すぷりんぐぶろぐ

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再び『オレ様化』、どう向かう 

2006年08月03日 | 読書
研修会終了後、野口芳宏先生を新幹線発着駅までお送りするときに
車内で様々な話をした。
その中で諏訪哲二氏のことについて触れたら
先生が「ああ、オレ様化ね」と応えてくださった。
野口先生も確かに読んでおられた。その主張に重なる部分も多い。

『オレ様化する子どもたち』の終章は、じっくりと読み直したい部分である。

 まだ子どものありようの社会的な「客観値」は成立している

 この認識を詰めてみることが必要だ。否定的な現状を挙げたとしても
「耐える力が足りない」「わがままである」「礼儀を知らない」…
必ず共通認識を持てるものがある。
 そのためにどんなことをするか、という具体的行動の吟味をより戦略的に行うことが腕の見せ所と言っていいだろう。

 普通教育においてまで重視されるべきであるのは
 「個性化」よりも「社会化」である。

 市民形成(社会化)のプロセスで潰されてしまうような「個性」は潰されるべきである。
 そういうレベルの「個性」を潰すために、「社会化」はなされるのである。



 この点をわかりやすく、しつこく説かなければならない。
 子どもを取り巻く人的環境を見きわめながら、働きかける必要がある。
しかし、それはあくまで「子どもの教育」を通して、が幹である。

 「この学校は、この教師は、子どもをこのように育てようとしている」
ということを見せつける教育の日常を作り出していく、ということに他ならない。
 概念的な目標の文言ではなく、つけたい力を明確にし具体例で示すことである。
 意識的な取り組みは、急務である。