東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

帝国電波(現クラリオン)製カーラジオRM-107(三菱キャブトラック搭載)の修理(3/6)

2019年12月16日 | 古ラジオ修理工房

 帝国電波製のカーラジオの故障原因を調査していますが、原因はほぼ高周波回路であることが分かりました。その原因箇所をさらに特定することにしました。高周波回路はおおまかに分けて、高周波増幅回路,周波数変換回路,中間周波増幅回路,そして検波回路です。原因特定の一つとして、ディップメーターから強いAM電波をアンテナ線に注入してみました。すると、500kHZ~1600KHZの電波を正常に受信できることが分かりました。外部アンテナを長く張ってアンテナにつなげると、1300HZ付近でNHK第2放送だけが受信できました。

   ディップメーターからAM変調された強い電波をアンテナ線に注入


 変調波の周波数を微調整するトリマーを回すと、正常に周波数が変わるため問題ありません。電波は受信するものの、中間周波への変調が弱いように思われます。または何らかの原因でAGCが強くかかっているのかも知れません。そこで、中間周波変換回路の波形をオシロスコープで測定してみました。すると、変調波が妙に乱れているようです。

AM波発生ディップメーター   トリマーを回す   オシロスコープの乱れた波形
  

 はっきりとした原因が特定できないまま回路を目視していると、コンデンサが醜く劣化していることを発見しました。特にフィルムコンデンサは悲惨です。二つに割れたり,ひびが入ったり,変色したり,表面が溶けるなどしていました。これだけ劣化していればコンデンサとしての働きをしていないと思われます。当然異常がおきても不思議ではありません。
 そこで、劣化したコンデンサを正常なものに交換する作業を優先することにしました。ざっと見た感じでは10数個のコンデンサを交換する必要があります。このカーラジオは長丁場の修理になりそうです。

 頭頂部が二つに割れたコンデンサ    変色し下部にひびが入ったコンデンサ
 

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楽しかった山陰(島根県)史跡巡り旅行(4/7)

2019年12月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 11月の山陰史跡巡り旅行の続きです。一畑薬師を出ると日御碕に向かいました。私が中学生の頃に一度、日御碕に来たことがあります。当時、我家で初めて自家用車を買いました。車種は初代ファミリアです。その車で、田布施町の我家から広島を通って、島根県の出雲大社や日御碕に行ったのでした。当時は舗装された道路はなく、土煙を上げながらのドライブだったように記憶しています。

         暴風雨の中、笠を傾けながら日御碕神社を参拝


 日御碕神社に着く直前、ひなびた日御碕ドライブインで昼食を取りました。私は座敷で海鮮丼を食べました。お腹を満たすと、日御碕神社に向かいました。この頃になると、雨や風がさらに強くなってきました。笠を風上に向けて歩かないと、雨が体に吹き込むほどです。数人の方は神社を参拝しないで車で待機しました。

 雨中、日御碕神社へ    参拝前に水でお清め    日御碕神社本殿
  

 暴風雨でしたので、参拝するとすぐに駐車場に戻りました。その後、日御碕灯台に向かいました。日御碕灯台に向かった道は、約50年前に私が通った道とずいぶんと違いました。昔の狭い道と並行して舗装されたバイパス道が通っていました。この50年の間に日本は高度成長して、道路も家屋も生活もすっかり近代化しました。昔の狭い砂利道や、エンストした旧車を押しがけしていた昔が懐かしくなります。

 昔のままだった荒々しい日御碕     雨の中、りりしく建つ日御碕灯台
 

 日御碕灯台に着いた頃、さらに雨風が強くなっていました。私は思い出の日御碕の記憶をどうしても確かめたくなりました。大波がたたきつける岬に、もう一人と一緒に歩いて行きました。笠をかしげても、雨が服に容赦なく吹き付けます。その雨の中を岬や日御碕灯台周辺を歩いてみました。荒天のためは誰も歩いていませんでした。荒々しい日御碕は昔のままでした。灯台を一周して、駐車場で待つ皆さんの元に帰りました。下半身はびっしょりでした。続いて、島根ワイナリーに向かいました。

         今回訪れた山陰(島根方面)史跡巡りのコース

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山梨県 都留市の低山を史跡巡りウォーキング(1/3)

2019年12月14日 | 歴史探訪他ウォーキング

 12月の初日、山口県に帰る前日に山梨県都留市の低山をウォーキングしてきました。尾根道をただ歩くだけでなく、いくつかの史跡も見てきました。早朝八王子市を出て中央本線に乗り、大月で富士急大月線に乗り換えました。富士急大月線では子供向けのイベントをしているのでしょうか、電車がトーマス君でペイントされていました。8時頃に都留市駅で下車しました。下車するとすぐ、発電所に関わる導水管を横目に見ながら山を登りました。

     導水管横の急登を歩き終わると、都留市内を見下ろせる展望台へ  


 くわしくは知らないのですが、奥多摩の小河内ダムが建設されて発電されるずっと以前、大月市や都留市に発電所や水路や導水管が作られたとのこと。今から100年位前のことです。今も谷村(やむら)発電所に導水管を通って水が流れ込んでおり、都留市には導水路跡や水道橋などの産業史跡が多く残されています。今回はほぼ導水路に沿って尾根道をウォーキングしました。なお、導水路は山中のトンネルを通ったりしているので全て見えるわけではありません。山と山の間の水道橋を流れていたりします。また、今は使われていない導水路の廃墟が所々に残っています。

 トーマス君の電車ドア   スタートした都留市駅   導水管近くからの景色
  

 太い導水管3本に沿う急な登り道をどんどん進みました。導水管の高低差は100m以上はあったと思います。導水管に沿う道を登り終えると、都留市街を見下ろす展望台で休憩しました。都留市の街並みの向こうに、真っ白な富士山山頂が見えました。その展望台からは少し緩やかな登りになりました。しばらく歩くと、狼煙台があったとされる蟻山に到着しました。蟻山までの途中で衣服を2枚脱ぎました。

 高低差100m以上の発電用導水管3本     蟻山までの緩やかな上り坂
 

 狼煙台があったとされる蟻山で休憩しました。この狼煙台が本当であれば、戦国時代の武田氏配下の小山田氏が管理していたのではないかと思います。小山田氏は、大月の岩殿山城を居城にして武田氏領国の東側を治めていました。武田氏が滅ぶ時に、武田氏に寝返るのが遅かったためか無残な最期をとげています。戦国時代、この都留市を通って武田勢は関東に進出していたのではないでしょうか。

         史跡巡りウォーキングした都留市南の低山

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麻郷小学校 放課後学習 成器塾 紡ぎ,玉巻き,蒸し,編み,織り

2019年12月13日 | 子供の育成関連

 今年最後の麻郷小学校 放課後学習 成器塾をしました。私の担当している教室も今年最後で、盛りだくさんの体験学習をしました。前回は、収穫した綿から種を取る綿繰り体験をしました。今回は、以前収穫体験した綿と以前洗浄体験した田布施農工高校の羊の毛を使いました。綿と毛をほぐすカーディング,ほぐした綿と毛を使って糸紡ぎ,紡いだ毛糸を玉巻き,その毛糸のくせ直しをする蒸し,毛糸を使って編物と織物の体験学習をしました。

          紡いだ毛糸を、玉巻き器にクルクル巻き取る


 最初、綿をカーディングしました。そのふわふわにカーディングした綿を、スピンドルを使って糸紡ぎ体験をしました。次に洗浄した羊毛を同じようにカーディングして、糸紡ぎ体験しました。ただ、小学4年生には糸紡ぎはとても難しいようでした。そのため糸紡ぎ体験は少しだけにとどめ、紡いだ毛糸の玉巻き体験に移りました。玉巻きに使った毛糸は、私があらかじめ紡いでおいたものです。

 羊の毛をカーディング   足踏み糸紡ぎの体験   紡いだ毛糸を取り出す
  

 玉巻きした毛糸はくせが付いています。そのくせを直すため蒸し器で蒸しました。短い毛糸ならば、ヤカンかスチームアイロンの蒸気を使ってもかまいません。蒸し終わったら火を止めて冷まします。なお、毛糸が蒸し終わるまで時間がかかるため、蒸しと並行して編物と織物の体験学習をしました。

