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喜ぶ姿勢が窒息を救う

2009年10月27日 | 読書
 関西学院大学出版会が出した『こどもに命の大切さを伝える』というリブレットを読んでいたら、かの日野原重明氏と野田正彰氏の対談があり、その中で野田氏がこんなことを語っている。

 結局子どもたちの反抗がないというのは、やっぱり大人たちが社会に過剰反応することの練習をしているわけです。
 
 反抗期のない子どもが増える傾向があるらしい。それを私自身が実感しているわけでもないが、確かに昔ほどつっぱっているような子はいないのかもしれない。しかし、家庭や休日の暮らしではどうなのか、実際のところはっきりつかめてはいない。

 ただ「社会に過剰反応する大人たち」は自分も含めてそうだなと実感できる。
 これは仕事の面でもそうだし、政治や芸能人のスキャンダルまで含め、何か反応しないことが悪いかのように毎日が流れていく気もする。

 その反応の仕方も、いつもどこか「誘導的」であり、様々なメディアの情報に操作されたり、批判をかわすための無難な線を探したりということになっている。

 そんな状況を自覚している人は多いけれど、反発したときに集中砲火を浴びないだろうか、一人だけ浮いてしまい孤立しないだろうかと不安が先に立っているように思う。

 去勢された大人を囲まれている中で、窒息しそうな子どももいるだろう。上手になだめていく術だけを覚えて、反抗する心をきっとどこかに固めてしまうんだと思う。
 その隠された念のようなものはいつ弾きだされるのだろうか。

 野田氏はさらに語る。

 成長の過程として喜ぶ姿勢が親の中にないと、反抗期は生まれない
 
 喜ぶ姿勢はゆとりの表れである。親は自分がなくしているゆとりを取り戻さないと、その姿勢は生まれない。

 反応しなければいけない自分を時々笑ってみる。
 そして周りに合わせることをほどほどにして、ぼんやりしてみる。
 初めは多少居心地が悪い状態であっても慣れるかもしれない。

 喜ぶ姿勢が子どもの窒息を救う。