私が中学生の頃。
カー&ドライバー誌の「好きなクルマ・きらいなクルマ」のコーナーで、いつも「きらいなクルマ」の1位だったクルマがある。
「きらいな理由」は、「マヨネーズのチューブみたいだから」・・・
そのクルマは、あのジウジアーロがデザインした、初代「いすゞ ピアッツァ」であった。
私も中学生の時は、このクルマの良さが分からなかった。
だが、大学生になってから、このクルマの美しさに着目するようになったのだった。
「美しさが基本」。当時としては先進の、エアロシェイプ。
このクルマは1981年に登場したのだが、当時日本ではまだ「ドアミラー」が認可されていなかった。
この無骨なフェンダーミラーが、このクルマの美しいシルエットに、水を差していたといえるだろう。
最上級車の「XES」。5MT/4ATのラインナップ。
ベージュの革シートに、本革巻ステアリング。
贅沢感に溢れた、パーソナル・クーペである。
この、モデルの女性も、イイね!
「XG」は、走りを磨くスポーツ・バージョン。トランスミッションは、5MTのみ。
DOHCエンジンを搭載し、「フロントサス強化ブッシュ」「オイルクーラー」「リミテッドスリップ・デフ」「バケットタイプシート」、そして「ハイグリップ185/70HRスチールラジアルタイヤ」で、武装する。
「XJ-S」はSOHCモデルのスポーツ・マインド仕様。
ピアッツアの記号的装備だった「デジタルメーター」を標準装備。
「BELLA」はいわゆる「女性仕様車」。
パステルな感じのシート地も、やり過ぎ感が無く、お洒落である。
「バンパーコーナープロテクター」やボディ同色の「サイドプロテクトモール」で、駐車時の不安を払拭。
加えて、「運転席バニティミラー」も、このグレード専用装備なのだ。
「エレクトロニクスの粋を集めたデジタルメーター」。
国産車離れした、このデザイン。日本車というよりは、フランス車・・・いや、シトローエンのようである。
フェザータッチのサテライトスイッチは、奇妙キテレツな見た目とは裏腹に、なかなか使い勝手が良かった模様。
実は、私の友人であるニータ氏・尾車氏の両氏は、かつてこの初代ピアッツァのオーナーだったのだ。
「XES」に標準装備の、この本皮革シート。
そのカラーといい、シワの張り具合といい、きわめてイタリアンな上質感に溢れている。
珍しいのは、スポーツグレード「XG」に標準装備の「助手席フットレスト」。
コレ、実際には、邪魔なだけなような気がするのだが・・・実際、役に立ったのかどうかは、謎である。
FRの2ドアクーペとしては、後席の居住性もまずまずだった模様。ちなみに、乗車定員は4名だ。
後席のシートベルトが2点式なのは、まあ、時代である。
ドルビーNR内臓のカセットステレオが、静かな室内にサウンドシャワーという名の雨を降らせたという。
「熱い走りのスピリットに呼応するメカニズムの裏には、驚くばかりの計算の構築がある」。
この透視図からも分かる通り、もちろん、スペアタイヤは標準装備だ。
G200型エンジンは、DOHC系とSOHC系の2種をラインナップ。
実用燃費は、カタログから推測するに、リッター8~9kmといったところか。
この辺は、後日、元オーナー氏たちに確認したいと思う。
インテリアも、個性に溢れている。
目を引くのは、ポップアップ式の「サイドベンチレーター」と、左右ドアにそれぞれ配された「照明付シガーライター&アッシュトレイ」。愛煙家に嬉しい装備である。
「植毛付リヤクォーターポケット」も、小物に優しい心遣いなのだ。
「電動リトラクタブルのクォーターカバー付きヘッドライト」が、印象的なエクステリア。
フロントのワンアームワイパーは、アームにウォッシャーノズルを組み込み、雨天時の良好視界の確保に寄与。
余談だが、かつて雨の中。ニータ氏にこのクルマに乗せてもらった時、ワイパーのヒューズが飛び、私が外したワイパーブレードを左手に持ち、助手席の窓から手を伸ばして水滴を拭いて対処したような記憶が・・・
このクルマ、電装系には、若干弱いところがあったかもしれない。
そして、装備表。字が見づらい方は、画像をクリックすると、若干拡大されるかもしれません。
・・・それにしても、スペシャリティーカーとは思えないくらいのワイドバリエーションである。
コスト重視の現代では、考えられないことだ。今から30年以上前か。いやあ、古き佳き時代ですネ。
ボディーカラーとトリムカラーの組み合わせは、上の表のとおり。
このピアッツァには、ブラウン内装の方が似合っていると、私は思う。
全長4310mm×全幅1655mm×全高1300mmのサイズは、現代で言えばカローラよりも小さい。
あの当時(約30年前)は、そんなに小さく見えなかったんだけどなぁ。やっぱ、現代のクルマが大き過ぎるのかもしれませんネ。
1981年~1991年まで、10年間にわたって細々と作り続けられた、いすゞらしい長寿車の、このピアッツァ。
我が家の書庫からは、その1987年版のカタログも、発掘された。
やはりこのクルマは、ドアミラーでなければ、スタイリングが活きてこない。
その長いフロントオーバーハングが、アートである。
まあ、その功罪で、FR車でありながら重量配分は前70:後30という極端なフロントヘビーだったため、冬道にはめっきり弱かった模様。
つるんと美しいヒップライン。思わず、撫で回したくなってしまう。
窓面積も大きく、視界も良好そうだ。
絢爛の中のまどろみ。静ひつの中の熱情。心に感光する一瞬がある。(カタログコピーより)
都市のランドスケープに心象風景を見る。記憶の底でシグナルが点滅する。(同じく、カタログコピーより)
スペシャリティカーでありながらも、やや非力だった、このピアッツァ。
テコ入れ策として、180ps(グロス値)のターボモデルが追加された。
脚回りも、4輪ベンチレーテッドディスクブレーキや、ハイコン・ダンパーで武装。
「マヨネーズのチューブみたい」と揶揄されたそのボディは、空力抵抗に優れた「オーバルシェイプのバイオフォルム」であった。
シートはそれまでのイタリア調から一新し、当時のドイツ車っぽい形状の「リアル・バケットシート」を、ほとんどのグレードに採用。
空調やオーディオ等、快適性にも抜かりはない。
ラジオアンテナは、流麗なスタイルの邪魔をしないよう、リヤとサイドのウインドウガラスにプリントされている。
そして、なんといってもこの「サテライトスイッチ」が、素晴らしい。
なにか航空機のようだと、言えなくも、無い。
「ガンダム的」という言い方も、できるかな・・・
やはりこのクルマには、デジタルメーターの方が、良く似合う。
シートに身を沈めた瞬間、熱い鼓動に充たされる。深い森の安らぎと、大河のような時の流れ。ここにはドラマの序章を飾るにふさわしい空間がある。(カタログコピーより)
色使いは上品だが、がっしりとしたバケット形状のシートは、あまりこのクルマのキャラクターには似合っていなかったように思う。
なお、後席にもELR3点式シートベルトが装備されたのは、大きな福音である。
徹底したフラッシュサーフェスボディ。
開口部さえも美しいハッチゲート。
この流麗なフォルムでありながら、スペアタイヤも標準装備!
電動リトラクラブルのクォーターカバー付きハロゲンヘッドランプに、ウォッシャーノズル内臓の前後ワンアームワイパー。
実用とスペシャルを両立した、素晴らしいアイディアの数々!
電装系が丈夫だったならば、まことに心強い装備だったことであろう。
登場当初から見ると、グレード数はだいぶ整理された。
デジタルメーターは、最上級の「XE」のみのスペシャルな装備。
「XS」は、フロントエアダムとリヤスポイラーを纏い、Cd:0.33を実現。
「XG」はNAエンジンのスポーティ仕様。
リミテッド・スリップ・デフが装着されるのは、このグレードのみである。
「BELLA」はいわゆる女性仕様車。
インテリアのカラーと、肉薄のイタリアンなシートが、実に魅力的。
私がこの時代のピアッツアを買うなら、このグレードにするだろう。
底辺グレードの「XJ」だが、パワステ・パワーウインドゥ・パワードアロックの3種の神器は標準装備。
スタイルに惚れて買うのならば、このグレードでも充分だっただろう。
美しく、装備も充実していた、4シータクーペ「ピアッツァ」。
そのフォルム自体は、21世紀の今でも、輝きを失っていないと思う。
だがしかし、昨今開催される「旧車系イベント」で、このクルマにお目にかかることは、ほとんど、無い。
不人気車で生産台数が少なかったからなのだろうか。
それとも、巷間伝えられているように、電装系に持病を抱えていたがために、生き残れなかったのだろうか。
あの手のイベントでは、117クーペやベレットはよく見るのだが・・・ピアッツァは一体、どこに行ったんだろう!