  紡いだ毛糸を蒸し器でくせ直し       編物と織物の違いを学習
 

  次は編物と織物の違いについての学習です。編物であるニットと普通にある織物の生地を見せました。そして、両方の布を実際に触ってもらいその違いを知ってもらいました。前者は伸びが良いのですぐに分かります。続いて、私が編んだコースターを見せました。そして、かぎ針を使ってクサリ編みして見せました。最後に段ボールを使った簡易な織物体験をしてもらいました。初めに経糸を張ります。続いてその経糸に横糸を交互に通しながら織ります。
 ここまでで成器塾の時間切れとなりました。家で続きを織ってみたいとのことでしたので、段ボールや毛糸など織物道具一式を持って帰ってもらいました。

 段ボールに経糸を張る    横糸の色を選ぶ     横糸を通して織物
  

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今年最後の甘柿を収穫、余りは鳥たち用に

2019年12月12日 | 樹木,果樹

 12月になって鳥たちの餌が少なくなったのでしょう、毎朝鳥たちが甘柿周辺で騒いでいます。甘柿をついばむ順番を争っているようです。枝に残った甘柿を鳥たちに取られないように、鳥たち用に少し残して全て収穫しました。収穫したのは7個の甘柿です。指で押すと少し柔らかくなっていました。このまま放置するとずくしになって全て鳥に食べられるところでした。

          今年最後に収穫した7個の甘柿


 我家の甘柿の特長は、大きさは中位で,甘みが強く,そして種が無いことです。残念なのは、あまり摘果をしないためでしょうか形がいびつな甘柿があることです。収穫した甘柿は屋内で保存します。指で時々摘まみながら、柔らかくなったものから順に食べています。東京に住んでいた頃、甘柿の次郎柿が庭に植えてありました。小ぶりでしたが、その柿も美味しかったです。甘柿も干柿も大好きな私です。

 葉が落ち、残った甘柿   甘柿をハサミで収穫   鳥たちがついばんだ甘柿
  

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楽しかった山陰(島根県)史跡巡り旅行(3/7)

2019年12月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

 11月の山陰史跡巡りの続きです。朝、松江駅近くのホテルを出ると松江城に行きました。松江城は平成27年に国宝に指定されました。戦国時代末期の慶長年間に建てられ、当時の城の様式を色濃く残しているからではないかと思います。山陰地方は戦国史に残るような戦いはあまりありません。この城も戦い巻き込まれたとの話は残っていません。個人的には山陰の戦いと言えば、大内氏が尼子氏を攻めた月山富田城の戦いや、織田信長の中国攻めでしょうか。松江城は戦国時代が終わる頃に建築されたので戦いは無かったのでしょう。

         松江城に入って見学する前に、城前の広場で


 松江城が国宝になったことで、それ以前に国宝になった犬山城を思い出しました。犬山城は木曽川沿いに建てられたお城で、まさに戦国時代の室町時代(1500年代)に建てられました。私が入社した20歳代前半に犬山城に来たことがあります。戦国時代を生き抜いた城だけあって、使い込まれた感じがありました。松江城よりも実戦向きだったように思いました。また、当時の人々の身長が低かったためか天井が低くかったような気がしたことを覚えています。

 松江城へ向かう石階段   天守閣最上部下の階段  最上部から望んだ松江市街
  

 松江城の天守閣の階段で不思議だったのは、最上部に登る階段に当主や家来が登る階段とは別に小姓が食事などを持って上がる階段があるとのことでした。後者の階段はどれか探しましたが、よく分からずじまいでした。さすがに天守閣最上部からの景色は見ごたえがありました。松江市街を360度見渡すことができました。

一畑薬師への長い石階段    一畑薬師に到着    ホカホカの一畑饅頭
  

 松江城を出ると、宍道湖沿いの道を通って一畑薬師に向かいました。しばらく山の中に入り一畑薬師の駐車場に到着しました。本来ならば、千段以上ある石階段を登って一畑薬師にお詣りするのが本当のようです。しかし、お年寄りに千段もの石階段を登らせるのは酷です。そのため今は、駐車場から少し歩いて100段程度の石階段を登れば一畑薬師に行くことができます。一畑薬師は中国観音霊場の第二十六番札所です。ちなみに平生町の般若時も同じく中国観音霊場です。一畑薬師で、私は孫のためにお守りを買いました。その後、ホカホカの一畑饅頭を食べて日御碕へと向かいました。

