初夏に呉麓山中腹のひっかり観音の屏風岩を磨きに行きました。ところが、どういう訳か磨きに使ったディスクグラインダーが故障してしまいました。故障ならばまだしも、その後全く動かなくなってしまいました。どうもベアリングが固着してしまったようです。このディスクグラインダーは20年位使ってきたとても便利で愛着のある工具でした。
左は故障したグラインダー、右は今回購入したグラインダー
このディスクグラインダーは、金属などを磨く時によく使います。機械の修理などに無くてはならない工具なのです。そのため今回、大金?をはたいて新しいものを購入しました。故障したものよりも出力が大きく、回転数が多いものを購入しました。箱から本体を取り出し、最初に安全カバーを取り付け次に丸砥石を取り付けました。
安全カバーの取り付け 丸砥石の取り付け 使える状態のグラインダー
100ボルト交流電源を繋げばすぐ動かせる状態にすると、試しに使ってみました。磨いたのは、このところ下草刈りに使っている刃です。電源スイッチをONすると元気よく回り始めました。摩耗部分に丸砥石を当てると、鉄が磨かれて火花で激しく飛びました。摩耗部分を見ると綺麗に磨かれていました。あと数十年間はこのディスクグラインダーを使い続けることになると思います。
草刈機の刃をディスクグラインダーで磨くと、激しく火花が飛ぶ
今回は、山のすそ野と尾根付近の草刈りをしました。それほど茂ってはいない笹なのですが、なにしろ斜面ばかりの山すそです。元々は山道だったのですが、長い間に斜面がぞえて傾いています。知らない人ならば山道があったとは思えません。そんな場所を中心に下草刈りをしました。
道があったとは思えない斜面の下草を刈る
最初、山道跡をなんとか歩けるようにしました。そして、その山道跡から上に向かって刈り広げました。下刈りをしていて一番困るのは、斜面がきついことではありません。下草や落ち葉の下に隠れている切り株や石です。切り株に回転する刃が当たった衝撃が手や腕にきます。そのためやや低速で刃を回転させます。それでも時々木の破片などが顔に飛んできます。そのときの用心ために保護メガネは絶対に欠かせません。
ぞえて斜面になった山道跡 山道跡から上に向かって刈る
山の下草刈りは今後も続きます。あせらずに日を重ねていけば、この冬の間にはすべて刈れると思います。下草刈りの合間に、時々山の頂上で休憩します。その時のために、頂上に休憩用の瀬戸物性の椅子を置いています。瀬戸物のため雨水にも腐りません。3年ほど前に置きました。頂上とは言え、周りにはまだまだ木が茂っています。自然を散策できる山の公園にするには程遠いです。
まだまだ木が茂っている山の頂上付近で休憩
そろそろ麦踏みをしようと思っているのですが、麦畑に微小な雑草がびっしりと生えています。麦畑ならば筋状に麦が生えているはずです。しかし、遠くから見ると麦畑なのか芝なのか分かりません。そこで今回、麦踏みの前に耕耘機のロータリーを使って畝間除草をしました。
畝間除草の開始 昨日の雨でぬかるむ畑 ロータリーに粘土付着
昨日雨が降っていたため、除草が意外に大変でした。ぬかるんだ土が耕耘機のロータリーに巻き付くように付着して効率的に除草できないのです。本来ならば耕耘することによって雑草を根から耕して除草します。しかし、ロータリーに付着した粘土のため、畑の表面をつるつる回って滑るだけなのです。それでもしないよりは除草になります。時間をかけて除草しました。一週間以内位に今度は、肥料を施すと共に麦踏みをしようと思います。
耕耘除草が終わった小麦畑、今度は施肥と麦踏み
山の下草刈りをしているのですが、一番やっかいなのは竹です。特に東側の尾根に生えている竹です。去年下草を刈っていなかったため、竹が生えていたことに気が付きませんでした。このまま放置すれば、今年はさらに竹が侵入して手が付けられなくなります。今回、竹の伐採が中心の作業になりました。
所々に竹が生える 侵入した竹を伐採 地面から伸びた太い竹
まずは、竹の根本に生える草や笹を刈り取りました。刈り取らないと、竹の根本にノコギリを入れることができないのです。草や笹を刈り取ると、地面ぎりぎりの位置で根本をノコギリで切りました。切るのは簡単ですが、その切った竹を運び出すのがこれまた大変です。場合によっては竹の茎を数か所ノコギリで切って運びやすく加工します。今回ほとんどの時間が、竹の伐採と運び出しに費やされました。
