での戦没者  帰還、15年間で3.9万人」という見出しです。

 戦没者240万人のうち、昨年度までの15年間で戻った遺骨は約3万9千人だけで、戻っていない遺骨が113万人3千人の3%にすぎないとのことです。記事には「各地の戦没者と残存遺骨の数」という一覧表がありますが、全部大陸や島国で、海軍や輸送船での輸送中に撃沈された兵隊の数はどこにカウントされているのか、その他の10万7800人の中に含まれるのでしょうか。

 今まで何度も書いてきましたが、240万の兵隊さんたちの大部分は戦闘行為によって死んだのではありません。そのことを後世世代の我々はしっかりと認識しておかないといけないと思っています。 美化してはいけないということです。 美化しようにも、現実は美化しようにもできなかったのです。

 兵隊だからせめて敵軍と兵器を持って戦って果てた、というのなら納得できます。でも実際は逃避行による死、病死や餓死が大半で、輸送途中での撃沈もかなりの数に上るはずです。決してかっこよかったわけではないのです。 醜いもの、これ以上人間として生きていけないほど醜く、醜悪の、餓鬼の状態での死なのです。

 だからこそ戦争は絶対にいけない、若者を戦場に送ってはいけないと私は思っています。 何か日本は領土問題で四面楚歌、ロシア、韓国、中国から挑発されています。 きな臭くなっています。 カッコいい言動には注意が必要です。 心して冷静に対応しなければ相手の思うつぼでしょう。

 何か話しが逸れているようです。

 

 下の3枚の写真は、「絵のある文藝マガジン 鳩よ!」 1992年3月1日発行です。

 私の尊敬してやまない、今の日本にはいなくてはならない、いつまでも長生きして発言し続けて欲しい作家、野坂昭如の特集号です。 これも蔵書の点検で出てきました。(作家でありながら、歌手・ラグビー&キックボクサー・マルチタレント・参議院議員という肩書を持っています。 何か青島幸男とどこか似ている感じがします。)

        

 目次です。

 

 表紙随想として作家丸谷才一が書いています。 野坂昭如の「火垂るの墓」を国民の説話となったと言っています。 『人間と歴史の関係の大筋のところを、この上なく鮮明に、むごたらしく示してゐるからだろう。』と。 

      

 さらに、『いはゆる文学史の枠組からはづれた巨大な存在にならうとしてゐる。やがては、作者が誰だったのか、民族の記憶が薄れ、ただ説話だけが残るにちがひない。』 と。

 

 これは集英社の「戦争X(と)文学」の第9回配本『戦時下の青春』です。 解説は浅田次郎が担当しています。

 「この全集を編むに際しては、世に知られる名作よりも埋もれてしまいそうな作品を掬い取ることに心を摧(くだ)いた。・・・。しかし永遠不朽の名作である野坂昭如『火垂るの墓』を、あえて収録せざる勇気を誰も持たなかった。アニメになりドラマになり、おそらくこの作品のストーリーを知る人は、日本人のすべてと言っても過ぎてはいまい。それでもこの天才の文章を通じて読まなければ、知ったことにはならないと思う。作者の意図するところではあるまいが、滅びゆく母国やあまたの命を、滅びざる母国語で書きとどめたこの作品は、名作というよりも偉業とするべきであろう。」とまで言っています。

       

 私ごときが言うのは大いに憚られるのですが、私もそう思います。 野坂昭如の「火垂るの墓」、この短編を、きょうのこの日に、8月15日にこそ改めて全日本人が読むべきではないかと思っています。 靖国神社に参拝することよりも、この短編を心して読むほうがどれだけ戦没者のためになるか、とくに政治家や威勢のいいことを言っている評論家等、さらには自衛隊関係者には何度も読んでもらいたいと思います。

 

 「、『あれ特攻やで』ふーんと意味わからぬながら節子うなづき、『蛍みたいやね』『そうやなあ』そして、そや、蛍つかまえて蚊帳の中に入れたら、少し明るなるのとちゃうか、車胤を真似たわけではないが、手当たり次第につかまえて、蚊帳の中にはなつと、五つ六つゆらゆらと光が走り、蚊帳にとまって息づき、よしと、およそ百余り、とうていお互いの顔はみえないが、心がおちつき、そのゆるやかな動き追ううち、夢にひきこまれ、蛍の光の列は、・・・・。」

 「夜更けに火が燃えつき、骨を拾うにもくらがりで見当つかず、そのまま穴のかたわらに横たわり、周囲はおびただしい蛍のむれ、だがもう清太は手にとることもせず、これやったら節子さびしないやろ、蛍がついてるもんなあ、上ったり下ったりついと横へ走ったり、もうじき蛍もおらんようになるけど、蛍と一緒に天国へいき。」

 

 この彼の独特の言い回し、句点が少なく、読点を多用して次から次と話しを展開していく技法、こういうところが近松門左衛門に似ていると言われたりした理由でしょうか。それが何とも言えない魅力となっています。

 

 野坂昭如の奥さんの暘子さんの文庫本です。中公文庫で、2012年2月25日初版本です。

  

 達者な文体で、引き込まれてしまいます。さすがタカラジェンヌ。20歳以上の歳の差を乗り越えての40年余の結婚生活、すっかり地に足がついています。 こんな奥さんが居たら最高だなあなんて思いつつ読みました。 配偶者の介護をしている人は読んでみてはどうでしょうか。

 

 下の新聞記事は、2009年3月22日のものです。どこからこの記事が出てきたのか?不明ですが、 上記の文庫本は2009年2月中央公論新社から刊行された単行本を文庫化したものです。

 ”女は人類ではない”と言い放って世間をびっくりさせた記憶はお持ちかと思います。 奥さんが”私も女です”と言ったら、”あなたは神様です”と言った野坂昭如。 結婚しているあなた、奥さんに『あなたは神様です』と平然として言えますか!?

