初めて収穫した一個目の冬キャベツ
キャベツに限らず今は秋冬野菜の収穫時期です。食べきれないほどの野菜ができて毎日野菜尽くしです。しかし、2月頃までに食べきらないとトウが立ってきます。今日は本当に天気が良くて、日向ぼっこをしながらのんびりと秋冬野菜を収穫をしました。
収穫を待つ、あふれんばかりの各種秋冬野菜
この古いGeneral製トランジスタラジオ 6G630の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
修理( 1/11) 修理( 2/11) 修理( 3/11) 修理( 4/11)
修理( 5/11) 修理( 6/11) 修理( 7/11) 修理( 8/11)
修理( 9/11) 修理(10/11) 修理(11/11)
冬になって田んぼや畑の作業が暇になってきたので、趣味である電子機器の製作や修理をしています。今回はとても古いGeneral製の故障したトランジスタラジオを直すことにしました。まずは分解して内部の部品や基板を調査しました。昭和30年代の初頭のトランジスタラジオのようです。この時代はまだ真空管ラジオが幅をきかせていました。この頃はまだ私も小学生で、家にはST管を使った外殻が木製のラジオが一台鎮座していました。テレビはまだない時代でした。
とてもレトロなデザイン チューニングダイヤルを外す
トランジスタを使ったラジオは昭和30年代初頭から出始めました。トランジスタの種類も2SAや2SBのような統一名称がなく、会社別の固有の番号が振られていました。今回修理するラジオには、HJ23など日立が製造したトランジスタが使われていました。キャラメルを小さくしたように外形(扁平型)です。
基板を取り出して観察、あちこちに埃がたまっている
一番大切な部品であるトランジスタを調査しました。使われていたのは、周波数混合用にHJ23,中間周波数増幅用にHJ22A,低周波増幅用にHJ15です。しかし、不思議なのは電力増幅用はHJ17のはずなのに、使われていたのは2SB77でした。一度修理したのかも知れません。
周波数混合用のトランジスタHJ23(手前の黒の部品)
基板の痛み状況を調べると悲惨でした。驚いたことにはゴキブリの卵殻がありました。そして、基板の裏にはいろいろなゴミが付着していました。また、バーアンテナの支えが無くなっていました。バーアンテナは急遽両端を糸で縛ってぐらつかないようにしました。
糸で縛ったバーアンテナ 基板の裏は、ゴミ付着
とりあえず簡単に調査して、試しに電源をつないでみました。このラジオは今どき売っていない特殊な形の9V乾電池を使う仕様です。安定化電源から9Vを繋げるとザーという音がスピーカーから聞こえてきました。この音から低周波増幅機能は正常のようです。次は、無水アルコールを使って基板類のゴミを取ってみようと思います。直すのは、ちょっとしたパズルです。
痛んだ皮ケースに入れた、とてもレトロなラジオ
気分転換に2ヶ月ぶりに津久井城公園の散策に行ってきました。バイクで行くと1時間程度で行けます。これまでは春に行ったり秋に行ったりしていましたが、冬に行くのは初めてのことです。この公園を知った頃は頂上の津久井城跡まで登りましたが、最近はもっぱら途中の見晴らし台までしか行きません。
入り口付近の管理棟 麓は箱庭のような公園
晩秋を過ぎた初冬のため、風が吹くと冷たい風が顔を吹き抜けていきます。しかし、今日は風も比較的穏やかで日差しも強かったので快適に散策できました。田舎道をゆっくり歩いているような感覚で、冬枯れ直前の景色を堪能しました。
菜の花畑から丹沢山方面を遠望
初冬でありながらわずかに紅葉が残っていました。例えばもみじの一部が紅葉したまま落葉せずに残っていました。これも初冬の風物詩なのでしょう。晩秋の残りを探しながらの、のんびり散策をしました。
落葉せず残った紅葉もみじ 持ってきた、双眼鏡と古いラジオ
見晴らし台に付くと、ラジオを聴きながら一時間ばかり日向ぼっこ休憩をしました。近くのテーブルには、この公園の写真を撮影しに来たお年寄りのグループが楽しそうに輪になって談笑していました。この公園は、幼児とお年寄り,そして障害者が楽しむには丁度良い環境が整っています。お年寄りがのんびりと,又は車椅子でゆっくりと回れるように道が整備してあります。
すっかり葉が落ちた落葉樹の林、日差しが根元まで差し込む
この公園は、夏にはヒエや粟などの作物が、冬には麦類が栽培されています。ちゃんと収穫しているのかは定かではありませんが、目を休ませるのにほどよい緑を提供してくれています。
麦畑の小道をのんびり散策しながら下る
歩いていると、あちらこちらにカラスウリがぶら下がっていました。枯れた雑草や小枝にぶら下がる赤い実が印象的に目立ちます。野鳥が食べないところをみると、あまり美味しくはないのでしょう。渋柿のように種が熟すと、もしかして甘くなるのでしょうか。
枯れ枝にぶら下がるカラスウリ あちこちにある麦畑
この公園は、ちょっと町から外れていてバスなどの停留所からも離れています。しかし、定期的に来ているファンが少なくないようです。景観も絶景と言うわけではないのに座って眺めると落ち着くような田舎風景が広がっています。楽しむと言うよりも、気持ちが穏やかになるようなところです。
落葉せずに黄色に色づいたクワの大木
この公園には植林した杉林,昔から炭焼きに使ったと思われるクヌギや楢の林,そして自然のままの落葉雑木が、モザイク状に点在しています。夏は杉林の間を歩くと涼しく、冬は日差しが差し込む落葉樹の間を日向ぼっこしながら歩くと良いです。
クヌギや楢などの落葉樹と常緑樹が混在する林
先日麦を田んぼに播種しました。今回は、それに続く今年最後の麦の種蒔きです。12月に麦を蒔くのは初めてのことで、種蒔きとしては異例に遅れました。このため、芽が出たとしても育たないのではないかと思っています。その場合は春に刈り取って緑肥でもできればと思います。
田んぼ用の麦の種蒔き機を使って麦を蒔く
蒔いた麦の品種は農林61号です。日本で一番多く栽培されている品種だとのことですので、日本での栽培に適しているのでしょう。ところで、日本では麦の収穫時期は6月で梅雨の時期です。また、田植えなどのシーズンと重なります。さらに麦価も低いままのためか、最近では麦を作っている田畑を見ることがほとんどなくなりました。
市内にある種苗店で購入した麦(農林61号)
畑では麦を蒔いた後に土を被せます。しかし、田んぼでは耕耘機のロータリーで土を跳ね上げて土を被せることがありますが、今回は短くカットした稲ワラを蒔きました。自然農法で知られた故福岡正信氏は田んぼに麦や稲をばら撒いた後にワラを被覆していました。それを真似てワラを被覆してみることにしました。どうなることやら。
麦を蒔いた後、その上に稲ワラを被覆
2年ぶりでしょうか奥多摩に行ってきました。20年ほど前、奥多摩の古い作物を中心とした民俗文化を調査するために何度もこの奥多摩地区を訪れたことがあります。この奥多摩も、この20年間にずいぶんと変わってしまいました。調査に訪れた古老も、ずいぶんと亡くなったり又は施設に入っておられます。まずは奥多摩ダムにある施設で休憩しました。この施設では毎年秋に、この奥多摩ダムに沈んだ村に伝わる伝統芸能の発表があります。
奥多摩を代表する奥多摩ダム 湖底に沈んだ村を祭るなどの施設
当時調査したのは、この地域で日常的に栽培され食べられてきた雑穀文化です。作られた代表的な作物は、夏作物としてヒエ,粟,シコクビエ,小麦,もろこし,小豆などです。冬作物として大麦がよく作られてきました。奥深い山間地域ですので稲作は出来ませんでした。お米はとても貴重ではれの日ぐらいにしか食べなかったそうです。お米の入手方法は、炭焼きや箸作りなどを生産した代金で買っていたそうです。調査後、しばらく奥多摩に来る機会がありませんでしたが、最近は4年前,3年前,2年前とほぼ毎年訪れています。
奥多摩湖から見上げた民家、昔道(むかしみち)のスタート地点
この地域では平らな畑がほとんどありません。転げ落ちるような急斜面に畑が作られており、その畑にヒエや粟などの雑穀が作られていました。ほんの5,6年前まではヒエや粟が作られているのを何箇所か見かけましたが、今は一軒しか見ることができません。
奥多摩ダムから湖を見て、太陽が反射して湖面がキラキラ光る
雑穀を作っていたのはほとんどがお年寄りでした。その古老達が亡くなるたびに雑穀食の分が無くなるのは寂しいものです。私の手元にある種々の雑穀(ヒエ,粟,シコクビエ,黒斑小豆など)はこの奥多摩で手に入れたものです。
山の急斜面に張り付くように民家が並ぶ奥多摩山間部
奥多摩ダムを過ぎると道なりに峰谷地区に登りました。この地区は昔は一つの村だったとのこと。山の底に流れる川に沿って民家が多く立ち、山の急斜面に沿うようにパラパラと民家が並びます。20年ほど前、この付近は冬作物の大麦がたくさん栽培されていましたが、今回行ってみて全く麦類が作られていませんでした。ちょっと寂しい気持ちです。
山の西側、午後遅くまで日が当たる 山の東側、午後になるとすぐ日陰に
山の斜面に作られた畑はほとんどが耕作放棄されていました。放棄された理由は、栽培する古老がいなくなったり、イノシシや猿の被害などが上げられます。実際、今日道を通っていると猿が民家の屋根を歩いているのを見かけました。
植林した常緑樹と落葉した落葉樹がモザイクになった山々を遠望
奥多摩は登山道がたくさんあるため、山のふもとにはハイカーの車が何台も置いてありました。日帰りで山に登るために、山のふもとに車をおいたのでしょう。私も、神奈川山岳会に所属していた頃に雲取山を代表とする奥多摩の山々をよく登ったものです。
奥多摩の山肌に張り付くように並ぶ民家
奥多摩の峰谷地区を降りて、元奥多摩有料道路を通りました。12月初旬のためまだ道路は凍結していませんでした。比較的有名で、走りやすい道路のためか、車が何台も走っていました。自転車で走っている姿もちらほら見かけました。私も二十歳頃に初めて買ったスポーツタイプの原付で、この道を通るために横浜から来たことがありました。当時、この道路は有料でした。
湖面に浮かぶ小さな山々 道すがら見下ろした湖面
元奥多摩有料道路は三頭山の頂上を迂回するように走っています。そして、途中に「都民の森」施設があります。この施設の横を通ると、たくさんの車が駐車しており満車の表示がでていました。10数年ほど前、反対側の山梨県側から登ってこの施設に降りてバスで帰ったことがあります。さまざまなハイキングコースや森林体験コーナーがあったように思います。実際、神奈川山岳会に所属していたときにこの付近のルートを歩いたことがありました。
元奥多摩有料道路の休憩地点から、奥多摩湖を見下ろして
私は元々田舎生まれの農家兼酪農家育ちのためか、都会生活になじめない時があります。そのため、この奥多摩のしかも山間部に来るとホッとするものがあります。山の緑と空の青に染まる民家のたたずまいを見るだけも癒されます。
さっき登って降りた奥多摩の峰谷地区の山々と東京都最高峰雲取山を遠望
元奥多摩有料道路を過ぎると、新宿などの都市が遠くに見える箇所があります。ここで、休憩をとりました。この頃になると、日差しも陰るようになり寒くなってきました。あとは、自宅のある八王子に向けてひたすら走りました。
新宿などの都心が遠望できる休憩所で休息
