すぷりんぐぶろぐ

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希求めいたエネルギーがほしい

2009年10月01日 | 雑記帳
 隣校で行われた中学生の弁論(少年の主張)を聞く機会があった。

 9名の子どもたちはそれぞれの熱心さで語りかけていた。なかに二人ほど見知った顔もいて、成長を感じさせてくれる嬉しい時間となった。
 ただ、肝心の主張の中味は、正直物足りないというか、ガツンとくるものは残念ながらなかった。

 9編の内容を自分なりに分類してみると、「いじめ・人権」が2、「家族」が2、「地域・ふるさと」が2、「福祉」が2、そして「平和」が1というテーマになる。何かに偏ったわけでもないが、何かが足りないような気がする。

 そういえば自分が中学生の頃、弁論を逃げ回っていた?記憶がある。人前で話すのが苦手というより、弁論に書くような「美しい」ことが嫌いだった、恥かしかったような気持ちを思い出すことができる。結局、自分がそうした場に立つことがなかった。
 しかしある時、あれは確か校内の弁論大会だったと思うが、1人の上級生のある弁論を聞いて、衝撃を受けたことは今も覚えている。

 そのタイトルは、「自由と規律」。

 著名な新書のタイトルであるが、その内容に触れられていたかどうかはわからない。ただ、当時中学生であった私たちを縛っていた校則や、大人からの小言のようなものに対して熱く問いかけていた姿に惹きつけられたことは間違いない。

 それは一つ上のお姉さんで、今でもたまに近所で見かける度に、私にとっては「自由と規律」のお姉さんなのである…これは全然関係ないか。

 今回の弁論に足りないと思ったのは、おそらくそうした希求めいたエネルギーである。
 むろん弁論の中では「差別をよそう」「故郷が大好き」「平和を守ろう」などと強く語られるが、それらはもう一つくぐり抜けた叫びとして伝わってこない。

 縛られていることを感じていないか。
 縛るものが見えていないのか。