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説明責任の一歩目から三歩目

2006年08月08日 | 読書
 TOSS小事典シリーズの『学校の説明責任QA事典』(舘野健三著)を読んだ。

 章立てが二つあり
「保護者の要求や疑問・クレームに対する説明責任」と
「学校発で保護者に対して求める説明責任」となっていた。。
 後者に注目したが、やや肩透かしであった。
 学校教育の範疇を越えていることを重々承知しながらも、それでも働きかけていかなければならないという姿勢は認めても、ではどうするかという具体策が乏しい気がした。
 Qに対してAが正対していない項目が多かったと思う。それだけ困難なQであることを認識したのは確かだか…。

 しかし、第一章についてはいくつか納得させられるものがあった。
 自分自身「説明責任」という言葉を、何度も何度も耳にしながら漠然としたイメージしか抱いていなかったのではないかと反省させられた。
 次の言葉は、明快である。

 保護者に説明責任を果たすことは、指導の記録を示すことである。

 どんなことを問われても、その事実に正対した記録のあることが、説明責任の前提となる。
 そのうえでどんなふうに説明するかを考えるのだ、ということを今更ながらに思う。
 保護者の要求が最終的に何なのか見定めることも必要であるし、今後どうするかという展望を持つことも不可欠であるが、まず自分たちの指導や業務について明確にしておくことぬきには考えられない。
 従って、学習指導も生徒指導も安全管理も、計画、実施、反省等は努めて文章化、記録化されなければならない。

 学期中に小さなトラブルがあった。
 そのことに対する保護者の要求に対して、上手にこたえられなかったことがある。
 「事実、指導の記録」はあったのだが、それを手元において説明するという余裕がなかった。いや習慣がなかった。話を聞いて、認めて、説得して…といった表面を繕うような進めかただったと反省している。

 記録をとるということ…これが説明責任への一歩目であり
 記録がある、整理されているということが次である。
 そして、記録をもとに話す…ここで体制ができたといえる。