私がもう一度逢いたいクルマの筆頭が、このピアッツアである。
特にブリティッシュグリーンの「ハンドリング・バイ・ロータス」を、もう一度、見てみたい。
単身赴任地に、スバルの担当レディさんより、嬉しい贈り物が届いた。
来年春に発売される新型車「レヴォーグ」のプレカタログである。
実質的には、「インプレッサ・ツーリングワゴン」とでも称すべきクルマなのかもしれない。
だが、エンジン構成は、1.6Lターボと2.0Lターボの2本立てと、レヴォーグ独自のラインナップだ。
特に私の注目は、「1.6L DOHC直噴ターボ“DIT”」。170psを発揮しながらも、燃料消費率は17.4km/Lで、しかもレギュラーガソリン仕様。性能と燃費のバランスが取れた、魅惑的なエンジンと推測される。
トランスミッションは、「リニアトロニック」と呼ばれるCVTのみ。MT追加に期待したいところだが・・・望み薄だろうなぁ(涙)
黒地に青のステッチのシートも、なかなかイイ感じ。
だが、Dピラーが太く、斜め後方視界には、やや難がありそうだ。
ココは、スバルらしからぬ、マイナスポイントと言えましょう。
とはいえ、BPレガシィの実質的後継車といえる、このレヴォーグ。
実車を見て、そして試乗させていただくのが、実に楽しみだ。
・・・価格も気になるが、スペアタイヤ、積んでてくれるといいなァ。
SUBARU25年目のフルモデルチェンジ・・・
消える星があれば、生まれる星もある。
マイレガシィの12ヶ月点検時にいただいた、粋なお土産のみっつ目。
レガシィ・ツーリングワゴンと入れ替わるようにして登場する、「レヴォーグ」という名のクルマのティザーカタログである。
それは、「SUBARUのすべてを備えた、まったく新しいスポーツカー」だという。
まあ、カー雑誌等でもスクープ記事が流布しているが、実際には「インプレッサ・ツーリングワゴン」とでも評すべきクルマなのだろうと、私は予想する。
注目すべきは、やはり1.6LのBOXER直噴ターボエンジンであろう。
その、燃費性能とパワーのバランスは?・・・興味深々な私です。
それは、11月20日の東京モーターショーで初公開されるという。
ステーションワゴン冬の時代に、このクルマが、一石を投じてくれることを、期待したい。
マイレガシィの12ヶ月点検時にいただいた、粋なお土産のふたつ目。
それはレガシィ誕生25周年記念冊子の「Life with LEGACY」である。
歴代レガシィのカタログ表紙の数々。
自称カタログ小僧の私だが、このうち、半分も持ってないなぁ・・・
初代レガシィ(1989~1993)。
そのグラッシーなキャビン。ヴァンとは一線を画する「ツーリングワゴン」という新ジャンルを、日本に定着させたクルマである。
2代目レガシィ(1993~1998)。
国内セールス的には、この2代目が最も大きな成功を収めた。
だがしかし、私個人は、この代のレガシィは「六連星エンブレム」を捨ててしまったことから、あまり愛することができなかった。
3代目レガシィ(1998~2003)。
初代から続くコンセプトを崩さず、熟成の域に到達。
デビュー当初は「六連星エンブレム」を付けていなかったが、マイナーチェンジでそれが復活。
当時エスクードに乗っていた私だが、このスバル車が気になる存在として、私のココロにヒタヒタと侵入してきたのだ。
4代目レガシィ(2003~2009)。
それまではどことなく野暮ったさを残していたスバル車だが、実にシャープで、日本刀のような精緻さを持つスタイルに変身。
アルミ部品を多用し、大幅に軽量化するとともに、燃費も劇的に向上。
このスバル車は、あまりにも魅力的で、2005年の末、私はこらえきれずに購入してしまったのだ。
そして、5代目レガシィ(2009~)。
それまでは日本市場に配慮して、ジャストサイズだったレガシィだが、この5代目からは海外市場のニーズに合わせて、かなりデカくなってしまった。
実際に運転すると、さほど大きさは感じないのだが、車庫要件等で買い替えをあきらめた人も、少なからずいると推測される。
計48ページにも及ぶ、この記念冊子。
実に読みごたえがあるとともに、B4と呼ばれるセダンは、ほとんど登場しない。
次期レガシィが、ツーリングワゴンを設定しないというのは、既報の通りである。
この冊子、「レガシィ・ツーリングワゴンへの鎮魂歌」のように、私は感じたのだった・・・
1985年。「街の遊撃手」というキャッチコピーと共に、颯爽とデビューした、いすゞ・FFジェミニ。
当時はホンダ車好きの高校生だった私だが、このCMには度肝を抜かれた。
カタログに「FF」と大きく謳われているのは、FRの初代ジェミニが、しばらくの間併売されていたからである。
CMは派手だったが、そのボディデザインは、けれんみなく清潔感に溢れていた。
小さいながらも、面の張りがいい、つややかなボディ。
初期型の角目ライトの造形は、生真面目で大らかな叔父さんのようで、実に好もしい。
「ターボディーゼル車」がラインナップされていたのは、この当時のいすゞ車の大きな特色。
リヤスポイラー等で武装すると、そこはかとなくスポーティ!
忘れちゃいけないのが、この3ドアハッチバックの存在。
「セイシェルブルー」のカラーが、目に鮮やかだ。
テールゲートの傾斜角度や、リヤサイドウインドウの造形は、あの名車「初代ピアッツァ」を彷彿とさせる。
このクルマ、そこはかとなくヨーロピアンで、なんともカッコいい。
当時のいすゞのクルマは、他の国産車とはまったく違う立ち位置にあって、魅力的だった。
4ドアセダンの、ごく短く突き出たトランクリッド。
こういうデザインのクルマは、当時の日本車には無い、きわめて斬新な試みだった。
当時の私には、そこがなんとも知的で、カッコよく見えた。
モダンで、デザイナーの存在を感じさせる、そのインテリア。
メータークラスターの左右に配されたスイッチ類は、初代ピアッツアとの血縁を感じさせる。
モダンファニチャー感覚の「ニューテックシート」。
クッション部分を分割ブロックで構成するという、この斬新な処理。
「シートにかかる体の重みが、各ブロックに適度に分散されるため、特に長時間走行中、同じ姿勢をとり続けても疲れにくいというわけです」・・・とのこと。
その効果は実際どうだったのだろうか?その後、シートにこの手のデザインを採用したクルマがほぼ皆無であることを鑑みると・・・ううむ。
また、リヤのシートベルトは2点式でしかない。これも、時代ですネ。
収納スペースは極めて豊富に用意されており、日常の使い勝手も悪くなさそう。
3ドア・4ドア車双方に「分割可倒式シート」を装備。
スキーや釣り等のレジャーに、大いに重宝したであろう。
エンジンは3種のラインナップ。「1500ガソリン」「1500ターボディーゼル」「1500ディーゼル」である。
特に興味を魅かれるのは、やはりターボディーゼル。グロスで70psを発揮し、「60km/h定地走行燃費」は33.5km/Lとのこと。
ちなみに、この当時。雑誌等では「60km/h定地走行燃費÷2=実用燃費」と言われていたので、リッター16km以上は走ったのだろうと推測される。
先進の2ペダルMT「NAVi-5」。カタログには「コンピュータ制御のドライビングロボットが、人間に代わってクラッチ操作やギヤチェンジなどのシフトコントロールを、つねにベストタイミングで行います」と謳われている。
だがしかし、この機構がその後定着せず、消滅してしまったことを思うと・・・その効能には疑問符が付く。
とはいえ、一度、この「NAVi-5」付のクルマを運転してみたいものだ。現存するクルマは、もう無いかもしれないが・・・
マクファーソンストラット式のフロントサスペンションにより、「滑らかな走りとキビキビした走りの両立」を実現したという。
ちなみに、リヤサスペンションは、ISUZU独自の「コンパウンドクランク式独立懸架」だったそうだ。
C/Cは最上級グレード。5MTと3ATが選べた。
セダンのボディカラーは6種で、インテリアカラーは3種。
3ドアは、ボディカラー5種&インテリアカラー2種である。
なかなか練られた構成の色使いで、これもまたこのクルマの大きな魅力だった。
NAVi5搭載車は、若干ボディカラー&インテリアカラーが絞られる。
また、エンジンはガソリンのみで、ディーゼルは選べない。
C/Cは、ターボディーゼル仕様も選択可能。
トランスミッションはやはり5MTと3ATだが、ターボディーゼルの3ATはロックアップ付にグレードアップされる。
T/T及びD/Dは廉価版。シートは凡庸なデザインになり、ボディカラーの選択肢はかなり絞られる。
それでも、T/Tに「ライトニングイエロー」という派手なカラーをあえて設定するあたりが、いすゞの真骨頂であると言えましょう。
装備の数々。多彩なポケッテリアが嬉しい。
マップランプ手前には、オイル交換時点等の走行距離数等を記録しておく「メモリーダイヤル」なる奇特な装備が付いている。
3ドアハッチバックのC/Cには、「スーパーワイドプロテクター」が装着される。ドアのキズ付き防止&2トーン風カラーへのドレスアップという、一石二鳥の装備だ。
また一応付け加えておくと、テンパースペアタイヤは、当然ながら全車標準装備である。
そして、多彩なオプションの数々。
中でも異彩を放っていたのが、この「サウンドプレイボックス」!