伐採した竹を、斜面に沿って滑らせるように運び出す
竹の伐採と運び出しが終わると、本来の下草刈り作業に戻りました。山は斜面ばかりですので、足で体を踏ん張っての下草刈りです。草刈機の刃を斜面に滑らすように刈り取りました。ただし、冬の笹は硬いので、刃が傷んでじきに刈れなくなります。そんな時は、時々休んで刃を研ぎます。蚊がおらず、暑くなく、草の成長が止まっている今が下草刈りに最適な季節です。
竹を伐採して運び出した後、山の斜面を下草刈り
田布施町内の小学校のパソコン関連の支援登録をしているのですが、田布施西小学校のどんど焼きのお手伝いをする人手が足りないとのことで依頼がきました。少し躊躇しましたが、たまたま空いている日でしたのでお手伝いすることにしました。どんど(「どんと」とも言うらしい)焼きなどの火祭りの起源は平安時代頃のようです。真言宗の火祭りや田布施のあちこちでかつて盛んに行われた杵崎さまの火祭りもその例ではないかと思います。お正月に書初めした習字をどんど焼きで燃やすと字がうまくなるとか。また健康になるようになど、古くからの民間伝統行事です。
どんど焼きの櫓を立てる 燃やす葉や習字を詰める どんどの火付けを待つ
もともとは前日の午前中にどんど焼きの櫓を立てるお手伝いの予定でした。ところが前日は雨のため中止となり、どんど焼き当日早朝に櫓を立てました。そして、そのまま小学校のどんど焼き行事にお付き合いすることになりました。最初、長い竹四つをクロスして櫓にしました。そして、その櫓の間に燃やすものを入れました。入れたものは、枯れた葉や枝、注連縄、そしてお正月に書初めした習字などです。
櫓を中心に輪になり、火入れを待つ小学生達
他の地区では、公民館や神社などが地域行事として行うところもあります。今回お手伝いした西田布施地区は、小学校が主体となって学校行事に組み込んでいます。そのため、小学生全員参加のどんど焼き行事です。盆踊りもそうですが、近年の少子高齢化のため古来からの行事を地域だけで行うことが難しくなったのでしょう。
火を入れ、どんど焼きの始まり どんど焼きを見ている子供達
どんど焼きが終わると、小学生達は運動場に残ってゲームをしました。最初は〇×クイズです。例えば「生きがい教室の方々の田布施西小学校出身者の数」などです。その後、じゃんけんによる繋がりゲームがありました。負けると勝った人の後ろに回るのです。最後は巨大な一列になります。
それが終わると、私は体育館に回って小学一年生達と昔の遊びについて支援をしました。私は竹とんぼを担当しました。お世話された先生方や担当の方々、お疲れさまでした。楽しいどんど焼きと子供達との触れ合いをありがとうございました。
〇×クイズスタート じゃんけん繋がりゲーム 使った竹とんぼ
田布施西小学校の放課後学習「西の寺子屋」の支援を数年前からしています。これまで、石臼、亥の子、土器作り、お寺巡り、藍染め体験などの支援をしました。今回は織物の体験です。枠に段ボールを使った最も簡単な織物です。1年生の子供でも織物の仕組みが分かります。
指導者の方々に織り方を 織り方を覚える指導者の方々 小学生に織り方の説明
西の寺子屋の子供は、1年生から6年生の30人位です。これだけ多くの子供達を数人の指導者が最初から教えるのは大変です。そのため最初、子供達が来る前に西の寺子屋の指導者の方々に織り方を教えました。そして、織り方を覚えた指導者が、各担当グループの子供達を教えいただくようにしました。私は各グループを回りながらその支援することにしました。
段ボールを使った織物の開始 最初は慣れず織物がはかどらず
織物体験の最初に、田布施町の織物の歴史を少し説明しました。田布施町に今住んでいる住民のほとんどは、かつて田布施町が織物の町で、さらに染め物が盛んであったこと、さらに綿を栽培していたり藍を育てていたことを知りません。その名残として郷土館に糸車や織機がわずかに残されているにすぎません。今回は説明だけでなく本物の綿を見せたり、その綿から種を取ってみせたり、種を取った綿を使って糸車で糸を紡いで見せました。
最初戸惑っていた子供達も、慣れるとだんだん早く織れるようになる
子供達は最初、慣れないせいかだいぶ戸惑っているようでした。桜祭り、フリーマーケットなどでは1対1で指導できるので教えやすいのですが、1対複数では教えるのも楽ではありません。しかし、30分ほどすれば、経糸に交互に横糸を張ることに慣れてきたようです。子供達は、だんだん早くしかも綺麗に織れるようになっていきました。
少しずつ織物の形ができる 途中で色を変えてみることも体験
16:30が織物体験の終了時間だったのですが、ほとんどの子は織物が完成できませんでした。それでも、終了時間ぎりぎりまで織物に奮闘する子供達でした。途中で放り出したり、他の遊びを始めたり、他の子供にちょっかいする子供はほとんどいませんでした。素晴らしい集中力だったと思います。それだけ織物体験が楽しかったに違いありません。
最後、段ボール枠から外して端糸を留めて完成
完成できなかった子供達には毛糸、段ボール織物器を持って帰ってもらいました。また、どうしても織り方が分からない子は、郷土館に来てもらえば教えることを伝えておきました。今回はコースター程度の織物でしたが、もう少し大きな織物や模様が付いた織物にチャレンジしたい子が現れればと思います。西の寺子屋の指導者の方々、お疲れ様でした。
そろそろ完成かな 最後の仕上げを支援 そろそろ終了タイム
12月から干していた渋柿、ようやく食べることができるようになりました。そこで、東京に20個位を送ることにしました。晩秋に収穫していたジャガイモと、取り立てしいたけも入れました。干柿ですが、市販されている例えば市田柿のように白い粉を吹いていません。なぜだか黒っぽいのです。もしかして、腐っているのかと思い食べてみましたが、とても美味しいのです。種があるから黒いのでしょうか、その原因は分かりません。
晩秋に収穫しておいた泥付きジャガイモ、手に持つのは極小ジャガイモ
紐に付いたまま干柿を同梱しておきました。一つの紐には10位の干柿が結んであります。その紐を二つ入れておきました。家内用と息子用です。この渋柿は、種が比較的多いのでガシガシ食べるには不向きです。一つの干柿に6個位の種があります。そのため、種を選り分けながらゆっくり食べる必要があります。また、しいたけは傘があまり開いていない一番美味しいものを選んで送りました。はたして、美味しく食べてくれるでしょうか?
紐に結んだ干柿 取り立てのしいたけ 段ボール箱に入れて送付
山の下草刈りをしようと、しいたけの榾木を伏せている山の麓を歩いていました。足元のしいたけの榾木をよく見ると、しいたけがたくさん生えているのに気が付きました。しいたけは、普通は春と秋によく生えます。去年もそうでしたが、ここ最近冬にも生えるようになりました。思いがけずたくさんのしいたけを見て、下草刈りを早めに切り上げてしいたけを収穫しました。
山の麓のしいたけの榾木の伏せ場
この冬はまだなのですが、今の季節しいたけの菌を毎年のように購入しています。そして、こならの木などに植菌しています。しいたけにもいろいろ品種があるようです。春や秋によく出る品種、冬にもよく出る品種などです。冬にもしいたけが出るようになったのは、もしかして冬にもよく出る品種と知らず購入したからなのかもしれません。
小さなしいたけ、大きなしいたけ しいたけの根本をひねって収穫
この冬はまだしいたけの植菌作業をしていません。その理由は、植菌するどんぐりの木をまだ伐採していないからです。伐採する予定の木がNTTの線にからんでいるため、NTT側で伐採してくれないか待っているところです。12月、電線だと思って中国電力に頼んだら、電線ではなくNTTの線だと分かりました。伐採しないままでいるといつか線が切れてしまいそうです。もしもNTTが伐採してくれないならば、2月初めに自前で伐採する予定です。そして3月、その伐採した木にしいたけの菌を植菌しようかと考えています。
収穫したしいたけ、ふぞろいのしいたけばかりですが美味しそう
12月、田布施町子ども会育成連絡協議会(通称:町子連)でたこ(凧)作りがありました。その時たこ作りの支援をしました。そして年が明けた今回、そのたこあげ大会が田布施町スポーツセンターでありました。私がたこを作ったり支援したのは10年ぶり位の事です。その頃、ボーイスカウトでスカウトの子供達の世話をしていましたが、正月にはよくたこ作りをしました。作ったのは四角のたこだったように思います。竹から竹ひごを作り、その竹ひごの骨に紙を貼ってたこにするのです。