       

 最後は、今年2012年3月17日の朝日新聞の記事です。

         

 戦争については、「あんな馬鹿げたことを、繰り返してはいけない。戦争の愚かしさを伝える義務がある。」

 戦後の繁栄について、「戦後の繁栄といわれるすべて、ぼくには夢まぼろしの如く、あやふやなものに思える。いつ一朝の夢となっておかしくない。その危なっかしさと常に背中合わせであることを忘れてはいけない。この震災で、日本がどう変われるかが問われている。何が大事か、足もとをよく見て前に進まなければならない。そして、時に後退する勇気をもつこと。」

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秋田県阿仁川釣行 番外編

2012-08-14 20:42:03 | その他河川

 何年ぶりでしょうか、阿仁川釣行。 天気にも恵まれ、減水にもかかわらずそこそこ釣果もあり、何と言っても阿仁川の水質の良さ、キラキラ輝く眩しいくらいのきれいな水。 足るを知るわが身としては、申し分ありませんでした。

 きょうは釣りとは直接関係のないことを少しお知らせして、今回の阿仁川釣行の報告を終わらせていただきます。

 オトリはキクチオトリ店から購入しました。 1匹@600円です。 日釣り券は1,000円。 実はオトリだけを販売するのではなく、宿も経営しています。 宿とはいっても、食事はなしの素泊まりの宿です。

 でも、テレビやエアコンもありますし、1階には冷蔵庫・冷凍庫もあり、お湯も使えるようになっています。もちろん洗面所やトイレも完備です。 それで1泊2,500円です。 安い値段だと思います。 近くにコンビニもありますし、阿仁前田駅には温泉やレストランもあります。

 

 この写真は宿泊所の写真です。2階建てです。 そうそう、濡れたタイツも干すことができます。

 

 七夕飾りが町中には飾られていました。ビニール製の吹き流しで、情緒はありません。 8月7日に、思い出せません!火の七夕? 燃える七夕?そういうのがあったようです。

 

 下の写真は、阿仁前田駅(温泉付き駅舎「クウィンス森吉」といいます)です。 ちょうど宿の正面にあります。歩いて数分の距離。ここの2回に温泉があります。入浴料金は450円ですが、露天風呂もあり、お風呂も大きく、気持ちいいものです。

 いい釣りをし、心地よい疲れで宿に入り、ここの温泉で疲れを癒す。

 

 

 疲れを癒した後は、このビルの3階のレストランに入り、あの有名な比内地鶏を使った「親子丼」を食べました。 美味かったです。 私は鶏肉等はあまり好きではないのですが、だから親子丼はあまり食べないのですが、この比内鶏の親子丼は格別に美味かった。

 

 もちろん生ビールも飲みました。 腸に染みわたりました。 左手に夕日を眺め(あしたも快晴です。)ながらの生ビール、釣友との語らい、そして親子丼、今思い出しても幸せの至極のひとときでした。

 

 下の写真は何だと思いますか?11日の朝、宿の向かいの光景でした。大きさは4~5センチもあります。杏(あんず)?李(すもも)? 聞いたら「梅」とのこと。 梅干しにして出荷するのではなく、自家製の梅干しにするということでした。 かなり大きい皺皺の梅干しになることでしょう。

 

 

 あっそうそう、キクチオトリ店のHPをみれば分かりますが、大きい鮎は買い取ってくれるのです。1匹@200円です。 我々は14匹を買い取っていただき、2,800円を手にし、半分にしてそのお金で温泉に入り親子丼を食べた次第です。

 米代川流域資源利活用創造協議会が、米代川や阿仁川の鮎を買い取って、地域資源として全国に発信するというものです。 私や釣友みたいに鮎を食べるのが楽しみではない者(釣るのが楽しみ)にとっては、とっても有意義な制度ではありませんか!! そのためにも、釣り上げた鮎は大切に保管・管理して、元気な鮎を持ち寄ってください。

 

 11日に根小屋堰堤下流での釣りで釣った二人の鮎は、全てあの少年に差し上げました。 鮎を食べるのが好きということと、鮎の背びれの下のコラーゲンですか、そこがとりわけうまいと言っていました。 少年にはこのまま素直に、すくすくと大きく育って欲しいものです。

 

 11日午後の岩手山です。 岩手山というと吉村貫一郎を思い出します。 新選組でも名うての剣の使い手、とことん家族思いの強い男。 (詳しくは「壬生義士伝」を読んでください。)

 

 北上川でも大鮎を釣りたいものです。

 

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秋田県阿仁川釣行 その2

2012-08-13 21:06:14 | その他河川

 10日(金)は朝早かったし、久しぶりに目一杯動き回り、竿も出したのですっかり疲れてしまいました。 とはいっても心地よい疲れと言ってもいい疲れです。 ロンドンではオリンピックもいよいよ大詰めを迎え、姦しいですが、テレビを見ることなく早めに布団に入りました。 その時間が何となんとナント午後8時です。 ぐっすり眠れました。 もちろん途中で2回起きましたが、トイレのあともぐっすりと眠れました。 本当に久しぶりです、本当に寝たなあと感じたのは。

 二日目の11日(土)は午前中だけの釣りとなります。 阿仁川の鮎は、根小屋堰堤を境に大きさが変わると言われています。 上流が大きく、下流は小型となります。 10日は根小屋堰堤の上流で竿を出したので、堰堤の下流の瀬で竿を出してみることにしました。

 駐車場には車があり、下流の瀬には4人前後の釣り人の姿が見えます。

      

 ここが根小屋堰堤の下流です。 上の写真でいうと、釣り人が見える流れはチャラ瀬で、本流(流芯)は手前側になります。

 広く水深のあるトロ場が続き、トロ瀬から早瀬へとつながります。 減水していなければ、早瀬は急瀬となり、場所によっては荒瀬ともなりうるでしょう。 そうなるときょう(11日)みたいに歩き回ることはできなかったでしょう。

 

 私は早瀬の右岸から竿を出しました。 先行していた釣り人は全員左岸から竿を出していました。なんで一人くらいは右岸から攻めないのかと不思議に思いながら、そのおかげで自分は右岸から釣り下れるのだから結果的にはありがたいことだ、なんて思いつつ、流芯にオトリを入れました。 時に8時30分です。

      

 (この写真は上流から下流側を撮ったものです。)

 下流の釣り人の竿は曲がりません。 これは鮎は少ないのか、厳しい釣りになるかもと覚悟をしながら、竿を操作していたら10分もしないうちに軽い当たりが伝わってきました。 他の人に掛かっていないのに、自分の竿に掛かるというのは、みなさまもお分かりでしょうが、とっても嬉しいものです。

 大きさは18から19センチくらいでしょうか。 明らかに堰堤の上流部の鮎とは大きさが違います。 でも小型(といえるのであれば)ではあっても、引きは結構強いのです。 一人だけ右岸から流芯側に竿を出し、時には川の中央から右岸へチを狙ったりして釣り下りました。 ポツポツと掛かります、自分にだけ。これがたまりません。堪えられません。

       

