South Is. Alps
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Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
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鶏の照り焼き、花椒風味

鶏の照り焼き、花椒風味(骨なし皮つき鶏もも肉をぶつ切りにして、塩胡椒しておく。ごま油を敷いたフライパンで、皮目を敷いて焼く。焦げ目がついたところで身を返し、用意したたれを注ぐ。たれは、日本酒、中国たまり醤油、濃口醤油、赤唐辛子粉である。仕上げに、花椒をかけて共する。ご飯にのせて、たれをかけて食べると、おいしい焼き鳥丼になる)
ほうれん草のおしたし(「ためしてガッテン風」?として、塩なしの湯で茹でて、出汁用のの鰹節をいって、フードプロセッサで粉砕した鰹節をかけ、濃口醤油をかけて食する)
蛸と若布の酢の物、柚子風味(いただきものの柚子の皮を包丁で剥き、中の白い内皮を包丁でこそげとる。これを千切り。柚子汁を絞り、米酢を少々加え、薄口醤油で味を調え、ここに薄切りした茹蛸と戻した塩蔵生ワカメをくわえてあえる)

2006-12-20 21:26:41 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『お世継ぎのつくりかた:大奥から長屋まで江戸の性と統治システム』

鈴木理生、2006、『お世継ぎのつくりかた:大奥から長屋まで江戸の性と統治システム』、筑摩書房

本書は、子だくさんの徳川家康に始まる縁組みが公儀(幕府)による統治システムの根幹と位置づけて、当時の性風俗や江戸の町並みをあわせ紹介しながら述べている。
武家も公家も一夫一婦、ただし、子造りのためには多数の妾を持っていて、当時の乳幼児死亡率の高さから、リスクをとってたくさんの子どもを作ることが当主の重要な役割であった。家康が子どもを産ませた女たちの出自は様々で、宗家の跡継ぎも母の身分は問われない。それどころか、母の縁者は引き立てにあい、立身出世を遂げる。また、ご落胤というのも多数いたようで、例えば、妾が妊娠したまま、お下げ渡しになる。ただし、徳川宗家を継がせるようなことはなく、譜代大名として幕閣をになわせ、また、金座の後藤家のように徳川経済を支えさせる。
家の名前は男名で継がれるのだが、養子も差し支えない。商家ではむしろ、直系男子を隠居あるいは別家させて、娘に養子をとる。養子の名前で家が継がれるので男系に見えるが実質は母系制である。武家でも同じ。
公儀はこれを制度化して、徳川の血を外様大名にばらまいた。例えば、妾につくらせた娘を大名に嫁がせ、その際には「松平」の制を与える。息子たちは養子にやる。江戸の町の大名屋敷は「松平」ばかりである。娘がいなければ、他家から養女にとって徳川の姫にしてから嫁にやる。この場合も「松平」である。こうして、縁組みによって譜代・外様の大名たちは徳川の血縁支配のもとに組み込まれていったのである。
大名家といえども、この縁戚を断ることができず、廃嫡してでも徳川からの嫁あるいは養子をとったのである。法人としての大名家はこれで安泰。家臣たちも、本来の血筋にこだわるあまり、公儀との関係を悪化させたくはなかっただろう。
さらに、あえていえば、天皇家も藤原家の女性を通した母系制で、万世一系は藤原家の方のようにも見える。別のところに書いているが、自分の書いたものを手前味噌であるがセルフリンクしておく。
Sig's Diary: 20060129 女性天皇か女系天皇か:http://d.hatena.ne.jp/maning/20060129

形式的父系、実質的母系というのは、江戸時代に限らず日本の古いシステムだろう。本書でも繰り返し、万葉の昔以来の妻問い婚(妻あるいは妾のところに通って子をなし、子どもは母方で養育される)がふれられている。武家は父系かと思いつつも、徳川家の様子をみると、母系とはいえないにしても、名前がつながれば男系でも女性でもという双系的なシステムのように見える。

繰り返しが多かったり、途中筋が読めなくなったりしたが、これは、こちらの理解が悪かったのだろう。いずれにしても、興味深く読むことができた。
お世継ぎのつくりかた:大奥から長屋まで 江戸の性と統治システム

筑摩書房

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2006-12-20 12:41:41 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )