大晃機械工業(株)傍にある船回し池跡を過ぎると、天満宮横の県道を回りこんで田布施川に向かいました。今回は下見ですので順調に歩けましたが、本番ウォーキングでは時間が足りなさそうです。そのため、熊毛南高校傍を流れる灸川を下流に向かって田布施川に向かうことになると思います。
大晃機械工業(株)をぐるりと回ると熊毛南高校入口の灸川に出ました。そして、今度は灸川の堤防に沿って田布施川に向かいました。放置された田んぼには覆いつくすほどの葦が映えていました。そして、どの葦も穂がたなびいていました。たなびく葦の穂を見ていると秋を感じさせます。また葦原は日本の原風景です。
田布施川脇の灸川河口、〇はかつての堤防を支えていた杭の列
5年位前に灸川を散策したことがあります。当時の灸川は水草が生い茂っていて川底が見えませんでした。そして、たくさんの亀がいました。ほとんどが外来種のミドリガメでしたが、クサガメなどの在来種もいました。ただミドリガメの方が強いのか在来種は追いやられて近くの田んぼにいました。しかし、数年前の灸川改修によって水草が一掃されて堤防が新しくなりました。そのためか、外来種も在来種もぐっと減りました。
赤子山を振り返って 穂が出た葦原 改修後の灸側堤防
灸川と田布施川の合流地点で小休止しました。この場所は、今から150年前の幕末期に脱走した奇兵隊の刑場でした。私の曾祖母が幼児の頃にその刑を見たことがあるとの言い伝えがあります。私の祖母が明治20年頃の生まれなので、祖母の母親が刑場を見たとの話は嘘ではないようです。実際、祖母や曾祖母はこのすぐ近くの人島地区に住んでいました。幕末を身近に感じます。
祖母や曾祖母が住んでいた人島地区 散髪の吉兼理髪室
小休止後、祖母や曾祖母が住んでいた人島地区の道を歩きました。私が幼児の頃、この人島になかば住んでいました。その当時は子供も多く、近くの子達とよく遊んでいました。懐かしい民家や道を思い出しながら歩きました。そして、スタート地点である平生Maxvalue近くにある吉兼理髪店横を通りました。吉兼理髪店は私が幼児の頃、保育園帰りにここでよく散髪していました。椅子の前の棚に「招き猫」の置物が置いてあったことを覚えています。私の髪を切った理髪店の親切なおばさんはもう鬼籍に入っていることでしょう。
今回は私が幼児の頃に歩き回った竪ヶ浜、田布施川、平生町北部の史跡を中心に歩きました。
平生~竪ヶ浜~田布施川史跡巡りウォーキングの下見コース