 上の写真の右岸側から主に釣り下りました。右側に見える流木は、一昨年の大洪水の跡だそうです。ここまで水位が上がったということです。

 下の写真でも分かるように、ここの瀬よりも瀬尻、瀬から絞られた水深のありそうな平瀬に釣り人がついているのです。 だから私はほぼこの広い瀬を独り占めし、右岸だけではなく、時には川の中央から右岸側を、さらには左岸まで竿を出し、幅広く探ったという次第です。

 

 広い川を独り占めしたとは言っても、そうそう掛かりはしません。同じところでは2匹以上は掛かりません。

 結果的に8時30分から11時30分の間に、2往復してちょうどツ抜けの10匹となったところで、一区切りをつけようという気になりました。午後の帰宅のことを考えると無理はできません。

 20センチオーバーも掛かったのですが、掛かりどころが悪くてオトリには使えませんでした。また追星が二つもある鮎が2,3匹は掛かりました。 オトリを沈めてすぐに掛かってくるのは、真っ黄色の鮎でした。 きれいな川、きれいな鮎、風もなく暑すぎることもない阿仁川での鮎釣り、満足です。 ただ釣れればいいということではなく、釣りの環境、自然環境も含めた全体での鮎釣りであったかどうか、が満足感、充足感につながってくるのではないでしょうか。

 その意味で今回の阿仁川釣行は満足するものとなりました。釣り友に自然に感謝です。

 下の釣果の写真は釣り友のもので、彼は集中して堰堤下のチャラ瀬やドチャラでの泳がせ釣りに挑戦していました。 その結果がこの写真です。

 こんな浅瀬は地元の人はもちろん、多分遠征してきた釣り人も入らないでしょう。 そのため竿抜けになっているはずと読んだ彼の判断の勝利となったわけです。 12時になってもなかなかやめようとしなかった気持ちも分かります。 私が無理やり止めさせた形となりました。

          

 午前中でこの釣果ですから、彼の腕からすれば、午後も粘ればどこまで釣果が伸びたことやら分かりません。 でも、後ろ髪を引かれるのを振り切って納竿し、名残惜しい川を後にする、これも男の、釣り人の美学ではないでしょうか。

 

 そしてこういう出会いもあったのです。 少年と初老の鮎釣り師の交流とでもいいましょうか、出会いと交流がさらに阿仁川の印象をいいものにしてくれました。

 地元の中学生ですが、駐車場で話し込んだらついて来て、ついには川の中までついて来ました。 人懐っこくてかわいい中学生です。 川は深くなかったし、寒くなかったのでよかったですが、3時間の釣りの間、少年と雑談しながらの釣りとなりました。 それでも釣れたのだから、阿仁川の鮎には感謝です。

 釣った鮎を見せたり、ハナカン周りの仕掛けをみせたり、ハリの数に驚いたり、追星のことも教えました。 

 そして自分にとっては高価な使いやすい名竿、シマノの「珪石」を何度も持たせました。 何とか鮎が掛かった時の強烈な当たりを体験させたくて、その衝撃に痺れさせたくて、数か所のポイントで竿を持たせたのですが、残念ながら掛かってはくれませんでした。 これが心残りです。

 

      (結構様になっているでしょう!?初めてにしては。)

                  

 少年のお父さんは12日に小阿仁川に鮎釣りに行くと言っていました。この付近から車で15分くらいで行けるということです。釣果はどうだったのでしょうか?

  

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秋田県阿仁川釣行 その1

2012-08-12 20:47:03 | その他河川

 写真が多くなります。ご容赦ください。(その方がいいですか?) 下の写真は10日午前3時20分頃の東の空の様子です。お月さんが右上にあり、その斜め下に夏の大三角形?の二つの星があるのではないかと思いますが、どうでしょうか? こんなに暗かったです。

 

 古くからの鮎釣り仲間と二人での阿仁川釣行。午前4時前に高速に乗ると料金が半額になるそうです。6,000円が3,000円ですから、これはありがたいことです。 途中休憩しながら阿仁川のキクチオトリに着いたのは8時過ぎでしょうか。 堤防の上にあります。

           

 10日、11日と二日ここに立ち寄ったのですが、驚いたのはここにやってきた車のナンバーです。横浜・相模・品川・練馬・千葉とかのナンバーの車が入れ替わり立ち寄りました。 関東地方からもこんなにも釣り人が集まってくるのです。 関東地方には、中部地方にはいい河川が一杯あると思うのですが、秋田の北部までやってくるのです。そのパワーには驚きです。

                      

 上の写真はキクチオトリの上流の様子です。幽玄?さを感じませんか? 下はちょうど真正面のトロ瀬の様子です。

         

 最後はさらに下の早瀬から急瀬の様子です。 何にしてもすごい渇水です。釣り友は去年の今頃もここに来ていますが、1年前はもっと水量があったそうです。 そして瀬でいい思いをしています。

 

 ここで日釣り券を1,000円で、オトリは1匹@600円を2匹ずつ購入しました。 オトリが1匹600円とは正直高い!!と思います。 仙台と同じです。小国川では400円かな。 日釣り券の1,000円は安いです。

 オトリと日釣り券を手に入れて、次はどこの瀬に入るかです。 去年いい思いをしたところ等を回ってみます。 しかし、平日というのにどこの瀬にも車があり、釣り人がいました。 いろんな橋を見て回り、どこに入ろうか思案します。

 その結果「五味堀」の上流の瀬に入ってみることにしました。 

                    

 上が上流側のトロ瀬、下は平瀬から早瀬に続きます。 ナントなんと何と水が綺麗なのでしょうか!!透き通って川底がはっきりと見て取れます。 キラキラ輝いています。 感激しながら川を渡って行くと思ったよりも深く、腰くらいまであったりして、きれいな水の川の深さは要注意であると再認識した次第です。

 

 川底の石は、ここに鮎が一杯いるよと教えてくれているかのようでしたが、現実は厳しい!!釣れないのです。掛からないのです。追ってくれないのです。 9時30分から竿を出しました。 竿はシマノの珪石(90-95)です。水中糸はフロロの0.25号にしました。1時間経過しても釣果は0(零)です。

 期待外れ?!下の写真の左側に小さい中洲(水量が少ないため中洲になっているのでしょう)があり、その左岸に分流がありました。 下流の瀬で竿を出していた先客が釣れなかったのか、その分流の下流域に移動して竿を出していたら、何と竿が曲がったのです。 それを見て思わず吸い寄せられました。

 そこで狭い分流を泳がせてようやく2匹かかりました。20センチくらいの鮎です。よく見るとこの分流はそれなりの水深があるのです。本流筋よりも水量が、水深がありました。 これは水深のあるところの方が掛かるのかと思い、分流が掛からなくなったので、最初のところよりも上流の瀬が絞られているところに行きました。 上の写真の右上端です。