今畑では、秋冬野菜の収穫時期です。一年で一番たくさん新鮮な野菜がたくさん取れる時期です。これらの野菜は主に9月中旬と下旬に種を蒔いたものです。ほうれん草や小松菜は10月になって種蒔きしました。あるいは、キャベツや白菜のように移植したもの、ニラのように株分けしたものです。その後、ほとんどの野菜は、10月に大根をはじめとして間引きしました。
量的に一番多く栽培している小松菜
この畑で収穫できる野菜は、小松菜、大根、京菜、チンゲンサイ、蕪、サラダ、壬生菜、高菜、ほうれん草、ニンジン、そして一番消費が多い白菜、キャベツ、ネギなどです。毎日のように収穫しても消費し切れません。自家消費以上の収穫量です。
すぐにでも収穫できる大根 葉が茂った京菜
ここ数年重点的に栽培しているのがのらぼう菜です。この野菜はやや癖のある多摩地区特産の自家野菜です。売れないのか、八百屋では見かけない野菜です。この野菜は冬に強くて、葉も食べますが春先に伸びるとう(花芽)を主に食べます。この野菜は9月中旬に種を蒔いて育てた苗を11月中旬に苗を植えつけました。
大葉に育ったのらぼう菜、春先のとう(花芽)を主に食用
それぞれの野菜を見ていると育ちに少しずつ差があります。例えば、ほうれん草はこの畑ではあまり育ちません。土が酸性なのかも知れませんし、ヨトウムシのために根元が折れた被害が多かったことも原因の一つだと思います。
良く育ったチンゲンサイ もうすぐ収穫時期到来の蕪
また私が苦手四手している野菜もあります。それはサラダです。苗はよく育つのですが、移植後の生育がよくありません。移植の方法が良くないのか、移植した土が肥えていないのが原因かも知れません。サラダは比較的害虫の被害が少ないにもかかわらず大きく成長させるのが苦手です。
葉が込み合った、葉が赤くなる種類のサラダ
また、一種類の野菜でも育ちの違うものがあります。小松菜を育てている畝をよく見ると、南側に比べて北側の畝の方が大きく育ち、葉も濃い色をしています。北側は以前堆肥場があった場所なので元々土が良く肥えているのだと思います。
葉色があざやかな壬生菜 葉色に特徴がある高菜
不思議なことにニンジンはこの夏の猛暑で収穫を諦めていました。しかし、秋になって何本か茂っていることに気が付きました。猛暑の中、その何本かはかろうじて育ち残ったのだと思います。この畑でとても貴重なニンジンです。
やや育ちが悪いほうれん草 何本か育った貴重なニンジン
春先に種を蒔いて、育った苗を移植したネギがだいぶ育ちました。このネギは根は太くはないのですが、とても分げつが旺盛なネギです。4月上旬に種蒔きして、6月上旬に移植して、そして10月に土寄せした一本が何本かに分げつして、それぞれ育っています。収穫時に一本だけ残しておくと、その後また分げつして収穫できます。
春先に種を蒔いて、育った苗を移植したネギ
キャベツと白菜はは寒冷紗を外しました。11月下旬移行は害虫がいなくなるので寒冷紗なしで育てられます。キャベツは中心部が巻いてもう収穫できます。白菜は、まだ巻いていないので、収穫はもう少しあとです。
中心部が巻いたキャベツ 中心部が巻き始めた白菜
そのほか、白菜(しろな),春菊,ニラなども収穫時期を迎えています。ニラは10年以上前に私が種を蒔いて育てたものを毎年のように株分けしています。混んできたためか葉が少し細くなっています。来年の春、久しぶりに種を蒔いて更新すると良いかも知れません。
良い色になった春菊 やや葉が細いニラ
これだけたくさんの野菜が一度に収穫時期を迎えると、毎日のように収穫して食べても食べ切れません。収穫しないで年を越してしまうと、霜や雪などで葉がだんだん痛んできます。知り合いに分けるなどしてなんとか食べきろうと思います。
たくさんの野菜が所狭しと育っている畑
一部の稲刈りに使っていた稲刈り機を、田んぼから運び出して鈴木牧場に収納しました。この稲刈り機は、9年前にある農家の方にいただいた農機具です。5年ぶりに使ってみましたが、しばらくぶりに稲刈りの効率のよさに驚きました。10人分位の稲刈り能力があるでしょうか。
