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監督という生き物~『オシムの言葉』

2006年08月16日 | 読書
 話題の本『オシムの言葉』(木村元彦著・集英社)を読んだ。
 サッカーファンでも、東欧情勢通でもない自分だが、伝わってくるものがある。
 
 著者が訪れたサラエボの女性タクシードライバーが、声を詰まらせながら言った。

「間違いなく…、わが国で…、一番…、好かれている人物です」

 出自を背負ってサッカーにその人生を賭ける男を賛辞する言葉は、このように数々あった。
 その半生の凄さ、深さが余すことなく書かれている本だと思う。

 オシム氏に対する周囲の言葉で個人的に一番惹かれたのは
通訳である間瀬氏が語った次の言葉である。

 あの人は監督をやっているんじゃなくて、監督という生き物なんですよ。

 この形容は、どういう意味なのか。
間瀬氏は「常に指導。指導するのが当たり前」という言葉を続けているが
そうした表面上?のことではない気がする。
 「生き物」というからは、どんな習性を持っているかである。
 それを語録の中から、書き出してみると…

  常に考えているのは、選手たちの『勝ちたい』『克ちたい』という強い気持ちを目覚めさせることなんだ

  大切なことは、まずどういう選手がいるか把握すること。個性を活かすシステムでなければ意味がない。

  やることをやってもし負けるのなら、胸を張って帰れるはずだ


 こう書くと、抽象的な精神論に近いようなイメージだが、
裏打ちされていることを知ると納得がいく。
 それは例えば、コーチライセンス研修での次の言葉だ。

  トレーニング方法で言えば、教師がこういうメニューがある、と黒板に書いた段階ですでに過去のものになっている。

 例えば、著者のインタビューに答えた核心の言葉だ。

  モチベーションを高める方法なんて何千通りもある。

 起きている間ずっとサッカーのことを考えている「生き物」である。
 これらの言葉が、強く響かないわけがないだろう。