スピーカーとヘッドホーンでそれぞれ別の音楽ソースを楽しめる上に、マイクミキシング(≒つまり、カラオケ)もできるという優れモノ。
ドライバーのお父さんはAMラジオを聴きたいが、娘はサザンのカセットを聴きたい。そんなシチュエーションで活躍したのだろう。
この、FFジェミニ。スペック的には際立ったものは何も無く、きわめてオーソドックスな成り立ちのクルマだった。
だが、やはりそのデザインが、小洒落ていた。
特に、全長4035mm×全幅1615mm×全高1370mmに過ぎない、ショートなセダンのスタイルが、イイ。
CM展開も含め、イメージで売ったクルマである。その辺は、2代目プレリュードと共通するものがあったと言えましょう。
1987年。このジェミニは最初のマイナーチェンジで、私の大好きだったフロントマスクに手をつけてしまい、なんだかツリ目の怒り顔になってしまう。
この方が幅広でかつノーズが低く見えることからか、一般的には受けたようで、ジェミニのセールスはさらに上向いた。
だが、私個人としては、初期型の柔和なフロントマスクの方が好きだったなぁ・・・
なお、上の写真は’89年の2度目のマイチェン後のもので、サイドマーカーの位置がフェンダーに移されている。
追加グレードの「ZZハンドリング・バイ・ロータス」の存在は、魅力的であった。
ベレットGTRから継承された、いすゞのスポーツマインドが、そこにあるという。
この、ブリティッシュグリーンマイカのカラー!英国紳士にも似合いそうだ。
エボニーブラックの3ドアは、まさしく「ミニ・ピアッツァ」!
トルーバーブルーも、決して悪くない。
黒基調の、スポーティなインパネ。本革巻のステアリングは、手のひらの汗を吸収し、それがぬるぬるになるのを防いでくれる。
そして、お約束のレカロシート。
NETで135psの1600DOHCエンジンは高回転型で、最高出力を7200rpmで発揮!
ちなみに同時期のホンダの1600DOHCエンジン(ZC型)は、130ps/6800rpmにすぎない。
余談だが、その後ホンダは’89年4月に、B16A型VTECエンジン搭載のインテグラをリリース。170ps/7800rpmというとてつもないスペックで、他社を大きく引き離すのであった。
F1でも、絶好調だった時期ですねぇ・・・(遠い目)。
そして、LOTUSチューンの、脚回り。
これについて徳大寺有恒氏は、著書の「間違いだらけのクルマ選び」の中で、「ハンドリングくらい自分でおやんなさい」とクギを刺していたが・・・
ZZハンドリング・バイ・ロータス。その小さいサイズにもかかわらず、非常にイメージの高いクルマであった。
現在で言えば、スイフトスポーツあたりが、最も近い立ち位置に居ると言えましょう。
バブル期の日本車は、本当によりどりみどりで、多種多様なクルマが存在していた。
ユーノス・ロードスターが登場出来たのも、バブルの恩恵だったと言えよう。
そして、いすゞというトラックメーカーの産みだす乗用車は、大衆に媚びない孤高のイメージと、独自のセンスの良さを持っていた。
小学生の頃から「自称クルマ好きだった私」は大学生になって初めて、そのことに気が付いたのだった。
いすゞが乗用車メーカーとして成り立っていたあの頃。本当に、いい時代だったのだ・・・
スバルのディーラーさんより、スバらしいプレゼント。
6月下旬に発売されるという、スバル初のハイブリッド車「XVハイブリッド」のプレカタログである。
イメージカラーは「プラズマグリーン・パール」。
テールランプがクリアレンズなのは、いわゆるひとつの、ハイブリッド車の記号といえましょう。
いやあ、XVって、やっぱカッコいい!カジュアル感とワイルド感が、絶妙なバランスでブレンドされている。
シートカラーも、明るい専用色が用意されている。
気になるJC08モード燃費は、20.0km/Lとのこと。
このハイブリッドシステムは、トヨタからの技術供与を受けたものではなく、スバルが独自に開発したものだそうだ。
価格は、素のXVの約30万円高だそうで、底辺グレードでは250万円程度と予想される。アイサイト付でも、おそらくは、300万円アンダーである。
雪国では待ちに待った、シンメトリカルAWD+ハイブリッドの組み合わせ。いやあ、コレは、売れるだろう。
というか、私が欲しい!MTがあれば、即決なのに・・・
私が若かった’80年代。最も好きなクルマのスタイルは「2ドアハードトップ」であった。
スカイラインやブルーバードも好きだったが、最も美しいと思ったのは、このクルマである。
1987年2月に登場した、ホンダ・レジェンド・2ドアハードトップ。流麗で、気品に満ちていた。
この当時のホンダは、メッキモールの使い方が上手かった。
この頃2ドアのこのクラスのクルマでは、ソアラやレパードがあったが、私はこのレジェンドの方がずっと上質で、カッコいいと思っていた。
低めのウエストラインに、ブリスターフェンダー。なにか土着的だったトヨタ・日産の2車に対し、孤高のエレガンスを感じる。
ウォールナット&本革のインテリアが、これまたブリティッシュで素晴らしい。
ハードトップといいながらもセンターピラーを持っているので、厳密に言えば、これはクーペなのかもしれない。
だが、リヤウインドウが上下に開閉可能であることから、私はこのクルマをハードトップの一員として認定したい。
SOHCでありながらも、気筒あたり4バルブを持つV型6気筒24バルブエンジン。
あえてDOHCでなくSOHCとしたところが、人の裏をかくホンダらしい。インテグラは全車DOHCが当初の売りだったのに・・・
「4輪ダブルウィッシュボーンサス」と、「A.L.B」(現代でいうところのABS)は、当時のホンダの記号であった。
やはり、’80年代から国内他社に先駆けてABSを採用した当時のホンダは、偉かった。
この流麗なサイドシルエット。マッチョ過ぎない洗練された筋肉美を持つ、ロワーボディ。
3ナンバー専用ボディというのも、当時は画期的だったのだ。セダンのレジェンドには5ナンバー車も存在した時代なのだ。
現代ではインプレッサやアクセラも、3ナンバー専用ボディなのだが・・・
この当時のホンダ車のインテリアは、決して下品ではない、ツボを得た上質さを持っていた。
オーディオがカセットなのは、まあ、時代である。
ベージュも素敵なのだが、青みがかったグレーのインテリアも、渋くてまたよろしい。
電動格納式ドアミラー、クルーズコントロール、キーレスエントリー、後席3点式シートベルト・・・今では軽自動車にも付いているが、当時はプレミアムカーの記号的装備だった。
4ATで、10モード燃費が8.5km/L・・・その数字は、現代のクルマと較べれば相当見劣りするが、当時の2700ccエンジンのクルマとしては、決して悪くはなかった模様。
レジェンド・ハードトップの見逃せない特徴は、全車が「ツートーン・ボディカラー」だったことだ。
同社の「N-ONE」の登場で、ツートーンカラーは復権の予感がする。その企画がBMWミニにインスパイアされたであろうことは、想像に難くないが・・・
レジェンド・2ドア・ハードトップ。個人的には、BMW633CSiやプジョー406クーペと遜色ない、美しい2ドア車だと思う。
これの格安の中古に、乗っておけばよかったと、時々思う私のなのだ。
1985年。森進一氏の歌う「サマータイム」と共に現れた、リトラクタブルライトのセダン。
3代目アコード。この当時のホンダのCMは、意表を突きながらも、センス溢れるものだった。
「セダンを刺激するセダン」。低いノーズに、ロングホイールベース&ハイデッキ。
プレリュードそしてインテグラに続き、アコードまでがリトラクタブルライトで登場するとは!まさに、「ホンダイズム極まれり」といった感があった。
さらには、「フルドア」(≒プレスドア)が、サイドビューをより端整に見せている。
ホンダが当時得意としていた、「トレイ型インパネ」。車速応動型の「パワーステアリング」。「クルーズコントロール」に「電動スモークドガラス・サンルーフ」。
加えて、色遣いがとてもシックで、スポーティながらも大人の雰囲気を発散していた。こんな4ドアセダンは、当時、日本には無かった。
2.0DOHC/1.8DOHC/1.8SOHCの、3種のエンジンラインナップ。
全てがマルチバルブで、F-1レースで磨き上げたテクノロジーがこのエンジンを完成させたという。
ATは、ついに4速に進化。「4wA.L.B」と呼ばれる「4輪アンチロックブレーキ」を、プレリュードに続いて採用。
2.0Siに採用の「前輪2ポットキャリパー4輪ディスクブレーキ」は、国産乗用車初の快挙!
