すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「二人目の母親」でいいのか

2009年10月14日 | 読書
 机上にあった冊子の目次をぺらっとめくってみた。
 愛読している正高信男教授(京都大学)の連載、今月号の題名を見てなるほどと思った。

 「二人目の母親」になった現代の父親
 
 先日、知り合いと飲んでいたときに、「入学式や卒業式に両親が揃って出席するのが多くなったのはいつからだろう」などという話をしていて、喜ばしいことなんだろうが何か今一つその風潮にしっくりこないものを感じる自分がいた。

 式への出席自体が何か意味を持つわけではないが、そこで子どもを見つめる目が変わってきているのではないか。母親の目に、父親の目が近づいている…共に「母性」的となっているとは言えないだろうか。

 正高氏も書いているように、父性と父親、母性と母親は決して同一ではない。しかしその入替もまた簡単なことではないはずだ。
 まして地域環境の変化は、子どもたちが外部の大人と接触することを減らしているし、家庭外の父性にあう場も少なくなっている。正高氏はこう言う。

 地縁に期待できない現代の父親は、子どものほうを向いて、積極的に父性を背負っていかなければならない 

 最近よく見られる「子育てに熱心な父親」の多くは、あまりそのことは意識していないのかもしれない。私の見る範囲で感じることは次の文章によくあてはまる。

 ここで言う「子育てに熱心」であるというのは、母親の補助的役割を担う、「二人目の母親」としての育児参加なのです。
 
 異なる役割を担う、演じるという自覚がなければ、きっと「父親の出番」などと言われてもぴんとはこないだろう。問いかけを強めていきたいことだ。