東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町竪ヶ浜~田布施川沿い史跡巡りウォーキングの下見(3/4)

2024年10月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 熊毛南高校をだいぶ過ぎると柳井市に入りました。そして、灸川を上流に向かって歩きました。ところで、今の田布施川は江戸時代初めから江戸時代後期にかけて作られた人工の川です。川が真っすぐであることが人工の川である証拠です。一方、灸川は曲がりくねっています。つまり自然の川の流れです。
 昔の田布施川(旧薬師川は大波野の中心を流れていました。田布施中学校の北を通り、大晃機械工業(株)傍を通って灸川に流れ込んでいたのです。今それを知る人はいません。航空写真を見ると昔の田布施川跡がくっきり残っています。

          灸川に架かる石橋、傷んでおり車は通行禁止


 灸川を上流に向かって歩いていると石橋が架かっています。この橋は平生と田布施を結びます。今の県道が無かった時代、平生~竪ヶ浜~灸川~田布施を結ぶ街道に架かっていました。この橋は今、通行禁止となっていますが歩いての通過はOKのようでした。この橋の近くに泉が湧く場所がありました。以前は屋根がありましたが朽ちて無くなっていました。その昔は貴重な水源だったようです。

   灸川傍の水源跡    かつての田布施川の幅   曼殊沙華が道沿いに咲く
  

 石橋を注意しながら渡ると田布施に向かって旧道を歩きました。その道に沿ってかつての田布施川跡が残っています。江戸時代の田布施川はここを流れていたのです。川幅12m位しかなく堤防も無かったようです。そのため氾濫に悩まされていました。その氾濫を避けるため、400年をかけて今の場所に田布施川が作られました。

     船を回転させる池跡        水の流れを制御する装置
 

  しばらく広い田んぼ道を歩いていると、電柵を片付けている方がいました。声をかけるとイノシシ除けの電柵とのこと。田んぼにもイノシシが入るのですね。稲の穂をこさいで食べ、さらに田んぼ内で転げ割るようです。お米を作る農家も大変です。ここ最近、イノシシ,熊,タヌキ,アライグマなどの被害が増えました。なんとかならないものでしょうか。
 大晃機械工業(株)の近くに船を回転させる船回しの池跡があります。江戸時代後半から明治にかけて、ここまで船が入港して波野の商品や人を平生湾に運搬していました、その船の舳先の向きを変えるための池だったのです。これまた知る人がいない史跡です。

     平生~竪ヶ浜~田布施川史跡巡りウォーキングの下見コース

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