 左岸にテトラが並び、狭いながらも水量のある急瀬が続いていました。 そこにオトリ鮎を入れてほんの数分後、一気に竿が絞られました。 20センチオーバーのきれいな鮎でした。

  きれいな阿仁川のマタギ鮎です。

 その後この急瀬の下の方でもいい型の鮎が掛かりました。 4匹の釣果。ちょうどお昼頃。 9時30分から12時までの2時間30分でたったの4匹でした。 正直がっかり、こんなはずではなったのに・・・、恨み節が出てきます。

 それで午後からはどこに入るか、昼食後これまた動き回りました。 その結果「白坂」の下流の瀬がよさそうでした。 個人的には、よく見ているブログ ”チーム・ポテト” に出てきた「白坂」の腰までの早瀬で22センチクラスの鮎を釣って見たかったのです。 ここがブログでいう「白坂」かどうか確信は持てませんが、トロ瀬から平瀬、急瀬、荒瀬と続きます。(後でキクチさんと話したら、ここは通称「ババヘラ」というところなのだそうです。

 「ババヘラ」と聞いて、皆さんは何を思い出しますか?最初聞いたときは変な名前?と思ったのですが、漢字で書くと「婆箆(へら)」となります。 これの意味するところは、秋田名物「ババヘラ」、おばあさんによる街頭(というか路上)でのアイスクリーム売りのことをいうそうです。 派手な夏用のパラソルの下で、おばあさんがアイスクリームを箆(へら)で掬って販売するというものです。アイスクリームというかソフトクリームですね。

 我々は堤防を越えて左岸から川に入ったのですが、その時はちょうど真正面の右岸には3人の釣り人が居て、帰る用意をしていました。 1台の車に3人が相乗り。 見た様子では、あまり釣れなかったかのように感じました。釣れたのであればもっと満足感というか、達成感みたいなものが感じられるのではないでしょうか。 でももう時間でもあるし、ここで竿を出してみることにしました。

 午後2時30分から午後5時過ぎまで竿を出しました。

 瀬頭から早瀬になり、急瀬から荒瀬に変化します。 わたしは瀬頭から、釣り友は急瀬の左岸から竿を出しました。 2匹掛かったら相手に知らせることにして、いざマタギ鮎との勝負です。 上2枚の写真は上流側から下流側を、3枚目は下流側から上流側を撮りました。

 

 私が上流にいるので下流の釣り友が掛ければ分かります。ほどなく彼の竿が曲がりました。 居る、瀬に居る!と考え、私は右岸側からこの変化に富んだ瀬を攻めることにしました。 水中糸は広瀬川で何度も使っているフロロの0.3号です。フロロの0.3号は無敵です。とっても強い仕掛けです。 安上がりでもあります。

         

 右岸側から竿を出しましが、掛かるのはどちらかというと流芯よりも左岸側でした。 最初の当たりはそんなに強くはないのです。 おっ来たな!という感じで、下流に走ります。それからです、大変なのは!?流れが急ですから、2匹の鮎はなかなか浮いてきません。 どうしても下り気味になります。下りながら少しでも右岸へチに寄せて、抵抗を少なくしてから抜きたいと思うのですが、そうするとどこまでも下がらなければいけなくなりますので、伸され気味の状態から半ば強引に抜きに掛かります。そうするとどうしても?途中でジャンプしてしまいますが、いつもならそこで再度抜きをやり直すのですが、そういうことはやめてそのまま”ままよ”と覚悟をして引き抜きました。

 幸いここで掛けてキャッチミスはありませんでした。水中でのバレは、掛かりが浅かったのでしょう、何度かありましたがそれは仕方がありません。

 何といってもギューンと竿が絞られ、鮎と初老の釣り師との戦い、これがこたえられません。これぞ、鮎釣り、鮎釣りの醍醐味です。 掛けては下り、下っては上りの繰り返し。

 

 上の写真はその強く長い瀬を下から見たものです。どうですか、惚れ惚れする瀬でしょう。ここで20センチオーバーの鮎が、追気満々のマタギ鮎が掛かるのです。 疲れますが楽しいです。クタクタになりますが心は充実しています。

 その後瀬頭でも竿を出し、いい型の鮎が掛かったのですが、空中途中でバレテしまいました。これは悔しかった。

 肝心の釣果ですが、自分としてはここで10匹以上は釣りあげているとばかり思っていました。 ところが、アニハカランヤ、数えてみると8匹なのです。10-2=8 えっこれはオカシイ?どこかで逃げられたか?そんなことさえ思ったのですが、現実は現実、それだけ鮎釣りを徹底的に楽しんだのだ!ということです。 鮎釣りの本領発揮というところです。

                  

 上が私の釣果、下は釣り友の釣果です。

 

 私としては、4+8=12匹 つまり、今年になって初めてツ抜け達成!!ということです。 オメデトウ、newone!!です。

 長くなりました。きょうはこの辺で。読んでいただきありがとうございます。 (続く)

 

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行ってきました、阿仁川

2012-08-11 22:02:15 | お知らせ

 疲れています。

 きょうは11日なのですね。去年の3月11日からきょうで1年と5か月経ってしまいました。 今はどのテレビを見ても、新聞を見てもロンドンオリンピック一色と言ってもおかしくはない状況です。 強いて言えば、ロンドンオリンピックと消費税増税法案の成立の二つが、横綱と大関ですか。

 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の記事は驚くほど少なくなっています。 被害を受けた太平洋の沿岸部の復興はまだまだこれからですし、福島の東電原発による被害被災避難者は一体これからどうなるのでしょうか。

 永田町では1年5か月前の出来事はもう過去の出来事になっているようです。消費税法案が成立したあとは、衆議院の解散がいつになるのか、「近いうちに」はいつを差すのか等そんなことばかり。

 それなのに、そういう自分もきのうきょうと趣味の鮎釣りに、320キロをものともせず出かけているという現実があります。 でも、1年5か月前に起きたことについては、生きている限り、痴呆にならない限り記憶、認識し、決して忘れない!!その気持ちだけは持ち続けていきたい、それが連帯でもあるし、責務であると考えています。

 

 きのうの早朝というか深夜仙台を出て、きょうの夕方戻ってきました。 詳しい報告はあす以降にさせていただきます。 きょうはとりあえず写真をアップしておきます。興味があれば、何だろうかと少し考えてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 もうきょうは限界です。すみません。


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今頃は阿仁川で爆釣かも!?

