すぷりんぐぶろぐ

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苦手宣言から「もったいない」へ

2010年09月06日 | 読書
 似たことは以前にも書いているが、整理整頓は苦手中の苦手だ。
 「才能がない」などと言い訳?しているほど見事なものだ。
 
 そのうちに、この物品関係の処理の仕方が下手ということは、きっと思考もそうなのだろうと薄々気づいてきた。
 いつも注目しているデザイナー佐藤可士和の、整理の極地とも言うべきオフィスの写真を見たときに、その思いは確信と変わる。

 これじゃいかん、これじゃいかん、と周期的に片づけに入るが、継続できないままに数十年。(どうしようもなく軽薄な「重み」だ)
 整理ができるようになりたいという願いに翻弄され、目の前のペン1本も片づけられないでいる。

 さらに、物を買う。
 衣類などは買わない方だと思うが、捨てられないので溜まる一方。
 文房具やOA関係など、あまり意味もなく好きだ。
 さらに、書物、雑誌。どうしようもなく増殖するのはどうしてだあ。
 ちょっとHELPと言いたくなる。

 そんな埋もれている雑誌の中に、こんな一節が…。

 僕らはいつしか、もので溢れる日本というものを、度を超えて許容してしまったかもしれない。(原研哉『図書』7月号)

 日本を自分に、あるいは我が家に置き換えても同じではないだろうか。

 物質的な豊かさより精神的な豊かさを、という言辞はもはや使い古されたように感じるが、そんなことを繰り返し言いながらちっとも事態は進んでいない。
 結局、大量生産、大量消費を前提に動いている世の中で、どこかで明確に区切りを入れる行動ができないから、こうなる。
 「もったいない」は捨てる行為について指摘される言葉だが、それ以前の行為についても、もっと想像してみるべきだと、かの筆者は言う。

 もしそういう心情を働かせるなら、まずは何かを大量に生産する時に感じた方がいいし、さもなければそれを購入する時に考えた方がいい。
 
 自分にできることは、せめて買わないことか。
 
 整理整頓はあきらめて、捨てる、買わないことで、少しずつシンプルにしていくという手もある。
 
 えっ、できるのか?