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正義と彩

2009年11月26日 | 読書
 『七夕しぐれ』(熊谷達也著 光文社文庫)を読む。

 作者の自伝的小説なのかなと思うが、仮にそうではないにしろ小学生であった時代の独白の多くは、作者自身の部分も多いと予想した。何度も出てくるそういった記述がややうっとうしいように感じたが、ストーリーそのものは面白いし、舞台が仙台であるという要素は私には大きく、一気に読めた。
 ただ、かのシゲマツ氏が書きそうでもあるし、その東北版かあという小さな声もあって、ある意味では「らしくないなあ」とも思った。

 さて、物語の展開の大きな素材となる「エタ町」の存在は、仙台で過ごしたときに聞いたことがなかったが、城下町としては当然あったのかもしれない。
 それはおそらくどこの町であっても隠されてきた存在であったし、触れないでおくことが肝心だったのだろう。少なくても東北地方ではそういう歴史で収まってしまう程度のことだったのではないだろうか(もしかしたら知らないだけのことかもしれない)。

 幼い頃いや中学生の頃だったろうか、他地区に住むある知り合いの家が、牛馬の屍体処理を生業にしていた話を聞いたことがある。
 大人たちがどういう内容で話していたか全く記憶がないが、そこに漂う妙な暗さを覚えていて、後になってそうした職業につきまとう差別観があった歴史を知って、はっとなった思い出が私にもある。ただ、そのことについてその後触れたことはなく、必要も感じない環境にあるのだろう。

 この物語では、主人公の小学生たちがその触れなくてもいいことをそのままにしておけなくて、波風を立てたくない教師や周囲に立ち向かっていく。
 そしてそれを「正義」と称する。
 校舎の屋上からビラをまき、思いは完結し心は満たされるが、日常はそれほど変わらず淡々と過ぎていく日々となる。

 正義とはそんなものかもしれない。
 しかし、それほど変わらない日常でも目を凝らせば何か一色を加えたような景色が見えてくる、その程度。いや、その程度は大事だ。
 七夕飾りのように艶やかでなくても、それが「彩」ということか。
 ミスチルの大好きな曲のようだ。