        今回訪れた山陰(島根方面)史跡巡りのコース

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友達と一緒に、しいたけ用の木を伐採

2019年12月10日 | 野菜:豆類ほか

 今年もしいたけ用の木を伐採しました。今回は最初に、幹が最も太いどんぐりの木を伐採しました。直径が20cm程度までなら私1人で伐採できます。しかし、最初に伐採したのは直径が40cm以上はあったと思います。倒す方向を間違えると、畑に倒れたり電線に引っ掛かるなどして面倒なことになります。そのため、総勢8人位が集まって伐採しました。私が梯子を使って幹を登り、ロープをかけるところから始めました。

        田んぼ側に倒れたどんぐりの木の枝、細かく裁断


 ロープを掛け終わると、木の根元をチェーンソーで切り始めました。その時、畑や電線側に倒れないように田んぼ側からみんなでロープを引っ張りました。しばらくして根本が切れると、メリメリと音がして田んぼ側に木が倒れました。その後、チェーンソーで幹や枝を切る人、切った枝や幹を運ぶ人に分かれて作業しました。

チェーンソーで根本切断   田んぼ側に引っ張る人   田んぼ側に倒れた木
  

 私は最初チェーンソーで幹や枝を切っていましたが、ミスをして幹にチェーンをはさんでしまいました。無理に力を加えたためかチェーンが外れてしまいました。同時にその時のショックでしょうか、チェーンソーの吸入口の蓋が落ちてしまいました。その後、その蓋は見つからず残念!修理道具を持って来なかったため、以降はノコギリで切ったり枝や幹を運びました。
 途中、コーヒーを飲んだりお菓子を食べながら皆さんと休憩しました。合計3本伐採しました。しいたけ用にする幹や枝は、欲しい方に持って帰っていただきました。伐採に来ていただいた方々、ありがとうございました。

  3本目のどんぐりの木を伐採       伐採するとすぐに枝を始末
 

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少年少女発明クラブ チャレンジ創造コンテスト全国大会に出場

2019年12月09日 | 子供の育成関連



 先週土曜日(11/30)、東京工業大学で行われた少年少女発明クラブのチャレンジ創造コンテストに田布施チームは山口県代表として参加してきました。チャレンジ創造コンテストは、子供3人が作った車を使って走行性能やパフォーマンスなどを争う競技です。走らせる車は、先頭の牽引車1台とけん引される山車2台の計3台で構成されます。1人の子供が車を操作して障害物などを避けながら時間内に走行します。残り2人は車の特長などを審査員にアピールします。まずは、全国から来た60チーム近くが予選(20位以内)を通過するために競いました。

        チャレンジ創造コンテスト全国大会2019の開会式


 田布施チームは48番目にスタートです。ハラハラしながら見ていると、思わぬ故障が起きたようです。練習では全く問題なく動いたのに、何故だかノロノロした動きでした。ゴール1m位手前で時間オーバーの笛が鳴りました。今回の全国大会は、時間オーバーしたチームが多かったように思います。田布施チームも含めて10チーム近くが時間オーバーしたように思います。中にはスタートすらできず涙目のチームもあったようです。限界に近い動きやパフォーマンスをするので、ちょっとした故障や接触などで動きが鈍くなることがあるのです。

 東京工業大学体育館    田布施チームの車   スタート前にエイエイオー!
  

 田布施チームの車の動きが鈍かった原因は結局分かりませんでした。保護者の一人が「モーターの焼けるような臭いがした。」とのことです。事前の練習し過ぎでモーターが焼けたのかも知れません。残念ですが、これも勝負なので仕方がありません。残念ではありましたが、子供達にはとても良い一生の体験になったと思います。ところで、私の家内と息子,そして家内の妹が応援に駆けつけてくれました。その後、子供達や保護者と別れて帰りました。子供達や保護者の方々、お疲れ様でした。

田布施チーム、ブザーが鳴り競技開始   どこが悪かったのか故障原因を探求
 

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帝国電波(現クラリオン)製カーラジオRM-107(三菱キャブトラック搭載)の修理(2/6)