4ドアセダンでありながら、2種のDOHCエンジンを用意。ホンダのスポーツ・スピリット炸裂である。
足回りは、FF車世界初の「4輪ダブルウィッシュボーン・サスペンション」。
当時、自動車評論家の徳大寺有恒氏は、このクルマを「ジャグァーのようにヒタヒタと走る」と評していたものだ。
プレリュードの成功以来、ホンダは「LOW&WIDE」を一つのアイデンティティとしていた。4ドアセダンも素晴らしいのだが、この時同時に登場の「エアロデッキ」が、また斬新であった。
インテリアのデザインやカラーが、これまた国産車離れしたグローバルな雰囲気!
セダンのトランクは、まさに大容量。バンパーレベルから開くのも、当時としては画期的だったのだ。
今では常識の「キーレス・エントリー」は、最上級車の2.0Siに装備。
なんだかひょろ長い地図のようなモノが入る「大型ドアポケット」。何を入れるべきか悩みそうだ。
最上級の「2.0Si」には、カラード液晶デジタルメーター装着車を設定。
1.8DOHCエンジンの豪華版「EXL-S」。
「EX-S」は、スポーティグレード。「真赤なアコードセダン」って、あんまり、見たことないなぁ・・・
「EXL」は、SOHCの豪華装備仕様。
「EX」は、中間グレード。この、マルーンのカラーが、また、イイ。
廉価版の「EF」。樹脂色そのままのバンパーが、潔くカッコいい。
法人向けの「EL」。このグレードは5MTのみとなる。だが、この最廉価グレードでも、脚は4輪ダブルウイッシュボーンである。この辺は、ホンダの見識であろう。
4ドアセダンのディメンションは、全長4,535mm×全幅1,695mm×全高1,355mm。
エアロデッキのそれは、4,335mm×1,695mm×1,335mmである。
ちなみに、現在アコードは8代目。4ドアセダンのスリーサイズは、4,730mm×1,840mm×1,440mm。セダン同士の比較では、195mm長く、145mm幅広く、85mm背が高い。四半世紀の歳月を経て、アコードもデカくなったものだ。
そして、忘れちゃいけないのが、この「エアロデッキ」の存在である。
なにかクジラを思わせる、その堂々たるロングルーフ!
このスタイルは、大ヒットした「ワンダー・シビック3ドア」の延長線上にあるものであろう。
だが、この大きさになると、3ドアでは間延び感が否めず、なにか「ウナギイヌ」のようでもある。
これが5ドアだったなら、斬新さと実用性を両立出来ただろうに・・・実に、惜しい。
リトラクタブルライトの3ドア車といえば、ボルボ480が思い出されるが、登場はこのアコードの方が早い。
この当時のホンダデザインは、欧州勢に影響を与えるほどのインパクトを持っていた。1992年にルノーが発売した「トゥインゴ」は、このアコードと同じ年にリリースされた軽自動車の「トゥデイ」にそっくりだった。
プッシュボタンとレバーの組み合わせで操作する空調パネルは、おそらくは現代のクルマよりも操作性が良いであろう。
肉厚で、あんこがぎっしり詰まった感じのリアシート。掛け心地が良さそうだ。
ちなみに、このエアロデッキの乗車定員は5名。時代が時代だけに、リアのシートベルトは2点式である。
「エアロデッキ」を名乗るだけに、その空力特性も秀逸。
「超ロングルーフ・デザインのスーパービュレット・フォルム」の成せる技である。
着目すべきは、この「ガルウイング型テールゲート」。
これを見て、「アヴァンシア」というクルマを思い出したアナタは、きっと、筋金入りのホンダファンだ。
あらゆる状況で常に高度な走行安定性と乗り心地を両立させるという、「プログレッシブ・ジオメトリー」。
路面の凹凸が消え失せたかのような、「フラットライド」の乗り心地。
制動時にもほとんど水平姿勢を保たせるという、「アンチダイブ&アンチリフト・ジオメトリー」。
当時高校生だった私はこのカタログを眺めながら、「早く免許を取って、その走りを試してみたい」と夢想していたものだった。
現実に私が買ったクルマは、同じホンダとはいえ、悪路では最悪に近い乗り心地の「シティ」だったのだが・・・
「乗る人全員が、無限の解放感を味わえる」という、マキシマム・キャビン。
リアゲートがバンパーレベルから開かないので、重い荷物の積み下ろしには難儀しそうである。
まあ、このクルマは、「実用よりも遊び心重視」のコンセプトなのだと理解すべきであろう。
大型センターコンソールには、カセットケース収納用の仕切りが付いている。
FMからエア・チェックしたり、貸しレコード屋から借りたLPを録音したお気に入りのカセットを、なんと10本も収納できたのだ。
電動ガラスサンルーフも、極めて魅力的である。プレリュードが初めて国産車に採用した、この装備。私もレガシィを買う時に、これを付けておくべきだったと、今でも時々後悔する。
テールゲートを開けた時の後ろ姿が、そこはかとなく美しい、このエアロデッキ。
まさにオンリー・ワンの国産車で、この頃のホンダ車は、本当に特別なオーラを放っていた。
そのラインナップ。グレード名こそ若干異なるものの、ほぼ4ドアセダンに準ずる。
国際車アコードだが、「エアロデッキ」は全世界でリリースされたワケではない。あまりにも前衛的すぎる、そのスタイルゆえなのだろう。
北米とオーストラリア向けには、オーソドックスなファストバックスタイルの別ボディが存在したという。
それが、こちらである。
ううむ、悪くはないのだが、やや保守的で、面白みには欠けるといえましょう。
この代のアコードは、発表当初から、セダンの欧州市場向けはリトラクタブルヘッドライトではなく、異形ヘッドライトだった。
そして1987年。その仕様が、日本市場でも発売された。
それが、この「アコードCA」。
「CA」とは、「Continental Accord」の頭文字を取ったものらしい。「ヨーロッパ大陸のアコード」とでも訳せば良いのだろう。
いやあ、確かにそのスタイルというか雰囲気は、ヨーロピアンでエスプレッソである。
日本仕様も、最初からこれをリリースしても良かったのではなかろうかと思われる。当時は兄弟車(≒双子車)の「ビガー」もあったので、そういう販売戦略も可能だったハズだ。
いやあ、この頃のホンダ車のインテリアは、デザインもカラーも素晴らしいなぁ。
この異形ライトは、低いボンネットに実によくマッチしている。
驚きは、この「CA」にDOHCエンジンの用意は無く、すべてSOHCだったことだ。
あれほどDOHCを売りにしていたホンダだったのに、この変化に私は衝撃を受けた。
通常のアコードとの棲み分けを明確にするという意図もあったのかもしれないが・・・
装備品は普通のアコードに準じるもので、とくに「CAならではの新機軸」といったものは無い模様。
グレード展開では「2.0GXL」という2000ccのSOHC車が「CA」のみの設定だ。
「GXL」および「GX」は、普通のアコードの「EXL」「EX」に、それぞれ対応する。
燃費に関しては、「CA」登場後、若干ながら向上したようだ。エンジンそのものや排気系をファインチューンしたのかもしれない。
全長は4,565mmと、3代目アコード登場当初よりも30mm長くなった。これは、バンパーの形状の違いによるものであろう。
3代目アコード。ジャストサイズで、なおかつ、気品とスポーティさを併せ持つ、実に魅力的なクルマであった。
この時代のホンダ車は、他の国産車メーカーとは違う立ち位置にあり、特別な雰囲気を持っていた。だが、ホンダは大メーカーになるとともに、そのイメージを薄めていってしまった。現在では、「最もプレミアムブランドに近い位置」を、スバルに奪われてしまったと言ってもいいかもしれない。残念なことである。
ワンダー・シビックの登場で、私のホンダへの愛情はゆるぎないモノとなっていた。
そして1985年2月。追い打ちをかけるように、ホンダはまたまた魅力的なニューカーを繰り出した。
クイント・インテグラ。グラスエリアを大きく取った、魅力的な3ドアハッチバック・クーペ。
しかも、全車DOHCエンジンという、ホンダスピリット炸裂のクルマだった。
山下達郎氏のBGMのCMが、これまた爽快で、このクルマをより輝かせて見せた。
