すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

鑑賞という味わい方ができれば

2009年10月12日 | 読書
 久しぶりに『新潮45』を買って読んでみたら、養老孟司の対談シリーズが実に興味深かった。
 初回だそうだが、その相手は高橋秀実というノンフィクション作家。読んだことのない作家であるが、実にユニークな発想、語りをする人だ。

 現在は中学受験をテーマに書いているそうで、子供たちを取材して「できない子」を目にして次のようなことを語っている。

 できない子というのは、どこかみんな「景色」を見ちゃうんですよ。「解く」んじゃなくて「鑑賞」しちゃう。
 
 ふむふむ。
 算数の文章題などで、確かにそんなふうに思えることがある。
 「できる子」は、解に向かって最短を歩もうとするから、それ以外の要素を見ずにさっさと解いていくことができる。だから、本当にその設問を理解しているかを見るために、「条件過多」といった文章題にする方法なども一般的になっている。

 しかし、そうなると「できない子」にとって、様々な鑑賞の要素が増えることになり、ますます解から遠回りするということになるわけか。そんな酷なことを使っているのだという自覚は大事だなあと思う。

 まあ算数の問題はともかく、生きていくうえで必要なのは「理解」ではなくて「鑑賞」かな、などとふと思ったりする。
 理解ができたからどうだという話はキリがないものだし、それに比べて鑑賞という味わい方ができれば、そりゃあ楽しいはずと、唐突に結論づけてみた。