South Is. Alps
South Is. Alps
Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


エビとキャベツのコールスロー風

来客3人(同僚)。

エビとキャベツのコールスロー風(たまねぎをみじん切りして水にさらしておく。キャベツとセロリを荒くみじん切りして塩もみし、塩出し水切りしておく。剥きエビを塩ゆでして、同様のサイズに切っておく。たまねぎ、キャベツ、セロリ、エビをあわせ、軽く塩コショウ、粒ガラシ、マヨネーズ、レモン汁、オリーブオイルで味つける。プチトマトを八分し、あえてしあげる)
チーズ盛り合わせ(モッツァレラ・チーズとオリーブオイル、ウォッシュチーズ「ルクロン」=固めのウォッシュ)
ルッコラのサラダ(ルッコラとブロッコリスプラウト、プチトマト)
桜海老のパスタ(生桜海老をにんにくとオリーブオイルでいためてパスタと絡める)
ボッタルガのパスタ(ボッタルガ=ほぐしたからすみとオリーブオイルをパスタと絡める)
ゴルゴンゾーラのパスタ(ゴルゴンゾーラと生クリームをパスタ=パッケリと絡める)
ラムチョップのルッコラーゼソース焼(ラムチョップを塩コショウしておく。自家製のルッコラペーストをのせてグリルで焼く)
デザート:おもたせのchez Shibataのケーキとイチゴ

2006-12-04 23:53:24 | 夕食・来客 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『「お墓」の誕生:死者祭祀の民俗誌』

岩田重則、2006、『「お墓」の誕生:死者祭祀の民俗誌』、岩波新書

ずいぶん前だが、ある地方にある親戚の墓にもうでたことがある。いっしょにいってくれた親戚のおばさんは、庭先の花を摘んで、お墓に手向けていた。
ここは土葬の習慣を持ち、土まんじゅうがあって木製の墓標がたてられていた。墓所は、家からはほど近いところにあり、村から海岸に向かう通りに沿ってもうけられていた。おばさんから聞いた話で印象に残るのは、墓になっても歳を重ねるということだ。
つまり、時間が経つと、墓標は朽ちていくにまかされ、また、盛り上がっていた土まんじゅうも次第になだらかになっていく。何代かたつと、おそらくは、平坦になることだろう。
新仏がでたらどうなるか。平坦になったところを掘るという。そのとき、遺骨がでたらごめんなさいといって埋め戻し、その脇に掘り直すのだという。お骨がどのくらいの間、土中で姿をとどめるのかわからないが、おそらく、何代も重ねてこの墓地を利用してきたのだろう。ここでは、本書でも触れられる石塔を建てる墓所ではなかった。

さて、本書。まず、盆の送り迎えから説き始める。静岡県の習俗だが、送り迎えには習俗的には家霊を迎え送り返すはずだが、送り迎えの所作が毎日のように行われ、いつやってきていつ去っていくのかよくわからないという。
次に取り上げられるのは石塔を持つ墓に関連して、および、日本に多く見られるという両墓制である。私も、この項を読んで不明を恥じたのだが、両墓制というのは柳田国男が作り出した幻想であるようだ。柳田は自分自身の故郷(播磨地方)の制度を一般化して、あたかも日本の一般的な墓制としたのであるが、全国各地に様々な墓制が存在する。両墓制は、その一つにすぎなかったのである。
著者によると、石塔を墓としてたてるのは近世(徳川期)以降のことで、これは、キリシタン禁制に関連し、仏教が葬式仏教化し、全国の領民がどこかの寺を旦那寺として、その墓域に遺骨を納めることに起源がもとめられるという。そして、一家のの墓としての墓石(この下には遺体もしくは遺骨はない)と、遺体を埋める場所が墓の周囲にもうけられるような形式も見られるようにになった。
さらにそれより前は、多くは遺体の遺棄もしくは風葬が一般的で、当然石塔を墓所のうえにおくことはなく、土まんじゅうの上に石をのせる、あるいは竹などで墓上構築物を作る、あるいは鎌などをさしたという。
次に、著者は流産、死産、間引きなどの嬰児の埋葬についても注目する。こうした場合、多くの事例では近現代にあっても、墓石をもうけることはなく、他の埋葬方法(近現代は次第に石塔を建てることが一般的となる)との違いが明らかである。産制習俗と絡み、自宅出産がすべてである場合、後産などを納戸(寝所あるいは産屋)の床下に埋めたりするものと同様に、屋敷内の地面に埋めることも多く見られるという。こうした習俗は、石塔を建てる墓制以前の埋葬法を示唆するものという。
さらに、昨今の「靖国問題」にも関連し、近現代の戦死者の扱いについても減給する。すなわち、戦死者は一家の墓にいっしょに葬られる以外に、個人墓としての石塔が建てられるという。多くの戦死者には遺体はおろか遺骨があるとは限らず、遺品や写真が遺体もしくは遺骨の代わりに納められたという。日本には鎮魂のための神社が多く見られるが(例えば、菅原道真をまつる天神社)、これは、敵方によって怨霊となって害を及ぼすことを防ごうとするものであって、靖国神社が、味方によって鎮魂される神社ということも奇妙であるという。
また、戦死者の場合、一家の墓、個人墓、地方の護国神社、靖国神社と多重にまつられることになり、他の死者とは全く異なる扱いである。さらに、日本では多くは仏式で葬られるにもかかわらず、戦死者の場合は、神式でもまつられている。
墓制あるいは葬制として「靖国問題」を考えるという視点は、当たり前といえば当たり前なのだが、思いがけず新鮮であった。

「お墓」の誕生―死者祭祀の民俗誌

岩波書店

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2006-12-04 11:43:11 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )