東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷~麻里府 お地蔵様調査(2/2)

2014年12月09日 | ふるさと

 戎ヶ下を過ぎて麻里府に入りました。麻里府街内に入り、公民館から数百m先にあるお地蔵様を訪れました。花が生けられていました。このお地蔵様は、面白いことに塀に割り込む形で安置されています。もともと安置されていたお地蔵様を邪魔をしないように塀を作ったのでしょう。次に、国道188号線を渡って、麻里府小学校に行く途中にもお地蔵様があります。このお地蔵様も花が生けられていました。

   麻里府街の塀中にあるお地蔵様       国道から小学校途中にあるお地蔵様
      北緯 33°54'43.71                 北緯 33°54'41.80
      東経132°02'33.14                 東経132°02'26.76
 

 お地蔵様が大切されているかどうかは次のことで分かります。一つ、花が生けられているか。二つ、よだれかけは新しいか。三つ、屋根に幕が欠けてあるか。四つ、周りが整理されており雑草などが生えていないかなどです。次に、麻里府小学校の裏にお地蔵様があります。どうして道もないこんな場所にあるのか不思議です。手前に丸い井戸の蓋のようなものがあります。何か由来があるはずです。花が生けてあり比較的綺麗にしてあるので、お世話している方がいることは確かです。

       井戸、それとも御旅所?             麻里府小学校裏のお地蔵様
                                      北緯 33°55'47.71
                                      東経132°02'20.50
 

 麻里府小学校を過ぎて、中郷に入りました。中郷の中心部近くの、瓦屋根付きの小さな建物に入ったお地蔵様を訪ねました。このお地蔵様の前は、ちょっとした広場になっています。このお地蔵様が入っている建物に板が張り付けてありました。その板に何か書いてあるようですが、黒くて分かりません。そこで、その板を薄く水で濡らすとうっすらと文字が浮かび上がりました。この水で濡らす方法は龍泉寺のご住職さんに教えていただきました。その板には、「南平和十番」と墨書きされていました。この建物は、かつてお堂だったものを小さくしたもののようです。今後、真意を確かめてみたいと思います。

                麻里府中郷のお地蔵様、〇は十番札所の板
                        
北緯 33°55'04.62
                        東経132°02'03.60



 中郷を過ぎると、竹尾方面に向かってだんだん上り坂になります。中郷から上組にさしかかる場所に、お地蔵様があります。車に乗っていると分かりにくい場所です。次に、大泉寺の墓所に行きました。ここには、私が高校生時代に亡くなった岩金君が葬られています。45年位前のことです。Yさんと冥福を祈りました。そして、生きていることの不思議さや巡りあわせに思いをはせました。大泉寺を過ぎると、最終地点の上組地区に入りました。

     上組に行く途中のお地蔵様           上組のお地蔵様、卍マーク
      北緯 33°55'16.62                 北緯 33°55'28.01
      東経132°01'43.98                 東経132°01'25.81
 

 上組地区にもお地蔵様があります。台座には卍マークが刻んでありました。上組には、亡くなった岩金君や同じく同級生のHさんやYoさんの家がありました。Yoさんの家は蔓に覆われて今にも崩れそうでした。40年近い時の重みを感じました。
 上組を回ると、スタートした麻郷公民館に向かって早足で戻りました。Yさん、お疲れ様でした。田布施町には、いったい幾つのお地蔵様があるのでしょうか。今後、暇をみてはお地蔵様調査をしようと思います。

                麻郷~麻里府のお地蔵様調査ルート

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