会場の田布施町スポーツセンター たこあげ大会の開会式
ボーイスカウトで思い出しましたが、毎年お正月に初日の出を見に行きました。大晦日の暗い夜のうちにスカウトの子供達と山に登ります。山の頂上に着いて、初日の出が水平線に顔を出す瞬間にみんなで半袖姿(上半身裸になってもかまいません)になるのです。そして1分間、初日の出に向かって一年の誓いをたてるのです。その頃、保護者の方々は暖かいスープや麺を用意しています。凍える体にすぐ服を着て、その暖かい料理を食べました。風が強い時は寒くて体がガタガタしました。良き思い出です。
低学年の子供達 中学年の子供達 高学年の子供達
子供達が主役のたこあげです。私はたこのデザインと、風でどのくらい上昇するかの採点をしました。今回は風があまり吹いていませんでした。そのため、一生懸命走らないとたこは上がりません。子供たちは一生懸命走っていました。また、この子供を追いかけて保護者も走っていました。私もたこを作って行きました。久しぶりに走って息がハーハー言いました。
野外に出て、いったん整列後にたこあげ 低、中、高学年別にたこあげ競技
たこあげ競技が終わると、体育館に戻って表彰式がありました。少年少女発明クラブは月2回の活動が1年続くのでなかなか大変なのですが、たこあげはたこ作りとたこあげの2回だけですのでそれほど負担はありません。来年はたこにもう少し立派な絵を書いて、しかもよく上がるたこを作ってみたいものだと思いました。お世話をされた町子連の方々お疲れ様でした。楽しいたこあげ、ありがとうございました。
たこのデザイン賞と上昇賞の発表
秋に各種綿を収穫しましたが、仕事が忙しくなかなか糸紡ぎする時間がありません。今回、収穫した和綿の種を取りつつ糸紡ぎをしてみました。和綿は、洋綿と比べて繊維が短いためかやや紡ぎにくいように思います。細い糸がなかなか紡げないのです。
種を取った綿をカードに載せる カーディング中の綿
細い糸を紡ぐ第一歩は、丁寧にカーディングすることです。だまになっていると、紡ぐ時に糸車を停めてほぐさなければなりません。紡ぎが上手な人は、ほぐした綿を少しずつ繰り出すことができます。しかし、今の私にはできません。カーディング後に細くほぐしておかないと、紡ぐ時に手元での繰り出しが遅れてしまいます。糸が細くなったり太くなったりと、均一な細さの糸が紡げないのです。素人なので仕方ないですが。
綿をカードから取り出す カードした綿を細めに 右手で車輪を回す
糸車を使って糸紡ぎをしていて、気が付いたことがあります。それは、紡ぐにつれて綿を持つ左手をだんだん後ろにもっていくことです。そうすると、撚れた糸が次々に綿から自然に繰り出してくるのです。左手いっぱいの長さになると、糸をつむに巻き取ります。これの繰り返しなのですが、まだまだ太い糸しか紡げません。気長に紡ぐしかないようです。
左手で棉を引くようにしながら、綿から撚れた糸を引き出す
12月に凧作り教室の支援をしました。その時、凧を作る親子の支援ばかりしていたため自分の凧を作る時間がありませんでした。凧作りが終わった後、余った材料があったのでいただいて帰りました。せっかくなので、凧揚げ大会で自分の凧を揚げてみることにしました。そのため、自分の凧(やっこ凧)を作ってみることにしました。しかし、凧作りの方法をすっかり忘れていました。
竹ひご交差部に穴あけ 凧紐を通して結ぶ 凧の首部分の完成
そこで、凧の骨組みを「こうではなかったか?」などと思い出しながら組み立ててみました。凧作り教室では木工ボンドで竹ひごや紙を接合しましたが、木工ボンドが無かったため糊で接合しました。ボンドではないため、凧揚げ大会中に雨が降ればバラバラになる恐れがあります。
やっこ凧の羽根部分を折りたたむ 入手したやっこ凧の説明書
凧作りがほぼ終わった頃、たまたま用事で役場に行きました。そして、凧作り教室で使った凧作りの説明書をいただきました。その説明書を読むと、自分が間違って骨組みを作ったことを知りました。糊が固まっていたため、もう元には戻せません。7日、間違った骨組みの凧を飛ばしてみることにしました。飛んでくれると良いのですが。どうなることやら。
交差した橙色の線が正しい骨組み、×は間違えた骨組み