2019年12月08日 | 古ラジオ修理工房

 今回から、スピーカーを繋いで故障個所の大雑把な特定をすることにしました。故障個所が電源,アンテナ,または電子回路内なのかを探索しました。まず気が付いたのは、保護回路であるヒューズが改悪されていることです。一度ヒューズが切れたことがあるようです。カーラジオはヒューズが切れると交換が面倒です。そのため、ヒューズ交換の必要がないようにヒューズを無くしたと思われます。この保護回路が無いと、過電圧時にカーラジオが壊れることがあります。その他、雷などの衝撃からラジオを守るアンテナ部品にブラブラする針金がありました。何かの拍子に針金が落下したのか、修理時に置き忘れたのか分かりません。不思議な個所がいろいろあるカーラジオです。

       右下の自作シグナルインジェクターで信号を注入中


 アンテナの筐体内への引き込み部を調べてみました。すると、筐体で挟み込んでいる個所が緩んでいました。そのため、アンテナ線がグラグラしていました。おそらく長い間の運転中の振動で緩んだに違いありません。その緩んだ箇所をペンチでかしめておきました。

 ヒューズの改悪箇所    グラグラする針金    正常に点灯するランプ
  

 続いて電源を入れてみました。定格電圧は12Vですが、5V位からゆっくりと電圧を上げていきました。短絡などの故障があると電流が急に増えます。電流は問題ありませんでした。ランプも正常に点灯しました。続いて電源スイッチの入り切りのテストをしました。電源スイッチを入れるとボスッとスピーカーから音が出ました。次にシグナルインジェクターから信号を注入してみました。ボリュームの中点に信号を注入すると、うるさいほど大きな音が出ました。ボリュームを上げ下げすると、音が大きくなったり小さくなったりしました。このことは低周波増幅回路は正常であることを示します。次回は高周波増幅回路の探索をしようと思います。

グラグラ動いていたアンテナ引き込み部    ボリューム中点に信号注入
 

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我家の干柿作り

2019年12月07日 | 樹木,果樹

 先月下旬久留米市まで行ってたくさんの渋柿を収穫しました。東京から帰ってすぐに干柿作りに入りました。去年の約200個より少ない約150個ほどの渋柿の皮をすべて剥いで吊るしました。去年まではピラーを使って皮を剥いだのですが、ピラーを使うと皮を広く剥けません。さらに、手が滑って手の皮を剥ぎそうになります。友達の話を聞いていると、包丁で剥いだ方が早いようです。そこで、今年は小型の包丁を使うことにしました。

        皮を剥いた渋柿を天井から吊るして消毒後、自然乾燥


 ところで、我家で最も風通しがよいのは2階です。毎年のことですが、渋柿をバケツに入れて2階に運び込んでは皮を剥いています。その渋柿はすぐ紐に吊るします。そして、次の渋柿を同じようにバケツに入れて2階に運びこんでいます。渋柿が無くなるまでその繰り返しです。軒下は雨のしぶきに当たりやすいので屋内に干します。夜になると窓を閉めて、朝になると窓を開けて風を通します。雨の日は窓を閉じて扇風機を回します。

 バケツに入れた渋柿    右は皮を入れるバケツ   紐に渋柿を吊るす
  

 皮剥きに使った包丁は、40年位前にキャンプ用に購入したまな板付き小型包丁です。皮を剥く前に砥石で刃先を研ぎました。おかげで、思いのほかスイスイ皮を剥ぐことができました。ピラーを使った方が早いとばかり思っていたのは間違いでした。吊るし終わった渋柿は、50度のウイスキーを噴霧して消毒します。お正月頃には美味しい干柿を食べることができそうです。できた干柿は知人や親せきにも食べていただこうと思っています。

  小型包丁で渋柿の皮剥き         皮を剥き終わった渋柿
 

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少年少女発明クラブ全国会議(知財教育,活動発表など)に参加して

2019年12月06日 | 子供の育成関連

 3年ぶりに小年少女発明クラブ全国会議に出席しました。3年前は発明会館でしたが、今回(11/29)は日本消防会館でした。よく名前を聞く虎ノ門病院が向かい側にあります。虎ノ門周辺は再開発が進んでいるようで工事車両がたくさん出入りしていました。さて、発表テーマの中で愛知県のある市の少年少女発明クラブの発表に興味を持ちました。内閣府の知的財産創造教育推進コンソーシアムの検討委員会のお話でした。少年少女発明クラブの活動を通して知的財産教育の検討をしたのかも知れません。

           少年少女発明クラブ全国会議での発表


 日本の産業において、今後さらに知的財産が重要になります。今後小学校でもプログラミング教育が推進されるようですが、プログラムソースも知財の一つだと思います。私もかつて、銀行などの超大型オンラインのプログラム開発に携わっていたことがあります。当時、ソフトウェアを特許で保護するのか著作権で保護するのか論争になりました。日本は前者を推進しましたが、後者を推進するアメリカが勝ちました。保護期間が長い後者の方がアメリカにとって有利だからです。
 発明やアイデアも大切な知財です。鳥取大学や香川県のある発明クラブの事例発表を聞きました。知財教育に関して自治体、学校、クラブなど子供達が通う施設との連携や支援が必要のようです。最近私が時々出入りしている田布施農工高校の文科省プロジェクト「農工維新!田布施あい3プロジェクト」での地域との関わりとどこか似ているように思いました。


知財教育の地域コンソーシアムイメージ     知財教育のステージ
 

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田布施町 波野 木地 史跡巡りウォーキング(2/2)

2019年12月05日 | 歴史探訪他ウォーキング

 木地公会堂での楽しい昼食休憩時間が終わると、最初に首切り場に行きました。恐ろしい名前の史跡です。今から600年以上前の南北朝時代、この付近であったとされるの戦いの痕跡だと思われます。この戦いなどで勝ち進んだ大内家が、周防長門の覇者になったのではないでしょうか。続いて、史跡ではないのですが猿を捕らえる巨大な罠を見学に行きました。猿がこれに入ると逃げ出すことができず、群れごと捕まることがあるようです。
 次に、今回の史跡巡りウォーキング1番の史跡であると言える堀川の源光様に行きました。関西ではあまり聞いたことがない即身仏史跡です(即身仏史跡の中心は北陸東北周辺)。高僧が村人の安寧を守るため、穴に入って食事を絶って即身仏(ミイラ)になります。それは、命をかけた最も激しい苦行と言われます。その即身仏信仰が田布施にあったとは驚きです。

         元儀正寺に安置されていたとされる仏様を見学


 堀川の源光様を見終わると、五輪石を見学に行きました。五輪塔はよく見かけますが、この五輪石は見ただけではただの横たわった石にしか見えません。横たわった裏側に何か刻まれているのかも知れません。続いて、釈迦坊跡の祠を見に行きました。かつては、儀正寺の僧坊の一つだったようです。釈迦坊のような僧坊が木地にはいくつかあったそうです。釈迦坊跡の祠を管理していた方(釈迦坊跡傍に元在住)が、今でも掃除をするために木地外から来られるそうです。

 急斜面の堀川の源光様   釈迦坊跡の祠を見学   元儀正寺の仏様の祠
  

 釈迦坊跡の祠を過ぎると、しばらく歩きます。そして、三反田の近くに来ると早乙女塚のお話をしました。その昔、田植えをしていた早乙女が誤って侍に切られて亡くなったことがあったそうです。その可哀想な早乙女を弔うための石が田んぼにあったそうです。しかし今、圃場整備のためかどこにその石があったか分かりません。その場所を知っている方がすでに存命していませんので探しようがありません。同行した皆さんには、およその場所で早乙女塚のお話をした。なお、平生町にも同じような話があり、その石を今でも見ることができます。

 元儀正寺跡近くを通り大波野の惣津へ    木地と惣津の境の峠に向かう
 

 続いて、元儀正寺跡から見つかったとされる仏様を見学に行きました。その場所はN家から少し山に入った場所にありました。仏様はすでに木片化していました。地元の方が作ったのでしょう、仏様を守るように石を組んで作った祠になっていました。
 かつてはこの仏様の祠前で、ある出会いがあったそうです。それは、お乳が出ない母親と乳が出過ぎて困る母親の出会いだそうです。当時はお乳が出ないと赤ん坊の命にかかわります。赤ん坊の命を守るための出会いの場所だったのです。私が子供の頃、乳母に育てられた人の話を聞いたことがあります。※私は、成分が母乳に近いのでしょう山羊の乳を飲んでいました。次に、1km以上歩いて、木地と惣津の間にある峠に向かいました。

     木地と惣津の境の峠の五輪塔群、南北朝時代の古戦場の痕跡?


