すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

掘り進んでいく楽しみ

2009年11月10日 | 読書
 再読シリーズである。
 『無所属の時間で生きる』(城山三郎著 朝日新聞社)を出張に向かう電車の中で読んだ。

 こんなエッセイを書きたいと思った。
 こんなエッセイを書きたいと、ずっと思ってきた。

 人物を追っていく、心に残る場面や言葉を取り上げて、自分の考えや思いを綴る形に、憧れがあるのだろう。
 そういう内容面に加え、城山の文体が何より素敵だなと考える。解説者によれば

 城山作品に共通するあのやわらかな文体
 
 ということになるが、それは強さの感じられる柔らかさであり、文章全体に漂う品性の豊かさのように思う。

 どんなふうにしたら、そういう文体を持てるというのか。
 他者の「輝き」に向かいその心象や成立を掘り進んでいくような構えを持つことは、小説やルポタージュを書く基本であって当然のことだろう。
 それを表現するときに、独自の視点として何を持つか…こちらの方がより決定的だ。

 このエッセイに時々さらりと顔を出す自らの苦手や失敗…もしかしたらそれが秘訣なのか。つまり人間の弱さ、小ささにしっかり目を向けていること。そこに人間を探る面白み、様々な要素がつながって、その人の輪郭が出来上がっていくような…。

 「気骨の人」は、掘り進んでいく楽しみをあちこちに見つけた人だった。それが文体となっていく。