明日から初仕事です。今日は伐採した枝や枯れ枝などを燃やして畑を綺麗にしました。枯れ枝は我家の西側にある檜林で集めて、一輪車を使って運び出しました。倒れた竹や折れた竹はノコギリで切っては集めました。ただ、圧倒的な竹の多さです。わずかばかりの枯れ竹しか集めることができませんでした。ついでに歩くのに邪魔な竹を根本から切っておきました。
檜林の枯れ枝を運ぶ 枯れた竹を収集 竹や枯れ枝を燃やす
一番困ったのは、先日伐採した梅とぐみの枝です。両者共に枝に針のような棘が付いていることです。軍手を軽く突き抜けてしまいます。そのため、右手の指が傷だらけになりました。ばい菌が入るといけないので、そのつど口で強く血を吸い出しました。後で腫れなければいいのですが。ある程度の枯れ枝や竹を集めると、昨日掘っておいた穴で燃やしました。
燃えている枯れ枝など、炎でしばし温まる
燃やし始めたのは午後3時頃だったでしょうか。燃やしている間も、伐採した枝や枯れ枝を運び込みました。たった一人の作業ですので、なかなかはかどりません。数人でやれば1時間程度で終わる作業が、暗くなるまでかかりました。伐採するのはよほど大木でない限り容易です。しかし、伐採した枝を運んで、燃えやすいようにノコギリで切ったり、燃え残った枝先をの中に入れたりする作業は、ことのほか時間がかかるものなのです。良いのは炎で体が温まることぐらいでしょうか。
だんだん周りが暗くなる 集めた枯れ枝を次々と炎に放り込む
元旦、2日と初詣したので、今日は家でのんびり過ごしました。伐採した残りの枝などを集めたり、伐採した木を燃やすための穴を掘ったりしました。また、我家周辺を歩き回って花が咲いていないか探してみました。真冬の今は花はほとんど咲いていません。チューリップやクロッカスは3月にならないと咲きませんし、スノードロップはここ2,3年の間に消えてしまいました。惜しいのは福寿草です。2年前まで咲いていたのですが、消えてしまいました。八王子では今でも咲いているのに、我家には合わなかったようです。
お正月前後に毎年花が咲く蝋梅
さて、我が家でお正月に一番よく咲いているのは蝋梅です。大きくはない黄色の花びらを一ぱいに開いています。また、椿がよく咲いています。私が子供の頃は花びらをむしり取って、花びらの根本をチューチュー吸っていました。わずかばかり蜜の甘みを楽しみました。そして、ビワが片隅でひっそりと咲いていました。春になれば美味しい実がなると思います。不思議なのは虫がいないこの時期、どうやって受粉するのでしょうか。ただ木が茂り過ぎているため、後日大幅に剪定するつもりでいます。
ピンク色の花びらが満開の椿 ひっそりと咲いていたビワ
元旦は田布施町の神社を初詣しましたが、今日は隣の平生町を訪れました。元旦と同じように神社だけを訪れる予定でしたが、とても天気が良いため最初大星山に行きました。途中、箕山学習の森に寄りました。10年位前に行った時、平生町から田布施町にかけての景色がとても良かったのを思い出したからです。数年前からは雑木や藪が伸びてその景色が見えなくなりました。その後、傍に何基かの風車が建てられました。その時に雑木や藪が伐採されて景観が回復しているかと思いました。しかし、やはり整備はされていませんでした。景観整備にかける予算がなかなか付かないのでしょう。
大星山近くの箕山学習の森 勢いよく回っていた風車
箕山学習の森のベンチで休憩しました。この学習の森は、大星山から神護寺までのハイキングコースの途中にあります。すぐそばに神武天皇に関わると言われる祠があります。また小さな鳥居もあります。今年のウォーキングコース候補の一つに、大星山から神護寺~平生町街を考えています。箕山学習の森を出ると一目散に大星山に向かいました。風が強かったので、風車が勢いよく回っておりその音が響いていました。
大星山から田布施町方面を見下ろして
大星山に到着すると、バイクをおりて展望台に向かいました。展望台には5~6人の子供達が滑り台の順番を待っていました。こんなに風が強く寒いのに、歓喜いっぱいの声を上げて滑り降りていました。それを見ている大人たちは、首をすぼめて寒さに耐えていました。嬉しそうな子供達を見ていましたが、さすがに冷たく寒いのですぐに大星山を下りました。初日の出には大勢の方が大星山に集まったのでしょうが、より寒かったのではないでしょうか。
