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復旧した端末からの一言

2009年11月23日 | 雑記帳
 この前読んだ熊谷達也の『新参教師』の何気ない場面だけれど、ちょっと考えたところがある。
 会社員から転職した主人公が、職員室の自分の机の前でこんなふうに同僚に尋ねる。

 「ところで、わたしの机に端末がないのですけど」
 
 学校現場を象徴するなかなかの一言である。
 職員用PCは今どの程度行き渡っているのだろうか。近隣の学校でも配置済のところもあるから、割合は高くなっていくだろう。しかし同じ教委であっても未配置のところもあったり…ちょっと不透明なところではある。

 そういった普及率のこととも絡むが、それより「端末」という言葉が何か感じさせる。
 むろんこの場合は端末機器、端末装置としての意味ではあるが、もう一つ組織としての端末という意味も微妙に重ね合わせたくなる。
 企業に勤める者であれば、それはしごく当然であろう。そして学校もそういう一面があることは紛れもない事実である。

 機器が、装置が行き渡ればわたるほど、自分たちの心も身体もそれに組み込まれていくような印象がある。しかし、私たちが単なる装置になることはどこまでも避けたいなあ…
 などと頭に浮かんだ数日前のこと。

 突然、自宅のPCがネットにつながらない…えっ、「故障かなと思ったら」というフレッツの復旧診断ツールもあるし大丈夫だろうと高をくくっていたが、なんどやっても失敗。
 プロバイダーから配布されている設定用CDでも駄目である。電源を落として設定をやり直すこともできず、初期化もできない状態である。

 三日目、サポートに電話してみたら、24時間サービスにも関わらず留守電対応。これでは駄目だ。休日になったが最初の二日は所用でまた日中はかけられない。ようやく今日になって、電話がつながった。
 最初はNTT、そこではオペレーターの指示に従ってあれこれやって、結局プロバイダー関連だとわかり、ニフティへ。やさしいお姉さん?の指示に従って、転送先から変更パスワードを聴き、再びお姉さんの指示にあれこれ従って…ようやく復旧である。

 指示にあれこれ従って、ようやくつながったことに安心を覚えたりして、ああ結局、端末じゃないか俺は。

 いや、確かに端末ではあるが、それは何か大きなものからの指示や命令を待っているのではなく、姿や声を発するどこかの端末につながっているという感覚が欲しいのだろうなと改めて考える。そうでなければ、と思う。