2012-08-10 14:38:30 | その他河川

 (はじめて予約投稿をしてみます。あした(10日)早いので)

 長い間の釣り友と二人で秋田県は米代川水系で一番大きい支流「阿仁川」に来ています。

 米代川本流の釣果はいまいちのようですが、支流の阿仁川では何とかいい釣りができているようで、わくわくしています。

 まもなく竿を出します。

 果たして22センチクラスの鮎が追ってくれるか?!

 入れ掛かりだったらどうしましょう?

 オトリ缶が一杯になったら、次の日はどうなるのでしょうか?

 

 夢は大きく、叶えようと努力することに意義がある!なんて・・・。

 このブログがアップされる頃の我々の精神状態は如何に!??

 結果は後程。


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長崎原爆の日

2012-08-09 13:43:17 | 思いつくまま

 きょう8月9日は、6日の広島に次いで長崎にも原子爆弾が落とされた日です。

  

 左が広島ウラニウム原爆(リトルボーイ)、右上が長崎プルトニウム原爆(ファットマン)の実物大の模型だそうです。

 原爆の本と言えば、一番最初に見た記憶があるのは小学校の時です。何年生か正確には思い出せませんが、高学年であったことは確かです。 小学校の図書室に原爆の大きな本がありました。昭和30年前半頃のことです。小学校で購入していたのですね。

 めったに図書室に行くような児童ではなかったのですが、なぜか目に留まり恐る恐るページを開いたのです。 本の一ページ一ページが恐かったです。 そのむごたらしい映像に、目をそむけながらも、怖いもの見たさも手伝って、開いては閉じ、閉じては開きを繰り返して見た記憶があります。

 およそこの世の物とも思われない映像に非常にショックを受け、高熱を出してうなされている感じで図書室をでました。その恐怖とショックはしばらく続いたと思います。

 あれから23,4後年になります。 今家にはこういう大きな原爆の本があります。

 最初は三省堂発行の本です。編者は「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」で、これは第1刷のもので、1980年8月15日となっています。 4,800円です。

 323枚の写真の内、日本人が撮ったものは30枚で、他は米軍側によって撮影されたもので、このように米軍側の写真がまとめて大量に収録されたのははじめてのこととうたっています。

  

 ボケてしまって字が見えませんが、『 あの日  この子の目の前で  起きたことを      知っていただきたいのです    あなたに   そして   日本の子どもたちに    全世界の人びとに 』

 

 次は岩波書店発行の本です。

  

 これは数十人の日本人による撮影です。 第1刷が1981年7月30日で、この本は第2刷目の本で、1981年8月15日となっています。 4,200円です。

 今ヒロシマとナガサキを扱った原爆の本はどうなっているのでしょうか。 小学校の図書室にはきちんと配本されているのでしょうか。子どもたちが自由に見ることができるようになっているのでしょうか。 中学校や高校はどうなのでしょうか。

 やはり去年の大震災による東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故同様、日本人として決して忘れてはならないことと考えます。 いやその前にこういう本があるということを知っているのでしょうか。 知っていなければ、忘れようにも忘れられません。 知り、記憶していくことが大事なことです。 去年のような大惨事があったればこそ、今こそ思い出して記憶を新たにして、原爆・原発のない国を目指して進んでいきたいと私は思っています。

 

 実は仙台にも原爆にかかわる像があったのですね。きのうまで知らなかった。か、完全に忘れ去られていました。 恥ずかしかった。 きのう交通指導隊の立哨のため集まった錦町公園の中央西側にその像はあったのです。

 宮城県原爆被害者の会による「いのり」という像です。 たしか県内にも百数十人の被爆者手帳を持って人がいたと記憶していますが。

 

 

                  

 写真の後ろの花に囲まれてというか覆い尽くされているようで公園からは直接見えないのです。 もっとすぐ目に入るようにしてくれれば、もっともっとたくさんの老若男女が見てくれると思うんですが、何かこのままではもったいないです。

         

 宇都宮徳馬参議院議員(故人)がいうように、『ノーモア・ヒロシマは民族のモラル』であり、現在 『ノーモア・原発』 も日本民族のモラルにしようではありませんか。

 

 この全面広告の新聞は、1981年8月6日の朝日新聞です。かっては、彼のような政治家が自民党にはいたのですね。自民党も懐が広かった。 絶対安定多数を誇っていたからでしょうが。

 これからの日本の国是: ① ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ  ② ノーモア ゲンパツ


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疲れました、七夕まつり立哨

2012-08-08 20:56:04 | お知らせ

 早いものできのうは何となんとナント「「立秋」」だったのですね。 暦の上ではもう””秋””なのです。

 そのためかどうか、きょうは朝から肌寒ささえ感じる一日でした。風も涼しいを通り越して寒さを感じさせるくらいでした。私が人よりも寒がりであるということもあるかとは思いますが。

 きのうの最高気温が29.7度、きょうは23.7度で、6度も低くなっています。あしたは少し暖かくなり、25度の予報です。 一気にこんなに気温が低くなってくると焦ってしまいます。 焦ってしまいますが、あさってからはまた上昇するようで、一安心です(と言いたい)。

 まだ広瀬川では満足な鮎釣りをしていませんので、せめて今月中に2,3回は納得のいく釣りをしてみたいと願っています。

 

 実はきのうも川に入ってきました。とかくお風呂か温泉とかに入ってきたかのようですね。川に行ってきました、と書くべきでしょうか?

 24日(土)の昼に元気な鮎を4匹、活けてきました。 いつもと異なり、大岩と大岩の間の水通しのいい、深さもあるところに活けてきましたので、5日と6日の二日間まるっきりそのままでしたが、多分大丈夫だろう、少なくても2匹は使えるだろうと思い、アユルアーは持ちませんでした。

 しかし、川に入って活けた所に行ってみると、なぜか川の水は清澄そのものなのに、容器の周りにはべっとりと泥がついていたのです。 確かに6日のお昼に一時的に凄い雷雨はありましたが、それだけでこんなにも泥まみれになるなんてとても考えられません。

 当然4匹の鮎は膨れた白い腹を上にして、全員死亡でした。 がっかりです。 ここまできてこのまま諦めるのは癪ですので、いったん帰宅し、アユルアー一式を持ってきました。 その時も半分くらい歩いたところで、ルアー用の水中糸を忘れたことに気が付き、戻りました。 最初からケチがつきっぱなしだったのです。

