東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 大野付近の大岩と古道を散策

2014年02月22日 | ふるさと

 今、田布施町のひかり観音(鏡のような岩)の古い伝承を検証しています。その過程で、平生町にも光る岩があるらしいとのことを聞きました。そこで、平生の大野北にあるこびとのおうちえんのOさんに案内していただき、それらしい岩などをいくつか訪ねました。
 最初、おうちえんのすぐ上にある大きな岩を訪ねました。その岩の下に住む古老が、代々お供えをして祀っていたそうです。その岩に行ってみました。すると、西側面がスッパリ切り落としたように平になっていました。ただ、雨風による浸食が激しいため鏡のようではありませんでした。磨けば鏡面になると思いますが。

              つい最近まで、地元の古老がお供えして祀っていた大岩


 いくつか巡って、平生街に降りる道のそばに巨大な岩が露出していました。東面がやはりスッパリとした平面になっていました。ただし、周りは竹やぶで覆われているため現状では太陽の光を反射することはありません。大野付近の岩はほとんどが花崗岩のようです。花崗岩は、永い間の風雨による浸食により硬い石英が砂粒状に残ります。そのため、ざらざらしていました。ざらざらしていれば光を反射しません。ただし、割れた当時(数千年前?)は切り口がピカピカしていたと思われます。
 最後に、大野北にある古道を訪ねました。そこは、お地蔵様(やや新しめ、お顔が削れてる?)が安置されている古い道でした。昔の人々はこれらの古道を往来していたのでしょう。昭和30年代まで、平生と伊保庄の人々はこれらの古道を通って往来がありました。実際、私の母親は平生からの古道を通って、実家のある伊保庄山近に通っていました。
 こびとのおうちえんのOさん、いろいろ教えていただきありがとうございました。今後共よろしくお願い致します。

      道沿いの大岩、東面が平            古道に安置されたお地蔵様
 


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2 コメント

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岩の明かりが位置を教えてくれる。 (白い回転)
2014-02-22 09:42:22
明かりの少なかった昔は暗闇を行く船には危険が多く、大きな岩の明かりが頼りになるでしょう。太陽の光だけでなく、夜の航行にも月の明かりで岩の場所を教えてくれることもあったと思います。自然と共同体の生活では、自然の恩恵をうけて生きていたと考えられますね。
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コメントありがとうございます。 (東京里山農業日誌)
2014-02-26 20:05:09
だいぶ前のことですが、、
ブラックライト(紫外線)で光る石を探したこともあります。
岩と光との関係にとても興味を持っています。
返信する

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