すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「授業の復権」は、単純なものではない

2006年08月26日 | 読書
--------------------------------------
 子供たちの学力低下は、授業時間や学習量の減少だけが原因ではない。教師の「授業」技術そのものが低下しているのが最大の問題なのだ。いま必要なのは制度改革ではなく、「授業」という観点に立った真の教育改革である。戦後教育史を振り返ると、子供たちの学力向上に命をかけてきた「授業の達人」たちがいる。創意工夫と情熱にあふれる彼らの実践にもう一度光を当ててみたい。そこに学校再生のためのヒントがあるはずだ。

---------------------------------------

 『授業の復権』(森口朗著・新潮新書)の表紙カバー裏に書かれている文章である。
 賛同できる考えである。期待を持って読んだ。

 実は、この本は発刊されたばかりの一昨年に少し立ち読みした記憶がある。
 その時買いそびれ機会を見て、と思っていたのだが、後に書かれた森口氏の『戦後教育によって失われたもの』が結構書棚に並んでいる割に、なかなか店頭で見つけることができずにいたのである。
 今回ネット注文してみたらまだ2刷本だったので、やはりこの手の新書は読者層が限られているのか、とつくづく思った。

 さて、ここで取り上げられた6人の「授業の達人」は私にとってもなじみが深いと言ってもいい。

 新採間もない頃から教育雑誌『ひと』の講読を続けた自分にとって、遠山啓氏は大きな存在だった。「水道方式」によるプリント作りは私の実践の中心だったし、次いで知った板倉聖宣氏の「仮説実験授業」についても授業書を手に入れ取り組んだ記憶は、理科オンチの自分には印象的な出来事だった。
 そして80年代半ば以降、野口芳宏氏、向山洋一氏からは数えきれないほどの教えを受けてきた。そして、今、陰山英男氏、藤原和博氏の実践や取り組みにも、大いなる刺激を受けている。

 いわば節操なく様々な人から学んだ自分から見ても、森口氏が書かれている6名の認識、評価は概ね妥当ではないかと思う。細かい点で異論はあるが、見解の相違を述べたところであまり意味はないだろう。

 それよりも肝心なのは、これからのことである。
 それは、終章の「教育論争の忘れ物」という形でまとめられていた。
 授業を復権させ、学力を向上させていくための「再生プログラム」として森口氏は次の三つを掲げている。

 一つ目は「政治思想停戦」である。
 二つ目は「競争の復活」である。
 最後は、「教師の誉め育て」である。
 
 ここで、あれっと少し腰がくだけたような感じをうけた。
 確かに、三つ目の「見習うべきサンプル」として実践者の授業法を参考にしてほしいという括り方なのだが、それだけではないだろうという思いが湧いてきて、不満足なままに閉じてしまった。

 授業を復権させるというならば、もちろん優れた授業運営、教材開発等を学ぶべきではあるが、もはやそれだけでは不十分である。
 子どもをどう見るか、そして学校、学級の組織をどう作るかといった視点を抜きには成り立たないことは明白である。それは単に競争的手段の復活といったことではないはずである。
 少なくても野口、向山、陰山の各先生方の実践をもう少し突っ込めば、その視点が大きなヒントになってくることはわかったと思うのだが…。

 と考えて、森口氏の略歴に注目。
 「教育評論家・東京都職員」とあり、都庁から小学校・養護学校・高校そしてまた都庁とある。ということは、事務職だろうか。
 
 事務職の方が書いた「授業の復権」というタイトルの本…
 おもしろいと言えば、おもしろい。