田んぼを背景に、運搬し収納した稲刈り機
稲刈り機はこれまで鈴木牧場の隅に保管させていただいたので、その同じ場所に運びました。この稲刈り機は一輪車なので運転がとても難しいです。右へ左へと、半ばよろよろしながら運びました。道すがら、途中に広がるいくつかの収穫終わった畑を見ながら稲刈り機を運びました。
舗装道路でちょっと休憩 鈴木牧場の保管場所に到着
鈴木牧場の保管場所に着くと、稲刈り機からガソリンを全て抜きました。ガソリンが少しでも残っていると、来年使うときにガソリン残渣か詰まってしまうことがあります。ガソリンタンク内のガソリンを抜いた後に、キャブレター内のガソリンも空っぽにしました。
ガソリンタンク内のガソリンを排出してガソリン缶に受ける
最後に、稲刈り機に埃が溜まらないようにビニールカバーを掛けておきました。ただ、この稲刈り機はタイヤがパンクしているので、この冬の間に修理しようかしまいか迷っています。この秋、パンクした状態で特に不都合も無く稲刈りできたので、わざわざ修理する必要もないかなと思っています。来年の秋までここに置くことにしました。
ビニールカバーを掛けた稲刈り機
先日の防鳥網回収に続いて、田んぼに残っていた防鳥網2張りを回収することができました。これで全ての防鳥網を回収できたことになります。とても細い糸で編まれているため、所々傷んでいて切れているところもありました。
残った防鳥網1張りを繕っているMさん
防鳥網はとても広いため、回収するときのことを考えながら張らなければなりません。特に、四隅のうち南北の部分の辺は一つにまとめなければなりません。南北の辺をちゃんとまとめておかないと、来年田んぼに張るときにとても困ります。
まとめられた防鳥網の南の辺 南北の辺を両側に引っ張る
南北それぞれの辺をまとめると、今度は網を畳んでいきます。まず、南北の両端を引っ張った後、それを、二つに折り返します。それを二回繰り返して防鳥網を小さくたたみます。
南北の辺を二つに折り返した防鳥網
この防鳥網の回収はとても根気のいる作業です。よく漁港で漁師が魚網を広く干しながら繕っている姿を良く見ますが、そのように農作業の合間に根気良く作業しなければなりません。とにかく、今年は全ての防鳥網を回収繕いました。ここの田んぼでは、防鳥網にかける時間は相当なものです。それだけ、スズメなどの害鳥に悩める稲作りです。
綺麗にたたみ終わった防鳥網、お疲れさまでした。
今日は深夜勤務明けでしたが、仕事が終わった後の10時半頃に鈴木牧場に直行しました。そして、先日脱穀した籾を玄米にする支援をしました。籾を玄米にする籾摺り機が鈴木牧場に置いてあります。その籾摺り機を外に出して、その籾摺り機の使い方を来た人に教えました。
先日脱穀した籾を準備しているYさんとTさん
当日昼からはあらたにKさんもやって来ました。Kさんはやはり籾を30Kg程度籾摺りしました。なんでも、知り合いから籾摺りを頼まれたそうです。こちらの籾は十分干してあったので、あっと言う間に籾摺りが済んでしまいました。
籾を籾摺り機に入れているTさん 籾摺りを見ている途中参加のKさん
籾摺りが早く終了するための条件として、籾が十分干されて乾燥していること、そして、籾にワラゴミがあまり混ざっていないことです。十分乾燥されていないと不良米の率が高くなるようです。また、ワラゴミが多いと籾摺り機の内部にワラゴミが付着蓄積して籾摺りがうまく出来ません。
紙袋の中に排出されている籾摺りされた玄米
今日は深夜勤務明けなので途中に寝に帰ったりしました。ところで、私自身が預かっている籾は籾摺りしませんでした。私が預かっている籾は、来年小学生や大学生に提供するお米です。提供時直前の1月頃に籾摺りして同時に精米する予定です。
今日籾摺り作業した左から、Tさん,Yさん,Kさん