曽根八幡宮 大野八幡宮の長い参道 久しぶりの大野八幡宮
大星山を下りると曽根八幡宮に行きました。道の傍にバイクを置いて初詣しました。お正月も2日目なのでとても静かな境内でした。続いて大野八幡宮を初詣しました。この神社は参道がやや長いためバイクを置いてから200m位参道を歩いて本殿に着きました。いつものようにお賽銭を入れて拝礼しました。その大野八幡宮から次の野島神社に向かう途中、H農園に立ち寄りました。社長のHさんがおられたので、新年の挨拶をして親戚の近況などについて談笑しました。また、平生町のウォーキング時に立ち寄らせていただいて、花や野菜を購入させていただく話などをしました。
平生町街の野島神社 懐かしい野島神社からの眺め 沼八幡宮
H農園を出ると、平生町街にある野島神社に初詣しました。この神社は私か保育園に通っていた頃に、お散歩でよく来た神社です。当時神社から見下ろした景色を覚えています。当時はもう少し海が近く、神社の麓には長屋のような家があったように覚えています。野島神社を過ぎると、最後に沼八幡宮を初詣しました。やはりこの神社も、私が保育園生だった頃にお散歩でよく来ました。その長い石の階段を覚えています。習成中学校隣(今の保健センター近く)にあった平生保育園に通っていた頃のお話です。
今回巡った平生町の神社
一年は早いものです。もう2018年になってしまいました。思い起こすと、1999年から2000年に切り替わる大晦日からお正月にかけて、会社に一時待機したことがあります。それはコンピュータの2000年問題が騒がれていた時のことです。
その昔、メモリが少ない時代はいかにメモリを節約できるかがコンピュータ技術者の腕の見せ所でした。例えば、「1965」年を2バイトで表していたところを、1バイト節約して「65」年と表していました。そして、表示する時などに先頭に「19を加えて済ませていました。当時は普通に行われていました。ところが、2000年になったとたん、「00」年になってしまうのです。つまり、西暦が「1900」年になってしまうです。プログラムによっては、システムが暴走する危険性があったのです。1960年代当時、2000年ははるか先のことです。そのような問題が起ころうとの想定をしていなかったのです。
最初に初詣した高松八幡宮
さて、このお正月は田布施町の各地域の代表的な神社を初詣しました。最初に麻郷地区の高松八幡宮にお詣りしました。たまたま知っている方に会い新年のご挨拶をしました。高松八幡宮では交通安全のお守りを購入しました。続いて麻里府地区に鎮座する住吉神社に行きました。誰もおらず静かに拝礼することができました。続いて八尋石八幡宮に向かいました。途中、元田布施町郷土館長のN氏宅を訪れました。ご在宅中で、屋内に招かれた上に暖かいコーヒーをいただきました。体が温まり感謝致します。
住吉神社 八尋石八幡宮 石ノ口八幡宮
八尋石八幡宮はとても混雑していました。これまで訪れた神社と同じように、お賽銭を入れて拝礼しました。続いて石ノ口八幡宮に向かいました。今回はバイクで走りまわったため、この頃から首筋が冷たく感じるようになってきました。石ノ口八幡宮は高い杉林の陰にあるのでよけい寒く感じました。同じように拝礼しまし、隣の荒神社にもお詣りしました。この荒神社には城南各地のお社が合祀されています。歴史的には、明治初めに廃仏稀釈と同じく小さなお社が合祀され統合されたのです。
小行司多賀神社からの景観
続いて、小行司に鎮座する多賀神社に向かいました。いったん光市の生野地区を通って行きました。多賀神社は標高が高いのかとても寒く感じました。多賀神社は景観が良く、晴れていたため田布施町、平生町、柳井市がよく見下ろせました。さらに、上関町長島の上盛山もよく見えました。この神社は命の神様と呼ばれ、出征した息子たちが無事戻ってくるよう祈願する母親達が大勢お詣りしたそうです。
多賀神社 八幡八幡宮 浮島神社
次に八幡八幡宮に向かいました。お正月のためか、いつもより人が多く参拝していました。ここでも、交通安全のお守りを購入しました。そして、最後に麻郷川添の浮島神社に行きました。子供の頃からよくお詣りしたので寄ってみました。誰もおらず静かに拝礼しました。明日は平生町周辺の神社をお詣りしよと思います。去年のように獅子舞に出会えるでしょうか。
今回初詣した田布施町の神社