 そうです、ご想像ができるでしょう。 10時45分から11時45分の一時間、アユルアーで瀬を釣り下りましたが、全く何も掛かりませんでした。 釣り人も一人も見えませんでした。 見放され、釣り人がいなくなった広瀬川。 よくないです。可哀そうです、広瀬川。

 雨なんだなあ。 水量なんだなあ。 あと、10センチ、せめてあと5センチ増水してくれたら、川の中の動きもよくなるのではないかと思うのですが。 垢ぐされしていないのがせめてもの救いです。

  

  

 そしてきょう仙台七夕まつりの最終日、8日(水)。 交通指導隊員となって初めて、街中での、しかもお祭りでにぎわっているところでの立哨がありました。町内での立哨とは規模が異なります。 精神的にも緊張します。 何しろ経験がまだまだ足りませんので。 制服制帽姿をたくさんの人目にさらす、周りの人はほとんど意識はしていないのでしょうが、本人にしてみれば気楽に街角に立てばいいんだとはいきません。

 見物客や観光客でにぎわっていますが、車はやはりお祭りだということで、道路はどうしても渋滞すること、それは仕方ないなという半ば諦めの心境になっているためでしょう、全体的にスピードはダウンしていますし、いらいらもしていないようでした。

 それに比べると、歩行者天国でないのに歩行者の横着、横暴、強引、無謀、無理、無頓着、勝手加減には呆れてしまいました。 普段は自分もそういう人たちの一人なのだなと反省した次第です。

 ベビーカーを引いている若いお母さん、小さい動き回る子どもをほったらかしにしているお母さん、おしゃべりに夢中な仲のいいおばあさんたち、足腰が不自由そうな高齢者でも、歩行者用の信号が点滅していてもお構いなしにマイペースで、時には強引に渡ってきます。

 このところの暑さによってアスファルトは大きく波打っています。轍ができています。これは健康な人にとっても危険だと思いました。 つまずいて転びそうになった人もいました。

 そして危険なのはケータイです。今はアイフォンというのでしょうか。なんで歩いているときにケータイをしなければならないのでしょうか。そんなに忙しいのですか。交差点でケータイの画面を見ながらの横断は絶対にやめていただきたい。 ほかならぬ自分のためです。

 わたしから言わせれば、どうでもいいような内容のメール等をしているのでしょう、ケータイ関連企業のうまい言葉に騙されて。 無駄遣いをさせられていることに気付いているのかいないのか分かりませんが、いい加減機械に使われるのを、振り回されるのをやめてはどうですか。仕事以外で、毎月1回でもいい、””ノー・ケータイディ””を実践してみてはどうでしょうか。

 これを突き詰めれば、”便利さ”ということをもう一度じっくりと足元から見直しませんか!?ということになりますか。

 立哨は午後2時から6時までの4時間ですが、1時30分集合に対し、私は1時前に錦町公園に着いてしまいました。午後はまるまる立哨でつぶれたということになります。二人で交代しながらの立哨ですが、後退して休憩しようにも休憩できる場所がありませんので、いろんなところをぶらぶらしながら時間を過ごしたりもしました。

 ということで、心身ともに大変に疲れました。

 写真は錦町公園に立つ大木のひとつです。 みなさんには何に見えますか?

 両手を上げている巨人!の顔、目・鼻・口のある顔に見えませんか。


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町内の七夕と街の七夕、そして阿波踊り

2012-08-07 17:03:21 | お知らせ

 きのうは仙台七夕まつり初日というのにお昼頃物凄い雷雨となりました。 おかげで30度を超えていた気温も、一気に5度近くも下がり、外の空気がひんやりと感じられたのにはびっくりしました。もっともすぐにまた蒸し暑くなりましたが。

 もともと仙台七夕には雨がつきもので、三日間で雨が降らなかったという方が珍しいくらいです。仙台七夕と雨、これは切っても切れない縁があるようです。

 撮影はきのう6日です。 まずは町内の苦心した七夕飾りからご覧いただきます。

 

 飾り付けた場所はいつもの縛り不動尊の狭い境内です。

   

 今年の特徴は、ものすごい数の短冊です。 本当にたくさんの願い事が書かれています。

 

 竹は2本使用しました。去年は若い竹を切ってきたために、途中で重さに耐えられなくなり折れてしまいましたが、今年はそういうことはなくなりました。勉強しました。

       

 

 次は中央通の七夕飾りです。 北海道の子どもたちからの短冊や折鶴が飾られていました。

 

 とっても豪華な飾り付けで、われわれ素人には叶いません。

 

 でも、地域の手作りの七夕を大切にしていくことが、伝統を子どもたちに引き継いでいくということにつながると思っています。

 

 

 そして、最後は阿波踊りです。

  綺麗なお姉さんたちでした。

  仙台と観光姉妹都市です。 

                        

 お囃子は何となく雀踊りと似てなくもない、と感じました。

  

 発見したのは、足の運びというか、決してかかとをつけないことです。常に前体重で

 踊っているのです。

                               

 それと指の動きがきれいです。とても細やかにしなやかに動くのです。色っぽくさえあります。

 

                             

 次は、地元の「やっと連」のみなさんの踊りです。

 

 かなり練習を重ねているのでしょう、本場のみなさんに決して引けを取りません。

                   

 みなさん、本当に楽しく踊っています。

 

 この男女が向かい合って押し合いする動きが何とも新鮮でした。

                     

 #♭踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損損#♭ということで、最後は出演者と見学者が一体となっての景気のいい元気な踊りとなって終わりました。

 


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広島原爆の日

2012-08-06 21:22:24 | 思いつくまま

 きょうは8月6日。67年前広島に原子爆弾が投下された日です。 また、この日は仙台では仙台七夕まつりの初日(8日までの三日間)でもあります。

  

 朝日新聞によると、きのう5日、元安川の水面に中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」の主人公中岡 元の姿が映し出されたということです。 こういうことは今年が初めてかなと思っていたら、水面への映写は9回目とのこと。

 メッセージは、 『生きろ 麦のごとく』です。 踏まれても踏まれても麦のように逞しく生きてほしいというねがいが込められています。

 この前の蔵書の総点検の結果、何百冊という本をタダ同然で引き取ってもらいましたが、その時いろいろな本が出てきました。その中に中沢啓治さんの漫画もありました。 もっとあったような気もするのですが、、見つかっているのはこの5冊です。

        

 第1巻も4巻も、発行は1975年(昭和50年)5月12日です。(どうでもいいことですが、1975年は私が結婚した年です。) 右端の「苦闘編」は昭和52年(1977年)発行です。 1~4巻(すべて初版)は汐文社発行、苦闘編(第4版)は翠楊社発行で、発行元が異なります。

