牡蠣のオイル煮(最近、牡蠣に憑かれているような気もするが、今夜も。加熱用牡蠣を水洗いし、よく水を切っておく。小鍋に牡蠣をいれ、エクストラ・バージン・オイルをひたひたにいれて、塩、胡椒、にんにくを加え、とろ火で加熱する。オイルを過熱しすぎないように注意。レモンを掛けて食する)
黒はんぺん(イワシのはんぺんをグリルで焼いて、スイートチリ・ソースで)
ルッコラとブロッコリ・スプラウトのサラダ
上橋菜穂子、2006、『獣の奏者 I 闘蛇編』、講談社
上橋菜穂子、2006、『獣の奏者 II 王獣編』、講談社
著者の上橋さんに作品が生まれるときの経緯を聞いたことがある。そのときの話は、どうもこの作品のことについてのことのようだ。作家には、調べものを重ね、構想を練り、作品を構成するタイプと神の啓示を待つようなタイプがあるという。もちろん、この二つのタイプのどちらかに分類されるという類ではなく、この両者を両極とするとその中間のどのあたりかにほとんどすべての作者が位置するということだろう。上橋さんは、どちらかと、後者で神の啓示を待つほうの部類だろうという。
彼女は大学で文化人類学を講ずるという表の顔がある。もうひとつの顔がファンタジー作家としてのそれである。表の顔は、先ほどの作家の二つのタイプということからすると、前者の方、つまり、先人の業績をフォローし、学説をフォローし、学生たちにかいつまんで講義するのだろう。だから、というわけではないが、彼女のもうひとつの顔の方は、神の啓示を待つほうになるのだろうか。
さて、作品だが、彼女の作品でよく知られる「守人シリーズ」とはちがうもので、エリンという女性主人公が出てくるところでは、彼女の典型なのだが(まあ、これは、宮部みゆきの作品に、必ず、キーになる少年が登場するといってものと同じだろうか)、ちょっと構造的な図式が見える。二項対立の世界である。
「神王国」-「真王」-「王獣」-聖性-母系
「大公領」-「大公」-「闘蛇」-武力-父系
「神王国」には、母系で継がれる王統があり「真王」とよばれ、「闘蛇」に勝利する最強の獣「王獣」をシンボルとする。武力を持たず、聖性で支配をしている。一方、「大公」は「真王」の重臣で「神王国」を武力で守る責務を負う。その最強の武器が「闘蛇」である。「大公」は「神王国」の政治支配をねらっており、また、「真王」をねらう一味も存在する。その陰謀の隠された真実が、本書のミソなのだが。
主人公はこのいずれもに属さない被抑圧民の「露の民」の血を引く孤児。大公領の生まれで「大公」の「闘蛇」を飼育する「闘蛇衆」で働く「獣ノ医術師」である「露の民」出身の母を失ったいきさつの中で「神王国」に流れ着き、「王獣」使いの元「教導師長」が政争に敗れて山にすんでいる蜂飼いの男に育てられる。彼との共同生活の中で山中で野生の「王獣」をみる。主人公のエリンはやがては、「王獣」使いの学院で学ぶようになり、「王獣」の幼獣リランを竪琴でてなづかせ、やがては、唯一「王獣」や「闘蛇」をコントロールする「音無し笛」を用いないで「王獣」を言葉で操るようになって行く。
幼獣リランはリランで、竪琴の響きによって会話ができるようになっている。「王獣規範」によって「王獣」は「音無し笛」によってのみ無力化してコントロールすると定められているにもかかわらず、主人公エリン、「音無し笛」の対立項である「竪琴」を用いて規範を超える。そして、「王獣規範」は、「王獣」が知恵ある獣であることを隠蔽するために作られていることに、気がつく。
野生-飼育(文明)を超越する力
飼育(文明)-野生をコントロールする「王獣規範」・「音無し笛」・「特滋水」
エリンは、二項対立世界のの第三項である。第三項によって、二項対立世界は超越される。作者の上橋さんが構造主義者とはしらなかったが、本書の中には、構造主義人類学の断片がたくさんちりばめられる。たとえば、「露の民」は双分組織(モエティ)を持っている。野生と文明の対立項もそうである。
内容については、これ以上触れないようにする(これまででも、触れすぎか?)。いやいや、力作でした。読むべし。
2006-12-02 12:16:23 |
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