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自分の精神のストーカー

2009年10月18日 | 読書
 自分の精神のストーカー
 
 ストーカーという言葉をこれほど前向きにとらえた表現があっただろうか。

 さすがに糸井重里である。

 『考える人』(新潮社)の最新号の特集は、「活字から、ウェブへの……。」であり、そこでのロングインタビューの中で語りであった。特集にふさわしい人選だと思う。

 糸井とネットの出会いについては、『ほぼ日刊イトイ新聞の本』を読んでおりあらましはわかっていたが、ここではまた違った切り口でエピソードが語られていた。

 最初のころはやっぱり、メールとエロかおもしろかったですね。

 さりげなく「エロの世界の見せ方」について感心してみせる糸井の自由さには憧れを感ずる。
 そして「何を素敵だと思っているのか。捨てたくない画像って何か」をどこまでも追及していける人、それがストーカーという表現となる。情報を集める、眺める、考える、判断する、動き出す…
 ただ、その結果一人のポルノスターを追いかけて、ネバダ州の酒場で踊っているらしいとまで追いかけていけるネットの強みを心の底で感じられるためには、「自分の欲望のありか」をしっかりと見定めていく必要があることを今更ながらに思う。

 便利を越えて、豊かに

 このことが大切だとわかっていても、時に(いや日常的にだろう)それを見失って、誰かによって「増幅」された情報に踊らされる。

 では、どうするか。
 方法はたくさんあるけれど、決意することはいくつかなのかもしれない。

 今号の『考える人』は読みごたえがありそうで、ヒントを得られる気がする。