最上級グレードの「GSi」は、パワステ・チルトステアリング・バックスプリット式ピロー付リアシートを装備。
スポーティーグレードの「RSi」。テールゲートスポイラーは、このグレードならではの装備だ。
ボディ同色ではなく樹脂色そのままの点に、流れた時代を感じるが・・・
価格と装備とのバランスに優れた、中間グレードの「ZS」。
余談だが、かつてこのグレードの白いクルマを友人の尾車氏が購入。若かりし日の尾車氏はそのクルマを、多段変格活用したのである。私もよくドライブに連れて行ってもらったものだ。オタモイ海岸とか・・・懐かしいっすネ。
廉価グレードの「LS」。見た目は貧相だが、このグレードもDOHCエンジン搭載なのだ。
この頃F1活動を再開したホンダ。ウィリアムズにエンジンを供給し、ドライバーはケケ・ロズベルグ&ナイジェル・マンセルという、暴れん坊コンビであった。
エンジンに関するメカニカルな解説が満載なのも、当時の時代背景を物語る。
ワンダー・シビック同様の「高性能スポルテック・サスペンション」。
インテグラは、シビックと基本コンポーネンツを共用していたのだ。
当時のホンダは、プレリュードやシビックに「トレイ型インパネ」を採用していたが、このインテグラは「ラップラウンド・スラント・インパネ」を採用。
この当時のホンダ車のインテリアは、デザインや色使いが上手く、競合他車よりもずっとオトナっぽく上質に見えた。
上級グレードには油圧反力感知方式の、パワステを装備。
ATが3速にしかすぎないのは、時代を感じさせる部分だ。
そして、オプションのガラス・サンルーフは、このクルマのイメージにピッタリで、極めて魅力的に思えた。
多彩なポケッテリアに、分割可倒式のリアシート。ユーティリティに富んでいたのも、このクルマの魅力である。
小学生の頃好きだった「オースター・マルチクーペ」を、思わせるものがあった。
主要装備の数々。今や軽自動車でも常識の「パワーウインドウ」「パワードアロック」だが、この時代だけに、装着車の設定は無い。「エアバッグ」「ABS」も然りである。
5MT車の10モード燃費は14.0~15.4km/Lで、3AT車のそれは12.0~11.6km/L。
当時としては、好燃費のDOHC車だったといえましょう。
まあ、現在のクルマの水準には、遠く及びませんが・・・
「エンジン性能曲線図」に加え、各ギア毎の守備範囲までを示した「走行性能曲線図」が、マニアックで素晴らしい。
さすがにF1に参戦していただけのことはある。ホンダイズム炸裂である。
全長×全幅×全高は、4,280mm×1,665mm×1,345mm。
当時のプレリュードのそれは、4,295mm×1,690mm×1,295mmだったので、全高以外はかなり近いサイズだったことが分かる。プレリュードって、ホントに背が低かったんだなァ・・・
ちなみに、スバルBRZのそれは、4,240mm×1,775mm×1,300mmである。
当初は3ドアのみでデビューしたインテグラだったが、同年10月には5ドアが追加設定される。
そもそも、前身の「クイント」というクルマが5ドアだったので、むしろこの5ドアの方が本命だったのかもしれない。
後付け感なく、スッキリと収まったリアのドア。あらためて見てみると、インテグラは5ドアの方が3ドアよりもバランス良く見える。
現在の日本車は5ドア車全盛だが、このような流麗なクーペルックの5ドア車は、少数派である。
カタログを眺めていて、3ドアと5ドアのエンジンスペックが異なっているのに驚愕!
「おおっ、さすがはエンジンのホンダ。3ドアと5ドアで、チューンを変えているのか!」と、一瞬思った。
・・・だがしかし。真相は、「表記上の違い」だったのである。つまり、2月発表の3ドアは「グロス表示」で、10月発表の5ドアは「ネット表示」。なので、実際は同じスペックだったのだ。なんとも紛らわしい・・・
とはいえ、5ドアの方はユーティリティ重視でホイールベースを70mm延長している。その点は、大いに評価したい。
ATが4速に進化したのも、大きなトピック。10モード燃費も、3AT車比で0.6~1.0km/L向上している。
というか、1年待たずに変更するくらいだったら、初めから4AT搭載で出すべきだったのでは・・・
5ドア車には、パワーウインドウ装着車も設定された。やはり、インテグラの本命は5ドアだったのだろう。
グレード構成は、5ドアと3ドアで微妙に異なっている。
5ドアには「GS」という、キャブレターの豪華装備仕様が存在する。
それに対し、スポーティーグレードの「RSi」は、3ドアのみの設定となる。
重量は、同一グレード同志の比較では、5ドアが約30kg重い。だがしかし、10モード燃費の数値は同一である。
5ドア化に伴いホイールベース&全長は、70mm延長された。だが、全幅と全高は同一である。
ホンダが売りたかったのは、本当はこの5ドアの方だったのだろう。
だが、当時の日本では、5ドア車というのは忌み嫌われる、薄幸なる存在であった。
3ドアをイメージリーダーとしてまず販売し、インテグラ自体が認知された後に5ドアを追加する・・・ホンダの販売戦略だったのかもしれないが、5ドアも同時に出したほうがむしろ斬新なイメージを構築出来たのではなかろうかと、私は、気弱に思う。
5ドアがラインナップに加わった1年後の、1986年10月。
インテグラに「4ドアセダン」が追加設定された。
「セダン深呼吸」・・・当時の日本は今とは違って、クルマ≒4ドアセダンというのが定説であった。
「ホンダベルノ店」向けの4ドアセダンのタマを増やすという、販売店対策の意味合いが大きいと思われるこのクルマ。
まあ、結構カッコいいとは思いつつも、私はどことなく釈然としない気分で、この4ドアセダンを迎えた。
「GSi」が最上級グレード。この淡いグリーンのカラーは、当時なかなか斬新であった。
「GS」「ZS」と、そのグレード展開は、おおむね「5ドア」に準じていたのだが・・・
私を最も落胆させたのが、この1.5リッターSOHCエンジンを搭載する「VX」の登場だった。
「全車DOHCエンジン」というのがインテグラの大きな特色で、それが「ホンダイズム」なのだと考えていた私は、このグレードの追加に大いに憤慨した。ホンダに裏切られたような気分だった。「ホンダのピュア・スピリットはどこに行ったんだ!」と、私は海に向かって叫びたくなったものだ。
まあ、今になって思えば、そんなことよりももっと怒るべきことは、世の中には沢山あるのだけれど・・・
ホイールベースは5ドアと同一の2,520mmだったが、室内長は「カタログ上では」5ドアよりも70mm大きくなった。
実際に、5ドアよりも4ドアセダンの方が広かったのかどうかは、比較試乗したことがないので、私には分からない。
ちなみに室内高は1,100mmで、これは3・4・5ドアに共通の数字だ。
独立したトランクルームを持つのが、4ドアセダンのセダンたるゆえんである。
キャビンとトランクがそれぞれ独立していることのメリットは、当然ある。匂いのキツイ生魚や生ごみ等を積むような場合は、やはり独立したトランクルームを持つ4ドアセダンに一日の長がある。
だがしかし、3/5ドアのように、フレキシブルに荷室の大きさを変化させることはできない。
このセダンの登場で、私はインテグラのコンセプトがやや日和ったというか、後退したような印象を受けた。
4ドアセダンであっても、スポーティーな風合いのインテリアは、3/5ドアと同様で、ここは美点である。
まあ、コストを考えると、「4ドアだけに別なインテリアを与えることは出来なかった」というのが、真相かもしれないが・・・
この1.5リッターSOHCエンジンだが、燃費的に1.6リッターDOHCエンジン車よりも、劇的に向上したワケではない。
まあ、税制上のメリットの方が大きかったのであろう。
装備品の数々。「CD」が普及し始めたのが、この頃からであった。
余談だが、我が家でCDを聴くことができるようになったのは、1987年の末のことであった。
1500は2グレード、1600は3グレードのラインナップ。