 20分以上歩いたでしょうか。峠にはたくさんの五輪塔が置かれていました。バラバラになった五輪塔を最近になって直したようです。今から600年以上前の南北朝時代、この付近で戦いがあったようです。木地には古戦場との言い伝えがあります。そのためか、木地には五輪塔,五輪石,首切り場などの史跡が数多くあります。五輪塔群の遺跡を見終わると、延々と歩いて田布施町交流館に戻りました。参加された方々、お疲れ様でした。

     ウォーキングした田布施町波野地区の木地の史跡巡りコース


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放課後学習 成器塾 綿繰りと干柿作り体験

2019年12月04日 | 子供の育成関連

 1週間ほど前の放課後学習 成器塾、綿畑で収穫した綿から種を分離する綿繰り体験をしました。綿繰器のハンドルをくるくる回しながら回転する双丸棒に綿を通します。すると、種が手前に落ちて、綿だけが向こう側に落ちます。次から次に綿を通して種と綿を分離しました。その体験が終わると干柿作り体験をしました。枝に付いた渋柿を剪定バサミで切り落とすことから体験を始めました。その後、10個ほどの渋柿の皮を剥いて紐に吊るして完成です。

      枝に付いたたくさんの渋柿を、剪定バサミで切り落とす


 干柿を作る体験の前に、包丁の研ぎ方などを教えようと思っていました。しかし、小学4年生には早すぎたようです。そのため、包丁の渡し方や両刃と片刃などの違いを学習するだけにとどめました。渋柿はピラーを使って皮を剥きました。ピラーで連続的に皮を剥くことはまだまだ難しいようでしたが、根気強く渋柿の皮を剥いていました。

 綿繰器で綿繰り体験    枝から柿を切り離す   柿の枝本はT字型に切る
  

 10個ほどの渋柿の皮を剥ぐと、いよいよ吊るします。今回の体験では一番簡単な結びかたを使いました。渋柿のT字型に切った枝に2回巻くだけの方法です。すべての渋柿を吊るし終わると、消毒しました。いろいろな消毒方法がありますが、私は40度以上のアルコール飲料を噴霧する方法をとっています。今回作った干柿は持って帰ってもらいました。お正月頃、美味しい干柿ができているでしょうか。我家も、これから干柿作りに入ります。

   ピラーで渋柿の皮を剥く       皮を剥いた渋柿を吊るして消毒
 

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インド藍の採種

2019年12月03日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 今年初めて栽培したインド藍、種ができ始めたため採種しました。タデ藍はとっくの昔に葉が枯れてしまいましたが、霜が何度か降ったはずなのに、インド藍の葉は元気です。さすがに成長することはありませんが、熱帯原産のインド藍がこれほど寒さに強いとは思いませんでした。おそらく、冬の間に葉も幹も寒さで枯れると思います。来年はもう少し数多くインド藍を栽培してみようと思います。そして、どの程度藍染めに使えるか検証しようと思います。

           12月にも関わらず元気なインド藍


 さて、インド藍の枝にたくさんの鞘が付いています。黒い鞘は成熟しているようで、鞘をつぶすとやや緑色した硬い実が出てきます。これから12月になるにつれて黒くなる鞘が増えると思います。黒くなり次第鞘を収穫しようと思います。そして、来春になったら今年のように種をまいて育てようと思います。

  枝に付いた黒い鞘      黒い鞘を収穫     鞘をつぶすと小さな種
  

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我家も晩秋一色

2019年12月02日 | 田舎暮らし

 比較的暖かい瀬戸内海地方の田布施町の我家、ようやく紅葉が目立つようになりました。黄色に変化したのはカエデの仲間です。一番大きく育ったアメリカフウは、樹木一面が黄色く染まりました。アメリカフウは5年前に苗木を植え付けましたが、今では2階に達するほど大きく育ちました。今後はこれ以上背が高くならないように枝を切ったりの世話が欠かせなくなります。

          2階に達するほど成長したアメリカフウの紅葉


 黄色の代表はアメリカフウですが、紅色の代表はモミジです。たくさんの葉がいっせいに紅く染まりました。そして落葉した葉が道に積み重なっています。このモミジが紅葉し落葉し始めると、いよいよ冬が到来する季節です。12月に入ったので、広い畑の中央に穴を掘って落葉した葉を集めて焼こうと思います。

真っ赤に紅葉したモミジ    どの葉っぱも紅葉    積み重なったモミジ
  

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