 1巻は「青麦ゲン登場の巻」、2巻は「麦はふまれるの巻」、3巻は「麦よ 出巻」、4巻は「まっすぐ伸びよ青い麦の巻」となっています。 夕方やっていたJNNのニュースでは6巻あるようでした。 『生きろ 麦のごとく』というメッセージのそもそもの原型はここにあったのですね。

 二人の子どもにも読ませ、とくに下の子は何度も読んでいたのが記憶に残っています。 この本は20数か国でも翻訳されて読まれているらしいですが、もっともっと広く国民に読んでもらう必要がある本ではないかと思っています。 野坂昭如の「火垂るの墓」とともに、全国民必読の本にしてもいいのではないかと思っていますが、みなさんはどう考えますか。

 ほかにもこういう文庫本が見つかりました。

  

 もっともっとあるはずですが、原 民喜の本とかも、このなかの峠 三吉の「原爆詩集」は青木文庫版で、1968年の14版です。100円でした。

          

 その本の「序」が有名です、 ””にんげんをかえせ””と呼ばれている詩です。『 ちちをかえせ ははをかえせ   としよりをかえせ   こどもをかえせ    わたしをかえせ わたしにつながる    にんげんをかえせ    にんげんの にんげんのよのあるかぎり    くずれぬへいわを    へいわをかえせ 』 

 その下に私の手書きの英語が書いてありました。英語訳も出ていたのですね。

         

 ”Give Back the Human"

 Give back my father, Give back my mather, Give grandpa back, grandma back, Give my sons and daughters back,

 Give me back my self,

 Give back the human race,

 As long as this life lasts,

 Give back peace this life,

 That will never end.

 ほかにも書き込みがあって、原 民喜の有名な「水ヲ下サイ」の詩、歌(短歌)もありました。『遠き日の石に刻み砂に影おち崩れ墜つ天地のまなか一輪の花の幻

 正田篠枝の短歌 『原爆にて盲目となりし二十歳の娘われ死なば与へむこの眼球を』  『われ死なばこの眼与へむと言いたれど被爆眼球は駄目と言はれぬ

 高橋武夫の短歌 『天地(あめつち)の死塊となりて生きもののみな滅びなば慰むものを

 

 きょうから始まった仙台七夕です。 今年の七夕の基本コンセプトは、願い・希望・感謝 だそうです。

 

 「ノーモア ヒロシマ ・ ノーモア ナガサキ」を願っている平和七夕です。

 

 毎年必ず平和を願うたくさんの鶴による七夕飾りが吊るされます。こういう伝統も大切にしていきたいものです。


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無花果(いちじく)大豊作!

2012-08-05 15:59:37 | お知らせ

 きょうも朝から暑い。 きのうは久しぶりに最高気温が30度を下回ったというのに、朝から日差しは強く、風はなく、外にいるだけで汗が出てきます。

 そのためでしょうか、我が家では無花果が大豊作です。 いわゆる花無花果というのでしょうか、小さいままの無花果に混ざって大きい無花果も実っているのです。 次から次と実ってきます、大きくなってきます。 それを知ってか、雀もやってきますし、昨日からはカラスもやってきます。

 いちじく写真特集です。

 

 前にも書きましたが、私はいちじくが大好きです。

                    

 熟したのを生で食べても美味いですし、手をかけて甘露煮風にしたのも大好きです。

 

 この前朝市で花イチジクを見たのですが、何と3個で750円でした、市場で1個250円です。 

               

 もちろん見た目も立派で、大きくて、熟していて見ているだけでよだれが出てきそうでした。

 

 我が家では生でも食べますが、大半は甘露煮にしています。 砂糖を加えてじっくり何度も何度も煮ます。煮ては砂糖を加えていきます。

            

 そうすると、形は崩れずにとろけてしまう美味しいイチジクの甘露煮が出来上がります。 

 

 生クリームを加えてもおいしいですし、もちろんそのまま食べてもおいしいです。 スプーンできれいに掬えます。 

 そのほかに渋柿も一杯実をつけています。

            

 これも晩秋が楽しみです。

 

 きょうは早朝から七夕の竹伐り、午後からこの前つくった短冊や輪飾り等の竹への飾り付けを行いました。 

 きょう5日は明日からの仙台七夕の前夜祭です。花火大会がありますが、今夜は第9合唱の結団式と練習がありますので、花火は見られません。残念です。

 

 花火と言えば、日本映画「お兄ちゃんのハナビ」という実話に基づいた映画、ご覧になりましたか? 新潟県の小さな町での物語ですが、普通の花火のほかに、成人、厄年?、還暦を迎えた人たちが、その都度集まって自分たちの花火を打ち上げるのです。とってもいい伝統行事が息づいている町です。白血病で亡くなってしまう妹のために、引きこもりだった兄が花火師になって、オレンジ色を中心にして見事な花火を夜空に打ち上げるという物語です。 久しぶりに心温まる映画を見ました。テレビですが。

 

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きょうの広瀬川

2012-08-04 17:05:23 | 広瀬川

 それにしてもなでしこジャパン、強い、しぶとい、したたか、粘り強い、チャンスに強い、ブラジルに2対0での勝利、天晴!!というほかありません。 男女とも今後の戦いが楽しみです。

 きょうも午前中広瀬川に入ってきました。釣り友と二人です。 きのう活けておいた4匹のオトリの内1匹は瀕死の状態、3匹で釣りを開始しました。

 場所は中洲の本流側の上流域からのスタートです。きょうの竿は前に戻って8メートルの硬調の竿です。 何といっても軽くて扱いやすいのがいいです。

 写真だけで見るととてもいい感じに見えます。事実いい川相なのですが、残念ながら水が少ないのです。

      

 こうやって中洲側も入れて写してみると、いかに水量が少なくなっているかが分かると思います。

 

 でも、ここでもようやくアユが掛かるようになってきたのです。追うようになってきたのです。嬉しいです。ここが家から直線コースで、一番近いのです。体力の消耗を防ぐことができます。

 結果はここでは2匹のみでした。10分もしないうちに今日一番大きい鮎が掛かりました。 もったいないので同じオトリに継続して働いてもらったところ、少し下流域で中型の鮎が掛かってくれました。 いいですね、1匹のオトリで2匹掛かってくれるなんて。模範的です。