低いノーズに、ハイデッキ。スタイル自体は、決して悪くない。
当時、リトラクタブルライトの4ドアセダンは、インテグラの他には同社のアコード/ビガーがあった。
この辺りは、確かに「ホンダイズム」の流れだと言えるかもしれない。
4ドアでリトラクラブルライトを持つクルマは、その他にはマツダのコスモくらいしか思い浮かばない。
装備それ自体は、3/5ドアにおおむね準ずるものである。
ただし「ガラスサンルーフ装着車」の設定が無くなったのは、大いに残念。
全長4,380mm×全幅1,665mm×全高1,345mmのスリーサイズ。5ドアに対し、全長が30mm伸びているが、これはおそらくトランクルームの拡大に充てられたのだろう。
インテグラ、若々しいイメージの、大好きなクルマであった。
だが、デビューから歳を重ねるにつれ、徐々にピュアな感じが薄れていったのが残念だった。
いつの日か、このクルマのブランドネームが復活することを、気弱に期待する私である。
’83年9月。たまたま自転車でホンダディーラーの前を通りがかった私は、そのニューカーの姿に目が釘付けになった。それは、スイカをストライクで叩き割ったような、衝撃だった。
3代目シビック3ドア。いわゆる、ワンダー・シビックである。
その当時のFF2BOXカーでは、いわゆる「赤いファミリアXG」が大人気で、そのスタイルが定番であった。
トヨタが「カローラⅡ」をリリースした時には「ファミリアⅡ」などと揶揄されていたものだし、そして日産も「サニー・ルプリ」で追従した。
だが、ホンダの回答はまったく異なっていた。
ロングルーフにグラスハッチ。それまでの日本車、いや、外国車にも無い、極めて斬新なスタイルだった。
あの時代。「ニューモデルマガジンX」も、もちろんインターネットも無かった。「月刊自家用車」や「ドライバー」はあったけど・・・
とにかく、何の事前情報も無く、いきなり実車で「ワンダー・シビック3ドア」を目の当たりにした高校生の私は、そのカタチに感動した。そして、慌てふためいてカタログをいただいたのである。
なにかビーグル犬を彷彿とさせる、活気に満ちたサイド・ビュー。
グリルレスで、ボンネットの中央が低くなっている、ホンダ独自のフロント・ビュー。
スパッ!と切り落とされたテールゲート。「クリスタルゲート」と呼ばれたグラスハッチに、横一線に並んだテールランプ。実に斬新かつアートな処理で、今でも美しく見える。
FFながらも低いボンネットで、空力特性も良好。
「テールゲートアッパーガーニッシュ」は風をリヤウインドウに誘導し、常に良好な視界を確保するという。
冬の北海道では、ココに雪が詰まるのではないかという懸念も拭いきれないが・・・
4連メーター&ステアリングの意匠が、極めてスポーティ。CR-Xとの強い血縁を感じさせる。
そして、ロングルーフの恩恵をうけた、広いインテリア。
この、ワインレッドの色調はいかがなものかと思うが、この当時のホンダはこういう色使いを好んでいたようだ。
リアシートはスライド&リクライニング機構を備え、居住空間と荷室の優先度合をフレキシブルに変更できる。
そして、軽快なフットワークと目を見張る直進性を両立したという「スポルテック・サス」。
その美しいリヤエンドと引き換えに、定員乗車時のラゲッジスペースは、やや心もとなかった模様ではある。開口部も高いため、使い勝手はあまり良くなさそうだ。だが、美しいデザインに免じて、私は、許す。
「ワイドフローベンチレーション」で、車内全体に爽快なエア・シャワーを導入。エアコンが現代ほど普及していなかった時代の、創意工夫である。
何よりも素晴らしいのが、窓面積が広く視界良好だったことだ。光あふれた居住スペースは、クリスタルな輝きに満ちているとのこと。
余談だが、田中康夫氏の「なんとなく、クリスタル」がベストセラーとなったのは、このクルマが登場する3年ほど前のことである。
廉価版の角型ヘッドライト仕様車には、「雪を逃がすスノードレイン」を装備。
大型のフロントドアには、開閉性向上のための「エアアウトレット」を装備。
・・・いろいろなところに、穴が開いていたのだ。
バリエーションはシンプルながらも、インテリアのカラーはブラック・レッド・ブルー・グレーの4種がカタログで確認できた。現代のクルマはインテリアカラーが選べないものが多いので、大いに見習ってほしい点である。
全長3810mm×全幅1630mm×全高1340mm。まさに、コンパクトカーである。
ちなみに現行フィットのそれは、3900mm×1695mm×1525mm。昔のクルマが小さかったのか、現代のクルマが大きくなり過ぎたのか・・・それは、謎である。
そして、5ドアの「シャトル」も見逃せない存在。
「サンルームのあるセダン」。実に意欲的なコンセプトの5ドア車だった。
チェック柄のシートトリム。余談だが、チェッカーズのデビューはこの年の9月21日。ワンダーシビックの登場はその翌日の9月22日であった。
リヤシートのバックレストと座面の間に大きな隙間が空いているが・・・掛け心地に影響はなかったのだろうか?謎である。
シートアレンジは多彩で、5ドア車らしいユーティリティに溢れている。まさしく、それは「自遊空間」。
最上級グレードの「55G」には「リアシェルフ」と「パワードアロック」を装備。
中間グレードの「55J」「55i」には、「リアシート・リクライニング」と「リアシートピロー」を装備。
いまや軽自動車でも常識のパワードアロックだが、この時代は最上級車だけの装備だったのだ。約30年の、時代の流れを感じる部分だ。
3ドア同様、低いノーズで、空力特性も良好だった模様。
「テールゲートアッパーガーニッシュ」も3ドア同様に装備。「リアウインドウへの泥のはね上げを空気の流れで防ぐ新設計」と、カタログでは謳われている。実際の効果は、どうだったのだろうか・・・また、寒冷地においては、雪や氷が詰まる懸念も、やはり拭いきれない。
広い窓面積で、室内は明るさに満ちていた。
「電動スモークドガラスサンルーフ」が、光のシャワーを車内に注ぎ込む。
室内との一体感を求めた、新設計フルラップラウンド・インパネ。
3ドアのそれとは、まったく形状が異なるのだ。
送風口を格納できる「ポップアップベンチレーション」は、世界初の装備だという。
ATは2種。1.5Lの気化器仕様には、ホンダお得意のセミ・オートマチックの「ホンダマチック」。
1.5Lのインジェクション(PGM-FI)仕様には、「ホンダマチック3速フルオート」がそれぞれ載せられていた。
まあ、どちらにしても、それほど効率の良いトランスミッションでは無かったと思料される。ちなみに、MT仕様との10モード燃費差は、「ホンダマチック」で2.6~5.0km/L、「ホンダマチック3速フルオート」で2.6km/L、それぞれ劣っている。
現代ではATの方がむしろ燃費がいいくらいなのだから、ここ30年での技術革新は、主にトランスミッションにあったと言っても、過言ではないかもしれない。
1気筒当り3バルブを持つSOHCエンジンは、パワーと低燃費を両立。
ちなみに、上の写真の数値は、5MT車のそれである。
「ポケッテリア」も、極めて充実!一家に一台のファミリーカーとしての使い勝手は、極めて良さそうである。
3ドア以上に充実したバリエーション。1.5Lモデルが中心なのは、シャトルの方が60~80kgほど重いからであろう。
全長3990mm×全幅1645mm×全高1480mm。3ドアよりも180mm長く、15mm広く、140mmも高い!ホイールベースも、70mm延長されている。
おそらくは、その背の高さが、秀逸なスペースユーティリティを生み出していた大きな要因なのだろう。
・・・ちなみに、現行フィットのそれは、3900mm×1695mm×1525mmで、実はフィットの方がさらに45mmも全高が高いのだ。見た目では、シビックシャトルの方が背が高そうに見えるのだが・・・デザインの、妙である。
ついでに書き記しておくと、フィットシャトルのスリーサイズは4410mm×1695mm×1540mmで、このシビックシャトルよりも、完全にワンサイズ大きいクルマなのだ。覚えておこう。
