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毎日毎日種をまく

2009年10月07日 | 雑記帳
 精神科医のなだいなだが、昔診察した患者から、自分が発した言葉を聞いた話を書いている。
 もちろん、自分自身は忘れているわけだが、患者が忘れず覚えているということは、その人の人生に役立ったことだろうと書く。

 そういうことは、教師の世界にもあるように思う。昔受け持った子と成長して語り合ったとき、何気ない一言を覚えていてくれたりして、驚いたり感激したりするものだ。
 発した自分自身が記憶がないとすれば、きっとそんなに意識的に使った言葉ではないだろうし、ふだんの関わりの中で出てきた、また自分の自然な感情でしゃべったことといえるかもしれない。

 そういう一言を長い期間覚えているということは、その一言は言った本人を離れ、聞いた者のことばになっているのではないか。
 おそらく心の中で何かの度に繰り返され、根付いている状態といえるのかもしれない。

 そう考えると、医者や教員が発する言葉は、種のようなイメージでとらえることもできるだろう。
 対象となる者は全てを受け入れられるのではなく、自分の土壌にあったものが芽を出し、成長していく…そういうことになるだろうか。

 肥沃な土もあれば、からからに渇いた荒地もあるだろう。
 
 しかし、毎日毎日種をまく。

 その中で何が根付き、何が芽を出すかは、まだだれもにもわからない。

 それでも、毎日毎日種をまく。