 その後ずーと下って、美術館下の上流側の瀬へ。いつも必ず3~1匹は掛かってくれるところです。 ””魔法の瀬””(相性のいい瀬)です。 ここでは30分くらいで4匹掛かりました。 ただ、前ほど大きい鮎は掛からなくなりました。これが残念なことです。

 9時10分からスタートして11時ころまでに6匹掛かりました。きのうとは打って変わってバラシがありません。 ハリも仕掛けも変わらないのに、これはいったいどういうこと?変わったのは竿だけ。もしかして竿の長さが関係する?そんなことはないですよね。 針をよく食い込ませられるかどうかということなら、竿の長さもまんざら関係ないとは言えないですね。

 今度はぐっと上流へ。西道路のトンネル下の上流の瀬です。 きのう強い引きを楽しませてもらった瀬です。 きょうは瀬の上流のトロ瀬には二人の釣り師がいました。

 しかし、きょうは瀬では掛からないのです。きのうときょうでは条件が微妙に変わっているのでしょうか!?早くこの長い段々の瀬で掛かるようになって欲しいものです。

 下って大きく絞られている岩盤底の瀬にオトリを入れました。 そしたらすぐに追ってくれました。引きが強いので大物か?と喜ばせてくれるのですが、受けてみると、何これ?さっぱり大きくないじゃない!ということの繰り返しでした。 水深があって急瀬ですから、瀬の流れの抵抗により大きく感じてしまうのでしょう。釣り人は自分に都合のいいように感じ、判断してしまうのですから。 結局ここで3匹。あと1匹で待望の””ツ抜け””達成なのですが、それは叶わず、3時間ちょっとで納竿しました。3時間の予定でした。

 9時10分から12時15分で9匹でした。 満足です、私としては。

  (これは一人分)

  (これは二人分) 

 もうすぐ七夕、七夕期間中は小雨模様というか、時々雨という予報となっています。これでは川の増水には関係ないでしょう。

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きょうの広瀬川、

2012-08-03 21:57:23 | 広瀬川

 久しぶりに川に入ってきました。 午後から鮎釣りをしてきたわけです。 もうウズウズしていて、我慢できなかったのです。 この頃竿を出している釣り人は少ないですが。

 その前に報告を;

 7月28日に二人で釣ったアユは放射能検査に回しました。 きょう養殖オトリを買いに行ったとき、釣具店の奥さんから鮎の検体のお礼を言われ、検査の結果は広瀬川は4点台(0ではなかったようです。)で、名取川では9点台という数値が出たそうです。 セシウムの検査でしょう。 「検出せず」とはいかなかったのは残念ですが、極めて低い数値ですから、まあ良しとしましょうか。 今後とも継続的な検査が必要でしょう。

 ということで、きょうは養殖オトリを2匹購入してから川に入りました。 時間は午後2時30分から5時45分までの”3時間15分”の実釣でした。

 きょうは29日に釣っていた人と同じ深いトロ場に入るために、このところ重宝している8メートルの竿(8.1メートルと言ってきましたが、正確には7.95メートルでした。)ではなく、9.5メートルの長竿にしました。 やはり違いますね。重いし!扱いにくい!風が少しあったので。 水中糸はフロロの0.3号です。ハリは7号~7.5号の3本イカリと4本イカリです。

 28日と比べてもまた水量が減っています。水位が落ちています。下の2枚の写真のトロ瀬を泳がせたのですが、健気にもよく泳いでくれたのに掛かりません。前後10メートルの範囲を泳がせてみるのですが、時折鮎の跳ねが見られるのに、掛かりません。追ってくれません。

         

 どうです、いい感じでしょう!!でも追う鮎はいなかった。

 

 25分くらいでここを諦めて上流の瀬頭で竿を出してみることにしました。でもこの前はよく掛かった瀬頭でしたが、きょうは全く掛かりそうもありませんでした。 2か所で竿を出してみて掛からないのであればもうしょうがない、あきらめるより他はないと思いつつ、釣り下るため瀬に入れてみました。

 そしたら、一気に竿が下流に持って行かれます。竿は伸されそうになります。下っていかないととても取り込めません。 下りつつ左岸の浅瀬に引き込み引き抜きます。21センチクラスのオトリ頃の鮎です。釣り開始から45分頃ですか、ようやく掛かりました。

 それから少しづつ異なる瀬に鮎を入れていくと、入れる度に掛かるのです。これは嬉しかった。楽しかった。そうか、この頃は瀬の方が鮎が居つきやすいのかと思った次第です。 でも3匹で終わりました。

 そのオトリをもって、再度最初のトロ瀬に向かいました。 よく泳いでくれるのですが、泳ぐのですが、追ってくる鮎はいないようです、残念ながら。

 ここを諦め、ずーと下流に向かいました。 このところ追い初め、いい型の鮎が掛かり始めた中洲の本流側の上流域です。 そうなのです、きょうも早速掛かってくれたのです。 これで4匹目です。 

 しかし、そこから地獄が始まりました。一体どうしたというのでしょうか??掛かりはするのですが、十分に針掛かりはしないのです。 最初は引き抜こうとしたのですが、鮎が寄ってくるのです。あまり寄ってこられると引き抜けません。 なぜ寄ってくるのか? その答えは竿にあるようです。 鮎が掛かると大きく竿が曲がります。胴調子の竿です。

 それで引き寄せようと竿を後方に倒します。浅瀬に寄ってきます。でもこれがよくなかった。浅すぎても掛かり鮎は暴れてバレてしまうのです。1.5メートルくらい寄ってきたところで反転され、逃げられてしまいました。

 次は掛かると同時に力強く対岸へ逃げていきます。対岸へ逃げる鮎との駆け引きは久しぶりです。必死にこらえて、左岸側へ寄せようと竿を左に寄せて絞ります。 流芯を横切って左側へ寄ってきたのに、ハリが外れてしまいました。

 その後も掛かってバラしが続き、ここでは3匹取り込んで4匹逃がしています。

 さらに下って、岩盤の急瀬にオトリを入れます。 すぐにガガッと強い当たりがあり、竿をためて少し下りながら左岸に寄せようとしたところでこれまたバラシ。 本当にどうしたのでしょうか??その後大きい鮎を1匹取り込んで終了としました。

       

 順調に取り込んでいれば、今夏初めてのツ抜けになったのですが、現実は厳しいです。 でもきょうは釣果0かとさえ思ったので、それからすれば万々歳!です。

 雨が、まとまった雨が欲しいです。 夕方の分流の様子です。 

            

 上流側は完全に干上がっています。伏流水となっています。川が可哀そうです。

 

 


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