それにしても、現代の売れ筋コンパクト・カーはすべからく5ドアである。
いわば30年前に、ホンダはそのコンセプトを具現していたのだ。
現代のフィットのルーツは、この、シビックシャトルなのだろう。
そして、ワンダーシビックといえば、忘れられないのがDOHCエンジンを積んだ「Si」の存在である。
これは、’84年10月に追加されたスポーツグレードだ。
ボディ同色のカラードバンパーが採用され、リヤ・ガーニッシュがブラックからレッドに変更されている。
F1第2期活動期のホンダは、ウイリアムズにエンジンを供給。その年の7月8日に、ケケ・ロズベルグ(※ニコ・ロズベルグの父親)の駆るそのマシンが優勝し、ホンダエンジンに17年ぶりの勝利をもたらしたのだった。
このタイミングでの「Si」グレードの追加は、まさにグッド・タイミングだったといえよう。
「スポルティック・サス」は135psのハイパワーDOHCエンジンに対応するため、「等長ドライブシャフト」を採用。
そして、もともと空力特性に優れていた3ドアボディ。
ブラック基調のインストルメントパネル。そして、「新開発サイドサポートアジャスター付」のスポーティー・フロントシートの表皮のカラーが、実にシックでいいセンスだ。
「4-WAYスモークドガラス・サンルーフ」は装着車を設定。
スポーティでありながらも全体的に大人っぽいイメージで、この当時のホンダ車は、国産車の中では光り輝いていた。
まさに「スポーティ・コンパクト」といえるスリーサイズ。
実は友人のジンさんが、かつてこのクルマを所有していた。今思えば、私も、一度運転させていただくべきであった。
現在、この「シビックSi」の立ち位置にあるのが、おそらくはスズキの「スイフト・スポーツ」であろう。
ホンダが、日本国内においてシビックというブランドを捨ててしまったことは、個人的には大いに悲しいことである。欧州仕様のシビック、日本でも売ればいいのに・・・
CR-Xを含めると、4種のボディ・3種のホイールベースを持っていた「ワンダー・シビック」。
まさにホンダイズム満載の、魅力的なスモール・カーだった。私が歴代のホンダ車の中で最も好きなクルマが、「ワンダー・シビック 3ドア」だ。そのスタイルは、今も色褪せていない。本当に、グッド・デザインだと思う。
’82年秋に登場した「プレリュード」で、私は日産派→ホンダ派になった。
そして、’83年の春。多感なモラトリアムの高校生だった私を誘惑するクルマが、またしてもホンダからリリースされたのだった。
それは、「バラードスポーツCR-X」。
ホンダが久々に放った、ライトウェイトスポーツカーである。
セミ・リトラクタブルライトのフロントマスク。
テールを短くカットし、寸詰まりながらも愛らしいサイド・ビュー。
下半身に「H.P.ALLOY」という軽量な新素材を纏う、ツートンカラーのボディ。
スパッ!と切り落とされたテールエンドが、きわめて斬新に見えた。
ただし、この処理は後方視界にやや難があった模様で、2代目CR-Xでは、ここにエクストラウインドウが配されている。
大胆なチェック柄のフロントシート。余談だが、チェッカーズがデビューしたのは、この年の9月である。
デジタルメーターは、’80年代前半の流行アイテムであった。
車高の低いこのクルマのヘッドルームを確保し、短いルーフに装着させるための革新的アイディアが、「世界初」の「電動アウタースライド・サンルーフ」だ。
また、エアコンが今ほど普及していなかったこの時代。「ルーフベンチレーション」は、天井から新鮮なエアシャワーを降り注いだという。
低いノーズと、流れるようなルーフ。そして「セミ・リトラクタブルヘッドライト」。
それに加え、トレッドに対しホイールベースが短い、ワイド&ショートボディ。
我が家にあった文献をひもとくと、CR-Xのトレッド/ホイールベース比は0.64であるという。
ちなみに、当時のランチア・ストラトスのその数値は0.66で、ランボルギーニ・カウンタックでさえ0.62とのこと。
「マンマキシマム・メカミニマム」を具現した、ボディ&メカニズム。
SOHCでありながら、1気筒あたり3バルブで、低燃費と高出力を具現したエンジン。
特に、1.3L車は、燃費への対策がてんこ盛り!そのMT車の10モード燃費は、20.0km/Lと、当時としては破格の数字だった。
だが、ATの「ホンダマチック」は3速に過ぎず、おせじにも効率のいいトランスミッションでは無かったと思われる。
低いノーズを実現するのに大いに寄与したと思われる、「トーションバー・ストラット式フロントサス」。
’80年代前半。プレリュード以降のホンダ車は、FFでありながらもノーズが低く、前方視界は大いに良好だった模様。バケットシートが、その低重心の走りを支える。
ステアリングホイールは、革巻きではなかったものの、しっとりとした質感のプラスティックで、手になじんだものだ。
このステアリングは、かつて友人の尾車氏が乗っていた「クイント・インテグラ」のそれと共通で、後に氏より私がそれを譲り受け、愛車の「シティ」に装着していたものだ。
当時の高級車感覚の「タッチスイッチ式ヒーターコントロール」は、ドライバーの手に届きやすい位置に配置され、操作性良好だったと思料される。
リヤワイパースイッチが同軸に配された「回転式ワイパースイッチ」も、然りである。ただし、1.3L車の場合は「間欠機構」と「リヤワイパー」が省略されていた模様で、そこは大いに残念。
「トライアングルメーターバイザー」により、視認性と操作性を両立。
当時としては斬新だった「エレクトロニック・ナビゲータ」は、平均車速・平均燃費・消費燃料等を表示できる優れモノ。
非常用のリアシートといえる「1マイル・リアシート」。「1マイル(1.6km)なら我慢できる」という意味で、名付けられたらしい。その昔、自動車評論家の星島浩氏が、モーターファン誌で「犬も参るからワン・マイルシートだ!」と、枯れたジョークを放っていたことを思い出す。
「セミコンシールドワイパー」「フラッシュサーフェスウィンドウ」「サッシュレスドア」、そして「インテグラル・ドアハンドル」は、良好な空力特性に大いに貢献。
「サイドデミスター」で、雨天時の側方視界を確保。
「センターポケット」には、サングラス等の小物を格納できる。タバコも、入りそうですネ・・・
「フットレスト」は、やや平板で、実際にスポーツ走行時の役に立ったかどうかは、謎である。
また、「テンポラリースペアタイヤ」は、この頃から登場したアイテムだ。
足元のお洒落と軽快感を両立する「アルミホイール」は、オプションであった。
特に、上の写真の左の「丸4つ」のアルミのデザインは、なかなかキュート。
燃費も良好だった「1.3」は、お洒落なシティ・コミュータとして、悪くない選択だったように思う。「間欠ワイパー」が未装備なのが、ただ一点の曇りと言えましょう。
装備充実の「1.5i」。この当時のCR-Xは、スポーティでありながらも都会的で、汗臭くないイメージのクルマだった。
「1.5i」の場合、ボディ下半身の「H.P.ALLOY」にはシルバー塗装が施されている。
だが、私見では、ブラックの樹脂色そのままの「1.3」の方が、潔くスポーティに見える。
若い二人のためのデュエット・クルーザーCR-X。
全長3675mm×全幅1625mm×全高1290mm。そのコンパクトなサイズは、現代のクルマが失ってしまったモノだ。
さらには、1.3L車の価格は、札幌地区の場合102.7万円からと、大変リーズナブル!当時の若者でも、手が届く範囲だっただろう。
まあ、およそ30年前と現代では、貨幣価値がだいぶ異なるとはいえ・・・現代の86やBRZは、今の若者が気軽に買える価格帯のクルマではない。2000ccだし・・・
やっぱ、手ごろな価格で、排気量1.3~1.5リットルのライトウェイト・スポーツが、日本から再度出てきてほしいものだ。私の、小さな願いである。
9月発表予定という「スバルXV」のプレカタログを、入手した。
ロードクリアランスが高く、積雪地に住む私には、もってこいのクルマと思われる。
ホイールのデザインを含め、なかなか魅惑的ではないか!
