10月の史跡巡りウォーキングは柳井市の日積にしました。このウォーキングクラブも来年で10周年を迎えます。そのため田布施や平生はほぼ歩きつくしました。そのため、最近は田布施周辺の柳井市,光市,上関町をウォーキングすることが増えました。そのうち周南市や岩国市の史跡を巡りするようになるとかと思います。今回は柳井市の北方面にある日積を歩きました。集合場所は柳井市日積支所が傍にあるふれあいどころ437です。雲一つない真っ青な空でした。私もを含めて5人で史跡巡りの下見をスタートしました。
誰もおらず静かだった大帯姫八幡宮の広い境内
ふれあいどころ437をスタートするにあたって、近くにある松島詩子の碑を見ました。高さ10m位に育ったマロニエの幹の下にその碑がありました。松島詩子は大帯姫八幡宮境内にあった大里小学校を卒業しました。この地は松島詩子の生まれ故郷なのです。松島詩子碑を見終わると、猫の絵が描いてあるたくさんの石を見ながら、大帯姫八幡宮に向かいました。少し歩くと、境内に向かう長い石階段を登りました。足の悪い方なら気持ちが萎えるようなハードな石階段です。石階段を登り終わると、大里小学校跡地を含む広い境内を進みました。すると立派なお社がありました。参拝を済ませると、引き返しました。お社近くの会館には、お祭りの準備をする氏子さんがいました。
松島詩子碑とマロニエ 境内に向かう石階段 別の石階段を降りる
大帯姫八幡宮を出ると、別の急な石階段を降りました。その石段には銀杏が大量に落ちていました。その銀杏を避けながら千鳥足で降りました。次に地蔵堂に向かいました。途中、野良仕事に向かう里人に声を掛けました。いろいろお話をしていると、天照皇大神宮教を起こした北村サヨ氏の実家を教えていただきました。火事で家はもうないとのことでした。地元の方の情報は大切です。
百姓一揆で亡くなった方の碑 集会所でもある地蔵堂
しばらく登り坂を回り込むように歩くと、地蔵堂が見えてきました。今も地元の集会所として使われているお堂です。江戸時代享保年間の飢饉で、日積のお百姓さん達が一揆を起こしたそうです。その代表が死罪となった碑が、この地蔵堂に建っていました。享保年間は、田布施でも人口の1/3が亡くなるひどい飢饉がありました。日積でも人々は飢饉に苦しめられたのでしょう。
柳井市日積の史跡巡りウォーキング下見コース