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だってそうではないか、の筒井康隆

2009年10月16日 | 読書
 本当に久しぶりに、筒井康隆の小説を読んだ。

 『銀齢の果て』(新潮文庫)

 いわば、老人版の「バトル・ロワイヤル」といっても差し支えない内容なのだが、とにかく登場人物がかなり多く、イメージを描けないままに登場し死んでいくというような有様で、シッチャカメッチャカ(何だか懐かしい表現)な筋立てでもある。

 しかしこういった展開は筒井の得意とするところで、ずいぶんと高校生の頃は読んだように思う。
 人が考えたり、しゃっべったりしていて、自分自身で高揚していく様など、引き込まれていくように読んだのだろう。
 今回も、何気ないこうした表現に心が高ぶった。

 だってそうではないか。だってそうではないか。だってそうではないか。
 
 この繰り返しにはまいったなあ。
 確か高2の頃、暇にまかせてクラス内で廻した一冊の自由帳(それを2Dノートと名づけた)。一番の投稿!者は私自身だったが、そこで級友を登場人物にしてナンセンスでシュールな小話を書き連ねていた自分が蘇ってくるようだった。

 ところで、なぜ終末があんな展開になるのか、わからなかった。
 毅然と振舞う主人公の九一郎に惹かれて行動を共にした猿谷を最後の最後で疑う、そして九一郎は生き残る…このしっくりこないエンディングは、断末魔における人間の弱さそのものか。
 そういうどうしようもなさが、この話を忘れられないものにしそうだ。

 だってそうではないか。

 そう呟いて、解説を書いたのがあの穂村弘であったことも一つ驚きで、「中高生の私が愛読していた」と書いた件を読み、えっと驚き、やはりと考えてしまう。

 だってそうではないか。