2.0LのフラットフォーDOHC エンジンを積むAWD車として、JC08モード燃費15.8km/Lは、なかなか優秀な数値だ。
しかしながら、MTの用意がないのが、自称MT派の私にとっては、残念無念である。
だがしかし、ボディーカラーは豊富だ。9種ものボディーカラーの用意があるのは、見逃せない美点。
インテリアカラーがブラックだけなのが、ちょっと残念だけどネ・・・
私がこのクルマを購入するならば、この「デザートカーキ」のカラーにするだろう。
MTの設定があって、スペアタイヤ標準装備ならば、私の次期愛車の有力候補である。これ、ホント。
それまで日産派だった私を、誘惑した初めてのホンダ車が2代目アコードだったことについては、先日語ったとおりである。
そして1982年の秋、このクルマのCMに、私の目はクギ付けになった。
そう、ホンダの2代目プレリュードである。そのボレロの音楽と相まって、ものすごくカッコよく、オトナのクルマに見えた。それに対して日産は「マッチのマーチはあなたの街にマッチ!」とかやっていたものだから・・・なんとも切ない。
そして、多感なモラトリアムの中学生だった私は、日産派を止めて、ホンダ派に寝返ったのだった。
私は、ホンダベルノ店まで自転車を走らせ、プレリュードの本カタログを入手した。
「Something Coming 私の時が始まる。」・・・当時のホンダは、広告展開が非常に大人びていた。当時の日産とは、まさに好対照である。
このカタログの前半は、主にメカニズム解説に費やされている。まずは「1気筒あたり3バルブ」のデュアルキャブ12バルブ1.8リッターSOHCエンジンの解説。
それは125PS・15.6Kg・mを発揮。MT車の10モード燃費は13.0km/L。
当時のノンターボの1,800cc車としては、なかなかハイパワー。この時代においては、燃費とのバランスにも優れたエンジンだったと言えるかもしれない。
4-2-1-2エキゾーストは、F1やF2で磨き抜かれた、とっておきのレーシングテクノロジーが活かされたものだという。
文系の私は、このカタログにびっしりと書かれていた解説を読んでも、なぜそれがイイのか、さっぱり理解できなかったが・・・
フロント・ダブルウィッシュボーン・サスペンション。
それは、FF横置きエンジンのこのクルマのボンネットフードを低くすることに、大いに寄与した模様。
今では当たり前の装備のABS。それを国産車で初めて搭載したのは、このプレリュードだった。
当時のホンダは「4輪アンチロックブレーキ・システム=4W A.L.B」と呼んでいたのだ。
「ウルトラ・ワイド・&ロー」なボディは、空力特性にも優れていた模様。
アイポイントは低いながらも、さらに低く構えたボンネット。当時、自動車評論家の星島浩氏は、「前方視野はまさにパノラマで、ミッドシップのスポーツカーでもなければ味わえない。大げさにいえば新しい次元の視界だ」と、大絶賛していた。
全方位に渡って良好な視界が確保されていたのは、この時代のホンダ車の美点である。
フロントドアの横幅いっぱいに設置されたデフロスターは、エアカーテンとなって、広いガラスエリアの曇りを素早く取り除くという。
この時代から流行し始めたデジタルメーターは、最上級車の「XX」に装着車を設定。
それよりも重要な美点は、全車に「図形表示式の半ドア警告灯」を標準装備していたことだ。これは実用上、本当に便利な装備なのだ。
トランスミッションは、当時としては先進の、「ロックアップ機構付ホンダマチック4速フルオート」を用意。
ATシフトレバーの形状が、なんとも、男っぽいというか、なんというか・・・・
そして、このフロントマスク。非常に幅広く、低く、実にカッコ良く見えた。
この頃のホンダは、メッキモールの使い方が、実に上手かった。
本当に、他メーカーの国産車とは一線を画する上質さを持っていたのだ。
当時のBMW6シリーズのエッセンスを、巧みに取り入れていたと言えましょう。
実にアートな、細部のデザイン。登場当時はブラックだったリアガーニッシュはマイチェンでレッドになってしまったが、ブラックの初期型の方のデザインを、私は好む。
全車標準装備の電動スモークドガラス・サンルーフ。フラッシュサーフェス化されたドアハンドル。そして、リトラクタブルヘッドライト・・・もう、ツボがいっぱいである。
スポーティーでありながらも、シックなインパネ。この当時のホンダ車は、プラスティックの質感の出し方が、他メーカーよりもずっと上手だったのだ。
いかにもホールド感のありそうな、フルバケットシート。
実用性とデザインとを両立させた、インパネ周辺の意匠。
リヤシートは一体可倒式で、現代のスバルBRZにも共通する利便性を持っていたのだ。
「マン・マキシマム/メカ・ミニマム」という、当時からのホンダの思想が読み取れる、この透視図。
最上級の「XX」は、パワーウインドウ・パワーステアリングを装備。
スポーティグレードの「XZ」は、レッドのストライプでスポーツ感を演出。
ベーシックグレードの「XC」にすらも、電動サンルーフとクルーズコントロールが、標準で付いている!
全長4,295mm/全幅1,690mm/全高1,295mmのディメンション。
ちなみに、スバルBRZのそれは、4,240mm/1,775mm/1,300mmである。全幅以外は、かなり近いサイズなのだ。
プレリュード、憧れのクルマだった。この頃のホンダの立ち位置は、他の国産車メーカーとは一線を画する、ストイックかつ上質なイメージだった。それは、CM戦略のみならず、実際に作っていたクルマが、下世話で幼稚な他の国産車メーカーとは、まったく異なっていたのである。
私の考えるホンダの黄金期は、’80年代前半だった。この2代目プレリュードは、ホンダが輝いていた時代の、まさに前奏曲だったと思う。
スイフトが好調に売れているスズキ。だが、スイフト登場以前の「軽ではないスズキのクルマ」は、実に地味な存在であった。
2001年に登場した「エリオ」というクルマのことを、アナタは憶えていただろうか?私は、忘れていた。
フロントから見るとプレーンでクリーンな造形で、清楚なイメージである。やや無国籍な印象も否めないが・・・
だが、リヤエンドのガーニッシュとテールランプはなかなか個性的。オッ!と思わせるものがある。
ルーフに入る4本のプレスラインは、ボディ剛性確保のためのものなのだろう。
このクルマの一番のハイライトは、やはりこのインパネであろう。
左右対称の造形に、デジタルメーター。まるでフランス車のような斬新さで、当時の国産コンパクトカーとは一線を画していた。
汗っかきの私としては、ステアリングが革巻きではなくウレタンなのが、残念な点ではあるが。
全幅1,690mm、全高1,550mm。現行のフィット4WDとほぼ同じ幅と高さである。
そして全長は4,230mmで、ホイールベース2,480mm。長さはフィットとフィットシャトルとの中間くらいといえましょう。
ベージュ基調のインテリアは、色使いといい、そのデザインといい、まるで北欧の家具のようなイメージ!ボディーカラーによっては、グレー内装も選べたのだ。
近年の国産車はインテリアカラーが選択できないものが多いが、まことに残念なことだと思う。
安全性にも、ぬかりはない。軽量衝撃吸収ボディー「TECT」を始め、ダブルエアバッグに、ABS。メーカーオプションでサイドエアバッグも装着可能だった。
この当時から、各社が衝突安全ボディに愛称を付けるのが流行し出した。トヨタは「GOA」。日産は「ZONEボディ」。マツダは「MAGMA」。ダイハツは「TAF」。・・・スバルは、何だったかなぁ?
1.5リッターDOHC16バルブの「VVTエンジン」は、110PSを発揮。ちなみに、私が当時乗っていたエスクード・ノマドのエンジンは、1.6リッターSOHC16バルブで100PSだった。
10・15モード燃費は18km/Lと、当時としてはなかなか優秀な値。ちなみに、私のエスクードのそれは、11.4km/Lだった・・・
この時代だけに、販売の中心は4AT車だったようだが、全てのグレードで5MTが選択可能。フルタイム4WDも用意されていた。
「6:4不等分割可倒式リヤシート」で変格活用可能なラゲッジは、5ドア車ならではの利点だった。外したヘッドレストを挿しておけるようになっているのも、小さな親切である。
まあ、ヘッドレストを外さないでシートを畳める方が、より親切なんだけどネ・・・
多彩な収納スペースが、また嬉しい。2WD車には、なんとバケツも装備!洗車時やキャンプ等で重宝したことであろう。
豊富な快適装備品の数々。「LED1灯式サイドターンシグナルランプ」がここに紹介されているのに違和感を感じるが、おそらくは写真のスペースを埋めるために、載せられたのだろう。
「カセットステレオ」というのが、やはり流れた月日を感じさせる。10年は、一昔なのネ。
「抗菌インテリア」と「UVカットガラス」で、女性ユーザーへの配慮も抜かりはない。
グレードは「G」と「X」の2種というシンプルな構成。4WDが選べるのは「X」のみ。「クールベージュメタリック」と「カシスレッドパール」のボディカラーも、「X」のみの設定だった。
「G」と「X」の価格差がいくらだったのかは不明だが、私だったら「X」を選ぶことであろう。
そして、多彩(?)なアクセサリー。「木目調インテリア」や「ローダウンスプリングセット」はこのクルマには似つかわしくないと思うのだが・・・そういう需要も少なからずあったのだろう。
スイフトと軽以外のスズキのコンパクトカーは、なかなか定着しない。「カルタス・クレセント」や「SX4」「スプラッシュ」も欧州チックで私好みなのだが、あまり一般受けはしなかったようだ。
そして私も、このエリオというクルマの存在をすっかり忘れていた。だが、あらためてカタログを眺めると、なかなか魅力的である。エリオよ、御免。私を許してくれ。
スバルディーラーの担当さんより、11月末に国内販売される予定の「次期インプレッサ」のプレカタログをいただいた。
米国スバルの公式HP上でも、その姿はおおむね明らかになっているが、とくに「G4」と呼ばれるセダンは、なかなかカッコいい。
嬉しいのは、国内仕様の1.6Lモデルにも「5MT」を残していることだ。いやあ、その辺は、さすがスバルである。
さらに、アイドリングストップ搭載車の10.15モード燃費は、ついに大台の20.0km/L!
その価格がいくらになるのか、大いに気になる。早く実車を見てみたいものですネ。